第56話 砂漠の街
「……ん?」
シオンはゆっくりと目を開けた。
まだ頭がぼんやりしている。
薄暗い視界に映るのは、見慣れない布の天井だった。
「……ああ、テントか」
リーベルを出発して数日。
三人は南へ向かって旅を続け、昨日には周囲の景色が完全に砂漠へ変わっていた。
昨夜は街道から少し離れた場所にテントを張り、三人で眠った。
シオンは起き上がろうとして――動きを止める。
「……?」
右腕が動かない。
何かがくっついていた。
顔を向ける。
「…………」
リュナだった。
シオンの腕を両腕で抱き、そのまま眠っている。
かなり近い。
頬が肩に触れそうな距離で、気持ちよさそうに寝息を立てていた。
「……マジか」
小さく呟く。
リュナは起きない。
シオンはしばらく、その寝顔を見つめた。
「……可愛いな」
「おはようございます」
「うわっ!?」
突然、反対側から声がした。
見ると、ロッテが横になったままこちらを見ている。
「ロッテ!?」
「はい」
「いつから起きてた?」
「結構前からですよ」
「起こしてくれよ!」
「なんでですか?」
「なんでって……」
シオンが自分の腕を見る。
ロッテもリュナを見る。
「仲良しですね」
「いや、俺がやったんじゃないぞ?」
「分かってますよ。リュナさんから抱きついてましたから」
「見てたの?」
「はい」
「起こせよ!」
「気持ちよさそうに寝てたので」
「俺じゃなくてリュナを!」
「それも可哀想かなって」
「絶対面白がってただろ」
「少しだけ」
「やっぱり!」
「んぅ……」
シオンの声に反応したのか、リュナが身じろぎした。
「……シオン?」
「お、おはよう」
「ん……」
まだ完全には目が覚めていないらしい。
リュナはシオンの腕を抱いたまま目を閉じ――。
ぎゅっ。
さらに強く抱きついた。
「…………」
「…………」
シオンとロッテが顔を見合わせる。
「仲良しですね」
「二回言わなくていい」
「ん……?」
リュナがもう一度目を開けた。
目の前にいるシオンを見る。
次に自分の腕を見る。
そして、自分が何に抱きついているのか確認する。
「…………」
「おはよう」
「――っ!?」
リュナが飛び起きた。
「な、なんで!?」
「俺に聞くなよ!」
「シオンが何かしたんじゃないの!?」
「してない! 起きたらこうなってた!」
「本当です。リュナさんから抱きついてました」
「ロッテ!」
「はい?」
「見てたなら起こしてよ!」
「シオンさんにも同じことを言われました」
「じゃあ起こして!」
「でも仲良しだったので」
「寝てただけ!」
「シオンさんの腕を抱いてましたよ?」
「寝てたから分からないの!」
リュナの顔が真っ赤になる。
シオンは自分の右腕を見た。
「前は俺がリュナの手を離さなかったんだよな」
「思い出さなくていい!」
「今回は逆だな」
「言わなくていい!」
「お互い様ですね」
「ロッテもまとめなくていいから!」
朝からテントの中にリュナの声が響いた。
三人は簡単な朝食を済ませると、テントを片付けて出発した。
シオンが《ストレージ》へ最後の荷物を収納してから、改めて周囲を見回す。
「やっぱりすごいな」
どこまでも砂が続いている。
朝日を浴びた砂丘が幾重にも重なり、その向こうまで延々と続いていた。
リーベル周辺とはまるで違う景色だった。
「昨日も見たでしょ?」
「朝見るとまた違うだろ」
「それは分かるけど」
リュナも砂漠を眺める。
その隣では、ロッテがいつも通り完全武装していた。
ミスリルのフルプレートに盾、そして片手用の戦槌。
「ロッテ、それで行くの?」
「はい!」
「暑くない?」
「今は大丈夫です」
「昼になったら?」
「暑いと思います」
「脱いだら?」
「魔物が出たら危ないじゃないですか」
「それ着て砂漠を歩くほうが危なくない?」
「大丈夫ですよ」
ロッテが胸を張る。
ミスリルの重装備を普段から着こなしているロッテにとって、鎧の重さ自体は問題にならない。
問題があるとすれば、砂漠の暑さだった。
「本当に暑くなったら言えよ?」
「分かりました!」
「じゃあ行こうか」
「うん」
「はい!」
三人は街道を南へ進み始めた。
数時間後。
「暑い……」
シオンは呟いた。
「暑い……」
リュナの耳もしんなりしている。
「暑いですね」
ロッテは相変わらずフルプレートだった。
だが、さすがに額には汗が浮かんでいる。
「ロッテ、本当に脱がないの?」
「まだ大丈夫です」
「その『まだ』が怖いんだけど」
朝はまだよかった。
だが太陽が高くなるにつれ、気温は一気に上がっていた。
頭上から降り注ぐ日差しだけではない。
足元の砂からも熱気が上がってくる。
リーベルを出るときに大量の水を用意していたため、水分はこまめに取っている。
それでも暑いものは暑い。
「何かないかな……」
シオンが呟いた。
「何かって?」
「涼しくなる方法」
「テント出して休む?」
「それでもいいけど……」
シオンは少し考えてから、ロッドを手にした。
「シオン?」
「もっと簡単な方法があった」
「何するの?」
シオンが少し離れた砂へロッドを向ける。
「《アイスランス》!」
氷の槍が出現し、砂へ突き刺さった。
「…………」
「…………」
リュナとロッテがそれを見る。
シオンは満足そうに頷いた。
「よし」
「何が?」
「こうする」
ロッドを置き、《アイスランス》へ近づく。
そして、そのまま氷の槍へ抱きついた。
「冷たっ!」
「…………」
「でも気持ちいい!」
冷気が体へ伝わってくる。
砂漠を歩き続けて熱くなった体には最高だった。
「シオン」
「何?」
「それ攻撃魔法だからね?」
「でも冷たいぞ」
「そういう問題じゃなくて……」
「シオンさん、頭いいですね!」
「だろ?」
ロッテまで反対側から《アイスランス》へ抱きついた。
「おお! 冷たいです!」
「気持ちいいだろ?」
「はい!」
「…………」
リュナが二人を見る。
「二人とも馬鹿みたい」
「リュナも来る?」
「行かない」
「冷たいぞ?」
「行かない」
「気持ちいいですよ?」
「…………」
リュナの耳がさらに垂れる。
シオンとロッテは何も言わず、氷に抱きついたままリュナを見る。
「……ちょっと詰めて」
「来るんじゃん」
「うるさい!」
リュナも《アイスランス》へ抱きついた。
「冷たっ」
「だろ?」
「……うん。これはちょっといいかも」
三人で一本の氷の槍を囲む。
どう考えても攻撃魔法の使い方ではない。
「もうちょっと太かったらいいんだけどな」
「攻撃するための魔法なんだから仕方ないでしょ」
「次は二本出します?」
「それはいいかもな」
「魔法の無駄遣い……」
そう言いながら、リュナもしっかり氷から離れない。
シオンが少し体勢を変えた。
そのとき、氷を掴んでいたシオンの手とリュナの手が触れる。
「あ」
「……っ!」
リュナの肩が跳ねた。
シオンを見る。
シオンもリュナを見る。
二人の手が触れている。
「リュナ?」
「な、何?」
「顔、赤いけど」
「暑いからよ!」
リュナが慌てて手を離す。
その様子を見ていたロッテが首を傾げた。
「余計に暑くなってません?」
「そんなことないわよ!」
「でも顔、真っ赤ですよ?」
「砂漠なんだから暑いの!」
「氷に抱きついてるのに?」
「ロッテは黙って冷えてなさい!」
「はい!」
「素直だな」
「シオンも!」
リュナの声が砂漠に響いた。
十分に体を休めてから、三人は再び街道を歩き始めた。
暑さが厳しくなれば休憩し、水を飲む。
途中でもう一度だけ《アイスランス》を休憩用に使ったが、今度はリュナも最初から何も言わずに氷へ近づいてきた。
シオンがそれを指摘すると怒りそうだったので、黙っておいた。
そうして進み続け、太陽が少し傾き始めた頃だった。
「シオン」
リュナが前方を指差す。
「あれ」
「おお!」
砂丘の向こう。
遠くに大きな城壁が見えた。
砂色の高い城壁に囲まれた街。
周囲には何本もの街道が集まり、荷車や馬車の姿も見える。
「あそこか!」
「多分そうだね」
「やっと着きました!」
ロッテが嬉しそうに声を上げる。
三人は歩く速度を少し上げた。
街へ近づくにつれ、人の姿が増えていった。
大きな荷物を積んだ馬車。
荷を運ぶ商人。
護衛らしい冒険者。
砂漠の中にあるとは思えないほど大きな街だった。
だが――。
「なんか……変じゃない?」
リュナが呟いた。
「俺も思った」
人は多い。
それなのに活気がない。
行き交う人々の表情が暗い。
商人らしい男たちも、楽しそうに商談をしている様子ではなかった。
三人はそのまま街の門へ向かった。
「止まれ」
門番に声をかけられる。
「旅人か?」
「冒険者です」
シオンが冒険者カードを差し出した。
リュナとロッテも続く。
門番が三枚のカードを確認する。
「三人ともBランクか」
「はい」
「リーベルから来たのか?」
「そうです」
「この街が目的地か?」
「そのつもりだけど」
門番の表情が曇った。
「そうか……」
その反応にシオンが首を傾げる。
「何かあるんですか?」
「悪いことは言わない」
門番は少し声を落とした。
「補給と休息を済ませたら、あまり長居せずに次の街へ向かったほうがいい」
「え?」
リュナも眉を寄せる。
「どうして?」
「オアシスが枯れかけてるんだ」
三人の表情が変わった。
「オアシス?」
「ああ」
門番が街の奥へ視線を向ける。
「この街は昔から、巨大なオアシスの水で成り立ってきた。住民の飲み水も、家畜も、畑も、ここへ来る商隊への水の補給もな」
「それが枯れそうなの?」
「最近になって水位が急激に下がり始めた」
「原因は?」
シオンが尋ねる。
門番は首を振った。
「分からない」
「分からない?」
「今まで水位が多少上下することはあった。だが、ここまで減り続けたことはないそうだ」
砂漠の街。
当然、水は何より重要になる。
その街を支えてきたオアシスが枯れようとしている。
それがどれほど深刻なことなのか、シオンにも分かった。
「もう水がないんですか?」
ロッテが尋ねる。
「いや、まだある。ただ、このまま減り続ければどうなるか分からない。すでに水の使用制限も始まってる」
「だから街の人たちの様子が……」
リュナが門の向こうを見る。
「旅人を追い出してるわけじゃない。ただ、何も知らずに来た奴には伝えるようにしてるんだ。ここは砂漠の真ん中だ。水がなくなれば、簡単に別の場所から運んでくるわけにもいかない」
「なるほど……」
「入るなら構わない。だが、長く滞在するつもりなら、そのことは覚えておいてくれ」
「分かりました」
カードを返してもらい、三人は門を通った。
街へ入る。
城壁の内側には、砂色の建物が並んでいた。
大きな通りには店が並び、荷車や人々が行き交っている。
本来なら相当賑やかな街なのだろう。
だが今は、どこか重苦しい空気が漂っていた。
「また下がったらしいぞ」
通りを歩いていると、近くからそんな声が聞こえた。
三人がそちらを見る。
二人の男が話している。
「昨日よりか?」
「ああ。朝見た奴が言ってた」
「このままで大丈夫なのか?」
「大丈夫なわけないだろ」
少し先では、店の前で女性たちが話していた。
「今日から、また使える水が減るって」
「また?」
「仕方ないわよ。飲み水を優先しないと」
「でも、いつまで続くの?」
「分からないわ……」
三人は歩きながら顔を見合わせる。
「本当に水の話ばっかりだな」
「門番さんが言ってた通りみたい」
「かなり大変そうですね」
さらに進むと、水を受け取るためらしい場所に長い列ができていた。
大きな容器を抱えた住民たちが順番を待っている。
係員らしい男が、一人ずつ量を確認しながら水を渡していた。
「一人これだけだ! 追加はできない!」
「昨日より少なくないか?」
「仕方ないだろ! 水位がまた下がったんだ!」
「うちは五人家族なんだぞ!」
「こっちだって分かってる! だが今は節約してくれ!」
怒鳴り合う声が聞こえる。
だが誰かが悪いわけではない。
水が足りない。
ただそれだけだった。
「……思ったより深刻そうだね」
リュナが小さく呟く。
「うん」
シオンは列を見る。
リーベルを出るとき、大量の水を《ストレージ》へ入れてきた。
自分たちはしばらく困らない。
だが街全体となれば話は別だった。
「オアシス、見に行ってみる?」
シオンが尋ねる。
「私も気になってた」
「私もです」
三人は住民に場所を聞き、街の中心へ向かった。
しばらく歩くと、建物の間から開けた場所が見えてきた。
「……あれか」
シオンが足を止める。
そこには巨大な窪地があった。
本来なら、その大部分を水が満たしていたのだろう。
周囲には水辺を利用するために作られた設備や、石造りの階段が残っている。
だが今、水面はずっと下にあった。
岸だったはずの場所が広く露出し、乾いた地面が続いている。
岩や石壁には、以前の水位だったと思われる跡がはっきり残っていた。
「……かなり減ってるな」
シオンが呟く。
「これ、本当に同じ場所?」
リュナが水位の跡と現在の水面を見比べる。
「そうみたいですね……」
ロッテも珍しく真剣な表情になっている。
周囲には何人もの住民がいた。
誰もがオアシスを見つめている。
「また下がってる……」
「昨日はあの岩のところまであっただろ?」
「ああ」
「どうするんだよ、このままじゃ……」
「井戸も水が減ってるって聞いたぞ」
「商隊も次からここを避けるかもしれないって……」
不安そうな声が聞こえてくる。
シオンは水辺へ視線を戻した。
「砂漠だから水が少ないのは分かるけど……」
「違うよ」
リュナが首を振った。
「この街は、ここに水があったからできたんでしょ?」
「そうか」
「砂漠なのは昔からだよ。それでもずっとこの街があるんだから、今こうなってるのは普通じゃない」
「門番さんも、最近になって急に減り始めたって言ってましたね」
ロッテも水面を見る。
シオンは腕を組んだ。
「なんで急に減り始めたんだろうな」
「それが分かったら、みんなこんなに困ってないんじゃない?」
「確かに」
「とりあえず今日は宿を探しましょう。私たちも一日歩いてきましたし」
「そうだな」
シオンが頷く。
リュナもオアシスから視線を外した。
「宿の人なら、もう少し詳しい話を知ってるかもしれないしね」
「じゃあ決まりだな」
三人は歩き出す。
その途中、シオンがもう一度だけ振り返った。
以前の水位を示す跡。
その遥か下にある現在の水面。
「……あれが全部、水だったんだよな」
「そうみたい」
「すごい量ですね」
「それが、ここまで減ったのか……」
シオンはしばらくオアシスを見つめてから、二人のあとを追った。
「シオン、置いてくよ!」
「今行く!」
三人は並んで、宿を探すため街の通りへ戻っていった。




