表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やり直し令嬢は箱の外へ~気弱な一歩が織りなす無限の可能性~浮き沈みの激しい放浪生活~  作者: 悠月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/3

01 侵入者①

 夜、静寂に包まれたローズウッド館の三階。

 廊下ではいくつかの魔導具ランプがぽつりぽつりと仄かな光を落とし、開いた窓からはカーテンを揺らす優しい夜風が頬を撫でるような涼気を運んできている。


 だが、唐突に人の輪郭をした黒い影がカーテンの裏から滑り出し、この心地よい静けさを破った。

 その人影の背格好からして、大人の女性だと分かる。彼女は窓から窓へと素早く移動し、やがて廊下の中央にある公爵令嬢の部屋の前で足を止めた。


 影の女はポケットから竹筒のような細長い物を取り出すと、緊張した面持ちで周囲へ警戒の視線を配った。

 誰もいないことを確かめてから、顔を布で覆い、震える手で極力音を立てないよう、慎重に扉をわずかに開く。彼女はできた隙間に竹筒を差し込み、そっと息を吹き込むと、白い息が薄い煙となって、ふわりと部屋の中へと流れ込んでいった。


 時間がゆっくりと溶けるように過ぎ、煙が室内の隅々まで充満していく。

 女は激しく打つ心臓を抑えながら、扉の隙間に耳を当てた。内側から聞こえるのはかすかな寝息だけだと確認すると、彼女はホッと胸を撫で下ろし、足音を忍ばせて部屋の中へ侵入した。


 室内は年代物の調度品で満たされている。重厚な書棚、美しい彫刻が施された家具、宝石で彩られた装飾品。どれも大人びていて幼い令嬢には似つかわしくないが、極めて高価な品ばかりだ。

 しかし、女はそれらに目もくれず、目的の場所へと一直線に向かった。


 ベッドの上では、深青の布団に身を包まれた十歳頃の女の子が、まるで人形のように白磁の肌を晒し、無垢な夢の中に沈んでいる。その長い白髪が枕元に乱れ、月光に溶け込むように柔らかい光を放っている。


 女が仕える主人も幼いながらに見事な美貌の持ち主であったが、普段は恐ろしい化け物にしか見えなかった目の前の公爵令嬢に、悪事を働こうとする背徳感も相まって、女は非現実的な何かを感じ、思わず息を呑んだ。


 しかし、迷っている時間はない。


 女は意を決し、令嬢の首元へと手を伸ばした。

 狙いは、そこに輝く小さな銀の指輪。


 ちょうどこの時、外では風が吹き、雲が月を隠し、闇が部屋を飲み込んだ。周囲の世界が遠のいていく中、まるでこの瞬間だけが存在しているかのように、耳の奥では己の鼓動だけがやけに大きく響いている。

 女はぞっとするような不安な気配を感じたものの、ここまで来て逃げることもできず、震える指先がついに目当ての指輪に触れた瞬間――薬で深く眠っているはずの公爵令嬢が、ふと目を開けた。


 薄暗い室内で、突然開かれた金色の瞳が異様な淡い光を放ち、まるで小さな灯火のように揺らめくその妖しい光が、女の心臓を凍りつかせた。


「――ヒッ!」


 女は思わず悲鳴を上げかけたが、背後から突然伸びた手がその口を塞いだ。同時に、首筋に回された腕とともに、冷たい金属が喉元へ突きつけられた。

 ひやりとした感触が皮膚を刺し、呼吸が止まりそうになる。振り返ることも許されないまま、耳元で背後の人物から低い声が囁かれた。


「お前は何をしようとしている」


 刃のように鋭く、氷のように冷たい問いかけは、まるで死神の囁きだった。

 冷や汗が滲み、女は全身が縛られたかのように硬直する。口を塞がれたまま、目だけで必死に「許してくれ」と訴えかけた。


 その間に、ベッドから衣擦れの音が響き、公爵令嬢がゆっくりと起き上がった。

 眠りから覚めたばかりとは思えないほど冷静な眼差しで、令嬢は女を眺めている。


 その瞳には悲しみと慈しみが混じり合い、どこか人ならぬ気配を帯びている。まるで遠い場所からこちらを見守るような、冷たくも温かい視線だった。


 背後から口を塞ぐ手の力、首筋に触れる刃物の冷たさ、そして目の前の令嬢の底知れぬ金の瞳。

 同時に押し寄せる極度の恐怖に精神が支配され、女の意識はゆっくりと溶け落ち、やがて視界が白く塗り潰されていった。



 ***

 八歳の頃へと時間が巻き戻ってから、もうすぐ二年が経とうとしている。

 私は未だに、一度死んだはずの自分がここに存在していること自体、どこか信じられない気分でいた。


 あの日、自ら変わりたいと決心してから、本当に色々なことがあった。自分なりに少しは成長したと思いたいけれど、どうだろうか。

 師匠(と呼ぶのは未だ畏れ多いが)、予言の魔女アリスティア様は、私が今の時間に戻ったのは彼女の術に巻き込まれた結果だと仰ったが、どう見ても私にとってあまりにも都合が良すぎることだった。

 だからこそ尚更、未来の記憶を持ったまま生き直す価値が、果たして今の自分にあるのかと不安で仕方がない。

 

 でも……そうだね。完全に心当たりがない、というわけでもないのだけれど。

 

 私はため息をつき、思わず窓際に置かれた植木鉢へ視線を向けた。

 今はただ平たい土しか見えないが、中にはしっかりと種が埋められている――いつ発芽するかも分からない『神木の種』が。

 

 他の人が持っていない、私だけが持つ価値あるものと言えば、お母さんから託されたこの種しか思い浮かばない。

 一応鉢に植えてはみたものの、何の成長の兆しもなく、やはり魔法レベル8に相当する木属性の魔力の供給がないと、発芽させるのは無理なのだろうか。


 しかし、私なりに必死に努力してきたつもりだが、現在の私の魔法レベルは4でしかない。やっとお母さんが遺したこの空間魔導具を開けられるようになったくらいだ。

 現在この国に四人しか存在しないレベル8の領域へ辿り着くのは、あまりにも困難である。

 ならばいっそのこと、これをアリスティア様に託した方がいいような気もするけれど、内心ではお母さんの願いを自分の手で叶えてあげたいという意地がある。

 

「お嬢様、あの者が目を覚ますようです」

 

 専属メイドであるライラの声に、私は考えに沈んでいた意識を引き戻された。無意識のうちに手に取っていたティーカップをテーブルに置き、向こうで縄に縛られた人を見る。

 

 過去に戻ってきたとはいえ、昔の私が身の回りのことに無関心すぎたせいか、周囲は私の記憶にあるものと随分違っていた。

 例えば、どこからか現れたフィオラ商会の存在、変わったお兄様の婚約者の人選や、史上初の女伯爵の誕生など……私が引き起こしたバタフライ効果だとするには、あまりにも関連性が乏しい出来事ばかりだ。


 しかし、何はともあれ、一部の出来事は予定通りに起こるらしい。

 目の前で縛られている彼女のように。

 

 部屋に潜んできた侵入者は私の従姉妹であるルクレティアに仕える専属メイドのサラ。かつて冒険者と駆け落ちし、私の大切な指輪を盗み出した犯人だ。

 彼女は平民にしては珍しい、明るい金色に近いオレンジ色の髪を持っていることから、ルクレティアの寵愛を得ている。いずれルクレティアが他家へ嫁ぐ際に付き従い、運が良ければメイド長に昇格することだって十分にあり得る立場だ。

 それなのになぜ、不安定な暮らしをしている冒険者を選んだのか、今も理解できない。

 

 それに、彼女は部屋に忍び込むなり、換金できそうな高価な家具や装飾品には目もくれず、まっすぐに私の指輪を狙った。

 きっと、誰かの指示だろう――私を苦しめるために。

 

 そう思い至ると、私の気分は少し暗くなる。

 もう分かりきっていることとしても、まさか自分がこれほど嫌われているとは思わなかった。

 

「むっ……ここは……」

 

 ライラの言葉通り、ほんの数分待たないうちに、サラの閉じていた瞼が震え始め、ゆっくりと目を開いた。その視線は、焦点を探すように虚空を彷徨っている。


「貴女は確か、ルクレティアの専属メイドのサラね。なぜこんな深夜に、許可もなく、無作法にわたくしの部屋へ押し入ったのかしら」


 単刀直入に、強く咎めるつもりはなく、私はあくまで落ち着いた口調で尋ねたつもりだった。しかし、意識がはっきりしたサラは、状況を理解した途端に顔面を蒼白にし、縛られたまま勢いよく深く頭を下げた。


「こ、この件はルクレティアお嬢様には一切関係ございません! 全て、わたくしの一存で行ったことです!」


 主を庇うその姿は、ある意味で忠義に溢れているようにも見えるが、その言い訳は通用しない。


「サラ。たとえ貴女が、すべて自分の独断だったと主張したとしても、ルクレティアのメイドである以上、この行いの責任は最終的に彼女へ及びます。長年この屋敷に仕えてきた貴女が、その道理を知らないとは思えません」

「それ…は……」


 言葉を濁す彼女は明らかに何かを隠している。私は彼女に考える余裕を与えずに、さらに言葉を重ねた。


「それに、駆け落ちのための資金が必要なら、その辺りにある宝石のついた装飾品を盗めばいいはずなのに、なぜわざわざ私の首元にある、換金しづらいこの指輪を狙ったの?」

「な、ぜ……それを……ッ!?」


 駆け落ちという言葉を聞いた瞬間、サラの目は限界まで見開かれ、顔からさらに血の気が引いていった。


 驚くのも無理はない。

 彼女から見れば、いつも部屋に引き籠った私が、彼女の個人的な秘密を知っているなどと考えもよらなかっただろうから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ