第35話 デスティニー・コンパス
リーベルへ戻った頃には、すでに日が暮れ始めていた。
北門をくぐった冒険者たちを待っていたのは、大勢の住民だった。
「帰ってきたぞ!」
「冒険者たちだ!」
「ありがとう!」
歓声が上がる。
避難していた住民たちも、アンデッドの軍勢が完全に動きを止めたと聞き、少しずつ戻り始めていた。
怪我をした冒険者もいる。
装備を壊した者もいる。
それでも。
街は守られた。
「なんか……すごいな」
シオンは周囲を見回した。
「みんな喜んでるわね」
「あれだけのアンデッドでしたからね」
リュナとロッテも、どこか嬉しそうだ。
自分たちが守った。
そう考えると、シオンも自然と笑顔になった。
そのまま三人は冒険者ギルドへ向かった。
討伐報告やネクロロードの魔核については、明日改めて詳しく調べることになっている。
今日は負傷者の確認や緊急依頼の処理だけでも、ギルドは大忙しだ。
だから。
「今日は解散だ!」
ギルドへ戻ったグラントが、冒険者たちへ向かって声を張った。
「細かい報告は明日でいい! 負傷者は治療を受けろ! それ以外は――」
一度言葉を切る。
そして。
「飲め!」
「おおおおおおっ!」
冒険者たちから歓声が上がった。
「え?」
シオンだけが反応できない。
グラントはギルドに併設された酒場を指差した。
「今日はリーベルが守られた祝いだ! 食い物も酒も、好きなだけ頼め!」
「ギルド長!」
受付にいたセリスが慌てて立ち上がる。
「なんだ」
「好きなだけ、というのは?」
「そのままの意味だ」
「誰が支払うんですか?」
「俺だ!」
胸を張るグラント。
静まり返るギルド。
セリスが確認する。
「……ギルドの経費ではなく?」
「俺の奢りだ!」
再び。
「うおおおおおおおおっ!」
先ほど以上の歓声が上がった。
「酒だ!」
「肉持ってこい!」
「今日は飲むぞ!」
「樽で頼め!」
「樽はやめろ!」
グラントが即座に叫んだ。
セリスが冷静に尋ねる。
「ギルド長」
「……なんだ」
「現在、ここに何人いると思っています?」
グラントが周囲を見る。
百人どころではない。
防衛戦に参加した冒険者だけでなく、ギルド職員や治療を終えた者まで集まり始めている。
「……」
「今なら訂正できますよ?」
「……男に二言はない!」
「わかりました」
セリスがにっこり笑う。
「では、明日の会計を楽しみにしていてください」
「お、おう……」
わずかにグラントの顔が引きつった。
だが。
「ギルド長の奢りだ!」
「飲め飲め!」
「高い酒からなくなるぞ!」
「待て! 普段飲まねえ酒を頼むな!」
すでに遅かった。
「……大丈夫なのか?」
シオンが尋ねる。
「元Aランクなんでしょう?」
リュナは平然としている。
「たぶんお金持ちです!」
ロッテも気にしていない。
「ならいいか」
三人も酒場へ入った。
普段は依頼を終えた冒険者たちが食事をする場所だが、今日はまるで別の場所だった。
テーブルというテーブルに料理が並ぶ。
焼いた肉。
煮込み料理。
パン。
チーズ。
大皿いっぱいのソーセージ。
そして。
大量の酒。
「肉!」
ロッテの目が輝く。
「そこなの?」
「戦ったからお腹空きました!」
「私も」
「俺もだ」
三人は空いているテーブルへ座った。
だが。
料理へ手を伸ばすより先に。
「おい!」
一人の冒険者が近づいてきた。
「お前ら、すごかったな!」
「え?」
シオンが振り向く。
防衛戦で近くにいた男だ。
「最初の光の剣! あれ、お前だろ?」
「ああ」
「あんな魔法初めて見たぞ!」
「私もです!」
ロッテがなぜか自慢げに答える。
「それに、そっちの嬢ちゃん!」
「私?」
リュナを指す。
「敵陣の中をとんでもねえ速さで走ってただろ!」
「まあ……」
「俺なんか途中から見失ったぞ!」
「それは褒めてるの?」
「褒めてる褒めてる!」
さらに。
「ドワーフの嬢ちゃんもすげえぞ!」
「私ですか?」
「あの黒い騎士を何体も止めてただろ!」
「デスナイトですね」
「あれを一人で押さえてたって聞いたぞ!」
「三体くらいです」
「三体!?」
周囲がざわつく。
いつの間にか。
三人のテーブルの周りに人が集まっていた。
「お前らがネクロロードを倒したんだろ?」
「三人でな」
「Cランクだよな?」
「そうだけど」
「本当にCか?」
「カード見せようか?」
シオンが苦笑する。
「いや、疑ってるわけじゃねえよ!」
笑いが起こる。
悪意はない。
純粋に。
三人の戦いを称えてくれている。
「……なんか照れるな」
「シオンでも照れるのね」
「俺を何だと思ってるんだ」
「必殺技の名前を叫びたがる人」
「それは関係ないだろ!」
「何だそれ?」
冒険者が食いつく。
「シオン、《無詠唱》が使えるのに――」
「リュナ!」
「《ソードジャッジメント!》って叫んでたのよ」
「言うな!」
一瞬。
静かになる。
そして。
「わかる!」
「わかるの!?」
「大技は叫びてえよな!」
「そうだろ!?」
シオンが立ち上がった。
「技の名前ってのは叫んだ方が威力が上がる気がするんだよ!」
「そうそう!」
「気合いが入る!」
「だよな!」
意気投合した。
リュナが呆然としている。
「……この世界、シオンみたいなの多いの?」
「いいことじゃないですか!」
「最高だ」
シオンは満足した。
そのとき。
一人の冒険者が尋ねた。
「そういや、お前らのパーティって何て名前なんだ?」
「名前?」
「パーティ名だよ」
三人が顔を見合わせる。
「……ないな」
「ないわね」
「決めてませんね」
「ないのかよ!」
周囲から一斉に声が上がった。
「お前ら、それだけ目立っててパーティ名ないのか?」
「三人でずっと活動してんだろ?」
「名前くらいつけろよ!」
「そう言われてもな……」
シオンは腕を組む。
パーティ名。
考えたことがなかった。
「リュナ、何かある?」
「シオンが決めれば?」
「俺?」
「そういうの好きそうだもの」
「……」
否定できない。
「ロッテは?」
「格好いい名前がいいです!」
「具体的には?」
「格好いいやつです!」
「何も決まってない!」
シオンは考える。
どうせなら。
格好いい名前がいい。
冒険者パーティなのだ。
前世では絶対に名乗れないような名前でも。
この世界なら。
「……」
一つ。
頭に浮かんだ。
シオンは口元を緩める。
「決まったの?」
「ああ」
「何ですか?」
シオンは立ち上がった。
周囲の冒険者たちも注目する。
ここは。
格好よく。
「――《デスティニー・コンパス》」
静寂。
「……」
シオンの笑顔が固まる。
あれ?
やったか?
さすがに。
格好つけすぎたか?
「どういう意味だ?」
一人が尋ねる。
「あ、ああ」
シオンは少し恥ずかしくなりながら答える。
「俺の故郷の言葉で……運命の羅針盤、みたいな意味だ」
「運命の羅針盤……」
「自分たちの進む道を見失わない。どこへ行くことになっても、自分たちで進むべき道を見つける。そういう意味で――」
言っている途中で。
シオンは後悔し始めた。
何を真面目に説明しているんだ。
恥ずかしい。
前世なら絶対に無理だ。
ところが。
「格好いいじゃねえか!」
「え?」
「デスティニー・コンパス!」
「いい名前だな!」
「冒険者らしいじゃねえか!」
「俺、好きだぞ!」
「……マジで?」
「何でお前が驚いてんだよ!」
笑いが起こる。
シオンは。
感動していた。
(通った……)
前世なら。
おそらく。
いや。
間違いなく。
恥ずかしい名前をつけたと思われただろう。
だが。
ここでは。
「デスティニー・コンパスに乾杯!」
「おお!」
「待って!」
シオンが止める。
「まだ正式に決定したわけじゃ――」
「私はいいわよ」
リュナが言った。
「え?」
「悪くないと思う」
「私も好きです!」
ロッテも手を上げる。
「格好いいです!」
「……二人とも」
シオンは胸が熱くなる。
(異世界……最高だな)
こうして。
三人のパーティ名は。
《デスティニー・コンパス》に決まった。
「乾杯!」
「乾杯!」
ジョッキがぶつかる。
シオンも酒を口へ運ぶ。
「うまっ!」
冷たい酒。
戦いを終えた後だからなのか。
妙にうまい。
「これ、いいな!」
「そう?」
リュナも飲む。
ロッテも。
「おいしいです!」
「もう一杯!」
「早くない?」
「今日はギルド長の奢りです!」
「そこ?」
ロッテのジョッキが空になる。
新しい酒が運ばれてくる。
リュナも普通に二杯目へ。
「二人とも結構飲むな」
「そう?」
「普通です」
「俺も負けてられないな」
「何と戦ってるのよ」
シオンもジョッキを傾ける。
しばらくして。
「……あれ?」
シオンは瞬きをした。
「どうしたの?」
「いや……」
なんだろう。
身体が熱い。
「暑くない?」
「別に」
「暑いですか?」
「……俺だけ?」
リュナがシオンの顔を覗き込む。
「シオン」
「ん?」
「顔、真っ赤よ」
「そんなわけないだろ」
「真っ赤です」
ロッテにも言われた。
「いやいや」
シオンは笑う。
「前世ではこれくらい――」
言いながら。
テーブルが。
少し。
揺れた。
「……ん?」
「テーブルは動いてないわよ」
「おかしいな」
「シオンさん?」
「俺……酒、こんなに弱かったっけ?」
考える。
前世。
今世。
身体が違う。
「……まさか」
シオンはジョッキを見る。
「今世の身体……酒に弱すぎだろ……」
そのまま。
ゴン。
テーブルへ額をつけた。
「シオン?」
「シオンさん?」
「……」
返事がない。
「寝たわ」
「早いですね」
「まだ二杯目よ?」
リュナが呆れる。
ロッテはジョッキを持ったまま首を傾げる。
「人間って、こんなにお酒に弱いんですか?」
「個人差じゃない?」
「リュナさんは平気ですね」
「獣人はお酒に強い人が多いから」
「ドワーフも強いですよ!」
「知ってる」
ロッテはすでに何杯目かわからない。
それでも。
まったく顔色が変わっていない。
「もう一杯お願いします!」
「まだ飲むの?」
「せっかくの宴会です!」
「元気ね……」
リュナも新しいジョッキを受け取る。
一方。
「……」
《デスティニー・コンパス》の名付け親は。
完全に眠っている。
「どうする?」
「何がですか?」
「これ」
リュナがシオンを指差す。
「置いて帰る?」
「ダメですよ!」
「冗談よ」
「じゃあ、どうやって連れて帰りましょう?」
二人がシオンを見る。
リュナ。
ロッテ。
そして。
リュナの視線が。
ゆっくりロッテへ向いた。
「……私ですか?」
「一番力あるでしょ?」
「ありますけど」
「お願い」
「リュナさんも手伝ってください!」
「私は荷物を持つわ」
「シオンさんより軽いじゃないですか!」
しばらくして。
宴会はまだ続いていた。
その中を。
小柄なドワーフの少女が歩いていく。
背中には。
酔い潰れた青年。
「シオンさん、思ったより軽いですね」
「本人には言わない方がいいわよ」
「どうしてです?」
「たぶん傷つくから」
「そうなんですか?」
「男って面倒なのよ」
「獣人もですか?」
「たぶん」
リュナが笑う。
ロッテも笑う。
その背中で。
シオンだけが。
「……デスティニー……コンパス……」
寝言を呟いた。
「気に入ってるみたいね」
「格好いい名前です!」
「そうね」
リーベルを守った夜。
三人には。
初めて。
正式なパーティ名ができた。
《デスティニー・コンパス》。
その名がこれから先。
まだ誰も知らない場所へ進む三人とともに歩んでいくことになる。
ただ。
その記念すべき最初の夜。
リーダーは。
誰よりも早く酔い潰れていた。




