第65話 ハサムのバザール
翌朝。
シオンが目を覚ました時には、すでに太陽がかなり高くなっていた。
「……寝たな」
ベッドの上で身体を起こし、窓の外を見る。
ハサムへ来てから、朝から動き回る日が続いていた。今日は久しぶりに何の予定もない。
着替えて部屋を出ると、ちょうど隣の扉が開いた。
「おはよう、シオン」
「おはよう」
出てきたのはリュナだった。
いつもより少し眠そうで、猫のような耳もどことなく力が抜けている。
「リュナも今起きた?」
「ちょっと前。久しぶりにいっぱい寝た」
「俺も」
「おはようございます」
さらに別の部屋からロッテが出てくる。
「二人とも遅かったですね」
「ロッテはいつ起きたんだ?」
「いつも通りですよ」
「休みなのに?」
「目が覚めちゃったので」
三人で宿の一階へ下りる。
朝食には遅く、昼食には少し早い時間だった。
「何か食べる?」
「食べたい」
リュナが即答した。
「私もお腹が空きました」
「じゃあ、どこか探すか」
宿でも食事は頼めるが、今日は特に予定がない。
せっかくなら街へ出ようということになった。
外へ出ると、昨日までとは街の雰囲気が少し違っていた。
道を歩く人々の表情が明るい。
店先では商人たちの威勢のいい声が響き、荷車を引く者や荷物を担ぐ者が忙しく行き交っている。
「活気が戻ってるね」
「ああ」
オアシスの水位が回復し始めたという話は、すでに街中へ広まっている。
まだ水不足が完全に解消されたわけではないが、減り続けていた水が増加へ転じた。
それだけでも、人々にとっては大きな違いなのだろう。
「そういえば、ハサムって交易都市なんだよな」
「そう聞いたね」
「俺たち、街をほとんど見てないよな」
「オアシスとギルドばかりでしたからね」
ロッテの言葉に、シオンは頷いた。
「じゃあ、今日は街でも見て回るか」
「いいよ」
「賛成です」
三人は人の流れについて歩いていく。
やがて、大きな通りへ出た。
「おお……」
シオンが足を止める。
通りの両側に、無数の店が並んでいた。
石造りの建物だけではない。
色鮮やかな大きな布を屋根代わりに張り、その下へ商品を並べた露店がどこまでも続いている。
香辛料を山のように積んだ店。
乾燥させた果物。
見たことのない野菜。
色とりどりの布。
宝石や装飾品。
剣や防具。
魔道具。
そして、そこかしこから漂ってくる料理の匂い。
「これがバザールか」
「すごい人だね」
リュナが周囲を見回す。
ハサム周辺で採れた物だけではないらしい。
遠方から来た商人たちが、それぞれの商品を持ち込んでいる。
「腹減ったな」
「さっきからいい匂いするよね」
三人はまず食べ物を探すことにした。
少し歩くと、鉄板の上で肉を焼いている露店を見つける。
香辛料をまぶした肉を薄い平焼きのパンに挟み、野菜と一緒に包んでいる。
「美味しそう」
「食べるか」
「食べましょう」
三人分を買う。
熱々の肉を包んだパンを受け取り、シオンは一口かじった。
「うまっ」
香辛料の香りが強い。
少し辛いが、肉の脂とよく合っている。
「美味しいね」
リュナも気に入ったらしく、すでに二口目を食べている。
ロッテも頷いた。
「このお肉、何でしょう?」
「確かに」
シオンは店主を見る。
「これ、何の肉?」
「サンドリザードだよ」
「…………」
シオンの口が止まった。
昨日まで砂漠で見かけていた魔物の姿が頭に浮かぶ。
隣を見ると、リュナは気にせず食べ続けていた。
「リュナ」
「何?」
「サンドリザードだって」
「うん」
「平気なの?」
「美味しいよ?」
「そうだけど」
ロッテも普通に食べている。
「魔物のお肉を食べること自体は珍しくないですよ?」
「それは分かってるんだけど、姿を知ってるとちょっとな……」
「シオン、気にしすぎ」
「そうか?」
結局、シオンも最後まで食べた。
美味しいものは美味しい。
その後もバザールを歩きながら、気になった店を覗いていく。
果物を売っている店では、黄色い細長い果実を買った。
甘みが強く、水分も多い。
別の店では冷たい果汁を飲んだ。
砂漠の暑さもあって、よく冷えた飲み物がいつも以上に美味しく感じる。
「こういうのもいいな」
シオンが言う。
「何が?」
「何も考えずに街を歩くの」
「昨日までずっと動いてたもんね」
「たまには休まないとな」
「昨日までのシオンさんからは想像できない発言ですね」
「俺だって休むぞ」
そんな話をしながら歩いていたロッテが、不意に止まった。
「……あ」
「どうした?」
ロッテの視線の先には、鉱石を並べた露店があった。
大小さまざまな石や金属塊が木箱に収められている。
「見てきていいですか?」
「もちろん」
「ちょっと見てきます!」
ロッテが店へ向かう。
シオンとリュナも後を追った。
「これは鉄鉱石ですね。こっちは銅……あ、この銀鉱石、結構純度が高いです」
ロッテが次々と鉱石を手に取っていく。
「分かるの?」
「《金属鑑定》がありますから」
店主も最初は普通の客だと思っていたようだが、ロッテが産地や純度について質問し始めると、すぐに真剣な顔になった。
「嬢ちゃん、鍛冶師か?」
「はい!」
「なら、こいつはどうだ?」
店主が奥から黒っぽい鉱石を取り出した。
ロッテが受け取る。
「……へえ」
「珍しい?」
「少しだけ魔力を含んでます。加工すると面白そうです」
「買う?」
「買います!」
即答だった。
シオンが笑う。
「ちょっと見るだけじゃなかったのか?」
「見るだけとは言ってませんよ?」
「言ってないな」
気に入った鉱石をいくつか購入すると、ロッテは満足そうにシオンへ渡した。
「お願いします」
「はいはい」
まとめて《ストレージ》へ収納する。
再びバザールを歩き始める。
装飾品を扱う店の前では、リュナが少しだけ足を止めたが、そのまま通り過ぎた。
代わりに興味を示したのは、少し先にあった革製品の店だった。
「これ、使いやすそう」
手に取ったのは小さな腰袋だった。
「買うの?」
「うん。戦ってる時に、ちょっとした物を入れておけそうだから」
「俺に渡せば《ストレージ》に入れるけど?」
「戦ってる最中に毎回シオンから受け取るわけにいかないでしょ」
「確かに」
リュナは腰袋を一つ購入した。
三人で好きな店を覗きながら歩いていると、やがて露店の密集した区域を抜けた。
その先は少し開けた場所になっている。
そして。
「あれ……」
シオンが遠くを見た。
街を囲む外壁の向こう。
砂漠の彼方に、巨大な三角形が見えている。
自然にできた山ではない。
明らかに人工物だ。
「もしかして」
「《砂王の墳墓》じゃない?」
リュナも気づいた。
「でかいな」
街からかなり離れているはずなのに、はっきり見える。
「昨日聞いた時は、もっと小さいものを想像してました」
ロッテも驚いている。
近くで商品を片づけていた商人が、三人の視線に気づいた。
「砂王の墳墓を見るのは初めてか?」
「はい」
「近くで見るともっとでかいぞ」
シオンは目を凝らす。
「入口って、どこにあるんだ?」
「上だよ」
「上?」
「外側に階段がある。まずそこを登って、上の方にある入口から中へ入るんだ」
「そこから下へ?」
「ああ。中は迷路になっていて、下へ下へと進んでいくらしい」
「へえ……」
ピラミッドの外側を登り、上から内部へ入る。
そこから地下へ向かって攻略していく。
リーベルのダンジョンとはかなり違う構造だった。
「明日、あそこに行くんだな」
「楽しみになってきた?」
「かなり」
「やっぱり」
リュナが笑った。
その時、近くから大きな声が聞こえた。
「だから言っただろ! あっちは全部行き止まりだって!」
見ると、冒険者らしい四人組が休憩所のような場所で地図を広げていた。
装備には砂埃が付いている。
「でも、他に道がないだろ」
「西側は?」
「先週調べた。全部駄目だ」
「じゃあどこから先へ行くんだよ……」
シオンたちは思わず顔を見合わせた。
「砂王の墳墓かな?」
「たぶん」
少し離れた場所から聞いていると、どうやら今日も探索へ行っていたらしい。
「二階までは行けるんだよ。問題はその先だ」
一人が地図を指で叩く。
「何回調べても行き止まりばっかりだ」
「まだ調べてない道があるだろ」
「そこまで行くのに何時間かかると思ってるんだ」
別の男がうんざりした顔をする。
「また明日だな」
「俺はしばらく休むぞ」
四人は地図を畳んだ。
「相当面倒みたいだね」
リュナが言う。
「巨大迷路なんだろ?」
「ギルドでもらった地図も、行き止まりだらけだったもんね」
「迷わないようにしないとな」
シオンがそう言うと、リュナが横から顔を覗き込んだ。
「シオンには《正解選択》があるでしょ?」
「あ」
「忘れてたの?」
「いや、忘れてない」
「今の顔、忘れてたよね?」
「使う必要があったら使えばいいだろ」
「最初から使った方が早いと思いますけど」
ロッテまで加わった。
「せっかくの能力ですから」
「……それもそうだな」
迷路で正しい道を選ぶ。
考えてみれば、《正解選択》にはこれ以上ないほど分かりやすい使い道だった。
「じゃあ、迷路は何とかなりそうだな」
「そう簡単ならいいけどね」
リュナが遠くの《砂王の墳墓》を見る。
シオンも巨大な三角形を見上げた。
「今日は休みなんだから、今は忘れよう」
「それ、シオンが言う?」
「俺が言ったら駄目なのか?」
「もう攻略する顔してたから」
「してないって」
「してたよ」
三人は笑いながら、再びバザールへ戻った。
まだ昼を少し過ぎたばかりだ。
「次、どこ見る?」
「食べ物」
リュナが即答する。
「さっき食べたばっかりだろ」
「歩いたからお腹減った」
「早くない?」
「甘いものなら私も食べたいです」
「ロッテまで……」
結局、三人は甘い焼き菓子の匂いにつられて次の露店へ向かった。
今日は何もしない日。
砂王の墳墓へ向かうのは、明日でもいい。
シオンたちは久しぶりの休日を、そのままハサムのバザールで過ごした。




