第7話 聖騎士遊撃隊の誕生
リザニア砦の周囲は、ようやく戦塵が収まりつつあった。
だが主塔ではいまだ赤く燻り、夜の闇に火の粉を散らしている。
セレスはエミールと共に負傷兵を介抱しながら陣内を巡回していた。
白銀の鎧は返り血に染まり、戦いの激しさを物語っている。けれど、兵士たちに声をかける彼女の姿には、聖女のような慈愛が宿っていた。
そこへ、丘の上から降りてきたカイルが合流した。
「よくやったな、セレス。なかなか見事な采配だったぞ」
ふいに掛けられた言葉に、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「……まだまだです。私の力不足で、もっと犠牲を減らせたはずでした」
「新しい訓練を取り入れて、最初の実戦だ。それでこれだけの結果を出したんだ、上出来すぎるくらいだぞ」
カイルの唇に、わずかな、けれど確かな微笑みが浮かぶ。
「いえ、すべてはカイルが立てた作戦のおかげですわ」
セレスは恐縮して首を振るが、カイルはその肩に、ぽんと手を置いた。
「策を立てるのと、実行するのは別の話だ。現場で三千を動かしきったのはお前だろう。もっと自信を持て」
「そうです。セレスティーヌ様の指揮、本当にお見事でした!」
横からエミールが、自分のことのように胸を張ってフォローを入れる。
さらに、砦を落としたミリアが駆け寄り、彼女を力一杯抱きしめた。
「セレス様……本当によく頑張ったわね!」
「ありがとう、ミリア……」
皆の温かさに、セレスの瞳にじわりと涙が浮かぶ。
あの王都での敗走以来、ずっと自分を縛り付けていた「無力感」が、新しい仲間たちとの勝利によって解けていく。
彼女は少し顔を赤らめ、はにかむように続けた。
「……なんだか、不思議な気分なの」
「どうした、セレス。どこか怪我でもしたか?」
カイルが案じて顔を覗き込むと、セレスはどこか懐かしむような瞳で二人を見つめた。
「カイルとミリアの二人を見ていたら……小さい頃、私を褒めてくれた父上と母上の姿に重なって見えてしまって」
「「…………っ!」」
今度はカイルとミリアが、同時に顔を真っ赤にする番だった。
そんな微笑ましい空気も、夜の帳が降りるとともに、静かな緊張感へと塗り替えられていく。
数時間が過ぎ――。
夜の篝火が、四人の顔を照らしていた。
「カイル、この砦はどうするつもり? 消火すればまだ使えそうだけど」
ミリアの問いに、カイルは赤黒い火種を宿し、燻るリザニア砦の主塔を見上げた。
「この砦は、今後の聖騎士団の拠点にするには規模が小さすぎる。それに、占領されている王都にも近すぎるな。増援も期待できない以上、ここは放棄する」
カイルは淡々と、けれど非情な命令を続けた。
「当面、防衛拠点として機能せぬようさらに火を放て。階段を落とし、井戸もすべて埋めろ」
あまりに冷徹な言葉に、ミリアは思わず息を呑んだ。
「……カイル。ここは王国の資産よ? 後で国から『利敵行為』や『施設破壊』の罪を問われかねないわ。最悪、反逆罪にだって……」
「今、この砦を無傷で残して帝国に返してやる方が、よっぽど王国への『利敵行為』だろう。敵に利する資産なら、使えないようにした方がマシだ。帝国がここを再利用しようと思えば、それなりの時間が必要となる。……その『時間』こそが、今の俺たちに必要な資産なんだよ」
ミリアは唇を噛み、やがて短く息を吐いた。
「……わかったわ。破壊班を編成すればいいのね」
「明朝までに終わらせてくれ」
カイルは視線を地図へと戻す。
「それで、今後の聖騎士団の方針だが……やはり兵力を増強したいと考えている」
軍師の瞳が、厳しい色を帯びた。
「現在の我々は三千。対して王都を占領する帝国軍は、少なく見積もっても一万。ベスティア領の戦況次第では、帝国本国からさらなる増援が来る可能性も高いからな」
「圧倒的ね」
ミリアがため息をつく。
「その通りだ」
「三倍以上の兵力差。正面からぶつかれば確実に粉砕される。この差を埋められなければ、どんな小細工も通用しない」
セレスは唇を噛んだ。
「では……どうすれば?」
「選択肢は二つだ」
カイルの声は低く、深刻な内容の割に、どこか楽しげでもあった。
「ベスティア領の主力と合流するか。あるいは――我々独自で動くか」
「前者の場合、私たちの部隊はどうなるの?」
ミリアが眉を寄せる。
「吸収されるだろうな。リザニア砦の勝利が伝わったとしても、あのお偉い将校連中がセレスを認めるとは到底思えん。『御身の安全のために』と兵だけ奪われ、後方に下げられるのがオチだ」
「叔父さんは、元上官のライネル将軍に会いたくないだけでしょう?」
エミールが容赦なく突っ込む。
「……コホンッ。……ともかく、だ」
カイルはわざとらしい咳払いをして、強引に話を戻した。
「俺は後者を提案したい」
「我々はこれより、遊撃部隊として活動する」
カイルは、地図の一点を指した。
「目的地はメイルドック辺境伯領、アルクリーズ城だ」
ミリアが驚いて身を乗り出した。
「あの、辺境の城に……?」
「正確には、辺境伯その人に会いに行く」
カイルは、不敵にニヤリと笑った。
「彼は今回の出兵を要請されていない。つまり、ベスティア領の防衛に参加しなかった兵が、温存されている可能性が高い」
セレスの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。祖父の戦友だと、父から聞かされたことがあった。
「では……その兵力をお借りしに行くのですか?」
「貸してもらえるよう『交渉』しに行くんだ。簡単ではないぞ。……傷に塩を塗るようで悪いが、セレス。お前は一万の兵を壊滅させた挙げ句、王都を奪われた指揮官だ。向こうからすれば、大事な兵を預けられる相手とは思えん」
初戦での大失態と、それにより世間に広まっているであろう「戦下手」という評価。
すべてを真っ向から突きつけられ、セレスは返す言葉もなく小さくなってしまった。
エミールは、これ以上彼女が凹まないよう質問を変えて助け舟を出す。
「アルクリーズに兵がいるなら、なぜ今まで王都奪還に動かなかったんでしょうか?」
「彼は現実主義者だからな。王都を奪還するには、城を空にするほどの兵力が必要になる。そんなことをすれば、王国の西の要であるアルクリーズが落ちる。あの国境に接しているのは、帝国だけではないからな」
ミリアがワインの杯を置き、真剣な表情になった。
「でも、交渉がうまくいく可能性はあるのね?」
「ある」
カイルの言葉には、確信が宿っていた。
「聖騎士団、もとい『聖騎士遊撃隊』の存在だ。兵を貸すに足りる実力があると、俺たちが証明してみせるのさ」
セレスは、自身の胸にそっと手を当てた。
「やってみます。私にできることがあるのなら」
その言葉を待っていたように、カイルが立ち上がった。
「決断は早いほうがいい。明朝、砦の破壊を確認したら、出発するぞ」
***
翌朝。
カイルとミリアは、すでに準備を整えていた。
背後では、焼き落とされた階段と瓦礫に埋まった井戸が、砦をただの石塊に変えている。
「辺境伯領までは、約一週間かかる」
カイルが手際よく地図を畳みながら言った。
「途中でいくつか村を通るが、用心が必要だ」
「帝国の耳目がどこにあるか分からないものね」
ミリアが頷く。
「でもカイル、私たちが向かっている村の位置は、辺境伯領の方向とは少し違うわね」
「まさにそれだ。辺境伯領ではなく、城塞都市ベルモスに向かっていると思わせたい」
「わかったわ。攪乱ね」
「あと、久しぶりにフェリックスへ俺たちの近況を添えて、伝信竜を送ったら返信が来たぞ」
カイルが何気なく口にした名を聞いて、ミリアの眉間に一気に皺が寄った。
「あの軽薄男に……!?」
――フェリックス・フォン・ダミアン。
ダミアン男爵家の次男。
カイルやミリアと共に士官学校で青春を費やした学友である。
ミリアは否定するだろうが、三人は馬が合い、よく行動を共にしていた。
だが、フェリックスの私生活は、お世辞にも士官候補生として模範的とは言えなかった。彼は暇さえあれば女子候補生に声をかけ、浮名を流しては騒動の種を撒き散らしていた。
そのたびに、規律を重んじるミリアからは「軽薄の極み」と冷ややかな視線を向けられていたのである。
「それで、なんて返事が来たの?」
「『そんな面白そうなことに、なんで俺を誘わないんだ』ってさ」
「あいつをセレス様に会わせたくないわ……」
ミリアは心底嫌そうに溜息をついたが、カイルは真剣な顔で言葉を継いだ。
「ともかく今は、信頼できる仲間が一人でも多い方がいい。いずれ、あいつが率いている部隊も協力させたいんだ」
「信頼ねえ……。まあ、能力だけは認めるわ。……認めたくないけれど」
「演習のとき、俺やお前もあいつの戦術に苦戦しただろう?」
「あれが『戦術』? ただの猪じゃない」
「確かにな!」
二人は士官学校時代を思い出し、声を上げて笑った。
そんな会話が交わされていた頃。
天幕内では、セレスとエミールが荷物の片付けをしていた。
「ねえ、エミール。あなた、いくつなの?」
「十八歳です」
「あら、私と同い年ね! ねえ知ってる? 聖騎士団で最年少って私なんですって。だからエミールも仲間ね」
「僕は来月で十九歳になります。セレスティーヌ様は十八歳になったばかりとお聞きしました。残念ながら、すぐに『仲間』ではなくなります」
「あなた、ずいぶん細かいのね」
エミールは手を休めず、淡々と答える。
「細かくありません。十一ヶ月の差は、ほぼ一年です」
「……それが細かいのよ」
二人が微笑ましい(?)言い合いをしていると、外からカイルの声が響いた。
「おーい、若者たち。そろそろ出発するぞ!」
四人は馬に跨り、聖騎士団を引き連れて、黒煙のたなびくリザニア砦を後にした。




