第37話 辺境の道はつながる
通信所からの急報を受け、エルネスト・グランヴェルはかつてないほどの苛立ちと焦燥に駆られていた。
リナリアたちが帰還用の炉を村に残し、猛吹雪の雪山に孤立した。
王国調達監査官として常に冷静沈着であり続けた彼が、この時ばかりは部下たちの前で舌打ちを隠そうともしなかった。
「直ちに《雪燕》救援隊を出発させる。私も同行する」
エルネストが踵を返そうとした時、通信所の扉が開き、ガスパルとエッダが転がり込んできた。
「俺たちも連れて行け、監査官! あいつらを雪山に置き去りになんてできねえ!」
ガスパルの右腕には《常火補助具》が装着され、エッダは大量の断熱毛布と非常食を背負っていた。
普段なら民間人を危険な救助活動に同行させるなど、監査官の規定から大きく外れる行為だ。だが、エルネストは一瞬だけ目を伏せると、すぐに強く頷いた。
「道中の機体の整備と、負傷者の保温を任せます。急ぎましょう」
領内のあちこちからかき集められた三機の《雪燕》が、連なって雪原へ飛び出した。
先頭車両の操縦席にエルネストが座り、その後ろでミラが通信機と格闘している。
「ミラ、現在位置と目標地点の誤差は!」
「奥クレイン村の正確な座標は、以前に最初の《常火暖房炉》を届けた時の記録があります! ですが、雪崩で地形が変わっていて、どこから山へ入ればいいのか……」
その時、助手席に座っていたガスパルが、雪燕の窓を指差した。
「おい、あれを見ろ! 雪崩の跡に沿って、深い溝ができてるぞ」
エルネストが目を凝らすと、新雪の上に不自然に真っ直ぐな、二本の深い轍が刻まれていた。
それは、前夜に《暁鴉》を谷間の発進地点まで曳いていった際、ノアが先導した《雪燕》の滑走板が残した痕跡だった。
歩行補助具で鍛えられた彼の脚力が生み出す、右への偏りを微妙な体重移動で相殺する独特の走り方。その癖が、雪崩で道が消えた後でも、微かな地形の起伏として残っていたのだ。
「ノアが前夜に残した走行痕と完全に一致します! この轍に沿って進めば、雪崩の危険地帯を避けられます!」
ミラが叫び、エルネストは迷わず操縦桿をその轍へと向けた。
《雪燕》は、ノアが残した見えない道を辿り、深い雪の壁を一つずつ越えていく。
やがて、山の中腹まで登り切った時、彼らの前に分厚い雪雲が立ちはだかった。
視界は完全にゼロになり、どちらへ進めば村があるのか全く分からなくなる。
「駄目です、これでは迷ってしまいます!」
エッダが悲鳴を上げたその時、ミラの持つ魔力探知機が、微かだが規則的な反応を捉えた。
「待ってください! 上空に向けて、真っ直ぐな熱の柱が立っています! これは……」
「《常火》の排熱だ」
ガスパルが、自分たちの作った炉の音を聴くように目を閉じた。
「お嬢が、俺たちのために目印の煙突を立ててくれたんだ。あの熱を追え!」
エルネストは、探知機が示す熱の柱に向かって、《雪燕》の出力を最大まで引き上げた。
吹雪の中で、一つの小さな決断が次々と繋がり合っていく。
枯れた畑を救うために作った《常火ポンプ》の技術が、奥クレイン村に《常火暖房炉》を届けるきっかけを作った。
ノアの脚を支えるための《常火歩行補助具》が、雪山を走る力を与え、前夜に《暁鴉》を発進地点へ運ぶ轍を残した。
そして、空から命を救った《暁鴉》が残した一つの《常火》が、今、熱の柱となって彼らを導いている。
辺境の泥臭い安物炉が、これまでのすべての歩みを繋ぎ合わせ、一つの巨大な救助網となって村へと迫っていた。
「見えました! 奥クレイン村です!」
ミラの叫びと共に、分厚い雪雲を突き抜けた《雪燕》の前に、半ば雪に埋もれた家々が姿を現した。
一番奥の小屋の屋根から、真っ直ぐに突き出た煙突が、赤い排熱をもうもうと吹き上げている。
雪燕が小屋の前に停車するより早く、エルネストは扉を蹴り開けて雪の中へ飛び出した。
膝まで雪に埋まりながら、小屋の扉へ向かって駆け出す。
同時に、内側から重い扉が開かれ、煤と泥で顔を真っ黒にしたリナリアが姿を現した。
「……グランヴェル、監査官」
リナリアは、信じられないものを見るように目を丸くした。
常に軍服の乱れ一つ許さなかった冷徹な監査官が、今は泥と雪にまみれ、息を切らして立っている。
「リナリア嬢……!」
エルネストは、彼女が無事であることを確認すると、大きく安堵の息を吐き、そのまま雪の上に片膝をついた。
「お怪我は」
「ありません。リオ君の熱も下がり、マルタさんの赤ちゃんも無事に生まれました。……迎えに来てくれて、ありがとうございます」
リナリアが微笑むと、エルネストは立ち上がり、雪を払うこともせずに彼女を真っ直ぐに見つめた。
「あなたの残した熱標識と、帳簿の記録が、私たちをここまで導きました。やはり、あなたの記録は、この辺境を救う確かな盾です」
そして、彼は普段の無表情の奥に、かつてないほどの熱い感情を覗かせて言った。
「ですが、安全な王都で記録を待つだけでは足りない。あなたが命を懸けて現場を見るのなら……次は、私も共に現場に立ちます」
それは、監査官としての枠を超え、一人の男として彼女の隣に立つという、不器用だが力強い宣言だった。
リナリアの胸の奥で、静かな熱が広がっていく。
駆け寄ってきたガスパルやミラ、エッダたちと抱き合い、工房の仲間たちが再び一つに繋がった瞬間だった。
小屋の中で一晩中燃え続けていた《常火》の稼働データは、ミラの帳簿に『E-15・炉の稼働記録と熱標識』として完璧に記録されていた。
これで、王都の学者たちが主張した「常火は救助現場で使えない」という机上の空論は、完全に打ち砕かれたのだ。
「帰りましょう、私たちの工房へ」
リナリアは、村人たちの感謝の署名と、完璧な稼働記録を胸に抱きしめた。
だが、彼らの戦いはまだ終わっていない。
王都の中央議事堂では、一時凍結されていた公開査問が、再びその冷酷な扉を開こうとしていた。




