第27話 逃げた帳簿を追え
偽造炉を売り捌いていた小商会は、すでに店舗を完全に畳み、王都の闇へと逃げ去っていた。
証拠隠滅を図る敵の足取りを追わなければ、爆発事故の汚名は永遠に辺境の工房にまとわりつくことになる。
リナリアたちは、残された僅かな手がかりを求めて、再び真っ黒に焦げた偽造炉の残骸と向き合っていた。
深夜の廃工房。
凍てつくような冷気の中、ガスパルがランプの明かりを頼りに、偽造炉の残骸から金属片を切り出した。
それを金床の上に置き、成分を調べるための特殊な酸を慎重に垂らす。
ジュッと甲高い音を立てて白煙が上がり、金属の断面が露わになった。
王都の新聞は、『辺境の粗悪な鉄材が圧力に耐えられずに爆発した』と声高に報じていた。
だが、金属の断面を見たリナリアとガスパルは、同時に険しい顔を見合わせた。
「……親方。こいつは、うちの廃鉱山で採れる鉄じゃねえ」
「ええ。私たちの領地の鉄は、微量な赤錆の成分が混じるから、酸をかけると少し赤みを帯びるはずよ。でも、これは完全に黒ずんだまま。大量生産された均一な合金だわ」
リナリアの言葉に、傍らで記録を取っていた王国調達監査官のエルネストが鋭く反応した。
彼は革手袋をはめた指先で金属の断面をなぞり、その匂いと質感を確かめる。
「この特有の硫黄の匂いと合金の比率は、王都の南区にある大規模鋳造所のものです。そして、その鋳造所は、王都魔導商会連合――グロウ商会の強い資本下にある」
その事実が意味するものは、あまりにも明白だった。
辺境の工房が作った安物だから爆発したのではない。王都の資本で作られた意図的な欠陥品だ。
これで、「辺境の粗悪材が原因」という王都新聞の主張は、金属成分という揺るぎない物理的証拠によって完全に崩れ去った。
「金属の出処は分かりました。でも、あの逃げた小商会が、どうやって王都の鋳造所から部品を仕入れたのでしょうか」
リナリアが考え込むと、記録係のミラが残骸の入っていた木箱の底から、焦げた羊皮紙の切れ端を拾い上げてきた。
「お嬢様、これを見てください。偽造品を梱包していた木箱の隙間に落ちていた、封蝋の残りです」
ミラが差し出したそれには、半分溶けかかった青い蝋がこびりついていた。
王都の正式な認可印ではない。物流を管理するための、荷運び用の略式印だ。
エルネストがその蝋の紋様を一瞥し、即座に自らの記憶と照合した。
「……青い蝋に、双頭の馬の印。これは、グロウ商会の下請けが使用している、王都外郭の物流倉庫のものです」
「グロウ商会の倉庫……!」
「逃げた小商会は、単独で偽造を行ったわけではない。その倉庫を経由して部品を受け取り、あるいは完成品を運ばせていた可能性が高い。倉庫の出入り記録を追えば、流通の線が繋がります」
エルネストはすぐさま部下に指示を出し、監査官の権限でその物流倉庫の過去一ヶ月の輸送記録を緊急に押収するよう手配した。
翌日の夜。
エルネストの部下が王都から急馬で持ち帰ってきたのは、膨大な輸送記録と帳簿の束だった。
そこから、逃げた小商会とグロウ倉庫を結ぶ具体的な取引記録――偽造炉という名目ではなく『暖房用鉄箱』などの偽装名目で運ばれた荷の動きを、一つひとつ手作業で照合していく過酷な作業が始まった。
リナリアは作業台に噛み付くようにして、膨大な数字の列を追い続けていた。
前世で、自社の無実を証明するために、何百枚もの伝票を徹夜でひっくり返した時の記憶がフラッシュバックする。
自分が証明しなければ、ガスパルたち職人の名前が永遠に犯罪者として刻まれてしまう。その恐怖と責任感が、彼女を突き動かしていた。
だが、連日の心労と徹夜の作業で、リナリアの体力はとっくに限界を超えていた。
文字が二重にぼやけ、ペンを握る指先がかすかに震える。
瞬きをするたびに意識が遠のきそうになり、冷たい水で無理やり顔を洗っては、次の帳簿へと手を伸ばす。
その時だった。
視界の端から伸びてきた革手袋の手が、リナリアが掴もうとした帳簿の束を、静かに、しかし有無を言わさぬ力で引き取った。
「グランヴェル、監査官……?」
リナリアが驚いて顔を上げると、エルネストがいつもの冷静な、しかしどこか険しい灰色の瞳で彼女を見下ろしていた。
彼女の目の下には濃い隈ができ、食事も睡眠も削っていることは誰の目にも明らかだった。
エルネストは手元の帳簿を自分の前へ引き寄せ、リナリアを真っ直ぐに見据えた。
「ここは私が引き継ぎます。あなたが倒れたら、現場を見る者がいなくなる」
エルネストは短くそう告げると、リナリアを半ば強引に椅子から立たせ、自分と入れ替わらせた。
「でも、まだ照合の作業が……。私がやらなければ」
「記録と数字を追うのは、監査官である私の専門分野です。あなたは経営者として、倒れる前に休息をとるという最低限の義務を果たしなさい」
冷たい言葉の裏にある、不器用だが確かな気遣い。
リナリアは反論しようとした口を閉ざし、彼の広い背中を見つめた。
彼が引き取ってくれたのは、ただの帳簿ではない。リナリアが一人で抱え込もうとしていた、重すぎる責任そのものだった。
「……ありがとうございます」
小さく呟いたリナリアの言葉を、エルネストは無言で、ただ静かなペンの音だけで受け止めた。
エルネストとミラの懸命な照合により、夜明け前にはついに決定的な一本の線が浮かび上がった。
逃げた小商会の取引先。青い封蝋。そして、王都の鋳造所。
すべての輸送記録は、複雑に迂回しながらも、最終的に王都魔導商会連合という巨大な闇の中心へと収束している。
偽造品事件は、ただの悪徳商人の小遣い稼ぎなどではない。
明確な悪意を持ってヴォルクハルト工房を潰そうとする、王都商会の巨大な影が、ついにその尻尾を現し始めていた。




