第6話 リザニア砦攻略戦
セレスと共に来た聖騎士団と、ヴァルデン領の兵を合わせ、集まったのは約四千名。
カイルはそのうち、ヴァルデンの正規兵と義勇兵を合わせた計千名を、守りの固い自領に残すと決めた。
聖騎士団を中心とした残りの三千名が、今回の出撃部隊となる。
「攻められることはないと思うが、留守を頼む。万一の備えだけは怠らず、いつも通りの生活を送ってくれ」
カイルの言葉を背に、一行はヴァルデン領をあとにした。
数日後。
野営地に張られた大きな天幕に、主要な面々が集まっていた。
「皆様、お疲れ様です」
セレスティーヌの声は清々しかった。
「本日はこれより、作戦会議を行います」
「まずは情報収集からだ。エミール、地図を広げてくれ」
カイルはセレスの傍に控えるエミールに指示を出す。
「敵の配置と動きを正確に把握する必要があるからな」
「こほん。私に任せてください」
セレスティーヌが自信ありげに胸を張った。
「既に手配してあります」
小隊長たちの間に、驚きの声が漏れる。
ほんの数日前まで、夢見がちな少女だった彼女の激変ぶりに、誰もが目を疑っていた。
「斥候隊の報告によれば」
彼女は澱みなく説明を続ける。
「帝国軍は王都周辺の警備を強化しています。輸送ルートを監視するため、王都北西のリザニア砦を奪い、兵を配備しているようです」
カイルが満足げに頷いた。
「よくやった。……ところで、ベスティア領に出兵した王国軍主力部隊の動きは?」
エミールが地図の一角を指さして答える。
「奪還のため王都に戻ろうにも、背後から帝国軍に襲撃される恐れがあるため、動くに動けないようです」
「膠着状態か……心配ではあるが、あちらにはお偉い将校さんたちが大勢いる。彼らに任せて、我々はリザニア砦の攻略に集中しよう」
「よろしいのですか?」
エミールが確認するように尋ねた。
「五万もの帝国主力がベスティア領から動かない方が、こちらとしてはやりやすいからな」
カイルは再度、セレスの方を向いて問いを投げかけた。
「籠城している敵に対し、攻める側は三倍の兵力が必要と言われる。我が軍と敵の守備隊は共に三千名で、数は互角だ。……お前ならどう考える?」
「以前の私なら、正々堂々と勝負しろと言って、闇雲に攻撃していたかもしれません」
セレスティーヌは自嘲気味に微笑んだ後、言葉を継いだ。
「ですが、今はわかります。兵糧攻めでしょうか?」
「悪くない。だが、兵糧攻めは時間がかかる。今回は逆に――正々堂々と正面から行こう」
「……どういうことですの?」
「敵さんに、自分から砦を出てきてもらうのさ」
横で聞いていたミリアが、呆れたように口を挟む。
「カイル、よほどの愚将でもなければ、砦を捨てて出撃などしないわ」
「いいや、出てくるさ」
カイルは不敵な笑みを浮かべ、確信に満ちた声で言った。
「帝国軍はまだ……セレスのことを、ただの『虚像の戦女神』だと思い込んでいるからな」
初秋の夕刻。
セレスは白銀の鎧に身を包み、愛馬に跨っていた。
背後に控えるのは、新生した聖騎士団。
整然と居並ぶ軍勢が、沈みゆく夕日の下で白銀に煌めいている。
「全軍、前進開始!」
彼女の澄んだ声が、あの初陣の時と同じように平原へと響き渡った。
一方、帝国軍の守備隊長ゲルハルトは、望楼からその光景を見下ろしていた。
「ついに来たか……聖騎士団長が」
当初、彼は籠城策を固持していた。
だが、斥候から「敵将はセレスティーヌ・フォン・ランカスター本人」との報告を受け、状況は一変した。
「公爵令嬢の首を持ち帰れば、皇帝陛下から莫大な恩賞が授けられよう」
ゲルハルトは手元の肖像画を思い出し、邪悪な笑みを浮かべた。
「それに、あの『戦女神』を捕虜にして辱めることもできるわけだ」
「……危険すぎます。見たところ、相手は三千近くはいそうです」
副官が懸念を口にするが、ゲルハルトは鼻で笑った。
「奴らの弱点は、指揮官だ。あの小娘は戦場を知らん。先のウィンドル平原の戦いでも、勝手に自滅したというではないか」
ゲルハルトは断言する。
「奴は必ず自ら前線に出ようとする。そこを狙い撃つのだ」
カイルの読みは、完璧に当たっていた。
敵将は、虚像の戦女神という「大きな餌」に、まんまと食いついたのだ。
「全軍出撃! 標的はセレスティーヌただ一人だ!」
雄叫びとともに、帝国軍はほぼ全軍が砦を飛び出した。
城内に残された守兵は、わずか百名
。
「ほう、陣の見栄えだけは立派なものだ。御前演習のつもりか?」
ゲルハルトは、整然と並ぶ聖騎士団を嘲笑した。
セレスの本隊は予定通り前方に布陣し、彼女自身は敵から最もよく見える位置へと移動する。
エミールが、その真横に並んだ。
「セレスティーヌ様、これ以上は危険です」
「ええ、わかっているわ」
(すべては、カイルの指示通り……)
彼女は唇を強く噛み締めた。
「敵将! 我こそはセレスティーヌ・フォン・ランカスター! 今すぐ降伏するなら、寛大な処置を約束します!」
平原に響くセレスの声に、ゲルハルトは大口を開けて笑った。
「ガッハッハ! 血迷ったか小娘! それはこちらのセリフだ。全軍、突撃ッ!」
押し寄せる帝国兵の波。
左右をやや厚くした包囲の構えに対し、セレスの部隊は前進を止めた。
代わりに、以前とは比較にならないほど強固な「密集防陣」を組み、その場に根を張る。
(陣が崩れない。防御が異様に固い……)
中央への集中攻撃を狙っていたゲルハルトは、微かな違和感を覚えた。
(いや、だが確実に押している。このまま押し潰せば――)
その時だった。
背後――砦の東側から、紅蓮の炎が天を突いた。
――半刻前。
ミリア率いる奇襲部隊二百が、夕闇の中を音もなく移動していた。
部隊は険しい獣道を利用し、岩肌の露出した斜面を這うように登っていく。
防柵の脆い箇所を捉えたミリアが、低く鋭い声を飛ばした。
「急いで!」
薄暮の中、影のように進む。
「敵の意識は主戦場に集中しているわ。砦の裏手は手薄。――今よ!」
次々と梯子がかけられ、熟練の歩兵たちが次々と侵入する。
門衛二人を一瞬で昏倒させ、巨大な閂を外す。
わずか十秒後には、別動隊が砦内部へと殺到していた。
「抵抗する者は容赦なく斬り捨てなさい!」
ミリアの指示は峻厳だった。
砦内に残っていた少数の守備兵は、予期せぬ奇襲に混乱の極みに陥る。
「敵襲! 敵襲ッ!」
「馬鹿な、別動隊だと!? どこから――ぐわぁ!」
次々と守備兵を排除し、最上階へと到達したミリアが命令を下す。
「前線の連中によく見えるように、派手に燃やして!」
紫紺の夜空の下、砦の主塔で巨大な火柱が上がった。
周囲は、たちまち明るい朱に包まれていく。
***
一方、主戦場。
セレスは馬上で、冷静に指示を飛ばしていた。
「弓兵隊、牽制を! 下馬騎士隊は盾を隙間なく並べてください!」
帝国軍の猛攻に対し、鉄壁の防御を展開する聖騎士団。
セレスの計算通り、彼らは一歩も引かず、ただ『その時』を待っていた。
「……おかしい。明らかに時間稼ぎだ。まさか……?」
ゲルハルトの眉間に、深い皺が寄る。
嫌な予感が脳裏をよぎった、その時だった。
「報告! 後方、リザニア砦から火の手が上がっています!」
「なっ……何だと!?」
衝撃の報せが、戦場を駆け抜けた。
砦から打って出た帝国部隊が、一瞬で凍りつく。
鉄の結束を誇った士気が、音を立てて瓦解していく。
「砦が落ちたのか!? これでは挟み撃ちに……!」
「退路が断たれたぞ!」
「逃げろ、逃げろ!」
ゲルハルトが怒号を上げる。
「臆するな! 戦い続けろ! 砦の敵など、どうせ少数だ!」
しかし、一度決壊した防波堤は、もう誰にも止められない。
「敵は三千どころではないぞ、倍はいる!」
「伏兵だ! 伏兵がいるぞ!」
根拠のない悲鳴が、恐慌の連鎖を呼び起こす。
一部の兵が踵を返して逃走を始めた。
「――今です!」
機を逃さず、セレスが鋭く叫んだ。
「全軍、突撃!」
堰を切ったように、聖騎士団が一斉に突き進む。
統制の取れた怒涛の攻撃に対し、浮き足立った帝国兵は、もはやまともな反撃すらできなかった。
「逃げる者は追わず、剣を収めた者は寛大に処遇しなさい!」
激戦の中、セレスの声には温情が滲む。
それは、かつての「虚像」ではない、自らの意志で戦場に立つ「将」の声だった。
カイルは丘の上から、その光景を見渡していた。
(……よくやった、セレスティーヌ)
日没寸前、王国の再起を告げる勝鬨がどこまでも響き渡っていた。




