第52話 好き
ギルドを出た三人は、そのまま家へ戻った。
迷宮を完全攻略した。
エルダードラゴンを倒した。
考えてみれば、とんでもない一日だったはずなのだが、家に帰ってしまえばいつもと変わらない。
「お腹空きましたね」
「私も」
「じゃあ飯にするか」
三人で夕食を作り、テーブルを囲む。
話題になるのは、やはり今日のことだった。
「でも、あの職員さんたちの顔すごかったですね」
ロッテが笑いながら言う。
「ドラゴン出したとき?」
「それもですけど、その前からですよ。魔物を出すたびに人が増えてましたから」
「前も似たようなことあったよね」
「あったな」
シオンが頷く。
魔物を解体せず、《ストレージ》へ丸ごと収納できる。
シオンにとっては当たり前になっているが、ギルドの職員にとってはそうではないらしい。
「でも、グラントさんまでエルダードラゴンを見たことなかったんだな」
「王都でも見たことある人が数人いるかどうかって言ってたでしょ」
「そこまで珍しいとは思わなかった」
「それを倒したんですよ、私たち」
ロッテが胸を張る。
「すごくないですか?」
「すごい」
「自分で言うんだ」
「だって、すごいものはすごいだろ?」
リュナが呆れたように笑った。
「まあ、それは否定しないけど」
「でしょ?」
「明日はどうします?」
「街を回るんだろ?」
「せっかくですから、美味しいものでも食べましょうよ」
「いいね」
「甘いものも」
リュナがすぐに付け加えた。
「リュナさん、それが目的じゃないですか?」
「違うよ。ついで」
「本当ですか?」
「本当」
「じゃあ甘いものなしでも――」
「それは駄目」
「やっぱり目的じゃないですか」
「うるさい」
三人で笑う。
迷宮へ潜る予定のない明日。
そんな日があること自体、ずいぶん久しぶりな気がした。
夕食を終え、片付けを済ませる。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「また明日」
三人はそれぞれの部屋へ戻った。
シオンはベッドに腰を下ろした。
「完全攻略か……」
口にしてみる。
改めて考えても、まだ少し実感が薄い。
冒険者になり、リュナと出会い、ロッテが仲間になった。
三人で何度も迷宮へ潜り、ついに最下層まで到達した。
明後日には魔物の査定結果も出る。
そのあとはどうするのか。
この街の迷宮は終わった。
「次は……」
別の街へ行くのも面白そうだ。
まだ見たことのない魔物。
まだ知らない魔法。
もっと強い敵だっているかもしれない。
そんなことを考えていると、
コンコン。
扉が鳴った。
「ん?」
こんな時間に誰だろう。
「はい」
「……シオン?」
リュナだった。
「リュナ?」
「ちょっと、いい?」
「いいよ」
扉を開ける。
そこには寝間着姿のリュナが立っていた。
シオンは首を傾げる。
「どうした?」
「少し……話したいことがあって」
「入る?」
「……うん」
リュナが部屋へ入る。
シオンが扉を閉めると、リュナは部屋の中央で立ち止まった。
「座れば?」
「うん」
シオンは椅子を勧め、自分はベッドへ腰を下ろした。
向かい合う。
だが、リュナは何も言わない。
「……?」
いつものリュナらしくなかった。
話があると言って来たのに、視線を落としたまま黙っている。
「リュナ?」
「ちょっと待って」
「うん」
「今、言おうとしてるから」
「分かった」
シオンは待つことにした。
リュナの左手が動く。
薬指には《絆の指輪》。
その指輪を、右手の指先で触っていた。
「……今日さ」
「うん」
「セリナさんたちに、いろいろ言われたでしょ」
「ああ、指輪?」
「うん」
「結局、何だったんだ?」
「……本当に分かってなかったんだ」
「何が?」
「もういい」
「え?」
リュナが小さく息を吐く。
そして、顔を上げた。
「シオン」
「うん」
「私ね……シオンのことが好き」
「…………」
今度はシオンが黙る番だった。
「……え?」
「だから」
リュナの顔が赤くなる。
「シオンのことが好きなの」
「俺を?」
「他に誰がいるのよ」
「いや……」
シオンは目を瞬く。
冗談を言っているようには見えない。
リュナは真っ直ぐにシオンを見ていた。
「いつからかは、よく分からない。最初は普通に仲間だったし、一緒にいるのが当たり前になって……」
リュナが指輪へ目を落とす。
「でも、あの朝から、ちょっと変になった」
「あの朝?」
「……シオンが私の手を離してくれなかった朝」
「あ」
すぐに思い出した。
宴会の翌朝。
目を覚ましたら、リュナが隣で眠っていた。
「それからシオンのこと、前より気になるようになって……ブレスレットも嬉しかった」
左手の指先が、今度は反対の手首に触れる。
「あれ、大事にするって言ったでしょ」
「うん」
「本当に大事にしてるから」
シオンは黙って聞いていた。
「今日の指輪も……嬉しかった」
「でも、怒ってなかった?」
「あれは指輪の仕様に怒ってたの!」
「左手の薬指?」
「そう!」
「なんで?」
「それは……」
リュナが言いかけて止まる。
「今はいい!」
「気になるんだけど」
「あとで調べて!」
「分かった」
「本当に調べそう……」
リュナが小さく笑った。
だが、その笑顔はすぐに消えた。
「それでね」
「うん」
「好きだから……ちゃんと言っておきたかったの」
リュナの耳が少し伏せる。
「でも、返事をする前に聞いてほしいことがある」
「何?」
「私、獣人でしょ」
「うん」
「シオンは人間」
「うん」
「この街はまだいいほうだと思う。セリナさんもグラントさんも普通に接してくれるし、冒険者にも気にしない人はたくさんいる」
そこでリュナが一度言葉を切った。
「でも、みんながそうじゃない」
シオンは何も言わず、続きを待つ。
「獣人ってだけで嫌な顔をする人もいるし、近づきたくないって人もいる。人間と獣人が一緒にいることをよく思わない人だっている」
リュナの声は静かだった。
「私は慣れてる。嫌なこと言われても、無視すればいいし」
「……うん」
「でも、もしシオンと……そういう関係になったら」
リュナが俯く。
「シオンまで何か言われるかもしれない」
シオンはようやく、リュナが何を気にしているのか分かった。
「私と一緒にいるせいで、シオンまで変な目で見られたり、嫌なこと言われたりするかもしれない。それが……嫌なの」
「リュナが?」
「うん」
「自分が何か言われることじゃなくて?」
「私は今までだってあったから」
リュナはそう言って笑った。
だが、その笑顔を見て、シオンは胸の奥が少し痛くなった。
自分が嫌な目に遭うことより、シオンが巻き込まれることを心配している。
「……リュナって、そういうところあるよな」
「え?」
「自分のことより、俺のこと気にしてる」
「だって、好きだから」
その言葉に、シオンの胸が大きく鳴った。
今度はさっきよりもはっきりと。
「そんなこと言われたら、余計に好きになるだろ」
「……え?」
リュナが顔を上げた。
「俺もリュナが好きだよ」
「…………」
「最初は仲間としてだったと思う」
いつから変わったのか。
シオンにもはっきりとは分からない。
気づけば、リュナが隣にいることが当たり前になっていた。
一緒に戦って、一緒に食事をして、同じ家へ帰る。
宴会の翌朝、すぐ近くにあったリュナの顔を見て、可愛いと思った。
市場へ二人で出かけたときも楽しかった。
ブレスレットを見つめるリュナを見て、買ってやりたいと思った。
「ブレスレットを選んだときも、リュナが喜んでくれたらいいなって思った」
「……うん」
「今日の指輪だって、リュナに渡したかったから渡した」
ロッテに勧められたからではない。
最後に決めたのはシオンだ。
「だから、俺もリュナが好きなんだと思う」
「……思う?」
「あ、違う」
シオンは慌てて言い直した。
「好きだ」
「ふふっ」
「笑うなよ」
「だってシオンらしいから」
リュナが笑う。
今度の笑顔は、いつものリュナだった。
「それと、獣人だからって話だけど」
「うん」
「俺は気にしない」
「でも――」
「誰かに何か言われるかもしれないんだろ?」
「……うん」
「それはそのとき考える」
「軽くない?」
「だって、まだ何も言われてないだろ?」
「そうだけど」
「言われても、俺がリュナを好きなのは変わらないし」
シオンには、それ以上難しく考える理由がなかった。
人間だから好きになったわけではない。
獣人だから好きになったわけでもない。
リュナだから好きになった。
「それにさ」
「何?」
「リュナが獣人なの、最初に会ったときから知ってるぞ?」
「……そういう意味じゃない!」
「え?」
「分かってるけど! そういう意味じゃないの!」
「難しいな」
「もう!」
リュナが怒ったような顔をする。
だが、その耳は立っていた。
「じゃあ……いいの?」
「何が?」
「私と付き合っても」
「うん」
「本当に?」
「俺もリュナが好きなんだから、付き合いたい」
リュナが黙る。
少しずつ、その顔が赤くなっていく。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ……今日から?」
「今日からだな」
「……恋人?」
「そうなるんじゃない?」
「なんでそこで疑問形なのよ」
「初めてだから分からない」
「私だって初めてだよ」
二人で顔を見合わせる。
しばらくして、どちらからともなく笑った。
「なんか変な感じ」
「そう?」
「だって、さっきまでと何も変わってないのに」
「じゃあ何か変える?」
「何を?」
「分からない」
「何も考えてないじゃない」
「うん」
「もう……」
リュナが立ち上がった。
「じゃあ、今日はもう戻るね」
「分かった」
扉まで歩いたところで、リュナが止まる。
振り返った。
「シオン」
「ん?」
「……これからもよろしく」
「ああ。よろしく、リュナ」
リュナは少しだけ迷ってから、左手を持ち上げた。
薬指には《絆の指輪》がある。
「これも、大事にするから」
「うん」
「絶対なくさない」
「外したら俺がいないとつけられないしな」
「今それ言う?」
「大事なことだろ?」
「雰囲気ってものがあるでしょ!」
「難しいな……」
「本当にシオンは……」
リュナが呆れながら扉を開ける。
そのまま出ていくのかと思ったが、もう一度だけ振り返った。
「でも……そういうシオンだから好きになったのかも」
「え?」
「おやすみ!」
「あ、おい!」
扉が閉まる。
シオンはしばらくその扉を見つめた。
「……恋人か」
さっきまでと何も変わっていない。
それなのに、妙に胸が落ち着かない。
シオンはベッドへ倒れ込んだ。
「寝られるかな、これ……」
その頃、廊下を歩いていたリュナも自分の部屋へ駆け込むと、扉を閉めて背中を預けていた。
顔が熱い。
両手で頬を押さえても、まったく冷めない。
左手を持ち上げる。
薬指の《絆の指輪》が目に入った。
「……恋人」
小さく呟いた途端、さらに顔が熱くなる。
「うぅ……」
リュナはその場にしゃがみ込んだ。
「明日、どんな顔して会えばいいのよ……」




