第9話 二人の家を目指して
『小鳥の止まり木』の食堂には、焼きたてのパンの香りが漂っていた。
シオンとリュナは向かい合って座り、運ばれてきた夕食を眺めていた。
温かいスープに、肉と野菜の煮込み。それに、丸いパンが二つ。
「おおっ、今日もうまそう!」
「……そうね」
リュナはそう答えながらも、料理にはまだ手をつけていなかった。
シオンはパンを一口ちぎり、ふと顔を上げた。
「リュナ、どうした?」
「……何が?」
「なんか、元気ないなと思って」
「別に。疲れただけよ」
「そっか。今日は森にも行ったもんな」
シオンはうなずき、スープを口に運んだ。
リュナもようやくパンに手を伸ばす。
けれど、食堂へ来る前のことが、まだ頭から離れなかった。
同じ宿に泊まるのに、シオンは銅貨八枚。
自分は十二枚。
宿の主人は、獣人の抜け毛で掃除に手間がかかるからだと言った。
珍しい話ではない。
むしろ、獣人を泊めてくれるだけでもありがたいと思わなければならない宿はある。
それなのに、シオンは本気で驚いていた。
「……ねえ、シオン」
「ん?」
「宿代、私の分まで払わなくてもよかったのよ」
「ああ、そのことか」
シオンはパンを置いた。
「でも、今日はボアも売れたし、余裕あるからさ」
「そういう問題じゃなくて……」
リュナは言いかけて、口を閉じた。
シオンは少し考え込む。
「……なあ、リュナ」
「何?」
「いっそ、家を借りない?」
「…………は?」
リュナの耳が、ぴんと立った。
「家?」
「うん。宿に毎日泊まるより、二人で住める家を借りたほうがいいんじゃないかなって」
「……ちょっと待って」
「うん」
「なんで、いきなり家の話になるのよ」
「だって、宿だと毎日お金がかかるだろ? それに、リュナだけ高いって言われるのも嫌だし」
「…………」
「家なら、毎日宿を探さなくてもいいし、荷物も置けるし。二人で冒険に出るなら、帰る場所が一緒のほうが便利じゃないか?」
シオンは思いついたことを、一つずつ指折り数えた。
リュナは、しばらく黙っていた。
「……あんた、家を借りるのにいくらかかるか知ってる?」
「……知らない!」
「胸を張って言わないでよ」
リュナは思わず額に手を当てた。
「家賃だけじゃないの。最初にまとまったお金が必要なこともあるし、家具だってそろえなきゃいけないでしょ」
「あっ、そっか。ベッドとかも必要か」
「そうよ。それに、借りる家によっては獣人を断るところもあるわ」
「……家も?」
「宿と同じよ。貸してくれる人を探さなきゃ」
シオンは腕を組んだ。
思いつきだけで、すぐに借りられるものではなさそうだ。
けれど。
「じゃあ、まずは家を借りるためのお金を貯めよう!」
「……え?」
「いくら必要か調べて、目標を決めるんだ。そしたら、頑張りがいもあるだろ?」
リュナは目を丸くした。
「……まだ、借りるって決めたわけじゃないでしょ」
「リュナは嫌?」
「……嫌とは、言ってないけど」
「よかった!」
シオンは嬉しそうに笑った。
リュナはスープの器へ視線を落とす。
二人で住む家。
そんなものを、昨日会ったばかりの人間と考えることになるなんて。
「……でも、お金はまだまだ足りないと思うわよ」
「だよなあ」
シオンは、今日受け取った報酬を思い出した。
ボア三体の買い取り代金は、確かにありがたかった。
けれど、毎日の食費や宿代もある。
家を借りるなら、もっと稼ぐ必要があるだろう。
「明日、ギルドで聞いてみようかな。もう少し報酬のいい依頼はないかって」
「危ない依頼を、報酬だけで選んじゃ駄目よ」
「もちろん! リュナと相談して決めるよ」
「……なら、いいけど」
リュナはパンを一口食べた。
シオンも煮込みに手を伸ばす。
「それにしても、家かあ。台所があったら、自分たちで料理もできるよな」
「……料理、できるの?」
「少しは。前の世界では、自分で作ってたから」
「へえ」
「肉も野菜も、ちゃんと食べないとな!」
「……あんた、食事の話になると急に真剣ね」
「食事は大事だからな!」
シオンが力強く答えると、リュナは小さく笑った。
食堂へ来たときよりも、少しだけ肩の力が抜けていた。
◇
夕食を終えた二人は、二階の廊下で別れた。
「じゃあ、また明日の朝な」
「……うん。おやすみ」
「おやすみ、リュナ!」
リュナが自分の部屋へ入るのを見届けてから、シオンも隣の部屋へ戻った。
扉を閉め、ベッドに腰を下ろす。
「……家、か」
自分で言い出したことなのに、少しわくわくしていた。
前の世界では、何か目標を決めると、そこへ向かって努力するのが好きだった。
この世界でも、それは変わらない。
ただ、今回は一人の目標ではない。
リュナと二人で暮らせる家を借りる。
「よし。頑張るぞ!」
シオンは両手を握りしめた。
そこで、ふと思い出す。
「……あっ! そういえば、ボア三体を倒したあと、レベルが上がったんだった!」
ギルドでは薬草の納品とパーティ登録。
そのあとは宿代のことで驚き、夕食では家の話になった。
ステータスを確認するのを、すっかり忘れていた。
「ステータス!」
シオンの目の前に、見慣れ始めた表示が浮かぶ。
ジョブは《賢者》。
そのレベルは、昨日の夜に確認したときより上がっていた。
「おおっ、ちゃんと上がってる!」
シオンは習得可能な魔法の一覧を開いた。
昨日は覚えられなかった魔法が、新しく表示されている。
その中で、シオンの目が一つの名前に止まった。
「……《サンダーボルト》?」
説明を読む。
狙った相手へ、雷を集中させて放つ魔法。
すでに覚えている《ライトニング》とは、雷の使い方が異なるらしい。
「おお……! これなら、狙った一体を攻撃したいときに使えそうだな!」
必要なスキルポイントを確認する。
ストレージへ薬草やボアをしまった分もあり、習得に必要なポイントは足りていた。
「よし。覚えよう!」
【《サンダーボルト》を習得しました】
「やった!」
シオンは思わず立ち上がりかけた。
だが、すぐに腰を下ろす。
「……いや、ここで試すのは駄目だな」
宿の部屋で雷魔法を放つわけにはいかない。
威力も、まだわからないのだ。
「明日、街の外で試そう」
シオンは表示を閉じ、ベッドへ横になった。
新しい魔法。
新しい仲間。
そして、家を借りるという目標。
明日は、どんな依頼が見つかるだろう。
そんなことを考えているうちに、シオンは眠りについた。
◇
翌朝。
「おはよう、シオン」
「おはよう、リュナ!」
食堂で合流した二人は、朝食を済ませて冒険者ギルドへ向かった。
リュナは昨日よりも、少し歩くのが速かった。
「……そんなに急がなくても、依頼は逃げないわよ」
「いやあ、早く見に行きたくてさ!」
「昨日、自分で言ったこと、覚えてる?」
「報酬だけで危ない依頼を選ばない、だろ?」
「……覚えてるならいいわ」
シオンは笑いながら、ギルドの扉を開けた。
朝のギルドは、依頼を探す冒険者たちでにぎわっていた。
掲示板の前には人だかりができている。
「うわっ、結構いるな」
「朝は、いい依頼を探しに来る人が多いからね」
「なるほど……」
二人は掲示板を眺めた。
薬草採集。
街道の見回り。
荷運び。
魔物の討伐。
さまざまな依頼が並んでいる。
「うーん……」
シオンは一枚ずつ報酬を確認した。
「家を借りるには、もう少し稼ぎたいなあ」
「だからって、受けられないランクの依頼を見ても仕方ないわよ」
「そうだよな」
シオンは掲示板から目を離した。
「……セリスさんに相談してみようか」
「そのほうが早そうね」
二人は受付台へ向かった。
◇
「おはようございます、シオンさん、リュナさん!」
セリスが笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます!」
「……おはようございます」
「今日は、お二人で依頼をお探しですか?」
「はい! 実は、もう少し報酬のいい依頼を受けたくて」
「そうなんですね。何か目標でもできたんですか?」
「家を借りようと思ってるんです!」
「……家?」
セリスは少し驚いた顔をした。
隣でリュナが、小さくため息をつく。
「……まだ、お金を貯めようって話をしてるところです」
「ああ、なるほど」
セリスは納得したようにうなずいた。
「それなら、報酬だけでなく、お二人の実力に合った依頼を探しましょう。ギルドカードをお預かりしてもいいですか?」
「はい!」
シオンとリュナは、それぞれカードを差し出した。
セリスは二枚を受け取り、登録情報を確認し始める。
「リュナさんは素早さを生かした近接戦闘が得意なんですね。シオンさんは魔法を中心に……」
そこで、セリスの手が止まった。
「……あれ?」
「どうしました?」
「シオンさん、昨日より使える魔法が増えていませんか?」
「はい! 昨夜、《サンダーボルト》を覚えました!」
「昨夜ですか!?」
セリスは思わず顔を上げた。
「昨日、魔法を覚えたばかりだとおっしゃっていましたよね?」
「はい。ボア三体を倒してレベルが上がったので、また一つ覚えられました!」
「……ボア三体?」
セリスは目を瞬かせた。
シオンは首をかしげる。
「あれ? 昨日、買い取り窓口で売ったんですけど……」
「買い取り記録を確認しますね」
セリスは奥の記録に目を通した。
そして、シオンとリュナを交互に見る。
「……確かに、ボア三体の買い取り記録がありますね」
「はい!」
「お二人で討伐されたんですか?」
「倒したのはシオンよ」
リュナが答えた。
「私は助けに入ろうとしたんだけど、その前に全部倒しちゃったの」
「……三体とも?」
「はい。《アイスランス》で!」
セリスは、しばらく黙っていた。
それから小さく息をつき、表情を引き締めた。
「わかりました。ですが、魔法が増えたからといって、すぐに難しい依頼を受けていただくわけにはいきません」
「はい!」
「ただ、ボア三体を討伐した実績がありますし、今はリュナさんと正式にパーティを組まれています。お二人で受けられる依頼を探してみますね」
セリスは依頼書の束を確認した。
何枚かを見比べたあと、一枚を受付台へ置く。
「……こちらはいかがでしょうか」
シオンとリュナは、そろって身を乗り出した。
「コボルトの討伐依頼です」
「コボルト?」
シオンは初めて聞く名前を繰り返した。
セリスは依頼書を指さす。
「街道近くで、五体ほどのコボルトが目撃されています。通行人が近づくと、集団で威嚇したり、荷物を奪おうとしたりしているそうです」
「五体か……」
シオンは昨日のボアを思い出した。
三体なら、一度の魔法で倒せた。
だが、今回は五体。
しかも、初めて戦う魔物だ。
「コボルトって、強いんですか?」
「一体ずつの力は、ボアほどではありません。ただし、集団で動きます。正面から気を引く個体がいる間に、別の個体が横へ回り込むこともあります」
セリスの説明を聞いて、リュナがうなずいた。
「……あいつら、連携してくるのよね」
「リュナは戦ったことあるの?」
「あるわ。動きは速いけど、一体ずつなら対処できる。ただ、後ろにいるやつが石を投げてきたりするから、油断はできないわよ」
「なるほど……」
シオンは依頼書を見つめた。
新しく覚えた《サンダーボルト》なら、後ろにいる一体を狙えるかもしれない。
だが、魔法を撃つ間に横から近づかれたら危険だ。
「……リュナ」
「何?」
「俺が魔法を使うとき、近づいてくるコボルトを見てもらえる?」
「もちろん。そのためのパーティでしょ」
「おお……!」
シオンは嬉しそうに笑った。
昨日までは、魔物が近づいてきても、一人で何とかするしかなかった。
今は、隣に仲間がいる。
リュナも依頼書をのぞき込んだ。
「でも、最初から五体まとめて相手にするのは避けたいわね。見つけたら、まず様子を見ましょ」
「うん。そうしよう!」
セリスは二人のやり取りを聞いて、うなずいた。
「それなら、こちらの依頼をご案内できます。ただし、討伐数だけを優先せず、危険だと感じたら引き返してくださいね」
「わかりました!」
「……はい」
「では、ギルドカードをお返しします。依頼を受ける前に、もう一度内容をご確認ください」
セリスは二枚のカードと依頼書を差し出した。
シオンは報酬欄に目を落とす。
「……おっ!」
薬草採集よりも、ずっと高い報酬が記されていた。
「リュナ、これなら家の資金も貯められそうだな!」
「一回で家が借りられるわけじゃないわよ」
「わかってるって! 一歩ずつだ!」
「……そうね」
リュナは小さく笑った。
シオンはセリスへ向き直る。
「この依頼、二人で受けます!」
「承りました。お気をつけて!」
◇
ギルドを出た二人は、街道へ向かって歩き始めた。
「コボルト五体かあ……」
シオンは依頼書を見ながらつぶやいた。
「初めてのパーティ依頼だな!」
「……そうね」
「よろしくな、リュナ!」
「さっきも言ったでしょ。こちらこそ、よろしく」
リュナは少し照れくさそうに答えた。
シオンは依頼書をしまい、前を向く。
家を借りるためには、まだお金が足りない。
新しい魔法も、まだ試していない。
そして、コボルトがどんな動きをするのかも、実際には見たことがなかった。
それでも、今日は一人ではない。
二人は並んで、街の門へ向かった。




