シーン4:【最恐の遊び相手(パートナー)、理不尽な封印解除】
「お前、本当に人間か?」
歴史上、最も恐れられ、最も憎まれたはずの魔王の口から飛び出した、あまりにも真っ当で、あまりにも情けないツッコミ。
その言葉を聞いて、私は思わず「ぷっ」と吹き出し、そのまま腹を抱えて大笑いしてしまった。
「あはははははっ! 何それ! 魔王様ともあろうお方が、そんな凡人みたいな感想を抱くなんて!」
「……笑い事ではない。我が何百年も抱き続けてきた人類への絶望と怒りが、貴様のせいで完全にどこかへ吹き飛んでしまったではないか」
ゼノヴァルが頭を抱え、深々とため息をつく。
先ほどまでの、空間を歪めるほどの圧倒的な重圧が嘘のように霧散し、彼からはただの「やれやれ」といった疲労感だけが漂っている。
「ちょっと! どうして殺気を引っ込めるのよ! まだ準備運動が終わったところじゃない! さあ、次の魔法を見せてちょうだい。次はどんな風に私を殺そうとしてくれるの!?」
私が嬉々として両拳を構え直すと、ゼノヴァルは胡乱な目で私を睨みつけた。
「断る。……というか、無理だ」
「無理? どういうこと?」
「先ほどの一連の攻防で、我が現在出力できる魔力の八割を消費してしまった。……貴様のその異常な防御力と突破力を相手にするには、今の『状態』ではこれ以上戦えん」
「今の状態……?」
私が首を傾げると、後方で這いつくばっていたリシェラが、フラフラと立ち上がりながら叫んだ。
「当たり前でしょ! ゼノヴァルはまだ『封印状態』のままなのよ! 彼自身の命を代償にした【絶対封印】の要である『心臓部の術式』が機能している限り、彼の本来の力の十パーセントも出せていないんだから!」
「……え」
私はピタリと動きを止めた。
嘘でしょう。
空間を切り裂き、重力を自在に操り、私の全力の打撃を何発も耐え抜いたあの力が。
たったの『十パーセント』?
「……ふざけないで」
私の声が、ドス黒く濁る。
「主……?」
ガルムが私の異変に気づき、一歩後ずさる。
「ふざけないでよ!!」
私は激昂し、地面の水晶床を思い切り蹴り砕いた。
「そんなの手抜きじゃない! 私、あなたが全力で殺しにきてくれると思ったから、こんなに嬉しかったのに! たったの一割の力で私と遊ぼうなんて、舐めてるの!? 公爵令嬢への不敬よ!!」
「いや、不敬と言われてもだな……これは世界を救うために我自身が施した封印で……」
ゼノヴァルが弁明しようとするが、私の耳には入らない。
私はズンズンと怒り心頭の足取りで、ゼノヴァルへと歩み寄る。
「……おい、小娘。何をする気だ」
ゼノヴァルが警戒して後ずさるが、私は彼の胸ぐらを――正確には、破れた衣服の隙間から見える、彼の胸の中央に刻まれた禍々しい赤黒い『魔法陣』をガシッと掴んだ。
「これね。これがあなたの力を縛っている『術式』ね」
「待て! それは我が命と引き換えに……」
「うるさいわね。こんな邪魔な鎖、私が引きちぎってあげるわ!」
私は、ゼノヴァルの胸の魔法陣に直接、己の莫大な魔力を流し込んだ。
魔法陣の解析などしない。
ただ、その術式を構成している魔力の『結び目』を、暴力的なまでの質量で物理的に押し流し、焼き切る。
「なっ……!? やめろ、狂人! その封印を外せば、我が魔力が暴走し、貴様もろともこの奈落が……ッ!」
ゼノヴァルが焦燥の声を上げるが、私は止まらない。
「暴走? 上等じゃない。その暴走、私が全部受け止めてあげるわ! だから……出し惜しみしないで、私を楽しませなさい!!」
「粉砕ォォォォォォォォッ!!!!」
私はゼノヴァルの胸に刻まれた魔法陣に向けて、零距離で魔力爆発を起こした。
パァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
世界が、光に包まれた。
先ほどの結晶が砕けた時とは比べ物にならない、純粋で破壊的な魔力の奔流。
数百年分の時間が凝縮された絶対の封印が、一人の戦闘狂の「もっと本気で遊んでほしい」という極めて個人的な理由によって、あまりにも呆気なく、理不尽に粉砕された瞬間だった。
「……あ、あ、ああ……」
リシェラがへたり込み、ガルムがモッチを抱えて伏せる。
光が収まった後。
そこには、背中の六枚の漆黒の翼が倍以上の大きさに膨れ上がり、全身から黒い炎のような闘気を立ち上らせる、完全な姿を取り戻した魔王ゼノヴァルが立っていた。
彼の周囲の空間は、もう重力で歪んでいるなどというレベルではない。
そこに彼が存在しているだけで、世界の法則が悲鳴を上げて崩壊しそうになっている。
間違いなく、神話の時代に世界を滅ぼしかけた『災厄』そのものの威圧感。
「……どうだ」
ゼノヴァルが、低く、地を這うような声で呟く。
その赤い瞳が、私を射抜く。
「これが、我が真の力だ。……自らの愚行を呪い、恐怖に震え……」
「最高ッ!!!」
私は顔を紅潮させ、両手をパンッと打ち合わせた。
「そうよ、これよ! このゾクゾクするような殺気! さあ、第二ラウンドを始めましょう! 今度は手加減なしよ!」
私はインナーの袖をまくり上げ、再びファイティングポーズを取る。
その私の姿を見て。
完全覚醒し、世界を滅ぼすほどの力を取り戻したはずの魔王ゼノヴァルは。
「…………」
スッ、と。
全身の闘気と、巨大な漆黒の翼を、あっさりと背中に収納してしまった。
「……え?」
私が拍子抜けした声を上げる。
「やめた」
ゼノヴァルが、深く、本当に深くため息をつきながら、面倒くさそうに首を横に振った。
「は? やめた? どういうこと!?」
「言葉の通りだ。我輩は、貴様のような常識の通じない狂人と戦うのはご免だ。……封印を解いてくれたことには一応礼を言うが、これ以上の戦闘は無意味だ」
「なっ……ちょっと待ちなさいよ! 私がどれだけ期待したと……!」
私が食ってかかろうとすると、ゼノヴァルはスッと右手で私の額を小突いた。
「考えてもみろ。我が本気を出せば、この奈落どころか、上の大陸ごと消し飛ぶぞ? 貴様は良くても、そこの毛むくじゃらや、小さな妖精は死ぬが、それでもいいのか?」
「うっ……」
その後方で、ガルムが「主、どうかご勘弁を……」と涙目で訴えかけ、モッチが「きゅぅ……」と震えているのが見えた。
「……ずるい。それを言われたら、私が引くしかないじゃない」
私は頬を膨らませ、不満げに腕を組む。
ゼノヴァルはそんな私を見て、呆れたように、しかしどこか面白がるような目で鼻で笑った。
「フッ……世界を救った魔王が、人間の小娘に説教をする日が来るとはな。……しかし、貴様は面白い」
ゼノヴァルが私の顔を覗き込む。
「ただの暴力の化身かと思えば、仲間を案じる心はあるらしい。……クローディアと言ったな。貴様、なぜそこまでして戦いを求める?」
「……ただの暇つぶしよ。退屈な鳥籠から出られたから、羽を伸ばしているだけ」
私がそっぽを向いて答えると、ゼノヴァルは顎に手を当てて何かを思案し始めた。
「……良かろう。数百年ぶりの外の世界だ。我が自らの命を賭して守った世界が、今どうなっているのか……貴様の行く末と共に、少し見物させてもらうとするか」
「……え? 見物って、まさか」
「ああ」
ゼノヴァルが、さも当然のように頷いた。
「我も、貴様の『遊び』に同行させてもらおう」
その瞬間。
「「はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」
後方から、リシェラとガルムの信じられないというような絶叫が、奈落の最下層に響き渡ったのだった。




