第36話 まだ酔ってる?
頭が痛い。
シオンが最初に感じたのは、それだった。
「……うぅ……」
重い瞼を開く。
見慣れた天井。
自分の部屋だ。
「……帰ってきたのか」
そこまでは分かった。
だが、どうやって帰ってきたのかが分からない。
昨日はアンデッドの軍勢を撃退して、ギルドで宴会が始まって。
パーティ名を決めた。
《デスティニー・コンパス》。
そこまでは覚えている。
その後、酒を飲んで――。
「……駄目だ。覚えてない」
どうやら途中から完全に記憶が飛んでいる。
シオンは小さく息を吐いた。
頭も痛い。
喉も渇いている。
もう少し寝よう。
そう思って、身体を横へ向けた。
「…………」
何かいる。
いや。
何かではない。
顔がある。
シオンの目の前に。
「…………」
まだ頭が働かない。
柔らかそうな頬。
閉じられた瞼。
見慣れた猫のような耳。
長い髪が枕の上に広がっている。
「…………リュナ?」
小さく名前を呼ぶ。
返事はない。
寝ている。
間違いなくリュナだ。
しかも。
近い。
ものすごく近い。
同じ枕を使っているわけではない。
だが、互いの顔の間には拳一つ分ほどしかない。
「…………」
シオンの眠気が一瞬で消えた。
(なんで!?)
声を出しかけて、慌てて止める。
(なんでリュナが俺のベッドで寝てるんだ!?)
昨日の記憶を必死に探る。
酒を飲んだ。
美味かった。
もう一杯飲んだ。
身体が熱くなった。
今世の身体は酒に弱い。
そこまでは思い出せる。
その先が。
ない。
(待て)
嫌な汗が出てきた。
(俺、何かした?)
恐る恐る自分を見る。
服は着ている。
昨日のままだ。
視線だけを動かしてリュナを見る。
リュナも服を着ている。
(よし!)
何がよしなのか分からないが、とりあえず安心した。
そのとき。
「……ん……」
「!」
リュナの耳がぴくりと動いた。
閉じられていた瞼がゆっくり開く。
「……」
「……」
目が合った。
近い。
改めて近い。
互いの吐息すら感じられそうな距離。
「…………」
「…………」
数秒。
どちらも動かなかった。
先に状況を理解したのはリュナだった。
「――っ!」
顔が一気に赤くなる。
それを見た瞬間、シオンの顔まで熱くなった。
「お、おはよう」
「……お、おはよう」
何だ、この挨拶。
同じ家に住んでいるのだから、朝に顔を合わせること自体は珍しくない。
だが。
同じベッド。
至近距離。
向かい合っている。
条件が違いすぎる。
「……シオン」
「な、なんだ?」
「近い」
「リュナも近いだろ!」
「ここ、シオンのベッドでしょ!」
「そうだった!」
反論できない。
慌てて離れようとして。
シオンは気づいた。
「……ん?」
右手が動かない。
何かを握っている。
視線を下げる。
「…………」
「…………」
リュナの手だった。
シオンの右手が、しっかりとリュナの左手を握っている。
「うわっ!」
慌てて離した。
「ご、ごめん!」
「もう……」
リュナが上半身を起こす。
耳まで赤い。
シオンも起き上がろうとして――。
「痛っ……」
頭を押さえた。
「大丈夫?」
「二日酔いだ……」
「弱すぎるわよ」
「俺だって知らなかったんだよ。前はもう少し飲めたはずなんだけどな……」
「前世と身体が違うんでしょ?」
「そうみたいだ」
シオンは頭を押さえながら、ちらりとリュナを見る。
まだ顔が赤い。
「……リュナも顔赤いぞ」
「えっ」
リュナが自分の頬へ手を当てる。
「……まだ酔ってるのかしら」
「昨日、全然酔ってなかっただろ」
「……」
「ロッテと普通に飲み続けてたし」
「うるさい!」
「なんで怒るんだよ!」
リュナが布団を跳ね除ける。
「もう起きる!」
「待て待て!」
「何よ!」
「俺、昨日何かした?」
リュナの動きが止まった。
「……何か?」
「だから、その……」
シオンは自分とリュナを交互に指差す。
「なんでこうなってるのか、全然覚えてなくて」
「……覚えてないの?」
「ない」
「本当に?」
「パーティ名を決めたのは覚えてる。そのあと酒を飲んで……途中からない」
リュナがじっとシオンを見る。
「……そう」
「その顔やめろよ。怖いんだけど」
「何かしたかもしれないわね」
「えっ!?」
シオンの顔から血の気が引いた。
「俺、何した!?」
「覚えてないんでしょ?」
「だから聞いてるんだよ!」
「さあ?」
「リュナ!」
必死になるシオンを見て。
リュナの口元がわずかに緩んだ。
「……ふふっ」
「おい」
「冗談よ」
「やめてくれよ!」
心臓に悪い。
リュナはベッドから降りると、昨日のことを説明した。
シオンがテーブルで完全に眠ってしまったこと。
ロッテがシオンを背負って家まで運んだこと。
そして二人でこの部屋まで連れてきたこと。
「そこまではいいんだけど」
「その先は?」
「私も部屋に戻ろうとしたのよ」
「うん」
「そしたらシオンが……」
リュナが言いにくそうに視線を逸らした。
「俺が?」
「……手を掴んだの」
「……」
「それで、離してくれなくて」
「……ごめんなさい」
「急に素直ね」
「酔っ払いの俺が迷惑すぎる!」
シオンは頭を抱えた。
「それで?」
「しばらく椅子に座ってたんだけど……私も疲れてたから」
「寝た?」
「最初は椅子でね」
「最初は?」
「……途中で目が覚めたら身体が痛かったのよ」
当然だ。
アンデッドの軍勢と戦い、敵陣を突破し、ネクロロードまで倒した後なのだ。
そのうえ宴会まで参加している。
「だから……少しくらいならいいかなって」
リュナがベッドを見る。
「ここで?」
「そうよ」
「俺の横で?」
「何度も言わせないで!」
「ご、ごめん」
また顔が赤くなっている。
「でも、嫌だったら手を振りほどいて自分の部屋に戻ってたわよ」
「……え?」
「だから!」
リュナはさらに赤くなる。
「シオンなら……まあ、いいかなって思っただけ!」
「……」
「変な意味じゃないから!」
「お、おう」
再び。
妙な沈黙が流れる。
「……じゃあ、私、部屋に戻る」
「ああ」
リュナが扉へ向かう。
シオンはまだ少しぼんやりした頭で、その後ろ姿を眺めた。
さっきまで。
すぐ目の前にリュナの顔があった。
長い睫毛も。
少し赤くなった頬も。
全部はっきり見えるくらい近かった。
そして。
何も考えないまま。
「……リュナって、やっぱり可愛いよな……」
ぽつり。
口から漏れた。
扉へ伸びていたリュナの手が止まった。
「…………」
「…………」
数秒。
シオンは自分が何を言ったのか理解していなかった。
リュナが。
ゆっくり。
振り返る。
顔が真っ赤だった。
「……今、なんて言ったの?」
「え?」
「今!」
「……俺、何か言った?」
「言った!」
そこで。
シオンの頭の中に。
自分が口にした言葉が戻ってきた。
「…………」
「…………」
今度は。
シオンの顔まで一気に赤くなった。
「いや、その……」
「……」
「まだ酔ってるのかな、俺」
「……じゃあ」
リュナが自分の頬を押さえる。
「私も、まだ酔ってるのね」
「いや、だからリュナは昨日――」
「うるさい!」
バタン!
扉が閉まった。
「…………」
一人。
部屋に残されたシオンは。
しばらく動けなかった。
「……俺、何言ってんだ……」
頭が痛い。
顔も熱い。
心臓まで妙に速い。
「……酒って怖いな」
たぶん。
酒のせいだ。
そういうことにしておいた。
朝食の席は。
妙な空気だった。
「おはようございます!」
「……おはよう」
「おはよう」
ロッテだけが元気だった。
シオンとリュナは互いに目を合わせない。
「シオンさん、頭大丈夫ですか?」
「痛い」
「お酒弱いんですね!」
「昨日初めて知ったよ」
「私は全然平気です!」
「知ってる」
あれだけ飲んでいたのに、ロッテはいつも通りだ。
さすがドワーフ。
「そういえば」
パンを食べながら、ロッテが首を傾げる。
「リュナさん」
「……何?」
「昨日、シオンさんの部屋から戻ってきませんでしたよね?」
「ぶっ!」
シオンが水を吹き出しかけた。
「シオンさん!?」
「だ、大丈夫!」
「汚いわね!」
「誰のせいだ!」
「私じゃないでしょ!」
「二人ともどうしたんですか?」
「なんでもない!」
二人の声が重なった。
「……?」
ロッテは不思議そうに首を傾げる。
「仲いいですね」
「違う!」
「違わない!」
また重なった。
「どっちですか?」
「……」
「……」
朝から。
疲れる。
シオンは二日酔いとは別の意味で頭を抱えた。
朝食を終えた三人は、冒険者ギルドへ向かった。
昨日の宴会が嘘のように、ギルド内はいつもの雰囲気へ戻りつつある。
ただし。
「……酒臭い」
リュナが鼻を押さえた。
「床にも染みついてますね」
「昨日すごかったからな」
空になった酒樽が隅に積まれている。
「おはようございます」
セリスが三人を迎えた。
「おはよう」
「昨日は楽しめましたか?」
「ああ」
「シオンさんは特に早くお休みになったそうですね」
「……もう広まってるの?」
「もちろんです」
「忘れてくれ」
「無理だと思います」
笑顔で断られた。
「それと」
セリスが三人を見る。
「《デスティニー・コンパス》の皆さん。パーティ名の登録も済ませておきました」
「おお!」
シオンの気分が一気に上向いた。
「本当に登録された!」
「自分で決めたんでしょう?」
「そうだけど、なんか嬉しいんだよ!」
「よかったですね!」
ロッテも嬉しそうだ。
リュナも。
「……まあ、悪くない名前よね」
「だろ?」
「ちょっと格好つけすぎだけど」
「余計な一言!」
「三人とも」
奥から声がした。
グラントだ。
「来たか。ちょうどいい」
昨日とは違い、すでに普段の落ち着いたギルド長へ戻っている。
ただ。
どこか疲れているように見えた。
「ギルド長、顔色悪くない?」
「……昨日の請求を見た」
「あっ」
「樽で頼んだ馬鹿が三人いた」
「止めてたのに」
「止めた」
グラントが遠い目をする。
「だが、俺が止める前に注文していたらしい」
「……ご愁傷様」
「言うな」
グラントは咳払いした。
「それより仕事だ」
表情が戻る。
「昨日の防衛戦について、報酬が決まった」
「もう?」
「緊急依頼だからな。参加者への基本報酬に加えて、働きに応じた追加報酬が出る」
三人がカウンターへ近づく。
「お前たちは別枠だ」
「別枠?」
「防衛線での戦闘だけじゃない。敵陣後方へ突入し、複数のデスナイトを突破。最終的にはネクロロードを討伐して軍勢そのものを停止させた」
グラントは淡々と告げる。
「最大級の貢献だ」
セリスが用意していた袋をカウンターへ置いた。
ずしり。
かなり重い。
「……これ全部?」
「ああ」
「三人分?」
「パーティへの報酬だ。分け方はお前たちで決めろ」
シオンが袋の中を確認する。
「……しばらく金に困らなさそうだな」
「装備もありますしね!」
「家賃の心配もしばらくいらないわね」
三人とも自然と笑顔になる。
命を懸けて街を守ったのだ。
十分すぎるほど納得できる報酬だった。
「それから、もう一つ」
グラントの表情が真剣になる。
「昨日預かったものだ」
セリスが小さな箱を出した。
開ける。
中には。
ネクロロードから回収した魔核が入っていた。
「調べたの?」
「ああ」
シオンたちも表情を引き締める。
「結論から言えば、お前の《鑑定》で出た内容と大きな違いはない」
グラントが魔核を見る。
「高位アンデッドの魔核。それもかなり高濃度の死属性魔力を含んでいる。そして――」
「外部からの魔力干渉」
「そうだ」
グラントが頷く。
「自然に生まれた痕跡とは考えにくいほど、強い干渉の跡が残っている」
「誰がやったかは?」
「分からん」
「どこから干渉したか」
「それも分からん」
「目的は?」
「当然、それもだ」
シオンは腕を組んだ。
「分かったのは、誰か、あるいは何かがネクロロードに強い魔力干渉を行っていた。それだけか」
「現時点ではな」
グラントが頷く。
「ギルドでも調査は続ける。だが、すぐに答えが出るとは思わない方がいい」
「分かった」
気になる。
だが。
分からないものを考え続けても仕方がない。
「それで、この魔核なんだが」
グラントが続ける。
「ギルドで買い取ることもできる。高位アンデッドの魔核だ。かなりの値になるぞ」
「かなり……」
ロッテが魔核を見つめる。
「どうする?」
リュナがシオンを見る。
「うーん」
金には困っていない。
先ほど十分な報酬を受け取ったばかりだ。
なら。
「売る必要はないかな」
「私もそう思う」
「私もです」
三人の意見は一致した。
「そうか。なら返却する」
グラントが箱を差し出す。
シオンが受け取ろうとしたとき。
「あの」
ロッテが声を上げた。
「どうした?」
「その魔核、少し見てもいいですか?」
「もちろん」
シオンが箱を渡す。
ロッテは魔核を手に取り、じっと観察した。
「……」
「何か分かる?」
「金属じゃないので、《金属鑑定》では分かりません。でも」
ロッテは魔核を角度を変えながら眺める。
「昨日、魔力を送り続けていたんですよね?」
「ああ。倒したアンデッドを何度も動かしてた」
「それだけ高密度の魔力を蓄えていて、しかも効率よく外へ流せるってことですよね」
「……たぶんな」
ロッテの目が。
少しずつ輝き始めた。
「これ……使えるかもしれません」
「何に?」
「シオンさんの杖です」
「俺の?」
シオンは腰に装備しているミスリルロッドを見る。
「魔核を杖に組み込むの?」
「はい」
ロッテが頷く。
「魔力を溜めるためじゃありません」
「違うの?」
「シオンさんの魔力を、この魔核を通して魔法へ流すんです」
ロッテは自分の考えを整理しながら続ける。
「この魔核が魔力を効率よく通せるなら、魔法を使うときに無駄になる魔力を減らせるかもしれません」
「つまり……」
シオンが理解する。
「同じ魔法を、今より少ないMPで使える?」
「できると思います!」
「それ、すごくない?」
リュナも興味を示した。
「《ソードジャッジメント》みたいな消費の大きい魔法を使いやすくなるってことでしょ?」
「ああ」
シオンは魔核を見る。
ネクロロードとの戦いでも、広範囲魔法のMP消費は大きかった。
もし。
それを軽減できるなら。
「やろう」
「いいんですか?」
「もちろん」
即答だった。
「金ならさっきいっぱい貰った。魔核を売るより、そっちの方が面白い」
「面白いで決めるの?」
「大事だろ?」
「シオンらしいけど」
リュナが笑う。
「ただし」
ロッテが真剣な顔になる。
「私も魔核を武器に組み込むのは初めてです」
「できそう?」
「やってみないと分かりません」
ロッテは魔核とミスリルロッドを交互に見る。
「でも、《武装匠》になってから、武器や防具をどう組み合わせればいいか、前よりずっと分かるようになりました」
「なら任せる」
「はい!」
ロッテが嬉しそうに魔核を握る。
「絶対にいい杖にします!」
「壊さないでくれよ?」
「……」
「なんで黙るの!?」
「冗談です!」
「今の間は怖いって!」
リュナが笑う。
グラントも小さく笑っていた。
街を襲ったアンデッドの軍勢。
その中心にいたネクロロード。
誰が、何のために干渉していたのか。
それはまだ分からない。
だが。
戦いは終わった。
報酬も受け取った。
そして。
敵が残した魔核は。
新たな力へ変わろうとしている。
「よし」
シオンは二日酔いの頭を押さえながら言った。
「これが終わったら、またダンジョンだな」
「十二階層の続きね」
「次はもっと奥へ行けそうです!」
《デスティニー・コンパス》。
昨日生まれたばかりの三人のパーティ。
その次の目的地は。
再び。
地下迷宮だった。




