第21話 平坦な道だけが道ではない
王国北方救援装備の採用試験が近づく中、ヴォルクハルト工房の職人たちは、雪上輸送橇《雪燕》の最終調整に追われていた。
だが、その熱気を帯びた工房に、冷水を浴びせるような知らせが王都から届いた。
採用試験のコースが、当初予定されていた過酷な自然の雪道から、不自然なまでに整地された『平坦な圧雪路』へと急遽変更されたのだ。
「なんだ、このコース図は。山越えの斜面も、深い新雪の地帯も、すべて綺麗に迂回させられているじゃないか」
工房の作業台に広げられた新しい図面を見て、父である辺境伯アランが眉をひそめた。
隣で図面を覗き込んでいた記録係のミラも、不満げに頬を膨らませている。
「これじゃあ、王都の広い大通りを走るのと変わりません。わざわざ北方の演習場まで来てやる意味がないです」
リナリアは、煤で汚れた手でその図面をじっと見つめていた。
王都魔導商会連合が発表したばかりの新型雪上魔導車《白鷲》。
美しい流線型の装甲と高純度魔石を積んだその機体は、圧倒的な速度を誇るが、おそらく深い雪や泥濘といった悪路には極端に弱いのだろう。
だからこそ、彼らは自分たちの最高級品が最も美しく、最も速く走れるように、試験の土俵そのものを造り変えてしまったのだ。
「姑息な真似を……。親方、抗議の文面を書きましょう!」
試走係のノアが息巻くが、リナリアは静かに首を横に振った。
「いいえ。ただ大声で抗議しても、王都の委員会は『安全な試験進行のため』『機体の純粋な性能を測るため』と、いくらでも正当な理由をつけてはね除けるわ」
前世の町工場時代にも、同じようなことがあった。
大企業が自社の新型部品に有利になるよう、品質テストの基準温度や振動の数値を、下請けに無断で書き換えてしまったのだ。
あの時、社長であった彼女は電話口で激しく怒鳴り散らしたが、相手は冷酷な契約書を盾に聞く耳を持たず、結局は泣き寝入りするしかなかった。
感情的に怒鳴っても、巨大な組織の決定は覆らない。
戦うべきは、声の大きさではなく、記録と事実による正当性だ。
そこへ、工房の扉を開けて王国調達監査官のエルネストが入ってきた。
彼の背後には、今回の試験要項を持参してきた王都の役人が、尊大な態度で続いている。
「ヴォルクハルト辺境伯令嬢。コースの変更についてはご確認いただけましたかな」
役人は、油の匂いが漂う工房をハンカチで鼻を覆いながら見回し、せせら笑うように言った。
「王都の最新鋭機《白鷲》の素晴らしい性能を、皆様に正しくお見せするためには、どうしてもコースの整地が必要でしてね。辺境の未開な道では、万が一の事故も起こりかねませんから」
リナリアは役人のその傲慢な態度に対し、怒りを顔に出すことなく、静かに微笑みすら浮かべてみせた。
「ええ。試験を安全に、そして円滑に進行させるためのコース変更であるならば、私たちヴォルクハルト工房も異存はありません。平坦な道での速度試験は、要項通りにお受けいたします」
リナリアの素直な返答に、役人は拍子抜けしたように、そして満足げに頷いた。
生意気な辺境の工房も、王都の決定には逆らえないと悟ったのだろう。
だが、リナリアの言葉はそれで終わりではなかった。
「ただし」
リナリアは、作業台の下からミラが徹夜でまとめた分厚い書類の束を取り出し、役人の胸に突きつけるように提示した。
「北方救援装備の本来の目的は、遭難した村へ薬や食料を届けることです。猛吹雪の中で、整地された平坦な道など存在しません」
「な、何を言っている。試験委員会が決定したコースに文句をつける気か」
「文句ではありません。追加試験の提案です」
リナリアは一歩前に出て、役人の目を真っ直ぐに見据えた。
「雪、泥、傾斜、低温。辺境で使うなら、辺境の道で試してください」
その言葉は、冷たく、重く、確かな実感を伴って工房に響いた。
「平坦路での試験の後に、未整地の深雪地帯と急斜面を含む追加コースでの走行試験を求めます。真に救援装備として有用な機体であるならば、王都の《白鷲》も、この程度の悪路は難なく走破できるはずですよね?」
役人の顔から、サッと血の気が引いた。
ここで断れば、『王都の最新鋭機は悪路を走れない欠陥品だ』と自ら認めることになってしまう。
「そ、そのような急な提案、委員会が承認するはずが……!」
「いいえ。承認しない正当な理由が存在しません」
役人の逃げ道を塞いだのは、エルネストだった。
彼は懐から王国調達監査局の公式なバインダーを取り出し、リナリアが提出した追加試験の提案書を素早く挟み込んだ。
「北方救援装備の調達要件には、『過酷な自然環境下での運用を想定すること』という一文が明記されています。この要件に照らし合わせれば、ヴォルクハルト工房の提案する追加試験は極めて妥当であり、不可欠なものです」
エルネストは冷徹な灰色の瞳で、役人を射抜いた。
「王国調達監査官の権限において、この追加試験の提案を正式な記録として受理し、試験委員会へ提出します。これを不当に却下した場合、調達プロセスそのものに不正があったとみなし、監査局からの介入を行います」
公的な監査記録という絶対的な盾を突きつけられ、役人は言葉に詰まり、額から脂汗を流した。
感情的に怒鳴るのではなく、相手の土俵に一度乗り、その上で逃げ場のない正式な記録を叩きつける。
それは、王都の利権に対する、見事な小さな勝利だった。
「……っ、わ、分かった。委員長には、そのように伝えておく!」
役人は逃げるようにして工房を後にした。
閉まった扉を見つめながら、リナリアは深く息を吐き出した。
「ありがとうございます、グランヴェル監査官。あなたの記録のおかげで、正当な土俵を作り直すことができました」
「私は職務を果たしたまでです」
エルネストはバインダーを閉じ、いつもの無愛想な表情のまま答えた。
「だが、これで王都商会連合も、あなた方をただの無力な町工房だとは見なさないでしょう。彼らは手段を選んでこなくなりますよ」
「望むところです。私たちの《雪燕》は、どんな道でも止まりませんから」
リナリアは、工房の奥で出番を待つ黒々とした機体を振り返り、力強く頷いた。
一方その頃。
王都の豪奢な商会本部で、逃げ帰ってきた役人からの報告を受けたバルテス・グロウは、持っていたワイングラスを乱暴にテーブルに叩きつけた。
「生意気な辺境の娘め……! 監査局を後ろ盾にして、こちらの計画を掻き回す気か」
バルテスは忌々しげに舌打ちをし、窓の外の景色を睨みつけた。
「よかろう。記録や手続きで盾突くというのなら、試験の前に、私が直々にあの娘と会ってやろう。下請けの身の程というものを、その身に刻み込んでやる」




