第2話 賢者なのに魔法が使えない
足の裏に、柔らかな感触があった。
「……ん?」
目を開けると、そこは森の中だった。
見上げるほど高い木々が並び、枝葉の隙間から陽光が差し込んでいる。どこかで鳥が鳴いていたが、その声はシオンの知っている鳥とは少し違う気がした。
土の匂い。草の匂い。頬をなでる風。
どれも、妙にはっきりしている。
「おお……!」
シオンは、両手を広げて深く息を吸い込んだ。
「異世界だ! 本当に異世界に来たぞ!」
目の前に広がっているのは、どこを見ても木、木、木。
建物も道路も電柱もない。
これだけで異世界だと断言できるわけではないが、少なくとも、さっきまで神様と話していた白い空間とはまるで違う。
「さて。まずは……」
シオンは自分の体を見下ろした。
着ているのは、動きやすそうな長袖の服とズボン。足元には革の靴。ジムで着ていたトレーニングウェアではない。
腕を曲げてみる。
前世で鍛えた筋肉がそのまま残っているわけではなさそうだが、体は軽い。あれほど続いていた疲労感も、立ちくらみもなかった。
「健康って素晴らしい……!」
思わず感動してしまった。
いや、感動している場合じゃない。
シオンは今、見知らぬ森のど真ん中にいる。
ここが安全な場所だという保証はどこにもないのだ。
「まずは定番のあれだな。ステータス!」
勢いよく叫ぶ。
……何も起こらない。
「ステータス、オープン!」
目の前に半透明の画面が現れた。
「おっ! そっちか!」
シオンはさっそく表示をのぞき込んだ。
【名前】シオン
【種族】人間
【ジョブ】賢者
【ジョブレベル】1
【HP】100/100
【MP】100/100
【ユニークスキル】
《正解選択》
《経験値15倍》
《スキルポイント15倍》
《ストレージ》
【スキルポイント】0
「……おお!」
ちゃんと賢者になっている。
神様のところで選んだスキルも、全部表示されていた。
経験値十五倍。
スキルポイント十五倍。
ストレージ。
そして、正解選択。
改めて見ると、なかなかすごい組み合わせじゃないか。
「よし。じゃあ、賢者の魔法を確認してみるか!」
シオンはステータス画面のジョブ欄に触れてみた。
すると、別の画面が開いた。
【ジョブ:賢者】
【習得済み魔法】
なし
「……なし?」
思わず二度見した。
何もない。
空欄ですらなく、はっきりと「なし」と書かれている。
「いやいやいや。賢者だぞ? 賢者!」
魔法使いよりも、なんだかすごそうな名前じゃないか。
火の玉を飛ばしたり、雷を落としたり、傷を一瞬で治したり。
そういうことができる職業だと思うだろう。
なのに、魔法が一つもない。
「……もしかして、覚える方式か?」
画面をよく見ると、下のほうに小さな項目があった。
【習得可能スキル一覧】
「これだ!」
開いてみると、いくつもの魔法が並んでいた。
【《ファイヤー》 必要SP:15】
【《ウインド》 必要SP:15】
【《ヒール》 必要SP:15】
さらに、その下には灰色になった項目もある。
【《ファイアボール》 レベル不足】
【《アイスランス》 レベル不足】
【《ウインドカッター》 レベル不足】
「なるほど! レベルが上がると、強い魔法も覚えられるんだな!」
これはいい。
最初から全部使えるより、少しずつ強くなっていくほうが、なんというか冒険者らしい。
シオンはまず、《ファイヤー》を選んだ。
【スキルポイントが不足しています】
「……あれ?」
もう一度押す。
【スキルポイントが不足しています】
画面の隅を見る。
【スキルポイント】0
「ゼロ!?」
そういえば、ステータスにも書いてあった。
必要なポイントは十五。
現在のポイントはゼロ。
つまり。
「賢者の意味ないやん!」
森の中に、シオンの叫び声が響き渡った。
慌てて口を押さえる。
まずい。魔物がいたらどうするんだ。
シオンは周囲を見回した。
幸い、今のところ何かが近づいてくる気配はない。
「……落ち着け、俺」
賢者というジョブを選んだこと自体は、間違いじゃないはずだ。
《正解選択》が正解だと教えてくれたんだから。
問題は、どうやってスキルポイントを手に入れるかだ。
「スキルポイント十五倍……ってことは、何かすれば増えるんだよな?」
神様に、もう少し詳しく聞いておけばよかった。
いや、聞けることに気づかなかったシオンが悪いのか。
シオンは腕を組んで考えた。
魔物を倒せばポイントがもらえるのかもしれない。
でも、魔法が使えない賢者が、いきなり魔物に挑むのは怖すぎる。
せめて武器くらい欲しい。
「……武器?」
そこで、ふと思い出した。
シオンには《ストレージ》がある。
物を収納できるスキルだ。
神様は、何か初期装備を入れておいてくれたのだろうか。
「ストレージ!」
目の前に、小さな収納画面が現れた。
【ストレージ】
・ナイフ ×1
・保存食 ×3
・水袋 ×1
・銅貨 ×10
「入ってる!」
シオンは思わず笑顔になった。
「神様、ありがとう!」
ナイフがあれば、少なくとも丸腰ではない。
食べ物も水もある。
お金まで用意してくれているとは、なかなか気が利くじゃないか。
シオンは画面に表示されたナイフを選んだ。
すると、右手にずしりとした重みが生まれる。
「うおっ!」
いつの間にか、手の中にナイフが握られていた。
刃渡りはそれほど長くない。狩りや作業に使う道具といった感じだ。
試しに構えてみる。
「……うん。これで魔物と戦うのは、ちょっと嫌だな」
ナイフを握っているだけで、強くなった気がする。
だが、それは気のせいだ。
前世で筋トレをしていたからといって、ナイフの扱いがうまいわけではない。
ここで勘違いして突っ込んだら、また努力の方向を間違えることになる。
「よし。とりあえず、しまっておこう」
シオンはナイフをストレージへ戻した。
その瞬間。
【スキルポイントを獲得しました】
「……ん?」
目の前に、新しい表示が現れた。
シオンは慌ててステータスを開く。
【スキルポイント】15
「十五!?」
さっきまでゼロだったのに。
ナイフを出して、しまった。
やったことといえば、それだけだ。
「……もしかして」
シオンはもう一度、ナイフを取り出した。
そして、しまう。
【スキルポイントを獲得しました】
【スキルポイント】30
「増えた!」
もう一度。
出して、しまう。
【スキルポイントを獲得しました】
【スキルポイント】45
「増えるじゃん!」
シオンはナイフを握りしめたまま、しばらく固まった。
……待て。
これ、すごくないか?
スキルを使えばポイントがもらえる。
しかもシオンには、《スキルポイント15倍》がある。
つまり、ストレージを使うだけで、普通よりずっと効率よくポイントを貯められるということだ。
「魔物を倒さなくてもいいのか……!」
シオンはさっそく、保存食も取り出してみた。
手のひらに、布で包まれた固いパンのようなものが現れる。
「おお。ちゃんと食べ物だ」
包みを開こうとして、思いとどまる。
今はまだ食べなくていい。
シオンは保存食をストレージへ戻した。
【スキルポイントを獲得しました】
続いて水袋。
出して、しまう。
【スキルポイントを獲得しました】
銅貨も試してみた。
十枚まとめて取り出すと、手のひらで硬貨がじゃらりと音を立てた。
「これが、この世界のお金か」
前世の硬貨とは違う模様が刻まれている。
いくらの価値があるのかは、街に着いてから調べればいいだろう。
銅貨をストレージへ戻す。
【スキルポイントを獲得しました】
「……なるほどな」
シオンはにやりと笑った。
出して、しまう。
それだけでポイントが増える。
こんなにわかりやすい努力があるだろうか。
「よし! 魔法を覚えるぞ!」
シオンはステータスを開き、《ファイヤー》を選択した。
【《ファイヤー》を習得しますか?】
【はい/いいえ】
「はい!」
【《ファイヤー》を習得しました】
「おおおっ!」
今度は本当に覚えられた。
習得済み魔法の欄に、《ファイヤー》という文字が追加されている。
シオンは続けて《ウインド》を選んだ。
【《ウインド》を習得しました】
「よし!」
さらに《ヒール》。
【《ヒール》を習得しました】
「やった……!」
ついに、魔法を三つ覚えた。
火魔法。
風魔法。
回復魔法。
攻撃にも使えそうだし、移動や防御にも応用できるかもしれない。
何より、怪我をしたときに回復できるのは心強い。
「これでようやく賢者らしくなってきたな!」
シオンは胸を張った。
さっきまで、賢者の意味がないと叫んでいたのが嘘のようだ。
……いや、実際に叫んだんだけど。
シオンはもう一度、スキル一覧を確認した。
《ファイアボール》や《アイスランス》は、相変わらず灰色のままだ。
ポイントがあっても、今のレベルでは覚えられないらしい。
「なるほど。強い魔法は、ちゃんとレベルを上げてからか」
いいじゃないか。
目標があるのは、嫌いじゃない。
むしろ燃えてくる。
シオンは手のひらを前に向けた。
「それじゃ、記念すべき初魔法……!」
狙うのは、少し離れた場所にある、何もない地面。
森を燃やしてしまわないよう、周囲に落ち葉が少ない場所を選ぶ。
……いや、待て。
初めての魔法で、いきなり火を出す必要はないか。
シオンは手を下ろした。
「まずは安全そうなほうからだな」
風魔法なら、周りを燃やす心配はない。
シオンは改めて手をかざした。
「《ウインド》!」
ふわり、と風が吹いた。
足元の草が揺れ、前髪が持ち上がる。
「……おお」
今のは、自然の風じゃない。
シオンが魔法を使ったのだ。
もう一度、手をかざす。
「《ウインド》!」
今度は、さっきより少し強い風が吹いた。
「魔法だ……!」
シオンは思わず笑ってしまった。
前世では、どれだけ努力しても魔法なんて使えなかった。
当たり前だ。そんなものは存在しなかったんだから。
でも、ここでは違う。
シオンは本当に、魔法を使える。
「よーし! ここから強くなってやるぞ!」
森に向かって拳を突き上げる。
……そして、すぐに下ろした。
さっき叫んでしまったばかりだ。
これ以上、大声を出して魔物を呼び寄せるのはよくない。
「まずは街を探そう。うん。それが先だ」
シオンは周囲を見回した。
どちらを向いても、似たような木々が続いている。
道らしい道も見当たらない。
北も南も、さっぱりわからなかった。
けれど、今のシオンには頼れる力がある。
シオンは小さく息を吸い、心の中で問いかけた。
――街へ向かうには、どちらへ進めばいい?
【《正解選択》】
【南へ進む――正解】
「南か!」
……で、南ってどっちだ?
シオンが首をかしげると、視界の中に淡い矢印が浮かび上がった。
矢印は、木々の間を指している。
「おおっ、親切!」
これなら迷わずに済みそうだ。
シオンはナイフと食料がストレージに入っていることを確認し、矢印の示す方向へ歩き出した。
最強への道は、まだ始まったばかりだ。
まずは街に着くこと。
そして、もっと魔法を覚えること。
レベルを上げて、強い魔物にも勝てるようになること。
「待ってろよ、異世界!」
今度こそ、正しい方向に努力してみせる。
そう意気込むシオンの足は、自然と速くなっていた。




