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第8話 ミリア・ルヴェール

セレス一行の目に、最初の目的地となる村が映った。

リューン村と呼ばれる、静かな共同体だ。


「ここが最初の休憩地点か」

カイルが馬上で目を細める。


村に入ると、住民たちは好奇心と警戒心が入り混じった視線を向けた。

自国の軍とはいえ、三千の兵が突然訪問してくれば緊張が走るのも無理はない。


「まずは情報を集める。三人は兵たちへの食料分配を頼む。俺は斥候隊と話をしてくる」

カイルはそう短く指示を下した。


しばらくして、報告を終えたカイルが戻ってきた。


「王都の情報は掴めたの?」

ミリアが歩み寄り、確認する。


「帝国に占領された当初は暴動も起きていたようだが、今は占領軍が巧みに統治しているらしい。経済活動の自由をある程度認めているため、不満はあるが表面上は従っているようだ。市民に死に物狂いで抵抗する気配はない」


「意外ね」

ミリアが感嘆の声を漏らした。

「ディートハルト将軍にそんな手腕があったなんて。帝国人ならではの武人気質だと聞いていたけれど、内政に明るい参謀でもついているのかしら?」


「分からんが、そこが厄介なのだ」

カイルは表情を曇らせた。

「完全に弾圧すれば、民衆は死を覚悟して反乱に走る。だが適度に緩めれば、人は現状に妥協して服従してしまう。今はまさに後者だ」


エミールが顎に手を当てる。

「あてにするわけではありませんが、時間をかけすぎると王都内部との連携が難しくなりますね」


「すぐにでも解放したいのは山々ですが、この寡兵で攻めても意味がありません」

セレスは冷静に、自分たちの足元を見据えていた。

カイルはその言葉に、満足げに頷く。


「ああ。内応は期待しないのが前提だ。今は、王都ローゼリアの民衆が不当に弾圧されていないことだけで良しとしよう」


「あのう……」

村長が恐る恐る近づいてきた。

「兵の皆様がご滞在中……その、食糧などは……」


「心配ない」

カイルが手を振って遮った。

「我々の荷車には一ヶ月分の麦米バグラムと保存食が積まれている。この村から強奪するような真似はさせない」


村長は安堵の息を漏らす。

「しかし、一ヶ月分とは本当に多いですね……」


麦米バグラムを餅に加工していますから。見た目以上に腹持ちもいいし、何より場所を取りません」

エミールが茶目っ気たっぷりに答えた。

「叔父さんは、農耕改革から加工法まで研究していたんです。領内の豊穣を守るために、自ら汗を流していたんですよ」


「おい」

カイルが顔を赤らめた。

「俺はただ、実務的に対応しただけだ」


村人たちの間に、温かな笑いが起こる。

「軍人様が畑仕事をなさるなんて、珍しい」

村長が感心した様子で言った。


「戦時だけでなく、悪天候で不作になることもある。備えあれば憂いなしだ」

カイルは真面目に答えた。


ミリアがクスクスと笑う。

「でもそのおかげで、領民の子どもたちと泥まみれになって遊んでいたって、エミールに聞いたわよ」


「誤解だ! あれは子どもたちを励ますためにだな……」


「まあまあ、二人とも」

セレスが微笑んで仲裁に入った。

「我々は明日の夜明け前に出発いたします」


村長が深々と頭を下げた。

「どうかお気をつけくださいませ。道中の安全を祈っております」


村人たちは一行を温かく迎え入れてくれた。

村近くの野営地では、小さなコップ一杯程度の量ではあったが、酒や果実水が振る舞われた。


月明かりの下、セレスとミリアが談笑していると、エミールが村人から受け取った果実水を持ってきた。


「セレスティーヌ様は、もちろん果実水ですね」

「あなたは?」

「僕はミリアさんが作ってくれたミュルスです」

「なんかずるいわ。私にもくれない?」

「一人分しかありませんので。では、失礼します」


果実水をセレスに渡し、さっさと立ち去るエミール。

そのやり取りを見て、ミリアが楽しそうに笑っている。


エミールを見送った後、二人きりになった場所で。

セレスはコップの中の果実水を見つめ、ぽつりと呟いた。


「『セレスティーヌ様』、か……」


「どうしました、セレス様?」


「ねえミリア……私たちが初めて会った日のこと、覚えてる?」


「一年前の春……。確か、新年度の合同演習の時でしたね」


セレスは懐かしむように微笑んだ。


「そうそう。あなたが私を『セレスティーヌ』ではなく『セレス』と呼ぶようになった日よ」


「セレス様が、そう呼ぶように『命令』なさったのでしょう?」


ミリアは困ったように言いながらも、当時の情景を鮮明に思い出していた。


***


ミリアの家系は、代々王国の下級騎士だった。


彼女の父は優れた戦術眼を持ちながらも、士官学校を出ていないという理由だけで、小隊長止まりの軍歴を終えた。

父は退役時に受け取った僅かな恩給と家財をすべて売り払い、娘を士官学校へと送り出した。


「私の夢を、お前に託す」

父の言葉は、今も彼女の胸に深く刻まれている。


士官学校を優秀な成績で卒業したミリアは、数々の戦場で泥臭く実績を積み上げた。二十七歳の時点で小隊長として軍に参加するようになった彼女は、部下たちから「姐さん」と慕われる、厳格ながらも公正な上官だった。


一年前の春季合同演習――。

それは、貴族の子弟たちが「騎士」としての箔をつけるために参加する、形式的な行事でもあった。


子爵家の次男フォグナーは、従者を侍らせて傲慢に振る舞っていた。

 

ある休暇日。ミリアの隊は演習場近くの村で、交代で休憩をとっていた。

その時だった。


「家宝の外套マントに酒をかけられたぞ!」


酔ったフォグナーと取り巻きたちが、ミリアの副官であるマルクに絡んでいたのだ。


「申し訳ございません! わざとでは……!」

謝罪するマルクに、容赦のない拳が飛ぶ。

側近たちも加勢し、寄ってたかって彼を足蹴にした。

ミリアが駆けつけた時、マルクはボロボロになって地面に伏していた。


「フォグナー殿。これは、一体どういうことです?」


「ああん? お前がこいつの上官か。この無礼者が、私の大事な外套マントを汚したのだ!」


「……酒を飲んで倒れ込んできたのは、貴方の方だと聞いておりますが?」


「こいつがぶつかってきたのだと言っている!」


「仮にそうだとして……ここまでする必要があるのですか?」

ミリアは拳を強く握り、怒りで身体を震わせた。


「当然だ。私は子爵家の人間だぞ。下級騎士に騎士道の何たるかを教育してやったまでだ」


フォグナーは鼻で笑うと、ミリアの体をなめるように見た。

「……ところでそなた、ミリアと言ったか。ふむ、なかなか良い女ではないか。今晩、私に付き合って酌をするなら、出来の悪い部下の無礼を許してやらんこともないぞ?」


ミリアはそれを聞いた瞬間、無言で距離を詰めた。

そして――。


フォグナーの顔面に、渾身の右拳を叩き込んだ。


「お前ごときが、騎士を語るなッ!!」


鼻血を吹いて崩れ落ちるフォグナー。

周囲は、一瞬で凍りついた。


側近に抱きかかえられたフォグナーは、狂ったように叫び散らした。


「下級騎士の分際で、子爵家の私に手を出しおったな! 即刻捕らえよ! 侮辱罪、不敬罪、あらゆる罪で牢獄へぶち込め! 騎士位も剥奪だ!」


騒然とする周囲の中で、ミリアはただ静かに天を仰いだ。

(父上……申し訳ございません。託された夢を、守りきれませんでした)


覚悟を決めた、その時。

混乱を切り裂くような、凛とした落ち着いた声が響き渡った。


「待ってください。双方の言い分を、聞かせてもらいます」


現れたのは、純白の軍服に身を包んだ少女。

セレスティーヌ・フォン・ランカスター。

王国最大の有力貴族、ランカスター公爵令嬢の登場に、場の空気が一瞬で凍りついた。


セレスは双方の聴取を終えると、迷いのない瞳で宣言した。


「互いに主張が食い違っているようですね。では――『高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ』に基づき、模擬剣による決闘裁判を行います」


「なっ……!?」

フォグナーの顔が、一気に土色に変わった。


対するミリアは驚き、セレスを見つめた。

その姿は、暗闇の底に差し込んできた太陽のように見えた。



決闘の場は、演習場の一角。

二人が構える模擬剣が、日光を浴びて煌めく。


「始め!」


セレスの一声で、試合が始まった。

ミリアは迷いなく、そして容赦なく攻め立てた。

実戦の泥にまみれて鍛え上げた彼女の剣は、まさに一流。

酒と虚栄に溺れたフォグナーは防戦一方で、なす術もない。


やがて。耐えきれなくなったフォグナーの膝が折れた。

手から離れた剣が、力なく石畳に転がる。


「負け……参った! 私の負けだ!」


静寂が支配する広場に、セレスの凛とした声が響く。


「これをもって、ミリアの潔白を認めます。同時に、フォグナー卿の粗暴な行いも、すべて明白となりました」


彼女は這いつくばるフォグナーへ冷ややかな視線を落とし、慈悲のない一言を告げた。


「マルク殿への、正式な謝罪を命じます」


その後、ミリアはセレスに呼び出された。


「ミリア、私が初陣する時が来たら、私の副官として補佐してほしいの」


「……何ゆえ、私のような者なのですか?」

ミリアの問いに、セレスは悪戯っぽく微笑んで答えた。


「知ってる? 伝説の聖女将軍ヒルデガルドの側近の名前……『ミリア』っていうのよ」


驚くミリアに、セレスは言葉を継ぐ。

「実際、気になって貴女のこと色々調べたの。今日のことで、ますます私の隣に来てほしいと思ったわ。……だめかしら?」


ミリアの返答は、すでに決まっていた。

迷いなど、微塵もなかった。


「セレスティーヌ様。危機を救っていただいたばかりか、私のような者に声をかけていただき、誠にありがとうございます。……この命、喜んで捧げましょう」


「よかった。ありがとう、ミリア」


セレスは満足げに頷くと、いたずらっ子のような顔をして言った。


「では、副官候補ミリアに最初の命令です。今後、私を『セレスティーヌ』ではなく『セレス』と呼んでください。……命令するには、まだ早かったかしら?」


「いえ。……承知いたしました。セレス様」


ミリアは深く頭を下げた。

その声には、生涯をかけるに値する主君への、心からの忠誠が籠もっていた。

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