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シーン1:【奈落の底へ続く縦穴、歴史の嘘を暴く古代の壁画】

カン、カン、カン……。


硬質な石の階段を叩く私のブーツの音が、底知れぬ闇の奥へと吸い込まれていく。

中層の施設を抜け、私たちは『最下層』へと続く巨大な螺旋階段を下っている。

壁面は人工的な金属から再び天然の岩肌へと戻っているが、その岩の質が上層とは全く異なっている。まるで黒曜石のように滑らかで、微かに青白い魔力マナの光を内側から放っているのだ。


「あーもう、最悪! なんで第一級魔導研究員であるこの私が、こんなじめじめした縦穴を自らの足で歩かなきゃいけないわけ!?」


私の頭上をパタパタと飛んでいたリシェラが、ついに耐えきれなくなったのか、私の肩にドスッと着地して文句を垂れ流す。

その美しい銀髪は奈落の湿気で少しペタンとなっており、半透明の羽は重力に負けたようにだらんと垂れ下がっている。


「飛べばいいじゃない。あなた、羽があるでしょう?」


私が視線を向けずに答えると、リシェラはバンバンと私の肩を小さな拳で叩く。


「飛べるわけないでしょ! この空間に充満してる魔力の密度、異常なのよ!? 空気じゃなくて、水あめの中を泳いでるみたいな重さなの! 私の繊細な羽じゃ、これ以上は魔力酔いを起こして墜落しちゃうわ!」


「……軟弱な妖精だ。主の肩を玉座代わりにするなど、無礼にも程があるぞ。降りて我輩の背に乗れ」


私の斜め後ろを歩くガルムが、低い唸り声を上げてリシェラを威嚇する。

しかし、リシェラは全く怯むことなく、ガルムに向かってふんっと鼻を鳴らした。


「犬の背中なんてお断りよ! 獣臭いし、ノミがうつりそうじゃない! それに比べて、この脳筋女の肩は無駄に魔力のコーティングが分厚いから、周囲の瘴気を弾いてくれて一番快適なのよ」


「きゅ、きゅいぃ……」


私の胸の谷間にすっぽりと収まっているモッチが、「うるさいなぁ」とでも言いたげに身じろぎをする。

モッチも、この下から這い上がってくる異常なプレッシャーに当てられているのか、心なしかいつもより元気がなく、私の体温を求めてさらに奥へと潜り込んでくる。


「よしよし、モッチ。もうすぐ着くからね。……少し寒いわね」


私は指先に温かな火属性の魔力を灯し、それをモッチの周囲に纏わせてやる。

天然の極上湯たんぽ状態になったモッチは、「きゅ~……」ととろけたような声を出して再び目を閉じた。


(それにしても、確かに尋常じゃない魔力圧ね)


私は一段一段、確実に階段を下りながら、肌を刺すような空気の重さを吟味する。

先ほどの絶対封印アブソリュート・ロックの扉を壊した瞬間から、この縦穴の底から吹き上げてくる魔力の奔流は、桁違いに跳ね上がっている。

ただの魔力ではない。

明確な『意志』を持った、途方もなく巨大な黒い感情の渦。

絶望、怒り、諦観。そして、世界そのものを押し潰すような圧倒的な重力。

常人の近衛兵なら、この空間に足を踏み入れた瞬間に全身の毛細血管が破裂して死んでいるだろう。


「……主よ。我輩の本能が、これ以上進むなと警鐘を鳴らして止まない。……この下にいるのは、我々が触れてはならない『災厄』そのものだ」


百戦錬磨の戦士であるはずのガルムの足取りが、目に見えて重くなっている。

彼の黄金色の瞳は、暗闇の底を覗き込みながら、微かに恐怖の光を宿していた。


「何を怯えているのよ、ガルム。こんな極上の殺気、王都の最高級レストランのメインディッシュよりも食欲をそそるじゃない」


私は逆に、足取りが軽くなっていくのを感じる。

口角が自然と吊り上がり、体内の血が沸騰するような高揚感が全身を駆け巡る。

強い。間違いなく、強い。

私がこの18年間、どれだけ渇望しても出会えなかった『本物』が、この下にいる。


「……あんた、本当に頭のネジが全部飛んでるわね。これほどのプレッシャーを感じて、どうしてそんなに嬉しそうなのよ」


肩の上のリシェラが、呆れ果てた声でため息をつく。


「だって、魔王なんでしょう? かつて世界を滅ぼしかけたっていう、人類最大の敵。それなら、私がどれだけ本気で殴っても、一発や二発じゃ壊れないはずだわ。……ああ、想像するだけで胸が高鳴る!」


私が両手を頬に当てて身悶えすると、リシェラは「ヒッ」と短い悲鳴を上げて私から距離を取り、空中に浮かび上がった。


「ば、馬鹿じゃないの!? あんた、歴史の授業で何を教わってきたの!? 魔王ゼノヴァルは『世界を滅ぼしかけた』んじゃないわよ!」


「え?」


私はピタリと足を止める。

階段はすでに最下層の広大なフロアへと繋がっており、私たちの目の前には、闇に包まれた巨大な石造りの回廊が広がっていた。


「どういうこと? ルーヴェル王国の公定歴史書には、『魔王の軍勢が突如として現れ、世界を火の海にした。しかし、初代国王と光の巫女の活躍によって、魔王は奈落の底に封印された』って、はっきり書かれているわよ?」


私が王宮の退屈な授業で暗記させられた内容を口にすると、リシェラは顔を真っ赤にして激怒した。


「ふざけないで! そんなの、あの腐った人間どもが自分たちの都合の良いように書き換えた、最低最悪の『大嘘』じゃない!!」


リシェラの叫び声が、巨大な回廊に木霊する。

彼女は指先から強烈な光の魔法弾を放ち、前方にある巨大な壁面へと叩きつけた。


パァァァァァァァァッ!!


光弾が壁面に触れた瞬間、壁全体に張り巡らされていた青白い魔力回路が起動し、空間全体が昼間のように明るく照らし出された。

「なっ……」

ガルムが息を呑む。

私も、目の前に現れた光景に目を奪われた。


高さ五十メートル、幅数百メートルにも及ぶ、超巨大な壁画。

黒曜石の壁面に、微細な魔力の光で彫り込まれたその絵巻物は、圧倒的なスケールと緻密さで『ある物語』を描き出していた。


「これ……が、魔王戦争の真実……?」


私は壁画を左から右へとゆっくりと視線でなぞる。

左側に描かれているのは、栄華を極める古代の人類たち。しかし、彼らの顔はどれも欲望に歪み、互いに殺し合い、大地を削り取り、自然を破壊している。

そして、人類の中心に描かれているのは、天を突くほどの巨大な塔。その頂点には、太陽のように輝く、禍々しい『目』のような球体が浮遊している。


「それが、古代の人間どもが作り出した『禁呪兵器・アポカリプス』よ」


リシェラが、壁画を見上げながら苦々しい声で語り始める。


「当時の人類は、無限のエネルギーと絶対的な支配の力を求めて、星のコアから直接魔力を吸い上げる兵器を完成させた。でも、そんなものを人間が制御できるはずがなかった。兵器は暴走し、世界中の大地を焼き払い始めたわ。……このままじゃ、星そのものが砕け散る寸前だった」


壁画の中央部分。

暴走する巨大な兵器から放たれる光の雨によって、都市が崩壊し、人々が灰となっていく凄惨な地獄絵図が描かれている。

そこには、英雄の姿などない。自らが作り出した力に呑み込まれ、逃げ惑う愚かな人間の姿だけだ。


「じゃあ、魔王は……?」


私が壁画の右側へ視線を移すと、そこには。


暴走する太陽(兵器)の前に、たった一人で立ちはだかる存在が描かれていた。

漆黒の翼を広げ、頭には二本の角。

その姿は紛れもなく『魔王』として伝承される姿だが、彼は人類を攻撃しているのではない。

両腕を天に掲げ、自らの肉体を盾にして、兵器から放たれる破滅の光を受け止めているのだ。


「……彼は、魔族の王でありながら、この星を愛していた」


リシェラの声が、微かに震える。


「ゼノヴァルは、自らの全魔力と命を代償にして発動する『絶対封印』の結界を展開し、暴走する禁呪兵器ごと、自分自身をこの奈落の底へ封じ込めたの。……人類を、そして世界を救うためにね」


静寂。

回廊には、魔力の脈動する微かな音だけが響いている。

壁画の右端には、結界の中で眠りにつくゼノヴァルと、生き残った人類が彼に向かって感謝の祈りを捧げている姿が描かれていた。


「でも、人間どもは愚かだった。恐怖したのよ」


リシェラが私を、そしてガルムを鋭く睨みつける。


「自分たちを滅ぼしかけた兵器の存在と、それを止めたのが人間ではない『魔王』だったという事実をね。だから彼らは、自分たちの罪を隠蔽し、歴史を改ざんした。兵器の暴走は『魔王の侵略』にすり替えられ、世界を救った英雄は『人類の敵』として伝承されるようになった。……それが、ルーヴェル王国の始まりであり、今の腐りきった貴族社会の根源よ」


リシェラは憎しみを込めて吐き捨てる。

ガルムは悲痛な面持ちで壁画を見上げ、ぽつりとこぼした。


「……なんという、おぞましい裏切りだ。己の命を賭して世界を救った強者を、悪逆の徒として歴史に刻むなど……。人間の業の深さには、反吐が出るな」


「そうよ。だから私は人間が嫌いなの。恩知らずで、臆病で、自分の非を絶対に認めようとしない……最悪の種族」


リシェラが私を指差す。


「分かった!? あんたがこれから殴りに行こうとしているのは、世界を救った真の英雄であり、人間たちの身勝手な嘘によって永遠の牢獄に閉じ込められた、悲劇の王なのよ! いくらあんたが戦闘狂でも、そんな可哀想な人を嬉々として殴れるわけが……」


「……はぁぁぁぁぁぁっ……!」


私の口から、熱っぽい、ひどく甘い吐息が漏れた。


「え?」


リシェラが言葉を失う。

私は両手で自分の顔を覆い、指の隙間から、狂喜に満ちた瞳で壁画を見上げていた。

肩が、小刻みに震えている。

同情? 悲哀? 怒り?

そんなものは、今の私の中には一ミリも存在しない。


「……最高……ッ! 最高じゃない、それ!!」


私は顔を覆っていた手をバッと広げ、暗闇の奥深く――魔王が眠る最深部へ向けて、歓喜の声を張り上げた。


「ば、馬鹿じゃないの!? 私の話、聞いてた!? 彼は悲劇の英雄で……!」


「聞いていたわよ! だから興奮しているんじゃない!」


私はリシェラに顔を近づけ、ギリギリと歯を鳴らすほどの笑顔を見せる。


「いい? 『自分の命を懸けて世界を救う』なんて、中途半端な覚悟と力じゃ絶対にできないわ。つまり、ゼノヴァルとやらは、私が今まで出会ったどんな有象無象よりも、圧倒的に『魂(芯)』が強いってことでしょう!?」


「え、あ、そ、それはそうだけど……」


「それに、何百年も無実の罪で封印され続けてきたのよ? その間に蓄積された怒り、憎しみ、絶望……! それらが全部発酵して、極上の『殺意』に熟成されているに決まっているわ!」


私は自分の胸ぐらを掴み、心臓の鼓動を確かめるように強く押し当てる。


「世界を救うほどの力と! 理不尽な運命に対する怒り! ああ……そんなの、絶対に私の拳を全力で受け止めてくれる、最高のサンドバッグ……いえ、最高の遊び相手に決まってるじゃない!!」


「……」


「……」


リシェラとガルムは、完全に沈黙した。

二人の顔には、「こいつ、本当に人間の形をした別の何かじゃないのか」というドン引きの表情が貼り付いている。


「きゅ、きゅい……」


モッチだけが、私の異常なテンションに少しだけ引着気味に鳴き声を上げた。


「さあ、急ぎましょう! かわいそうな魔王様が、私のぶつりの抱擁を待っているわ!」


私は壁画に背を向け、回廊のさらに奥へと猛然とダッシュを開始する。

悲劇だの、歴史の嘘だの、そんなものは王宮の学者にでも語らせておけばいい。

今の私にとって重要なのは、その魔王が『私を本気にさせてくれるかどうか』、ただそれだけなのだ。


「ちょっ、待ちなさいよこの戦闘狂ゴリラァァァッ!!」


「……主よ、お願いだから少しは自重というものを……!」


慌てて追いかけてくるリシェラとガルムの声を背中で聞きながら、私はついに、奈落の最下層の扉――黒く淀んだ重力の渦が渦巻く、魔王の寝室の前へと到達した。

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