第14話 もう一度、走る
廃工房を訪れた配達少年のノアは、明るく笑いながらも深刻な問題を抱えていた。
魔獣に襲われて負った片脚の障害のせいで、配達の速度が落ち、仕事を失いかけているというのだ。
このままでは、冬を越すためのわずかな収入すら途絶えてしまう。
「領主様、俺のこの脚にも、技術長のような補助具を作ってもらえないでしょうか」
十六歳のノアは、ガスパルの右腕で力強く動く《常火補助具》を羨望の眼差しで見つめていた。
彼は普段、不自由な脚を引きずりながらも、誰よりも明るく振る舞って領内の手紙や小さな荷物を運んでいた。だが、冬が近づき道が悪くなると、どうしても健常な配達員には遅れをとってしまう。
「王都のお偉い治癒師様なら治せるのかもしれませんが、俺たちには縁がないですからね。最近は、俺の故郷の奥クレイン村みたいな険しい山道には、もう何ヶ月も登れていないんです」
ノアは無理をして笑みを作り、自分の細くなった脚をポンと叩いた。
「別に、昔みたいに完璧に治らなくてもいいんです。ただ、もう一度、仕事ができるくらいに走れたらなって」
その言葉の裏にある切実な願いを、リナリアは決して聞き逃さなかった。
王都では、怪我をして生産性を失った平民は「使えない部品」として簡単に切り捨てられる。だが、辺境の現場は違う。使えない人間などいない。使いこなせる道具がないだけだ。
「分かりました。ノア、あなたの脚のための補助具を作りましょう」
リナリアはノアを椅子に座らせ、エッダと共にその脚の状態を丁寧に確認した。
傷跡そのものは癒えているが、魔獣の牙に深く抉られたせいで、踏み込むための筋力が決定的に不足している。
「いいですか、ノア。これは魔法の道具ではありません。失われた筋肉を元通りに治すことはできないわ」
リナリアは真っ直ぐにノアの目を見て告げた。
「でも、今のあなたの脚に残された力を、機械が少しだけ後押しして増幅させることはできます。元通りではなく、今のあなたの身体でできることを増やすための道具です」
「今の脚で、できることを増やす……」
ノアの瞳に、強い希望の光が宿った。
すぐさま、工房の職人たちによる歩行補助具の開発が始まった。
ミラがノアに何度か歩いてもらい、左右の脚の筋力差と、踏み込むタイミングを羊皮紙に書き出していく。
「右脚が地面を蹴る瞬間、コンマ数秒だけ魔力の補助が必要です。このタイミングがずれると、逆に転んでしまいます」
ミラの緻密な計算結果を受け、ガスパルが作業台に向かった。
「よしきた。腰に据える小型の《常火》から、脚の関節を支える金属の支柱まで、俺の右腕の補助具が完璧に叩き出してやる」
ガスパルは自らの右腕に装着した補助具の軽快な音を響かせながら、ノアの脚に合わせた軽量の鉄枠を素早く組み上げていく。
そして、身体に直接触れるもっとも重要な部分は、エッダが担当した。
「魔獣の傷跡に硬いものが当たると痛むでしょう。内側に柔らかい羊毛を縫い込んで、力の逃げない固定帯を作ります。それに……ノア君がまた奥クレイン村へ登れるようになったら、私の妹のマルタにも手紙を届けてほしいから」
エッダは優しく微笑みながら、丈夫な革のベルトをノアの脚にしっかりと、しかし痛みのないように巻きつけた。
数日後。領主の館の中庭で、ノアは完成した《常火歩行補助具》を装着して立っていた。
腰の後ろに据えられた極小の《常火》ユニットから、脚の側面に沿って金属の支柱とワイヤーが這っている。
「点火します。最初はゆっくり歩いてみてください」
リナリアが魔力を流し込むと、ガガッ、と小さな低い音が鳴った。
ノアがおっかなびっくり右脚を踏み出す。その瞬間、腰の炉から送られた動力がワイヤーを引き、不足していた踏み込みの力をグンと押し出した。
「うわっ!」
急な推進力にバランスを崩し、ノアは思わず転びそうになる。
だが、何度か足踏みを繰り返し、ミラが計算したタイミングを身体で掴み始めると、ノアの表情がパッと明るくなった。
「いけます……これ、脚が前に出ます!」
「そのまま、走ってみて!」
リナリアの声に背中を押され、ノアは中庭の端へ向かって駆け出した。
健常者のように美しく滑らかな走り方ではない。機械のバネとワイヤーの力を使った、少し不格好でぎこちないフォームだ。
完全に元通りの脚になったわけでもない。
それでも、ノアは確かに風を切って走っていた。
「走れる……俺、もう一度、走れるぞ!」
短い距離を駆け抜けたノアは、息を切らしながらも、満面の笑みで振り返った。
その顔には、配達の仕事を諦めかけていた時の影はどこにもない。自分の力で再び道を切り開けるという、確かな自信に満ちていた。
「これなら、また奥クレイン村の険しい山道にも登れます! エッダさんの妹さんへの手紙も、絶対俺が届けますから!」
ノアの元気な声に、工房の職人たちから温かい拍手が湧き起こった。
この日を境に、ヴォルクハルト工房には新たな変化が訪れた。
中庭で走るノアの姿を見た領民たちから、怪我や加齢で諦めていた仕事にもう一度就きたいと、歩行補助具や作業補助具の注文が次々と舞い込み始めたのだ。
リナリアはエッダを補助具部門の職長に任命し、工房の経営は新たな収益の柱を得て、さらに強固なものへと前進した。
「ありがとうございます、領主様、令嬢様! 俺、冬の雪道でも絶対に荷物を運んでみせます。今度、雪の中を走るような道具を作る時は、俺に試走を任せてください!」
ノアは元気よく一礼すると、配達の鞄を肩に掛け、弾むような足取りで領地の仕事へと戻っていった。
リナリアはその後ろ姿を眩しそうに見送っていた。
だが、辺境の小さな工房が独自の技術で活気を取り戻していくのを、王都の巨大な利権が黙って見過ごすはずがなかった。
その日の夕刻。
領主である父アランが、血の気を失った真っ青な顔で工房へと飛び込んできた。
「リナリア! 大変だ!」
アランの手には、王都魔導商会連合から送られてきた一枚の通達書が握られていた。
「王都の商会連合が、我がヴォルクハルト領への魔石の供給を一切停止すると通達してきた! 高純度魔石だけでなく、すべての魔石の流通を封鎖するつもりだ!」
それは、魔導具工房の命綱を物理的に断ち切る、強大な権力による容赦のない兵糧攻めだった。




