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シーン3:【ようこそ奈落へ。まずは死臭で歓迎を】

落下、落下、落下。

鼓膜を破らんばかりの凄まじい風切り音が、私の全身を叩き打つ。

王城の地下から延々と続く巨大な縦穴は、太陽の光など一切届かない完全な漆黒の空間だ。重力という絶対的な法則に従い、私の身体は秒速数十メートルの猛スピードで暗黒の底へと吸い込まれていく。


普通なら、恐怖で気を失うか、あるいは恐怖すら抱く間もなく地面に激突して肉塊に変わるだけの絶望的な死のダイブ。

だが、今の私を支配している感情は『歓喜』以外の何物でもない。


「あはっ……あはははははっ!」


強烈な向かい風の中で、私は両腕を大きく広げる。

肺の奥底まで、奈落の空気を吸い込む。

冷たい。そして、ひどく淀んでいる。

千年分もの死骸と泥が発酵したような腐臭。鉄錆とカビの混じった不快な匂い。

そして何より、地上の何十倍もの濃度で満ち満ちている、ドロドロに煮詰まった魔力マナの気配。

王都の澄み切った空気とは対極にある、生きとし生けるものを拒絶する猛毒の瘴気だ。


(素晴らしいわ。この空気、このプレッシャー。私の中の魔力が、外の空気に呼応して歌っているみたい!)


長年、私を雁字搦めにしていた『封魔の枷』はもうない。

私の体内を巡る膨大な魔力が、堰を切ったように血管の隅々まで行き渡り、細胞を爆発的に活性化させていく。

暗闇だった視界が、魔力を帯びた瞳孔によって昼間のようにクリアに切り替わる。

ごつごつとした岩肌の壁面。そこにへばりつく奇妙な発光苔。

そして――眼下に迫る、巨大な石畳の広場。


(高度、残り百メートル。五十。三十。……よし)


私は空中でくるりと身体を捻り、足先を真下に向ける。

同時に、体内の魔力を極限まで圧縮し、両足の裏へと集中させる。

ただ落下エネルギーを肉体で受け止めれば、いくら私でも両足の骨が粉砕されてしまう。物理法則を相殺するためには、同等かそれ以上の力で『反発』を生み出すしかない。


「ふっ……!」


着地の瞬間。

私は圧縮した魔力を、足裏から一気に爆発させた。


ズドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!


まるで巨大な隕石が墜落したかのような轟音が、地下空間に木霊する。

硬い石畳が私の足元を中心にして放射状にひび割れ、すり鉢状の巨大なクレーターを形成する。

凄まじい衝撃波が巻き起こり、周囲に積もっていた数百年分の砂埃と瘴気をまとめて吹き飛ばした。


「……ふう。十点満点中、八点というところかしら。少し力が入りすぎたわね」


もうもうと舞い上がる土煙の中、私はゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。

ドレスの残骸を払い落とし、肩を軽く回す。

骨にも筋肉にも異常はない。完璧なコンディションだ。


ヒンヤリとした空気が、戦闘用インナー越しに肌を撫でる。

静かだ。

先ほどまでの王城での下らない喧騒が嘘のように、ここには絶対的な静寂が――。


グルルルルルルル…………。


いや。

静寂など、最初から存在しなかった。

土煙が晴れていくにつれ、私の周囲を取り囲む『それら』の姿が露わになる。


前方から三匹、後方から二匹、そして左右の壁面から這い降りてくる四匹。

合計、九匹。


(あら、お出迎えご苦労様。随分と熱烈な歓迎ね)


私は姿勢を崩さぬまま、目を細めてぐるりと周囲を観察する。

赤黒い体毛に覆われた、巨大な狼のような獣たち。

しかし、その体躯は馬ほどもあり、背中からは蜘蛛のような関節を持つ四本の副腕が生えている。大きく裂けた口元からは、ダラダラと緑色の粘着質な涎が滴り落ち、それが石畳に触れるたびに「ジュゥゥ」と嫌な音を立てて岩を溶かしていた。


地上では絶対に存在しない、魔力汚染の果てに変異した醜悪なキメラ。

もしこの中の一匹でも地上に現れれば、王国の近衛兵一個中隊が全滅するレベルの厄介な代物だろう。


「グルァッ!!」


待ちきれないと言わんばかりに、私の背後にいた一匹が大地を蹴った。

鋭い鉤爪が、私の首筋を刈り取るために死角から迫る。

風を切る音、筋肉が躍動する軋み。そのすべてが、私の五感を通して手に取るように理解できる。


「遅いわね」


私は振り返ることすらしない。

首をほんの数センチだけ左に傾け、背後からの凶刃を紙一重で躱す。

空を切った魔獣の腕が私の脇を通り抜けた瞬間、私はその腕を両手でがっしりと掴み込んだ。


「ギャッ……!?」


魔獣が戸惑いの声を上げる。

自分よりも遥かに小さな、か弱い人間の雌。その細腕に掴まれただけなのに、まるで万力で固定されたかのように身動きが取れなくなったのだから無理もない。


「まずは一匹」


私は微笑みながら、掴んだ魔獣の腕を支点にして、自らの身体を空中に跳ね上げた。

そして、無防備になった魔獣の側頭部へ、全体重と魔力を乗せた右回し蹴りを叩き込む。


メキバキィィィィンッ!!


硬質な装甲で覆われていたはずの頭蓋骨が、嫌な音を立てて陥没する。

衝撃は脳髄を完全に破壊し、巨大な魔獣の身体は悲鳴を上げる間もなく、くの字に折れ曲がって石壁へと激突した。

ドシャァッ、と壁にへばりつくようにして絶命する一匹目。


「ギャウウウウウウッ!!」

「ルルォォォォォォッ!!」


仲間の瞬殺を目の当たりにしても、彼らに恐怖という感情はないらしい。

血の匂いに興奮した残りの八匹が、前後左右から一斉に私へと襲いかかってくる。


(良いわね。恐怖を知らない敵というのは、手加減なしで壊せるから好きよ!)


私は腹の底から湧き上がる高揚感に身を任せ、殺意の嵐の中へ自ら飛び込んだ。

右から迫る巨大なあぎと

私はそれをしゃがみ込んで躱すと同時に、下から真っ直ぐに右拳を突き上げる。

狙うは下顎のど真ん中。アッパーカットの要領で叩き込まれた拳は、魔獣の顎の骨を粉砕し、そのまま上顎、そして脳天までを一直線に貫通する。


「ギィ……ッ」


脳髄を吹き飛ばされた二匹目を蹴り倒し、私は止まらない。

左へステップを踏み、壁面から跳躍してきた三匹目の腹部へ、左の掌底をねじ込む。

表面の肉を打つのではない。打撃のエネルギーを、魔力を介して内臓へ直接流し込む技術――『浸透・魔力波』。


「ボフッ」というくぐもった音と共に、三匹目の全身の穴という穴から血の霧が噴き出す。内臓をドロドロにすり潰されたそれは、着地することなく空中で絶命して地面に転がった。


「ふふっ……あはははっ! 遅い、遅い、遅いわよ! もっと早く! もっと本気で来なさい!」


私は踊るように石畳の上を駆け抜ける。

四匹目の振り下ろした爪を右腕で弾き返し、そのまま踏み込んで鳩尾に肘打ちを叩き込む。肋骨が砕ける感触。

五匹目と六匹目が左右から挟み撃ちにしてくる。私はその場から真上へ跳躍し、空中で身を捻って両者の頭部を掴み、そのまま強引に同士討ちの形で激突させる。

グチャリ、とスイカが割れるような不快な音が響き、脳漿が石畳にぶち撒けられる。


(ああ、楽しい……! なんて楽しいの!)


血飛沫が頬を掠める。

生臭い匂いが鼻腔をくすぐる。

王宮の夜会で、他人の顔色を窺いながら愛想笑いを浮かべていた日々が嘘のようだ。

ここでは、私が最強。私がルール。

誰に遠慮することなく、己の力を100パーセント解放できる。


「グルルルルルルッ……!!」


群れのリーダー格だろうか。

一回り大きく、全身の毛が銀色に染まった個体が、凄まじい咆哮と共に突進してくる。

口元に溜め込まれた異常な熱量。ただの物理攻撃ではない、魔力を伴った『炎のブレス』の気配。


「なるほど、飛び道具も使えるのね。……でも」


ゴォォォォォォォォッ!!


私に向かって放たれた、暗闇を赤々と照らし出す高熱の業火。

私はそれを避けない。

右手に限界まで魔力を収束させ、それを一枚の『見えない刃』へと変える。


手品マジックのタネが単純すぎるわ」


私は真っ向から、迫り来る炎のブレスに向かって右手を振り下ろした。

シュパァァァァァッ!!

魔力の刃が、炎の奔流を物理的に真っ二つに引き裂く。

左右に逸れた炎が壁面を焦がす中、私は裂けた炎の道を通り抜け、驚愕に見開かれたリーダー格の真正面へと一瞬で肉薄した。


「終わりよ」


私は両手で、大きく開かれたリーダーの上下の顎をガッシリと掴んだ。

そして、一切の躊躇なく、上下に力任せに引き裂く。


メキィィィィィィィィィッ!!

「ギ……ガァァァァァァァァァァァァァァッ!?」


耳障りな骨の軋む音と、鼓膜を裂くような絶叫。

私はさらに力を込め、完全に顎の関節を外して、下顎を根本からもぎ取った。

鮮血の雨が降り注ぎ、リーダー格の巨体がズドォンと重い音を立てて沈黙する。

それを合図にしたかのように、生き残っていた最後の二匹が、ついに恐怖を思い出したように背を向けて逃げ出そうとした。


「……逃がすわけないでしょう?」


私は足元に落ちていた手頃な石ころを二つ拾い上げ、指先で弾き飛ばす。

『魔力圧縮・散弾』。

銃弾の如き速度で放たれた石ころは、逃げる魔獣たちの後頭部を正確に撃ち抜き、その命を刈り取った。


「…………ふう」


私は小さく息を吐き、血に染まった両手を軽く振って汚れを落とす。

戦闘開始から、わずか三分。

周囲には九匹の凶悪なキメラの死骸が転がり、濃密だった血の匂いがさらに強烈に立ち込めている。

頬に飛んだ一滴の血を、指で拭い取る。

温かい。これが、命を奪うということ。私がずっと渇望していた、生と死が隣り合わせのヒリヒリとした感覚。


「準備運動にもならなかったわね。もっと骨のある相手は……」


私が物足りなさに唇を尖らせ、さらに深い闇の奥へと足を踏み出そうとした、その時だった。


カサリ。


(……ん?)


私の超感覚が、背後の岩陰から微かな音を拾い上げた。

殺気はない。魔力の気配も極端に弱い。

だが、確実に何かが『動いて』いる。

まだ生き残りがいたのか、それとも別の魔物が血の匂いに釣られてやってきたのか。

私は臨戦態勢を解かず、音のした方へとゆっくりと振り返った。

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