第7話 この世界の当たり前
リーベルへ戻る道を、シオンとリュナは並んで歩いていた。
「そういえば、リュナは今日は何をしに森へ来てたんだ?」
「……別に。ちょっと用事があっただけ」
「そっか」
シオンはそれ以上、追及しなかった。
リュナは横目でシオンを見る。
昨日助けてもらった礼をするために、後をつけていた。
そんなことを今さら言えるはずがない。
「……それより、あんた」
「ん?」
「さっきの氷魔法、本当に昨日の夜に覚えたの?」
「うん。宿でスキルポイントを貯めて覚えたんだ」
「……スキルポイントを貯めて?」
「そうそう」
「…………」
リュナは何か言いかけて、やめた。
聞きたいことは山ほどある。
けれど、昨日会ったばかりの相手に、どこまで踏み込んでいいのかわからない。
シオンはそんなリュナの様子に気づかず、楽しそうに話を続けた。
「でも、まだ覚えた魔法をほとんど試せてないんだよな。今度はちゃんと、安全な場所で練習したいな」
「……そうしなさいよ」
「うん!」
リュナは小さく息をついた。
危なっかしいと思っていた人間が、たった一晩で三体のボアを一撃で倒してしまった。
いったい、何者なのだろう。
◇
北門でギルドカードを見せ、二人は街へ入った。
シオンは門をくぐると、まっすぐ冒険者ギルドへ向かおうとした。
「薬草を納品して、ボアも売って……あ、リュナはこのあと予定ある?」
「……特にはないけど」
「じゃあ、一緒にギルドまで行かない?」
「……いいわよ」
リュナは短く答えた。
シオンは笑顔でうなずき、歩き出す。
その隣を歩きながら、リュナは通りの人々に目を向けた。
何人かが、こちらを見ている。
正確には、シオンの隣にいるリュナを。
リュナは少しだけ耳を伏せた。
◇
冒険者ギルドの扉を開けると、昼を過ぎた建物の中には、依頼を終えた冒険者たちが集まっていた。
受付台へ向かうと、セリスが顔を上げた。
「ああ、シオンさん。お帰りなさい!」
「ただいま戻りました!」
「薬草採集はいかがでしたか?」
「五株、集まりました!」
「それはよかったです。……あら?」
セリスの視線が、シオンの隣へ移った。
リュナは少し身構える。
だが、セリスは明るく微笑んだ。
「ああ、シオンさん。パーティメンバーが見つかったんですね!」
「えっ?」
「よかったです! 今朝、仲間を探していらっしゃいましたものね」
シオンは隣のリュナを見た。
リュナも、シオンを見上げる。
「いや、まだパーティを組んだわけじゃ――」
シオンが答えかけた、そのときだった。
「おい、あいつ。獣人の奴隷、連れてるぞ」
背後から、男の声が聞こえた。
「ほんとだ。猫耳じゃねえか」
「趣味わりーな」
別の男が笑った。
シオンは、ぴたりと言葉を止めた。
今、何と言った?
奴隷?
リュナのことを?
振り向こうとした瞬間、手をつかまれた。
「……シオン」
リュナだった。
その顔からは、さっきまでの表情が消えていた。
「ちょっと来て」
「え? でも、薬草の納品が――」
「あとでいいから」
リュナはシオンの手を引いた。
シオンは戸惑いながらも、そのままついていく。
「シオンさん?」
セリスが心配そうに声をかけた。
「すみません! ちょっと外に出てきます!」
そう答える間にも、リュナは足を止めなかった。
◇
ギルドを出たリュナは、大通りを避けて細い道へ入った。
店の裏手を通り、さらに角を曲がる。
ようやく立ち止まったのは、人通りのない小さな路地だった。
「……ここなら、いいかな」
リュナは周囲を確かめてから、シオンの手を離した。
「リュナ?」
「……さっきの、聞こえたでしょ」
「うん」
シオンはうなずいた。
「奴隷って言ってた。あれ、リュナのことだよな?」
「そうよ」
「なんで?」
リュナは一瞬、目を見開いた。
「……なんでって?」
「だって、リュナは奴隷じゃないだろ?」
「……そうだけど」
「じゃあ、なんでそんなこと言われるんだ?」
シオンには、本当にわからなかった。
昨日、森で会ったときも、リュナは一人で魔物と戦っていた。
今日だって、自分の意思で森を歩いていた。
誰かに所有されているようには見えない。
リュナはシオンの顔をじっと見つめた。
「……あんた、本当に知らないの?」
「何を?」
「この世界で、獣人がどう扱われてるか」
「……知らない」
シオンが答えると、リュナは壁に背を預けた。
しばらく黙ってから、ぽつりと話し始める。
「獣人ってだけで、嫌う人間がいるのよ」
「……うん」
「同じ店に入るなって言われたり、仕事を断られたり。何もしてないのに、泥棒扱いされることだってある」
リュナの耳が、ゆっくりと伏せられた。
「もちろん、みんながそうじゃない。普通に接してくれる人もいるし、セリスさんみたいな人だっている」
シオンは黙って聞いていた。
「でも、獣人を人間より下だと思ってる人は、少なくないの」
「……それで、奴隷って言われたのか?」
「獣人の奴隷もいるから。人間の隣を歩いてる獣人を見て、そう決めつける人がいるのよ」
リュナは自分の腕を抱いた。
「人間の冒険者と獣人が一緒にいたら、仲間じゃなくて、主人と奴隷だって思う人もいる」
「そんな……」
「だから、さっきも驚いたの」
「何に?」
「セリスさんが、私を見て『パーティメンバー』って言ったこと」
リュナは顔を上げた。
「……ああいうふうに言ってもらえること、あんまりないから」
シオンは、ギルドでのセリスの笑顔を思い出した。
彼女は、二人が並んでいるのを見て、自然に仲間だと思った。
シオンにとっては、それが普通だった。
けれど、リュナにとっては違ったのだ。
「……ごめん」
シオンが言うと、リュナは眉をひそめた。
「なんであんたが謝るのよ」
「いや、俺、何も知らなくてさ。ギルドに一緒に行こうって、気軽に誘っちゃったから」
「……それは、別に」
リュナは言葉を切った。
「一緒に行くのが嫌だったわけじゃない」
「そっか」
「ただ……あんたまで変なこと言われるでしょ」
シオンは少し考えた。
さっきの男たちは、リュナだけでなく、シオンのことも笑っていた。
けれど。
「俺は、リュナと一緒にギルドへ行けてよかったけどな」
「……え?」
「最後の薬草、見つけてくれただろ? ちゃんとお礼も言いたかったし」
「……薬草一株で、大げさなのよ」
「でも、助かったのは本当だよ」
リュナは目をそらした。
尻尾の先が、わずかに揺れる。
「……あんた、変わってる」
「そうかな?」
「そうよ」
リュナは即答した。
◇
少しの沈黙が流れた。
シオンは、路地の向こうに見える青空を見上げた。
リュナが知らないことを話してくれた。
なら、自分も話しておくべきことがある。
「……なあ、リュナ」
「何?」
「俺がこの世界のことを知らないのには、理由があるんだ」
「……昨日、この辺りに来たばかりだから?」
「それもあるけど、もっと根本的な理由」
シオンはリュナへ向き直った。
「俺、この世界の人間じゃないんだ」
「…………は?」
リュナの耳が、ぴんと立った。
「……どういう意味?」
「別の世界から来たんだよ」
「別の……世界?」
「うん。俺が前にいた世界には、魔法も魔物もいなかった。獣人も、少なくとも俺は会ったことがなかった」
リュナは、まばたきもせずにシオンを見つめた。
「……冗談?」
「冗談だったら、もっと面白いこと言うよ」
「……全然、面白くないんだけど」
「だよなあ」
シオンは苦笑した。
信じてもらえないかもしれない。
それでも、ここまで話したのだから、続けることにした。
「向こうで俺は、一度死んだんだ」
「……死んだ?」
「うん。それで、神様に会った」
「神様!?」
リュナの声が路地に響いた。
彼女は慌てて口を押さし、周囲を見回す。
誰もいないことを確かめてから、シオンへ顔を寄せた。
「……ちょっと。そんな話、大声でしないでよ」
「ご、ごめん」
「それで?」
「神様からスキルをもらって、この世界に来たんだ。昨日、森で目が覚めたときは、街がどっちにあるかも知らなかった」
「…………」
「だから、獣人がどう扱われてるかも知らなかったし、冒険者ギルドの仕組みも、昨日初めて教えてもらった」
リュナは、しばらく何も言わなかった。
シオンも、返事を急かさなかった。
やがて、リュナが口を開く。
「……昨日、ボアと戦うのが下手だったのも?」
「魔物と戦うの、初めてだったからな」
「……魔法を昨日の夜に覚えたのも?」
「うん」
「……あの収納スキルも、神様から?」
「そうそう」
リュナは額に手を当てた。
「……待って。ちょっと待って」
「うん」
「話が大きすぎるのよ……」
リュナは深く息を吐いた。
別の世界。
神様。
昨日初めて魔物と戦ったというのに、今日は三体のボアを一撃で倒した。
普通なら、信じられない話だ。
けれど、昨日からシオンの行動には、わからないことばかりだった。
「……全部、説明がつくのが嫌だわ」
「嫌なのか!?」
「だって、こんな話、簡単に信じられるわけないでしょ!」
「それはそうだよな……」
シオンは頭をかいた。
「でも、本当なんだ」
リュナはシオンを見つめた。
その顔には、困ったような笑みが浮かんでいる。
嘘をついて、何かを得ようとしているようには見えなかった。
「……わかった」
「え?」
「今は、信じることにする」
「本当か!?」
「全部納得したわけじゃないわよ。でも、あんたがこの世界のことを何も知らないのは、よくわかった」
「……ありがとう」
シオンが笑うと、リュナは顔を背けた。
「その代わり、知らないことがあったら聞きなさいよ」
「リュナに?」
「ほかに誰がいるのよ」
「おお……!」
シオンは思わず身を乗り出した。
「じゃあ、さっそく聞いてもいい?」
「……何?」
「冒険者って、パーティを組むとき、どうやって誘うんだ?」
「…………」
リュナは、ゆっくりとシオンを見た。
「……なんで今、それを聞くの?」
「いや、今朝セリスさんに相談したんだけど、知らない人と急いで組むのは危ないって言われてさ」
「それは、そうね」
「でも、リュナとは昨日も今日も会ってるし、一緒に魔物とも戦っただろ?」
「……うん」
「それに、俺が知らないことも教えてくれるって言ってくれたし」
シオンは少し照れくさそうに笑った。
「だからさ。よかったら、俺とパーティを組まない?」
「…………え?」
リュナの耳が、ぴんと立った。
シオンは返事を待つ。
「……あんた」
「うん?」
「さっきの話、聞いてた?」
「獣人の扱いのこと?」
「そうよ。私と組んだら、ああいうこと、また言われるかもしれないのよ」
「うん。聞いた」
「……それでも?」
シオンはうなずいた。
「俺は、リュナと組みたいと思ったから誘ったんだ」
「…………」
リュナはシオンの顔を見つめた。
昨日、森で助けてもらったときも、この人間は見返りを求めなかった。
今日だって、薬草を一株見つけただけで、嬉しそうに礼を言ってくれた。
そして今、自分が獣人だと知ったうえで、仲間にならないかと誘っている。
「……本当に、変わってる」
「またそれ?」
「何度でも言うわよ」
リュナは小さく笑った。
それから、シオンへまっすぐ向き直る。
「いいわよ」
「……え?」
「パーティ。組んであげるって言ってるの」
「本当か!?」
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるわよ」
「やった!」
シオンは両手を握りしめた。
「よろしくな、リュナ!」
「……うん。よろしく、シオン」
差し出されたシオンの手を、リュナが握る。
昨日は、助けられた借りを返したかった。
けれど今は、それだけではない。
この変わった人間と一緒に冒険してみたい。
リュナは、そう思っていた。
「じゃあ、ギルドでパーティ登録しよう!」
「あっ、その前に薬草の納品でしょ」
「……そうだった!」
「忘れてたの?」
「ちょっとだけ!」
「……もう」
リュナは呆れたように息をついた。
けれど、ギルドへ向かって歩き出したシオンの隣に、自然と並んだ。
今度は、同じパーティの仲間として。




