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4 伏兵

 失敗した――その言葉がぐるぐると脳内を回り、立ち聞きしていた時よりもっと気まずい思いになりながら、俺は目の前の男と向き合った。

 豊夏ゆたかをやり過ごせたことに安心して、教室の中に道島みちしまが残っていたことを忘れていた。二人いるうちの一人に気づかれなかったとしても、こうしてもう一人に見つかっていれば意味がない。

 俺が立ち聞きしていたことを聞いたら、豊夏はどんな反応をするだろう。少なくともいい気分はしないだろうし、気を悪くして今より余計に距離を置かれることだってありえる。


 (道島に口止めを頼むか? あいつには黙っていてくれって)


 でも、自分から立ち聞きしておいて虫の良い話だし、第一、本当にそんなことを頼む必要があるのか。俺と豊夏は、もうただのクラスメイトにすぎない。豊夏がこれ以上離れていこうが何をしようが、俺には関係ないはずなのに。

 「関係ない」――自分で考えたはずのその言葉になぜか焦燥感を覚えて、胸の奥から湧き上がってきたそれを、拳を強く握ることで押さえつけた。

 一方、後悔で頭がいっぱいになっている俺とは対照的に、道島はさっきの脅し文句がウソだったようなあっけらかんとした調子で言った。


「まあ、立ち話も何だし中に入れば? 雪峰ゆきみねもなんか用事があって教室ここに来たんだろ」


 まるで俺を迎え入れるように、開けた扉の脇によける。てっきり立ち聞きしていたことを責められるのかと思ったが、そんな様子でもない。拍子抜けしながらも、素直に中に足を踏み入れる。適当な机の上に腰掛けて足をぶらつかせているクラスメイトに、立ったまま問いかけた。


「確かに、ロッカーに置いた部活の荷物を取りに来たんだけど……どうして、俺が教室に用があるってわかったんだ?」

「そりゃあ、急いで教室前に来て、でも中に入らないでずーっと廊下にいる奴がいたら、なんか用事があって待ってんじゃねーかと思うだろ。でも、行っちゃった芳野よしのを追っかける様子もなかったし、そんならお目当ては教室の中かと思って扉に先回りしてみたってわけ。簡単な推理だよ、ワトソン君?」

「……最初っから、全部バレてたってことか」


 にやにやしている道島の顔を見て、思わず肩を落とす。

 思えば、一刻も早く部活に行きたい一心で、走る一歩手前の勢いでここまで来たのだ。足音を抑える努力なんてしていなかったし、目の前の扉は少しとはいえ開いていた。しかも、道島はちょうど教室の後方を向きながら豊夏と話していた。彼が後方の扉の前にいた俺の姿に気づいても、考えてみればおかしくはない。

 

「悪かった。最初はすぐに中に入るつもりだったけど、お前と豊夏が話してるのに気づいて、入りづらくなって……。結果的には、盗み聞きすることになったわけだけど」

 

 そこまでお見通しなら、もう隠し立てする意味もない。自分でも言い訳がましいと思いつつ、気まずさに頭の後ろをガシガシときながら謝罪した。そんな俺に対して、道島はまたもやあっさりと言い放つ。


「別にいいよ。むしろ手間が省けったっつーか、オレ的には逆にプラスだったっつーか。……こういうのなんて言うんだっけ、一石二鳥?」

「……よく分からないけど、お前は怒ってないのか? 俺が話を聞いてたこと」

「だから、いいって言ってんのに。そんなに気にするなんて、雪峰ゆきみねって義理堅いやつだな。それとも疑り深い、の方が正しいか。石橋を叩いて渡るってヤツ?」

「そのことわざは合ってるとは思うが。……なんか、やけにあっさりしてるんだな。立ち聞きしてた俺が言うのもなんだけど」


 許してもらえたのはありがたいが、道島の態度はあまりにあっけない。他人のミスをあげつらうようなことはしない、良いやつだから。その一言で片づけるのは簡単だったが、今の俺には、道島が「単なる良いやつ」では片づけられないように思えた。

 豊夏と話していた時の態度や会話の内容から考えるに、こいつはかなり頭の回転が速い。察しがよくて空気が読めるのは、その回転の良さに加えて、細かいところまで見逃さない観察力があるからだろう。

 実際、俺も道島と話しているときは自然と会話が続き、他のクラスメイトと話している時よりも、話が途切れたり続きに詰まったりすることが少ない。俺は別に話が得意なタイプじゃないし、特に道島とは親しくないのにもかかわらずだ。もちろん、道島の元々の人あたりの良さもあるんだろうけど、もしかしたら話しながら相手の反応や感情を察して、相手が不快にならない、返しやすいような言葉を選んでいるからじゃないかとすら思えた。

 ……現に、最初は見つかった後悔と焦りで暗い気持ちになっていた俺も、いつの間にかこいつのペースに乗せられて普通に会話してしまっているし。

 いわゆる天然で周りの空気を和ませる豊夏のようなタイプもいるけど、こいつはおそらくそれとは違う。天然じゃなく、意図して起こした行動でその場の雰囲気を変えることができる。それが道島で、だから彼は文字通りのムードメーカーになっているのだろう。


 ただ、だからこそ一筋縄ではいかない相手だとも感じる。計算してその場の雰囲気を変えるなんて、しようと思っても簡単にできることじゃない。そんなことが出来るとしたら、そいつは何気ない会話の裏で何を考えているのか――そう思うと、道島がいつも浮かべている人のよさそうな笑顔すら、ひねくれた俺には胡散臭く感じられた。

 それに、やつが言っていることが本当ならば、俺の存在に気づいていながら、豊夏にはあえてそれを知らせなかったことになる。そこに一体なんの目的があるのかわからないけれど、考えが読めないからこそ一層、相手への疑念は強くなっていく。

 そんな思考をまるで察したかのように、道島は言った。


「もしかして、俺が芳野にバラさないか気にしてんの? 雪峰がさっきの話、こっそり盗み聞きしてました――って」


 見つかった後、真っ先に懸念したことを直球で突かれ、思わず体がこわばる。そんな俺の反応を確認するように一拍おいてから、道島はふっと笑った。


「安心しろよ、芳野には言うつもりないから。大体、バラすつもりだったら最初に雪峰に気づいた時点で声出してるし。黙ってて後からバラすとか、オレ、そこまで底意地悪くねーよ?」

「どうだか。お前の言うことを信じてないわけじゃないけど、俺にはお前が根っからの善人とも思えないからな」

「おおっと、なかなか言うねえ。てか、そんなこと言われたの初めてかも。……いちおう聞くけど、なんでそう思ったわけ?」

「そりゃあ、さっきのお前と豊夏の会話を聞いてればな。そのうえ、俺がいたこともわざわざ豊夏には気づかれないように黙ってたり、そんな回りくどいこと、何か目的があってやってるとしか思えないだろ」


 こうして向き合って話している今も、道島は特に構えた様子もなく、微笑みすら浮かべている。けれど、その態度に俺の警戒心は余計に膨らんでいった。

 浮かべている笑顔の裏に、表からはうかがい知れない計算が渦巻いているように見えて。


「道島、お前一体何が目的なんだ? 何をたくらんでる?」

「たくらむとか、ひどい言いぐさだなー。まるでオレ悪役じゃん。まあ、雪峰にとっては確かにそうなるかもしれないけど……」


 意味深なことを言いながら、道島は机の上から腰を上げて立ち上がった。


「オレはただ、知りたいだけだよ。雪峰と芳野がなんでケンカしてんのか。雪峰も廊下で聞いてたんだろ? あの時に芳野に聞いたのと同じこと」

「……別にケンカじゃない。第一、どうしてお前がそんなこと気にするんだ?」

「それこそ、さっき芳野に話してたとおりだって。最近、芳野の様子がなーんかおかしいから気になってさあ。残念ながらご覧のとおり、まんまと逃げられちゃったワケですが」


 ポーズのように肩をすくめつつ、道島は続ける。


「でも、あいつってやわらかそーに見えて意外と頑固だし、もし芳野に聞いてみてダメなら、もう片方の当事者に当たるしかねーなとは思ってたんだよな。そうしたら、そこにちょうど雪峰がやって来たわけじゃん? なんというカモネギ、もといナイスタイミング! というわけで、芳野がダメなら雪峰に聞いてみろ作戦を実行したってわけよ」

「……言いたいことは色々あるが……お前の行動の意味はだいたいわかった。……けど、俺に聞きたいことがあるなら、お前もちゃんと俺の質問に答えろよ」


 溜息をついたあと、正面からまっすぐに目を見据えると、道島の顔から初めて笑いが消えた。黙っていると目つきが悪い、眼光が怖いと言われる俺のことだ。知らず知らず睨んでいるような表情になっているのかもしれないけれど、それでもかまわない。たとえケンカを売っていると思われようが、この喰えない男にのらりくらりとかわされるよりはマシだ。


「どうして、俺と豊夏のことをそんなに気にするんだ? それに、あいつの様子が変だったとしても、別に俺のせいとは限らないだろ。……最近は、ロクに話だってしてなかったし」

「まあ、芳野の様子については、雪峰が関係してるって考える理由もちゃんとあるんだけどさ。……ていうか雪峰、本当に気づいてないの? それとも気づいてないフリしてるだけ?」

「…………お前、何が言いたい?」


 本気で不思議だと言わんばかりに眉根を寄せられて、その様子がいたって真面目に見えたからこそ、逆にムカついた。試すような言葉を口にして、具体的なことを言わない道島に対する苛立ちもあったけれど、何より、ここまで言われてもまだわからない俺は察しが悪いと言われているように感じたからだ。

 

「知らねえよ、豊夏のことなんて。あいつとは話もしてないって言ってるだろ。――だいたい、ケンカがどうとか仲直りがどうとか、どうしてお前にそこまで首つっこまれなきゃならないんだよ。俺と豊夏に何があろうが、お前には関係ないだろ?」


 苛立ちまかせに吐き捨てた声のとげとげしさは、放課後の教室の中で思いのほか大きく響いた。けれど、それに萎縮するでもなく怒るでもなく、道島はただ静かに俺の言葉を聞いたあと、ぽつりと言った。


「雪峰って……案外鈍いんだな」

「はぁ?」


 ケンカ売ってんのか、という思いを込めて今度こそ睨みつけると、苦笑しながら手を振られる。


「違う違う、バカにしてるとかそういうんじゃなくて。……だって、俺がこんなに芳野の様子を気にしてる理由なんて、ちょっと考えれば想像つきそうなもんじゃん」


 まるで何かに思いをはせるように窓の外を見つめると、道島は真剣な表情とは裏腹に、まるで大切な思い出を語る時のような、温かさを感じさせる声で俺に告げた。


「心配なんだよ、芳野が。最近のあいつって、冗談でも全然愚痴とか言わないし。いつもニコニコして大丈夫って言うけど、周りに心配かけないように、一人で抱え込んでるようにしか見えないんだよな。このままじゃ無茶しそうでさ、見てるとほっとけないし、守ってやりたいと思うんだ。……そんなこと考えちゃう理由、ひとつしかないと思うけど」


 豊夏のことを本当に案じていることが伝わってくる様子に、俺は思わず黙り込んだ。さっきまでの怒りが徐々に戸惑いへと変わっていき、頭の中が混乱してくる。

 道島が、豊夏を気にする理由。豊夏に親身になる理由。そこまで言われて、いつもとは全く違う表情を見せられて、想像がつかないわけじゃない。でも、そんな、まさか。俺の頭に次々と浮かぶ否定の言葉を打ち消すように、道島は決して大きくない声で、しかしはっきりと言った。


「――好きなんだ、芳野のことが」


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