シーン3:【重力魔法(ゼノヴァル)VS 狂気の拳(クローディア)――「お前、本当に人間か?」】
「……フッ、ハハハハハハハッ!!」
漆黒の水晶壁にめり込んだゼノヴァルが、腹の底から湧き上がるような笑い声を上げた。
それは、何百年もの間、彼を縛り付けていた悲劇の王としての重い鎧が、一瞬にしてひび割れた音のようにも聞こえた。
「よもや、目覚めの挨拶が人間の雌からの鉄拳とはな。……我が顔面に一撃を入れた人間など、かつての『光の巫女』ですら成し得なかったことだ」
ゼノヴァルが壁から身を剥がし、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
彼が歩くたびに、周囲の空間がぐにゃりと歪む。単なる魔力の放出ではない。彼の存在そのものが、世界に『質量』として干渉しているのだ。
「光の巫女? ああ、王宮の教科書に載ってたヒロイン気取りの小娘ね。彼女と一緒にしないでちょうだい。私は公爵令嬢。欲しいものは力ずくで奪い取る主義なのよ」
私は両腕に魔力を集中させ、青白い闘気を炎のように立ち上らせる。
全身の筋肉が歓喜に打ち震え、血液が沸騰するような熱を帯びている。
「……面白い。貴様のその異常な魔力密度。そして、我が重力場を強行突破した野蛮な力。少しだけ、寝起きの体をほぐす相手をしてやろう」
ゼノヴァルの赤い瞳が、スッと細められる。
次の瞬間。
ゴォォォォォォォォッ!!
私の立っている場所の重力が、突然『上』から『横』へと反転した。
「ッ!?」
まるで巨大な竜巻に横から弾き飛ばされたように、私の身体が凄まじい勢いで壁面へと吹き飛ばされる。
「重力魔法・『星震』」
ゼノヴァルが指先を軽く振るだけで、空間の重力が無作為に、そして劇的に変化する。
右へ、左へ、上へ、下へ。
私は空中で錐揉み状態になりながらも、体内の魔力を噴射して強引に姿勢を制御する。
「あら、手品がお得意のようね。でも!」
私は壁面を思い切り蹴り飛ばし、反転した重力をさらに逆利用して、ゼノヴァルに向かって弾丸のように突進する。
「弾き飛べ」
ゼノヴァルが右手を前にかざす。
私の目の前に、目に見えない絶対的な質量の壁――重力の断層が出現した。
普通なら、そこに激突した瞬間に肉体がトマトのように弾け飛ぶ。
だが。
「……遅いわ!」
私は突進の速度を一切緩めず、右拳に『魔力圧縮・浸透波』を纏わせて、見えない重力の壁を正面から殴りつけた。
パァァァァァァァンッ!!
「なっ……!?」
ゼノヴァルの冷静な顔が、再び驚愕に歪む。
重力という物理法則そのものを、私の拳が『破壊』したのだ。
粉々に砕け散った重力の壁を突き抜け、私はゼノヴァルの懐へと潜り込む。
「そらっ!」
下から突き上げるような左アッパー。
ゼノヴァルは間一髪で首を逸らして躱すが、私の拳の風圧だけで彼の頬に浅い切り傷が走る。
「……チッ!」
ゼノヴァルが舌打ちをし、背中の六枚の漆黒の翼を大きく羽ばたかせる。
一瞬にして彼は後方へと跳躍し、私との距離を確保する。
そして、両手を胸の前に突き出し、膨大な魔力を圧縮し始めた。
「空間断裂」
彼の両手の間から、空間そのものを切り裂く漆黒の刃が無数に放たれた。
それは物理的な刃ではなく、触れたものを『この世界から切り取る』という、絶対的な防御不能の魔法。
「主よ、躱せ!! それは防げぬ!!」
後方からガルムの悲痛な叫びが聞こえる。
だが、私の口角は限界まで吊り上がっていた。
「躱す? 冗談でしょう。こんな楽しい遊び、全部受け止めなきゃ損じゃない!」
私は両腕を交差させ、体内の魔力を細胞レベルで超振動させる。
『魔力圧縮・絶対防壁』。
ギュルルルルルルルッ!!
漆黒の刃が私の腕に激突し、凄まじい火花と金切り声を上げる。
空間を切り裂く刃と、私の魔力防壁が拮抗し、周囲の水晶床が円形に抉り取られていく。
「……馬鹿な。我が空間断裂を、素手で受け止めるだと……?」
ゼノヴァルが、信じられないものを見る目で私を見つめる。
彼の攻撃は、どんな強力な魔法の盾も、竜の鱗も、等しく無へと帰すはずのものだった。
「ふふっ……あはははははっ! 効くわ! 腕が痺れる! 最高ね、ゼノヴァル!」
私は腕から血を流しながらも、心底楽しそうに笑い声を上げる。
痛みが、私の闘争本能にガソリンを注ぎ込む。
私は交差していた両腕を力任せに弾き開き、空間断裂の刃を強引に弾き飛ばした。
「さあ、私の番よ!」
石畳を粉砕して踏み込み、私はゼノヴァルの視界から『消えた』。
「……どこだ!?」
ゼノヴァルが赤い瞳を鋭く動かす。
「上よ」
私は彼の頭上の鍾乳石を蹴り、真上から落下しながら踵落としを放つ。
ズドォォォォンッ!!
ゼノヴァルが交差した両腕でそれを受け止めるが、私の落下エネルギーと魔力の爆発によって、彼の足元の水晶床がクレーター状に陥没する。
「ぐっ……この小娘、人間にしては重すぎる……!」
「令嬢に向かって重いとは、レディファーストの欠片もないわね!」
私は踵落としを防がれた体勢から、空中で身体を捻り、ゼノヴァルの首に足を絡め取る。
そして、そのまま全体重と魔力を使って、彼を地面へと投げ飛ばした。
『悪役令嬢式・魔力螺旋投げ(スクリュー・スラム)』。
ドゴシャァァァァァァァァンッ!!!!
魔王の巨体が、頭から漆黒の水晶床に激突する。
凄まじい衝撃波がフロア全体を駆け抜け、リシェラとガルムが悲鳴を上げて吹き飛ばされそうになる。
「……ハァ、ハァ……」
私はゼノヴァルの身体から飛び退き、乱れた呼吸を整える。
額から汗が流れ、インナーは所々が破れて血が滲んでいる。
だが、そんなことはどうでもいい。
最高だ。何発殴っても壊れない。どれだけ力を込めても、それ以上の力で返してくる。
これが、私がずっと求めていた『戦い』。
ズズズ……。
陥没した床の底から、ゼノヴァルがゆっくりと立ち上がる。
彼の衣服は破れ、口元からは一筋の血が流れていた。
だが、その赤い瞳には、先ほどまでの冷酷さは消え失せ、代わりに燃え盛るような『闘志』が宿っていた。
「……認めよう。貴様は、我が知るどの人間よりも……いや、魔族を含めても、規格外の怪物だ」
ゼノヴァルが、口元の血を手の甲で拭いながら言う。
「だが……だからこそ、解せぬ。なぜ、貴様はそれほどまでに楽しそうに笑う? 我が力は、世界を滅ぼす災厄だぞ。恐怖はないのか?」
「恐怖? あるわけないでしょう」
私は満面の笑みを浮かべる。
「私はね、物心ついた時からずっと、周りの人間を壊さないように、息を潜めて生きてきたの。少し力を込めれば、彼らは簡単に死んでしまう。だから、ずっと退屈だった。……でも、あなたは違う。私がどれだけ本気で殴っても、ちゃんと生きててくれる」
私は両手を広げ、魔王に向かって歓喜の声を上げる。
「あなたは、私の人生で初めての『壊れないおもちゃ(ともだち)』よ! 嬉しくて嬉しくて、笑いが止まらないわ!」
「……」
私のその言葉を聞いて。
魔王ゼノヴァルは、数秒間、完全に固まった。
そして。
「……お前、本当に人間か?」
心底呆れたような、そしてどこかドン引きしたような声で、歴史上最恐の魔王が、一人の少女に向かってツッコミを入れたのだった。




