第33話 工房総出の夜
猛吹雪によって陸路が完全に絶たれ、奥クレイン村は深い雪の壁の向こうで孤立していた。
そこで高熱に苦しむ幼いリオと、出産間近のマルタの命を救うため、残された時間はごくわずかだった。
リナリアたちは王都から辺境の廃工房へと取って返し、未完成の山岳救急艇《暁鴉》を空へ飛ばすための、命がけの突貫作業を開始した。
冷え切った工房に、かつてないほどの熱気と激しい金槌の音が響き渡る。
全員が、今この瞬間に命が消えかかっていることを理解し、限界を超えた集中力で己の仕事に向き合っていた。
「機体の総重量、本当にギリギリです!」
ミラは山のような帳簿と設計図に埋もれながら、インクで真っ黒になった手で猛烈な速度でペンを走らせていた。
「風に乗るためには、これ以上少しでも重ければ墜落します。積載する薬と医療器具、最低限の燃料だけを残し、不要な鉄の装甲はすべて削ぎ落としてください!」
「だったら、この谷間のルートを使ってください。夜明け前、ここには下から突き上げるような強い山風が起きます」
ノアが、奥クレイン村周辺の詳細な地形図を広げ、指を這わせてルートを提案する。
彼は配達少年として、誰よりもその山の天候と気流の癖を知り尽くしていた。
「短い翼でも、この風の道に飛び込めば、村のすぐ近くの斜面まで一気に滑空できるはずです」
その横で、エッダは顔を真っ青にして、ガタガタと小刻みに震えていた。
妹のマルタが、死の危険に晒されている。その恐ろしい事実が、彼女の心を容赦なく締め付けていたのだ。
だが、彼女の革を裁断する手は、決して止まることはなかった。
「エッダ……」
リナリアがそっと肩に触れると、エッダは涙を堪え、力強く頷いた。
「大丈夫です、リナリア様。マルタと、これから生まれてくる小さな命を、冷たい風から守るための防寒覆いです。そして、リナリア様を空から落とさないための安全帯。絶対に、風一筋通さないように縫い上げてみせます」
カアァン、カアァンッ!
ガスパルが、真っ赤に焼けた鉄を金床に置き、《常火補助具》の力を借りて大槌を振り下ろす。
「空を飛ぶんだ、少しの歪みも、部品の重さの偏りも許されねえ。俺の右腕のすべてを懸けて、最強で、一番軽い骨組みを打ってやる!」
火花が散る中、老職人の顔には、かつて王都に切り捨てられた惨めな姿は微塵もない。命を救うための魔導具を作るという、確固たる誇りだけがあった。
リナリアは、作業台の真ん中で全体の工程を指揮し、各部品の接合部の微調整を行いながら、ふと手を止めて工房の光景を見渡した。
前世の町工場での記憶が、静かに脳裏をよぎる。
大企業からの理不尽な仕様変更、納期の前倒し、資金繰りの悪化。あの時、彼女は社長としてすべてを一人で抱え込んだ。
不安にさせるわけにはいかないと、社員には「大丈夫だから」と嘘をつき、誰にも頼らずに徹夜で機械を回し続けた。
その結果、彼女は過労で倒れ、守りたかった会社と社員を路頭に迷わせてしまった。
すべてを一人で背負うことは、責任を果たすことではなく、ただの傲慢だったのだ。
だが、今は違う。
彼女の周りには、現場を知り尽くし、自分の仕事に絶対の誇りを持つ職人たちがいる。
誰もが自分の役割を完璧にこなし、リナリアの足りない部分を補い、共に不可能を可能にしようと血の滲むような努力をしている。
一人では、決して空を飛ぶ機体など作れない。
だが、この工房の全員の力が合わされば、辺境の雪山を越え、命を救うことができる。
前世で守れなかったものを、今世では職人たちと肩を並べて守り抜く。それが、リナリアが手に入れた真の強さだった。
そこへ、足音を荒らげて一人の人物が工房へ駆け込んできた。
領主である父、アランだ。
彼の手には、ヴォルクハルト辺境伯の正式な印が赤々と押された、一枚の羊皮紙が握られていた。
「リナリア。奥クレイン村への、領主権限による正式な救助命令書だ」
アランは、その命令書をリナリアの胸に力強く押し付けた。
「未完成の機体で空を飛ぶなど、王都が知れば狂気の沙汰だと非難するだろう。だが、領民の命を見捨てる領主には、もう二度とならない。すべての責任は、領主である私が持つ。だから、必ず救ってこい」
気弱で、王都の顔色ばかりを窺っていた父の、領主としての真の覚悟だった。
リナリアは命令書をしっかりと握り締め、深く頷いた。
一方、工房の片隅では、王国調達監査官エルネストが、王都の部下たちと通信魔導具を使って緊密な連携を取っていた。
「私だ。奥クレイン村への陸路を切り開くため、直ちに近隣の《雪燕》をかき集め、地上救援隊を編成して山道へ向かわせろ。空からの救助が終わった後、彼女たちが帰還するための道が必ず必要になる」
エルネストは的確な指示を飛ばし続ける。
「それと同時に、王都の監査局本部を動かせ。公開査問が一時凍結している今が、唯一の好機だ。グロウ商会本部と、関連するすべての鋳造所への一斉家宅捜索、および証拠押収令状を執行しろ。奴らに、これ以上の証拠隠滅の隙を与えるな」
エルネストは、リナリアが空から命を救うための道を切り開く裏で、王都の悪意を完全に根絶やしにするための公的な刃を、容赦なく振るっていた。
リナリアが振り返ると、エルネストと視線が交差した。
言葉はなくとも、互いが互いの戦場で全力を尽くしているという、強固な信頼がそこにあった。
そして、長く過酷な夜が終わりを告げようとしていた。
窓の外が、雪雲の向こうでわずかに白み始めた頃。
廃工房の中央に、無骨な鉄の鳥がその全貌を現した。
風を掴むための短い滑空用の翼と、極限まで削ぎ落とされた装甲。美しさなど微塵もない、ただ命を運ぶためだけに洗練された山岳救急艇《暁鴉》。
リナリアは、冷え切った工房の空気の中で、機体の中心に据えられた心臓部へと向かった。
大きく息を吸い込み、魔力を流し込む。
ガガッ……ゴォォォォッ!
夜明け前の薄暗い工房に、《暁鴉》の《常火》が力強く、そして決して消えることのない赤い火を灯した。




