第31話 学者先生、吹雪は待ってくれません
王都の中央議事堂に集まった貴族たちの視線は、雛壇に立つ一人の初老の男に注がれていた。
王立魔導学院のローブを身に纏ったその男は、高純度魔石理論の世界的権威であり、王都の魔導具技術の根幹を築き上げたオルドリッジ教授だった。
設計の横取りを暴かれたバルテスが、最後に用意していた切り札。
それは、王国の学術的権威そのものによる、辺境技術の完全否定だった。
「私は学術的見地から断言する。君たちのその泥臭い《常火》という炉は、理論的に極めて未熟であり、王国の民が使用するにはあまりにも危険すぎる欠陥品だ」
オルドリッジ教授は、リナリアたちが提出した《常火》の構造図を指し示し、厳格な声で演説を始めた。
「この『戻し輪』なる機構は、魔力の流れを不必要に迂回させ、エネルギー効率を著しく低下させる無駄な構造だ。さらに、不純物だらけの辺境の濁り石を動力源とするなど、高純度魔石理論の観点から言えば、爆発のリスクを意図的に高めているに等しい」
教授の言葉には、確かな学識と論理的な裏付けがあった。
彼は決して無能ではない。不純物のない透き通った高純度魔石を使い、一定の温度が保たれた王都の環境下であれば、彼の理論は絶対的に正しいのだ。
無駄を省き、最高効率で魔力を変換する。それこそが、王都が誇る美しく高度な魔導具の在り方だった。
「このような野蛮な設計の炉を、公的な流通に乗せるわけにはいかない。万が一、魔力詰まりを起こせば、再び悲惨な事故を引き起こすことになるだろう。これは王国の安全に関わる問題だ」
教授の断定に、議場の貴族たちが深く頷く。
バルテスは余裕の笑みを取り戻し、リナリアを嘲るように見下ろしていた。
だが、リナリアは焦ることも怒ることもなく、静かに証言台に立った。
彼女の脳裏には、前世での忌まわしい記憶が蘇っていた。
会議室の立派な机の上で、本社の人々が完璧なデータと理論を並べ立て、現場の機械の仕様を強引に変更しようとしたあの日。
理論上は最高効率を誇る新型部品は、現場の泥と振動に耐えられず、たった三日で使い物にならなくなった。
現場を知らない人間の「正しい理論」ほど、過酷な環境において脆いものはない。
「教授の理論は完璧です。王都の整えられた環境であれば、あなたの仰る通り、《常火》の魔力効率は最悪でしょう」
リナリアは、専門用語で反論することはしなかった。
机上の空論で争っても、学術の権威には勝てない。言葉ではなく、「現物」で証明するしかない。
「ですが、私たちがこの炉を使うのは、王都の暖かく美しい部屋の中ではありません。極寒の雪と泥にまみれた、辺境の過酷な現場です」
リナリアは議長を見上げた。
「言葉で争うつもりはありません。今ここで、私たちが生きている現場と同じ条件の試験を行わせてください」
王国調達監査官であるエルネストが、その申し出を即座に支持した。
議長の許可が下りると、ミラとガスパルが手際よく、議場の中央に分厚い氷で囲まれた二つの試験槽を用意した。
一つには、王都商会連合が誇る最高級の小型魔導炉が設置される。
もう一つには、ヴォルクハルト工房の無骨な《常火》が置かれた。
「では、辺境の日常を再現します」
リナリアは、両方の炉に不純物の多い黒々とした濁り石を放り込んだ。
さらに、バケツに汲んできた泥水と氷の欠片を、精密な魔導炉の上から容赦なく浴びせかけたのだ。
「な、なんという野蛮な真似を! 精密な魔導具になんてことをするのだ!」
オルドリッジ教授が青ざめて叫び、貴族たちから悲鳴のような声が上がる。
だが、リナリアは躊躇うことなく、両方の炉に点火の魔力を流し込んだ。
王都製の高級炉は、一瞬だけ青白く美しい光を放ち、高らかな起動音を響かせた。
だが、次の瞬間。
濁り石の不安定な魔力と、泥水による制御弁の急激な冷えを感知し、カチン、と鋭い音を立てて安全装置が作動した。
王都の炉は、過熱や爆発を防ぐという理論通りの正しい挙動を示し、完全に沈黙してしまったのだ。
「王都の炉は、少しでも異常があれば『安全のために』即座に停止します。それは、すぐに修理の職人を呼べる王都では、絶対的に正しい設計です」
リナリアは、沈黙した王都製炉を指差した。
「ですが、辺境の猛吹雪の中で暖房炉が停止すれば、小屋に残された人間はどうなるでしょうか。修理を待つ間に、凍え死んでしまいます」
そしてリナリアは、もう一つの試験槽を指し示した。
ガガッ、ガガガッ。
そこでは、泥水にまみれ、氷に囲まれた無骨な《常火》が、不格好な駆動音を響かせて動き始めていた。
濁り石の荒れ狂う魔力の波は、教授が「無駄だ」と断じた『戻し輪』へと一時的に逃がされ、ぐるぐると循環しながら冷却されていく。
出力は低く、見た目も泥まみれだ。
しかし、どんな悪条件をぶつけられても、赤い火は確実に燃え続けていた。
「馬鹿な……。あの不規則な魔力波の乱れで、なぜ炉心そのものが崩壊しない……!」
オルドリッジ教授は言葉を失い、食い入るように《常火》を見つめている。
彼の完璧な理論を、泥臭い現場の執念が凌駕した瞬間だった。
「学者先生、吹雪は待ってくれません」
リナリアの凛とした声が、静まり返った議場に響き渡る。
「現場で動かない魔導具に、価値はありません」
公開の場で行われた、絶対的な性能の対比。
理論上は未熟でも、過酷な現場で決して止まらないことの圧倒的な価値が、王都の権威たちの目の前で証明されたのだ。
バルテスは顔を真っ赤にして口を震わせ、反論の言葉を見つけられずにいた。
勝負は決したかに見えた。
だが、その時。
議場の重厚な扉が勢いよく開け放たれ、雪にまみれた王国の伝令兵が転がり込むように飛び込んできた。
「急報! 急報です!」
伝令兵の切羽詰まった声に、議場の空気が一気に張り詰める。
「北方の山間部で大規模な雪崩が発生! 奥クレイン村へと続く山道が完全に塞がれました!」
奥クレイン村。
それは、リナリアたちが一番最初に《常火暖房炉》を届けた、最も雪深く、王都から忘れられた村だ。
そして、配達少年ノアの故郷であり、革職人エッダの妹が暮らす場所でもある。
「孤立した村からの最後の通信によれば……村の子供が高熱を出して倒れ、さらに出産間近の妊婦が陣痛を訴えているとのこと!」
リナリアの心臓が大きく跳ねた。
高熱を出した子供は、間違いなくあの暖房炉の前で「今夜は寒くないの?」と笑ってくれた姉弟の弟、リオだ。
そして出産間近の妊婦は、エッダの妹のマルタに違いない。
「至急、王都の輸送機による救助要請を求めます!」
伝令兵の叫びが議場に響く中、リナリアは試験槽の中で赤々と燃え続ける《常火》を見つめ、両手を強く握り締めた。




