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「泥臭い辺境令嬢はいらない」と婚約破棄されましたが、前世は町工場社長なので“止まらない魔導炉”で廃工房を王国一にします  作者: 他力本願寺


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第10話 名前を奪わせない

王都から届いた定期便の新聞を広げた瞬間、リナリアの目はその一面を飾る華やかな見出しに釘付けになった。


『グロウ商会、新時代の小型炉を発表へ。その名は《常火》』


 記事には、最新の魔導ドレスに身を包んだレティシア・グロウが、美しい王都製魔導具を背景に微笑む挿絵が添えられていた。


「どういうことだ、こりゃあ!」


 新聞を覗き込んだガスパルが、古傷のある右腕を震わせて怒声を上げた。


 廃工房に集まっていた職人たちも、次々と新聞の文字を追っては顔を真っ赤にして憤っている。


「俺たちが泥水すすって、何十回も爆発させてやっと名前をつけた炉だぞ! それを、あの王都の連中が自分たちの新製品の名前として使うだと!?」


 記事によれば、グロウ商会は「魔石の消費を抑えた画期的な新規格」の発表を数日後に控えており、その名称として『常火』を大々的に使用するという。


 ラウゼン領での修理の噂が王都にまで届き、その有用性に目をつけたバルテスが、辺境の小さな工房が権利を主張する前に、力技で名前と概念を横取りしようとしているのは明白だった。


「お嬢様、すぐに王都に抗議の使者を出しましょう! あいつらは泥棒です!」


 職人の一人が叫んだが、リナリアは静かに首を横に振った。


「口頭で抗議したところで、『偶然の一致だ』『田舎の工房が王都の商会に言いがかりをつけている』と一蹴されて終わりです。相手は新聞という巨大な広告塔を持っています。感情でぶつかっても、私たちに勝ち目はありません」


 前世の町工場時代。リナリアは、自社で開発した独自の技術名称を、取引先の大企業に「うちのブランド名として使わせてもらう」と強引に奪われた苦い記憶がある。


 現場で汗を流した者の誇りは、形にして守らなければ、いとも簡単に権力と資本に飲み込まれてしまうのだ。


「奪わせません。私たちの名前も、あなたたちの手柄も」


 リナリアは新聞を折り畳むと、記録係のミラが陣取っている作業台へと向き直った。


「ミラ、先日グランヴェル監査官から提示された規格書のひな形は、どこまで埋まっていますか?」


「はいっ、失敗帳のデータとの照合はすべて終わっています。細火管の太さの公差、戻し輪の循環比率、そして逃がし爪が作動する限界圧力値まで、うちの《常火》の絶対基準はすべて数字で証明できます!」


 ミラは、インクで指先を真っ黒にしながら、分厚い羊皮紙の束を胸に抱え込んだ。


 徹夜続きで目の下には隈ができているが、その瞳は記録を司る者としての強い使命感に満ちていた。


「ご苦労様。その規格書と、工番札を紐づけた試験帳簿、それに先日の監査官による公式な写しの受領証明。これらをすべて束ねて、王国の登録局へ提出する正式な名称・工房規格登録書類を仕上げます」


 リナリアはガスパルを振り返った。


「ガスパル。王国に登録するためには、書類の末尾に、私たちの製品であることを証明する『工房印』が必要です。今から、それを彫ってください」


「工房印……。辺境伯家の紋章じゃなくて、俺たちの工房の印か?」


「ええ。ヴォルクハルト家の名を借りるのではなく、現場で動くものを作る職人の集団としての印です。意匠は任せます」


 ガスパルは少しの間、自分の煤けた両手を見つめていた。


 やがて彼は、無言で作業台の奥から真鍮の塊を取り出し、使い慣れた細工用の鏨を握った。


 右腕の古傷が痛み、細かい作業は難しいはずだった。だが、今のガスパルの手元には、一片の迷いもなかった。


 ゴン、ゴンと、工房に静かな打刻音が響く。


 数時間の後。


 ガスパルが差し出した真鍮の印面には、華麗な剣や盾、美しい花などの貴族的な意匠は一切なかった。


「……煤けた炉と、小さな火、ですね」


 リナリアが印面を覗き込んで呟く。


「ああ。俺たちの泥臭い現場の象徴だ。王都様のピカピカの紋章には負けるかもしれねえが、こいつが俺たちの誇りだ」


「いいえ。世界で一番、頼もしい印です」


 リナリアは微笑み、ミラが書き上げた登録書類の束の最後のページに、赤い蝋を垂らした。


 ガスパルがそこに、煤けた炉と小さな火の工房印を力強く押し当てる。


 これで、書類は完成した。


「これを特急便で王都の登録局へ送ります。向こうの新聞発表より先に、正式な規格名と記録を伴った書類をねじ込みます」


 数日後。


 王都魔導商会連合の華やかな展示ホールでは、グロウ商会の新製品発表会が盛大に開かれていた。


 美しいドレスを着飾ったレティシアが壇上に立ち、集まった貴族や記者たちに向けて優雅に微笑みかけている。


「皆様、本日はグロウ商会が誇る新時代の小型炉をお披露目いたします。その名は――」


 レティシアが誇らしげに口を開きかけた、まさにその瞬間だった。


 ホールの扉が開き、王国登録局の官吏が数名の衛兵を伴って足を踏み入れた。


「グロウ商会による当該名称の使用、および関連製品の発表を一時差し止める!」


 官吏のよく響く声に、会場は騒然となった。


 バルテスが血相を変えて壇上から駆け下りる。


「なんの真似だ! 我が商会の正当な新製品発表だぞ!」


「いいえ。あなたがたが使用しようとしている『常火』という名称、工房印、および規格名としての使用権は、すでにヴォルクハルト工房から正式な工房印と共に登録申請がなされ、受理されています」


 官吏は、リナリアたちが送りつけた書類の写しを高く掲げた。


「提出された書類には、膨大な失敗記録に基づく精密な規格書、そして王国調達監査官による監査証明が添えられていました。対して、グロウ商会からの事前の名称使用根拠は皆無。よって王国法に基づき、この名称と規格名はヴォルクハルト工房の独占的使用権と認められました。あなたがたの発表は、他者の権利の侵害に当たります」


 レティシアの顔からスッと血の気が引き、バルテスは怒りで顔を紫に染め上げた。


 記者たちが一斉にメモを取り始め、「辺境の技術を盗もうとしたのか」「商会の新製品はハリボテか」という囁きがホールに満ちていく。


 華やかな発表会は一転して、グロウ商会の面目を丸潰れにする公開処刑の場へと変わったのだった。


 その報せは、翌日の早馬で辺境の工房にも届けられた。


 王都商会の鼻を明かしたことに、職人たちは歓声を上げて喜び合った。


 工番札と規格書、そして工房印。リナリアたちが積み上げてきた記録と制度という盾が、敵の傲慢な横取りを見事に弾き返したのだ。


「やりましたね、お嬢様! うちの名前、守り切りました!」


 ミラが興奮冷めやらぬ様子で駆け寄ってくる。


 リナリアはホッと胸を撫で下ろしたが、その安堵は長くは続かなかった。


 工房の重い扉が開き、父である辺境伯アランがひどく深刻な顔をして現れたのだ。


「リナリア、喜んでいるところすまないが……大変なことになった」


 アランの手には、何通もの皺くちゃな手紙が握りしめられていた。


「辺境の村々から、報告が相次いでいる。今年の冬の冷え込みは異常だ。とりわけ山深い奥クレイン村から……冬を越すための、暖房具が圧倒的に足りないという悲鳴が届いている」

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