シーン1:【戦火の後のティータイム、魔王のスイーツデビュー】
「……うん、やっぱりここの『季節の果実タルト』は最高ね。奈落の泥水みたいな空気の後に食べると、甘さが五臓六腑に染み渡るわ」
暴動の爪痕が残り、所々から黒煙が上がる王都のメインストリート。
その一角に奇跡的に無傷で残っていた、王都随一の高級老舗カフェ『ル・ブラン』のテラス席で、私は優雅にティーカップを傾けていた。
右袖の吹き飛んだ漆黒のコートに、血と泥にまみれたインナーという、およそ貴族令嬢のティータイムにはふさわしくない野蛮な出で立ち。
だが、姿勢だけは王家のマナー講師すら平伏すほどに美しく、背筋を伸ばして紅茶の香りを楽しんでいる。
「ひ、ひぃぃ……お、お代わりをお持ちしました、クローディア様……」
カフェの初老のマスターが、ガタガタとトレイを震わせながら、私のカップに最高級の茶葉で淹れた紅茶を注ぐ。
無理もない。
私の背後――テラス席のすぐ外の通りでは、巨大な黒狼ガルムを筆頭とする数十匹の奈落の魔獣(黒狼族)が、伏せの姿勢で大人しく(しかし周囲に凄まじい威圧感を撒き散らしながら)待機しているのだ。
暴動から逃れてきた一般市民や、治安維持に駆けつけたはずの近衛兵たちも、黒狼軍団の恐ろしさに誰一人としてこのカフェの半径五十メートル以内に近づこうとしない。
おかげで、完全な貸切状態(プライベート空間)である。
「ありがとう、マスター。あなたのお店が暴徒に荒らされていなくて安心したわ。……ほら、ガルムたちにも、厨房にあるお肉を適当に焼いて出してあげて。代金はこれで足りるかしら?」
私は空間収納から、金貨がぎっしりと詰まった袋を取り出し、テーブルにゴトリと置く。
もちろん、アルフレッドの隠し金庫から(物理的に)拝借してきたものだ。
「ヒッ! い、頂くわけにはいきません! クローディア様には以前、地上げ屋の貴族から当店をお守りいただいた恩が……!」
「いいから受け取りなさいな。美味しいケーキへの正当な対価よ」
私が微笑むと、マスターは何度も何度も頭を下げながら、厨房へと逃げ帰っていった。
「きゅいっ! きゅいっ!」
テーブルの上では、モッチが私から分けてもらったタルトのイチゴを、ぷるぷるの身体全体で包み込んで幸せそうに溶か(食べ)している。
「……信じられん。世界が滅びかけたというのに、この惨状のど真ん中で優雅に茶をしばく女がいるとは」
私の対面の席。
重厚な椅子に腰掛けたゼノヴァルが、腕を組んだまま、呆れたようにため息をついた。
彼もまた、周囲の人間からすれば「恐怖の魔王」以外の何物でもないのだが、今は完全に私のペースに巻き込まれ、テーブルの上に置かれた『特製チョコレートケーキ』を怪訝な顔で睨みつけている。
「世界は滅びなかったじゃない。私が殴り飛ばしたんだから」
私はフォークを置き、ゼノヴァルにウインクをする。
「それより、早く食べてみなさいよ。人間界のスイーツは、あなたが封印される前の時代とは比べ物にならないくらい進化しているのよ? 毒なんて入ってないわよ」
「……魔王である我に毒など通じぬ。ただ、この黒くて甘ったるい匂いのする泥のような物体が、本当に食い物なのか疑っているだけだ」
「泥じゃないわよ、チョコレートよ! カカオ豆から作られた至高の芸術品なんだから!」
リシェラが空中でティーカップ(彼女用のミニサイズ)を持ちながら、ゼノヴァルに向かってツッコミを入れる。
ゼノヴァルは「ふん」と鼻を鳴らすと、渋々といった様子でフォークを手に取り、チョコレートケーキの先端を小さく切り取って、口へと運んだ。
「……」
ゼノヴァルの動きが、ピタリと止まる。
「どう?」
私がニヤニヤしながら尋ねる。
「……」
ゼノヴァルは赤い瞳をわずかに見開き。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ後。
もう一度フォークを動かし、今度は先ほどの三倍ほどの大きさのケーキを切り取り、無言で口に運んだ。
「……甘いな」
「でしょう?」
「だが……悪くない。我の知る果実の甘さとは違う、複雑な苦味と香りが同居している。……人間の分際で、これほどの魔術的な味覚の調合を成功させるとはな」
ゼノヴァルは、あくまで「魔王としての威厳」を保とうと険しい表情を崩さないが、そのフォークの動きは止まることなく、あっという間にチョコレートケーキを平らげてしまった。
「ふふっ、素直に『美味しい』って言えばいいのに。マスター! 彼にチョコレートケーキ、あと三個追加で!」
私が厨房に向かって叫ぶと、ゼノヴァルは「余計な真似を……」と顔を背けながらも、特に拒否することはなかった。
(やっぱり、美味しいものは世界を救うわね)
私は冷めかけた紅茶を一口飲み、満足げに息をつく。
空は、私が炉心を破壊したことで生じた『光の雨』の影響で、どこまでも青く澄み渡っていた。
絶望の底に沈みかけていた王都の空気も、今は不思議なほどの安堵感に包まれている。
しかし、この国の真の地獄は、ここから始まるのだ。
「さて、リシェラ。……おやつの時間も楽しんだことだし、そろそろ『泥舟』のその後の様子でも聞かせてもらおうかしら?」
私がタルトの最後の一口を飲み込みながら尋ねると、リシェラは意地悪な笑みを浮かべて、空中でクルリと一回転した。




