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シーン2:【奈落の極上肉料理と、泥舟(おうこく)が沈む正確なタイムリミット】

パチッ、パチパチッ……。


乾燥した魔光樹の枝が、私の指先から放たれた微小な火花によって、小気味良い音を立てて燃え上がる。

奈落の冷え切った空気が、焚き火の柔らかな橙色の光によって、わずかに和らいでいく。


「……信じられん。我輩を叩き伏せたその直後に、これほどの手際で炊事の支度を整えるとは」


岩壁に背を預け、まだ完治していない身体を休めているガルムが、呆れたような、それでいて感心したような声を漏らす。

その視線の先で、私は先ほど仕留めた『双頭の地這大蛇ツインヘッド・サーペント』の肉を、手際よく捌いていた。


「当然でしょう? 戦うことと生きることは同義だわ。お腹が空いては、最高のパフォーマンスは発揮できないもの」


私は魔力マナを指先に集中させ、目に見えないほど薄く、鋭い『魔力刃マナ・ブレード』を形成する。

巨大な大蛇の、硬い鱗に覆われた皮を、まるで完熟した果実の皮を剥くかのように軽やかに切り裂いていく。

内臓を傷つけぬよう、かつ最も脂の乗った部位だけを正確に切り出すその動作には、一切の迷いも無駄もない。


「きゅいっ! きゅいきゅいっ!」


私の足元で、モッチがしっぽ(のような毛束)をパタパタと振りながら、切り分けられた肉の塊を熱心に見つめている。

その期待に満ちた瞳を見て、私は思わず頬を緩めた。


「待っててね、モッチ。今、最高に美味しく焼いてあげるから」


私は岩板を熱して即席の鉄板を作り、その上に分厚く切った蛇肉を並べる。

ジュゥゥゥゥゥッ……!

途端に、地下の静寂を塗り替えるような、芳醇で香ばしい匂いが立ち上った。

大蛇の脂が熱に溶け出し、弾けるような音と共に食欲を激しく刺激する。


「……くっ、なんて匂いだ。奈落の魔物の肉が、これほど美味そうな香りを放つなど、聞いたこともないぞ」


ガルムが思わずといった様子で喉を鳴らす。

私は隠し持っていた――といっても、ドレスの裏地に縫い付けておいた隠しポケットから取り出した、いくつかの香辛料をパラパラと振りかける。

公爵令嬢たるもの、いつ追放されても最高の食事ができるように、高級スパイスを常備しておくのは嗜みというものだ。


「さあ、まずはモッチから。熱いから気をつけてね」


「きゅ~っ!」


フーフーと息を吹きかけて冷ました肉を、モッチの前に置く。

モッチは短い手足で器用に肉を抱え込むと、ハフハフと頬張り始めた。

その小さな口がいっぱいに膨らみ、幸せそうな表情を浮かべる様子は、見ているだけでこちらの心が洗われるようだ。


「……ガルム、あなたも食べなさい。戦士なら、食うことも修行のうちでしょう?」


「……かたじけない」


私は焼き上がった大判の肉を、ガルムへ放り投げる。

彼はそれを大きな手で難なく受け取ると、熱さも構わずにガブリと食らいついた。

その瞬間。


「なっ……!? なんだ、これは……ッ! 肉の繊維が、口の中で解けるように……。それに、この奥深い痺れるような刺激は……!」


「『魔力圧縮マナ・コンプレッション』で肉の筋を叩き切りつつ、香辛料で臭みを消したの。あなたの身体を癒すための治癒魔力も、隠し味に混ぜておいたわよ」


「……ぐ、ぅ。主よ、貴女様は戦いだけでなく、炊事の腕まで『最恐さいきょう』だというのか」


ガルムが貪るように肉を喰らう。

その様子を眺めながら、私は自分用の肉を上品に口へと運ぶ。

濃厚な肉の旨味が舌の上で爆発し、胃に落ちるたびに失われたエネルギーが急速に充填されていくのを感じる。


(ふふ……王宮の、あの冷めきったコース料理より、よほど贅沢だわ)


焚き火の爆ぜる音を聞きながら、私はふと、頭上の遥か彼方にある『泥舟』に思いを馳せた。


「……今頃、王城はひどいことになっているでしょうね」


私の独り言に、肉を咀嚼していたガルムが怪訝そうに顔を上げた。


「王城? 貴女様を追放した、あの人間どもの巣のことか」


「ええ。アルフレッド殿下やグラディウス侯爵たちは、今ごろ祝杯でも挙げているでしょうけれど……。残念ながら、彼らがそのワインの味を楽しめるのも、あと数日のことだわ」


私は焚き火を弄りながら、王国の内部構造を脳内で組み立て直す。


「ガルム、知っているかしら? 王国の食糧流通というのは、非常に繊細なバランスの上に乗っているのよ。特に、王都へ運び込まれる穀物の四割は、私が裏で管理していた『エルヴァンシア秘密帳簿』に基づいて調整されていたもの」


「帳簿……? 戦士には縁のない話だな」


「そうね。でも、その帳簿の数字一つで、民衆の腹が満たされるか、飢えるかが決まるわ。私が消えたことで、あの腐敗した貴族たちは必ず『自分の取り分』を増やそうと、不透明な在庫を囲い込み始める。そうなれば、流通は停滞し、価格は暴騰する。……三日後には、下層街で最初の暴動が起きるでしょうね」


私は確信を持って断言する。

予言ではない。冷徹なまでの計算だ。


「さらに、王都を護る『大結界』。あれの魔力源である『古代魔力炉』の出力制御も、実は私が毎日、微細な魔力調整を行っていたの。……私という完璧な制御コントロールを失った炉は、やがて過負荷に耐えきれなくなり、障壁に『揺らぎ』が生じる。……そうね、一週間もすれば、結界に大きな穴が開くはずよ」


「……貴女様は、そこまで見越して……」


ガルムが戦慄したような瞳で私を見つめる。

彼は私が単なる『強い女』だと思っていたのだろうが、その本質が『国家という巨大な機構の歯車を一人で回していた調整役』であることに気づき始めたようだ。


「殿下は『皆で分かり合える理想国家』なんて言っていたけれど。理想を支えるための泥臭い裏仕事おそうじを、すべて私一人に押し付けていた自覚すらなかったのよ。……失って初めて、自分の立っている場所がいかに脆い砂の上だったかを知る。……あはっ、その時の彼らの顔を想像するだけで、おやつがいらなくなるわね」


私は残酷な笑みを浮かべる。

これは復讐ではない。単なる結果だ。

自分たちの手で、唯一の支柱を切り倒したのだから。


「主よ……貴女様は、ただの戦闘狂ではないのだな。その知略、その冷徹さ……。まるで、すべてを盤上で操る神のようだ」


「買い被りすぎよ、ガルム。私はただ、自分が快適に暴れられる場所を護るために、邪魔なゴミを片付けていただけ」


私は最後の一切れの肉を口に放り込み、立ち上がった。

腹は満ち、魔力も完全に回復した。

全身を巡る力が、さらなる闘争を求めて疼き始めている。


「さあ、休憩はおしまい。王国が自滅するのを、ここで座って待っているほど、私はお行儀よくないの」


私は燃え盛る焚き火を、一吹きの風魔法でかき消す。

再び戻ってきた、奈落の深い闇。

だが、その闇の中には、私を呼ぶさらに強大な魔力の波動が満ちていた。


「きゅっ! きゅいっ!」


モッチが私の肩に飛び乗り、ガルムが力強く立ち上がる。


「ガルム、案内して。この先の『中層』には、もっと骨のある玩具がいるのでしょう?」


「……御意。我らが主の行く手を阻む者、すべてこの牙で引き裂きましょうぞ」


私たちは闇の奥へと歩み出す。

王国のカウントダウンが、今、静かに始まっているとも知らずに。

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