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シーン4:【遭遇、ふわふわの絶望。愛くるしい魔物との出会い】

薄暗い岩陰。

私は全身の筋肉をバネのように引き絞り、いつでも対象の首をへし折れるよう魔力を指先に集中させる。

先ほどの九匹とは比べ物にならないほど、気配が小さい。

伏兵か。あるいは、極限まで気配を殺すことに特化した暗殺型の魔物か。


(どちらにせよ、私の死角に潜んでいたことは評価してあげる。……瞬殺おわらせるけど)


じり、じり、と間合いを詰める。

私のブーツの裏が石畳を擦る音すら、計算し尽くされた無音の歩法によって消え去っている。

距離、三メートル。

相手の鼓動すら聞こえそうな距離で、私は岩陰に潜む『それ』に向かって一気に飛びかかろうとした。


「きゅっ……?」


「…………は?」


私は、振り上げた拳を空中でピタリと止めた。

岩陰からおずおずと顔を出したのは、想像していた凶悪な暗殺者でも、おぞましい魔獣でもなかった。


大きさは、人間の子供の頭ほど。

全体が真っ白で、マシュマロのようにふんわりとした毛並みに覆われている。

丸いフォルムの頭部には、ウサギのような長い耳が二本、ぴょこんと生えており、黒曜石のようにキラキラと輝くつぶらな瞳が、私を不思議そうに見上げている。

短い手足がちょこんと付いていて、背中には小さな天使の羽のようなものが生えているが、どう見ても飛べそうにはない。


「きゅぅ……」


そいつは、私が瞬殺した巨大キメラの死骸をチラリと見て、ブルブルと震えながら私の足元へ転がるように近づいてきた。

そして、私のブーツの爪先にピトッ、と張り付いて、甘えるように頬を擦り寄せてくる。


「……な、なにこれ」


私の脳内で、これまでの人生で蓄積してきた魔物図鑑のデータが高速で検索される。

凶暴、残忍、グロテスク。奈落の魔物に対する私の認識は、その三つの単語で完結していたはずだ。

こんな、王都の貴族令嬢がペットとして飼いたがるような、愛くるしさの塊のような生物が、なぜこんな地獄の底に生息しているのか。


「きゅっ、きゅきゅっ!」


そいつは短い前足を一生懸命に伸ばし、私のズボンの裾を引っ張る。

まるで「撫でて!」と催促しているかのように。


(……罠? これは、相手の警戒心を解くための高度な精神操作系の罠なの……!?)


私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、後退バックステップで距離を取る。

しかし、そいつは私の動きに合わせてポヨン、ポヨンと弾むように追いかけてきて、再び足元にまとわりついてくる。


「きゅ~ぅ……」


見上げられた。

その、黒曜石のようなウルウルの瞳で。

しかも、少し首を傾げて。


ドクンッ。


私の胸の奥で、何かが致命的な音を立てて弾けた。


(……かっ、可愛すぎる……ッ!)


私は両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪える。

ダメだ。私は戦闘狂の悪役令嬢。血に飢えた怪物。

こんな、もふもふの白い毛玉の誘惑に屈してなるものか。

これは奈落の試練だ。心を鬼にして、この毛玉を遠くへ蹴り飛ばさなければ。


「……えい」


私は恐る恐る、ブーツの先でその白い毛玉をツン、と突いてみる。

「きゅっ?」

毛玉は嬉しそうに私のブーツにすりすりし返し、さらにもふもふの胴体を私の足に押し付けてきた。

伝わってくる、信じられないほどの柔らかさと、ほんのりとした温かさ。


(あ、ああっ……! ダメ、抗えない……!)


私はついに膝をつき、両手をそっとその白い毛玉へと伸ばした。

指先が、純白の毛並みに触れる。

……ふわふわだ。極上のシルクよりも、最高級の羽毛布団よりも、遥かに滑らかで柔らかい。


「きゅんっ!」


私が優しく撫でてやると、毛玉は喉をゴロゴロと鳴らし、私の手のひらにすっぽりと収まってしまった。

その瞬間、私の頭から『奈落のダンジョン』という危険地帯の認識が完全に吹き飛んだ。


「あなた、なんて名前なの……? どうしてこんな怖い所にいるの……?」


私は赤ちゃん言葉になりそうになるのを必死に堪えながら、その毛玉を両手で持ち上げ、頬擦りをする。

ああ、良い匂い。お日様の下で干したばかりのシーツのような匂いがする。


「きゅー」


毛玉は私の頬を短く舐めると、安心したように目を閉じた。


(……この子、私が守る)


たった数秒で、私はそう決意していた。

どんな凶悪な魔獣が来ようとも、このもふもふだけは絶対に死守する。

私という絶対的な暴力の庇護下に置く。


「そうね、あなたの名前は……『モッチ』よ。お餅みたいに白くて柔らかいから」


「きゅっ! きゅきゅっ!」


モッチと名付けられた毛玉は、自分の名前を理解したかのように元気よく鳴いた。

私はモッチを大切に胸の谷間に抱え込み、インナーの布地で簡易的なハンモックのようにして固定する。

これで、戦闘中でも両手が空くし、モッチも安全だ。


「よし。これで憂いは無くなったわ」


私は立ち上がり、再び奈落の奥深くへと視線を向ける。

先ほどまでの血生臭い高揚感に、『守るべきもの』への責任感が加わり、私の精神状態は最高潮に達していた。


「さあ、案内してちょうだいモッチ。この底抜けに楽しい地獄を」


「きゅいっ!」


私はモッチの温もりを胸に感じながら、先ほどまでキメラたちが恐れて近づこうとしなかった、さらに深い闇へと続く通路へと足を踏み入れた。

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