第18話 雪道で止まらないもの
王国北方救援装備の採用試験に向けた開発は、最初から大きな壁にぶつかっていた。
定位置で動くポンプや暖房炉とは違い、雪道を自走する魔導具の設計など、この工房には前例がなかったのだ。
試験までの限られた日数の中で、リナリアたちは全く新しい移動体の開発を迫られていた。
廃工房の大きな作業台の上には、数枚の新しい設計図が広げられていた。
外からは真冬の激しい地吹雪の音が聞こえ、建物の隙間から忍び込む冷気が、ランプの炎を小刻みに揺らしている。
リナリアはその寒さを忘れたかのように、図面に熱心にペンを入れていた。
「私たちが作るのは、美しい車輪のついた馬車ではありません。深い雪に沈まず、どんな悪路でも確実に進むための『橇』です」
リナリアの言葉に、作業台を取り囲む職人たちが一斉に視線を注いだ。
前世の町工場で、過酷な環境下で動く自動車部品の品質管理に携わっていた彼女の経験が、異世界の雪上移動体の設計に活かされようとしていた。
王都の魔導具は、美しい車輪を高出力の魔力で強引に回して雪を蹴散らす構造が主流だ。だが、それは平坦で整えられた道でしか通用しない。
「雪山で孤立した村々へ、薬、食料、そして人を運ぶ。そのためには、速度よりも『絶対に停止しない安定性』が最優先されます。名前は、雪燕と名付けました」
橇の底部には、辺境産の頑丈な鉄を滑走板として使用し、その中央に辺境の濁り石で動く小型魔導炉《常火》を二基、直列で配置する設計だった。
一基が魔力の揺らぎで出力を落としても、もう一基が補う。前世の機械設計で基本とされる、冗長性の確保という考え方だった。
「よしきた、親方。直列配置の常火炉だな。左右のバランスを崩さねえように、俺のこの右腕で完璧に炉心を叩き出してやるぜ」
技術長のガスパルが、右腕の《常火補助具》をガガッと鳴らして金槌を握りしめた。
彼の腕に宿る長年の職人の勘が、補助具の正確な制動によって、図面通りの寸法の鉄枠へと変えられていく。
「私は全体の重量配分と、速度に対する魔力消費のデータを記録します。橇が滑る時の摩擦抵抗の計算、すでに失敗帳の数字から割り出し始めています!」
ミラがインクだらけの手で新しい帳簿を開き、猛烈な速度で数式を書き連ねていく。
魔力なしと笑われた彼女の頭脳が、今や新型機の稼働を支える重要な計算機となっていた。
「リナリア様、乗員と物資を守るための覆いは、私に任せてください」
革職人のエッダが、厚手で強固な防寒革のシートを広げた。
吹雪の冷気から薬や怪我人を守るための三重構造の防寒覆い。さらに、激しい揺れの中でも身体をシートに強固に固定するための、太くしなやかな安全帯を丁寧に縫い上げていく。
「そして、この雪燕を動かすための試走係は――」
「もちろん、俺の役目ですよね!」
工房の隅から元気よく声を上げたのは、配達少年のノアだった。
彼は《常火歩行補助具》が装着された左脚をトントンと床に打ち付け、満面の笑みを浮かべている。
「俺は毎日、この領内の雪道を荷物を背負って歩いてるんだ。どこの雪が深くて、どこの斜面が危ないか、身体が全部覚えてます。この脚に力をくれた雪燕の性能、俺が一番に引き出して見せますよ!」
可哀想な障害者としてではなく、雪道のプロフェッショナルとしてのノアの言葉に、工房の誰もが頼もしげに笑った。
誰か一人の天才に頼るのではない。リナリアの設計、ガスパルの鍛冶、ミラの計算、エッダの革細工、そしてノアの現場知。
工房の総力が一つに噛み合い、無骨な鉄と革の輸送橇《雪燕》の試作機が、数日間の不眠不休の作業の末に姿を現した。
それは、王都の貴族が見れば「農具の出来損ない」と鼻で笑うような、装飾の一切ない真っ黒な機体だった。
だが、その内部には、辺境の命を救うための執念が詰まっている。
初雪が完全に地を覆い、深い白銀の世界となったある朝。
領主の館の裏手に広がる、なだらかな雪原へと試作機が運び出された。
ミラ、ガスパル、そしてエルネストが見守る前で、ノアが操縦席へ乗り込む。リナリアもまた、二基の《常火》の圧力変動を記録するため、ノアの後部座席へと身を滑り込ませた。
「ノア、エッダの作った安全帯をしっかり締めて。最初は低速での直線稼働試験よ。無理はしないで」
「了解です、親方! いってきます!」
ノアがレバーを握り、魔力を流し込んだ。
ギギッ、ガガガッ、と重々しい鼓動が雪原に響き渡る。
二基の常火炉が同調し、濁り石の不安定な出力を戻し輪が滑らかに循環させながら、駆動部へと伝達していく。
ズズッ、と大きな鉄の橇が雪を蹴った。
次の瞬間、雪燕は白銀の斜面を滑るように進み始めた。
「動いた……! 走ってるぞ!」
ガスパルが声を上げる。
雪燕は、深く積もった雪に沈み込むことなく、底部に配された滑走板で雪を圧し潰しながら、確実な足取りで前進を続けていた。
ノアは巧みにレバーを操り、歩行補助具で鍛えた感覚を活かして、橇のバランスを取っている。
「速度、時速約十五エル。王都の馬車には及びませんが、この深雪の中で停止することなく進めています。データ、非常に安定しています!」
ミラが寒さに震えながらも、羊皮紙に素早くペンを走らせる。
リナリアは胸の奥が熱くなるのを覚えた。自分たちがゼロから形にした移動体が、確かに今、辺境の雪を克服して走っている。
これなら、王都の採用試験でも十分に戦える。
そう確信しかけた、まさにその時だった。
雪燕がなだらかな斜面を曲がり、少し速度を上げた瞬間、進路上の雪の下に隠れていた巨大な岩の起伏に、片側の滑走板が激しく乗り上げた。
「あっ――!?」
ノアの短い悲鳴が響く。
直列に配置された炉の重量バランスが、旋回時の遠心力によって急激に外側へと偏った。
ミラの計算値を超える、不規則な雪の斜面の罠。
ガガガガンッ!
激しい金属音が静かな雪原に炸裂した。
鉄の滑走板が雪を大きく跳ね上げ、制御を失った黒い機体が、まるで生き物のように宙へ浮き上がった。
次の瞬間、雪燕の巨体は、凄まじい勢いで白銀の地面へと横転していった。




