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「泥臭い辺境令嬢はいらない」と婚約破棄されましたが、前世は町工場社長なので“止まらない魔導炉”で廃工房を王国一にします  作者: 他力本願寺


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第9話 規格という盾

廃工房は連日のポンプ修理と新規注文で活気づいていたが、リナリアの表情には拭いきれない緊張感が漂っていた。


 王都魔導商会の代理人を退けたとはいえ、それは一時的なものに過ぎない。辺境で独自の魔導具を作り、公共契約として届け続けるためには、制度という強固な足場を固める必要があった。


 今日この日、王国調達監査局による、ヴォルクハルト工房の正式な監査が行われる。



「お待たせしました。それでは、監査を始めます」



 領主の館ではなく、油と煤の匂いが染み付いた廃工房の現場に、王国調達監査官エルネスト・グランヴェルが足を踏み入れた。


 冷たい灰色の瞳は、壁に貼り出された価格表や納期表を油断なく見回している。


 リナリアは静かに頷き、作業台の上へと案内した。



「ミラ、記録をこちらへ」


「はいっ」



 記録係のミラが、両腕に抱えきれないほどの羊皮紙の束を机に置いた。


 それは、幾度もの爆発の末に書き溜められた分厚い『失敗帳』と、《常火》一号の稼働データ、そしてガスパルの提案で始まった工番札と紐づく試験帳簿の束だった。



 エルネストは革手袋を外し、一切の感情を交えることなく、ただ冷徹な目でページをめくっていく。


 静まり返った工房内に、羊皮紙が擦れる音だけが響く。ガスパルたち職人も、手を止めて固唾を飲んで見守っていた。


 やがて、エルネストは記録帳から顔を上げ、作業台の上に置かれた《常火》の分解部品へと視線を移した。



「この細い管が、濁った魔力を分けるという細火管。そして、こちらが余剰魔力を循環させる戻し輪ですね」



「はい。魔力の波が最も高くなった時の数値を基準に、圧力が限界を超えないよう、過熱や詰まりが起きた時に安全に炉を止める逃がし爪も組み込んでいます」



 リナリアの淀みない説明に、エルネストは小さく頷いた。



「過去の爆発原因の特定、記録の精度、そして部品の構造が理にかなっていることは認めましょう。先日写しを取らせてもらった時点から、管理体制はさらに飛躍的に進歩している」



 職人たちの顔に、安堵の光が差した。


 だが、エルネストは無情にも冷たい言葉を継いだ。



「しかし、これだけでは王国採用の基準には到底届きません。ただの『腕の良い辺境の修理屋』の域を出ていない」



「……どういうことでしょうか」



 リナリアが問うと、エルネストはミラの分厚い帳簿をトントンと指で叩いた。



「ここにあるのは、『過去にどう作ったか』という結果の集積だけです。これから先の品質を絶対的に保証するための『規格書』がない。納品した後に、村人が日常的にどう扱うべきかを示した『整備手順書』がない。そして、出荷前に何を以て良品とするかを定めた『検査基準』が明文化されていない」



 その指摘に、リナリアはハッと息を呑んだ。


 前世の町工場時代、彼女の会社は常に大企業の下請けだった。


 規格書も、検査基準も、すべては親会社から図面と共に与えられるものであり、彼女たちはその『与えられた数字』を死守することに血道を上げていたのだ。


 だが、今は違う。自分たちが世に生み出した独自の製品ならば、自分たちの手でゼロからその絶対的な基準を定めなければならない。



「規格がないということは、個人の勘に依存しているということです。今は職人の熱意とあなたの現場指示で回っていても、注文が増えれば必ず品質に揺らぎが出る。王都の商会は、そのわずかな揺らぎを『危険な不良品』として徹底的に突いてくるでしょう」



 エルネストの言葉は冷徹だったが、決して見下しているわけではない。


 それは、巨大な王都の商会利権から辺境の工房を守り抜くための、官僚としての明確な助言だった。



「……おっしゃる通りです。私は、目の前の現場を回すことばかりに気を取られていました」



 リナリアは素直に己の非を認め、深く頭を下げた。


 その潔い態度に、エルネストの灰色の瞳に微かな好意の色がよぎる。



「ペンを貸してください」



 エルネストは自ら白紙の羊皮紙を引き寄せた。


 そして、流れるような筆致で、王国が定める標準的な規格書の枠組みを書き出し始めた。


 製品の定義、使用を想定する魔石の純度と魔力量の許容範囲、各部品の寸法の公差、そして耐久試験の必須項目。



「これが最低限必要な項目の骨組みです。この空欄を、あなたたちの失敗帳の数字で埋めていきなさい」



 エルネストは書き上げた羊皮紙をリナリアへと差し出した。


 それは、ただの書類ではない。権威に裏打ちされた、確かな公的な武器の作り方だった。



「王都の商会は、必ずあなたたちを潰しに来ます。感情や口約束で立ち向かってはならない」



 エルネストはペンを置き、リナリアの青灰色の瞳を真っ直ぐに見据えた。


 相棒としての、確かな信頼が芽生えた瞬間だった。



「この記録は、あなたの工房を守る盾になります」



 リナリアはその羊皮紙を、まるで貴重な宝石でも扱うかのように両手でしっかりと受け取った。


 ミラが横からその書面を覗き込み、「私、今までの数値を全部ここに当てはめて計算し直します!」と意気込む。ガスパルもまた、自分たちの技術が正式な書面になっていく様に、静かな興奮を覚えていた。



「ありがとうございます、グランヴェル監査官。必ず、この空欄を私たちの数字で埋めてみせます」



「期待しています。……それと」



 帰り際、工房の重い扉に手をかけたエルネストが、ふと立ち止まって振り返った。



「早急に仕上げることをお勧めします。報告によれば、今年の冬は例年よりも早く、そして厳しくなるそうですから」



 エルネストが去った後、リナリアは開け放たれた扉の向こうを見つめた。


 鉛色の分厚い雲が、どんよりと空を低く覆い尽くしている。


 吹き込んできた風は、晩秋のそれから、刃のような冬の冷たさへと明らかに変わっていた。



 ふと、遠くの山側に位置する最も雪深い集落、奥クレイン村のことが脳裏をよぎる。


 水不足の危機は去ったが、本当の過酷な季節はこれからだ。


 この規格を盾にして工房の基盤を固めなければ、凍える家々を救うための次の生産には踏み出せない。



 リナリアは身震いするような寒さを感じながらも、静かに闘志を燃やし、白紙の規格書へと向かい合った。

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