第11話 寒い家に、火を届ける
冬の足音が辺境を白く染め始める中、深刻な報告がリナリアの元へ届いた。
山深い奥クレイン村で、寒さをしのぐ暖房具が圧倒的に足りていないという。
王都製の美しい暖房具はあまりに高価で、平民には到底手の届かない代物だった。このままでは、厳しい冬を越せずに凍える家が続出してしまう。
「ポンプ用の常火炉を、暖房用に作り変えます」
リナリアの決断に、廃工房の職人たちはすぐさま動いた。
大出力を必要としない《常火》の特性は、部屋をじんわりと長時間温める暖房器具にこそ向いている。ガスパルが鉄を叩き、ミラが熱効率の計算を行った。
しかし、鉄の炉をそのまま部屋に置けば、熱が逃げやすく、何より子どもが誤って触れた時に大火傷を負う危険があった。
「そこは、私の革の出番ですね」
工房に新しく加わった三十代の女性、エッダが名乗り出た。
彼女は革職人の未亡人で、王都製の安い量産品に仕事を奪われ途方に暮れていたところを、手先の器用さを見込んだリナリアに雇われたのだ。
エッダは厚手の耐熱革を何層にも重ね、熱を部屋全体に反射させるための断熱材と、炉の周囲を囲う頑丈な安全覆いを縫い上げていく。
「私の妹も、あの奥クレイン村に嫁いでいるんです。どうか、間に合いますように」
エッダの祈るような手つきで仕上げられたそれは、見た目こそ無骨な革と鉄の塊だったが、確かな温もりと安全性を備えた《常火暖房炉》の完成形だった。
荷馬車は凍てつく風の中、急な山道を登っていく。
奥クレイン村は、先日畑を救ったクレイン村の本村からさらに山側へ入り込んだ集落だ。領地の中でも最も雪深く、そして王都からは最も価値がないと忘れられている場所だった。
灰色の雲から粉雪が舞い散る中、一行は村の端にある粗末な小屋へと到着した。
隙間風が吹き込む薄暗い部屋の中で、身を寄せ合って震えていたのは、足の悪い老人と、幼い姉弟のリオとティナだった。
冷え切った竈には火の気すらなく、湿った薪が少し残されているだけだ。彼らに、高価な王都製の高純度魔石を買う余裕などない。
「お邪魔します。ヴォルクハルト工房です」
リナリアは令嬢のドレスではなく、厚手の作業着姿で小屋へ入り、床の土間に《常火暖房炉》を据え置いた。
「なんだい、その黒い箱は……。うちは、王都の商会に払う金なんかないよ」
老人が不安そうに身を縮める。
「王都の品ではありません。私たちが作った、辺境のための炉です。代金は、領主の権限で設けた救助基金から賄いますので、心配はいりません」
リナリアは素手で覆いを外し、炉の心臓部に濁り石をセットした。
しかし、冷え切った環境のせいか、魔力の波が普段以上に乱れていた。細火管を通る熱が、想定より早く本体の金属部に伝わってくる。
「少し、逃がし爪の調整を……っ」
リナリアが素手で部品の角度を微調整しようとした瞬間、熱を帯びた鉄の表面に指先が触れた。
ジリッと肌が焼ける痛みが走る。だが、リナリアは手を引かなかった。
ここで熱の循環を整えなければ、一晩中安全に部屋を温め続けることはできない。前世の工場で身につけた現場の意地が、痛みを押し殺させた。
カチリと爪が正しい位置に収まり、魔力の流れが安定する。
「点火します」
濁り石が、深い赤色に明滅し始めた。
ガガッという低い音と共に、暖房炉が稼働する。エッダが縫い上げた革の断熱材が熱を前面へと押し出し、冷え切っていた小屋の空気が、嘘のようにじんわりと温まり始めた。
王都の魔導具のように、一瞬で部屋を常夏にするような華やかな力はない。だが、その熱は途切れることなく、確実に凍える身体を芯から溶かしていく。
部屋の隅で毛布に包まっていた幼い姉弟が、おずおずと炉の前に近づいてきた。
姉のティナが、エッダの作った安全覆い越しに、そっと小さな両手をかざす。
「あったかい……」
ティナの顔に、血色が戻っていく。
彼女は振り返り、リナリアの作業着の裾を小さな手でぎゅっと握りしめた。
そして、信じられないものを見るような、すがるような瞳で見上げた。
「今夜は寒くないの?」
その純粋な問いかけに、リナリアは胸が締め付けられる思いだった。
これまでの冬、この子たちはどれほど凍える夜を過ごしてきたのだろう。王都の利益のために、どれほどの辺境の命が見捨てられてきたのだろう。
「ええ。もう寒くありません。この火は、雪の日でも絶対に止まらないから」
リナリアが優しく微笑むと、ティナはわっと泣き出し、弟のリオと共に炉の温もりを全身で浴びた。老人もまた、しわくちゃの顔を両手で覆い、嗚咽を漏らして感謝を口にしている。
生活が、命が、自分たちの作った安物で救われた。
その光景を、小屋の入り口で静かに見届けている男がいた。
王国調達監査官、エルネストだ。
彼は正式な規格の稼働データを取るために、この設置作業に同行していたのだ。
エルネストは無言のままリナリアの歩み寄り、彼女の右手を無造作に、しかし強い力で引き寄せた。
「監査官……?」
驚くリナリアの手の甲には、先ほど部品に触れた時の赤い火傷の痕が残っていた。
エルネストの冷たい灰色の瞳が、その傷跡をじっと見つめる。彼は自分がはめていた上質な耐熱革の手袋を外すと、リナリアの小さな手へ静かに被せた。
「無茶な真似を。逃がし爪の微調整なら、道具を使えば済むことだ」
「でも、冷えた環境での魔力の揺れを、直に指先で確かめておきたかったんです。そうすれば、次の規格書のデータにより正確な数字が……」
弁解しようとするリナリアの言葉を、エルネストの静かな声が遮った。
「炉だけでなく、あなた自身も守る対象です」
その言葉は、いつもの監査官としての無機質な響きとは少し違っていた。
エルネストは、リナリアが上げた成果や記録ではなく、怪我を負ったリナリア個人を明確に気にかけていた。
手袋越しに伝わってくるエルネストの手の熱に、リナリアは思わず息を呑み、火傷とは違う熱さが頬に広がるのを感じた。
「あなたのその手は、辺境の命を繋ぐ要だ。これ以上、無闇に傷つけることは監査官として、そして私個人としても推奨しません。以後は気をつけるように」
「……はい。肝に銘じます」
エルネストはすぐに手を離し、いつもの冷静な手つきでミラの持つ記録帳に目を落とした。だが、リナリアの手袋に残された温もりは、炉の熱とは違う確かな存在感を放っていた。
奥クレイン村の小屋に、確かな命の火が灯った。
しかし、その温もりとは裏腹に、王都の闇は静かに辺境へと手を伸ばし始めていた。
数日後。
暖房炉の噂を聞きつけ、村へ行商に入り込んでいた小商人の男が、ひそかに《常火暖房炉》の構造を羊皮紙に書き写していた。
その羊皮紙の宛先は、王都のグロウ商会。
名称の登録を奪えなかったバルテスは、今度は技術の構造そのものを「類似技術」として王都で先に特許登録してしまおうと、周到な罠を仕掛け始めていたのだ。




