第5話 動き出す牙
翌朝。
練兵場に集められた聖騎士団の面々は、不安げにセレスを見つめていた。
かりそめの虚飾であったとはいえ、これまでの団長としての風格は消え失せている。
そこにいるのは、迷いを抱えた一人の少女だった。
セレスは勇気を振り絞り、毅然と語り始めた。
「皆さんに、伝えなければならないことがあります。私は……虚像の栄光にすがっていました。何も知らぬまま本物の英雄になろうとし、結果として、皆様の命を危険に晒しました」
絞り出すような告白。
「戦いで命を落とした方々は、私が殺したも同然です」
兵士たちの間に、重苦しい静寂が広がる。
「ですが、これからは違います。カイルと共に、戦い方を学び直します。新しいセレスティーヌとして」
その宣言への反応は、様々だった。
露骨な失望の溜息。戸惑いの眼差し。
「最初は、また失敗するかもしれません」
セレスは声を震わせながらも、正面から彼らを見据えた。
「でも、私には夢があります。王都を奪い返し、戦争を終わらせ、この国を本来の姿に戻すこと。そのためなら、どんな泥を啜ることも厭いません!」
軍服に着替えたカイルが、一歩前に出た。
「今日からは俺が指導する。異論がある者は申し出てくれ」
兵士たちは互いに顔を見合わせた。
結果、素人同然だった指揮官に、軍を退いて泥いじりに耽っていた男爵。
諦めに近い困惑が漂う中、彼らの口を閉ざさせたのは――セレスの瞳に宿る、剥き出しの情熱だった。
非現実的な象徴だった彼女が、自分たちと同じように失敗し、必死に足掻こうとしている。その姿を見て、兵士たちは気づかされた。
自分たちもまた、「戦女神」という都合のよい虚像を彼女に押しつけ、ただ崇めることで、その双肩にかかる重荷から目を逸らしていたのだと。
自分たちが加担し、作り上げてしまった空虚な英雄。
その殻を自ら壊して進もうとする彼女の覚悟が、兵たちの冷え切った心をわずかに動かした。
カイルの声が響く。
「今から早速訓練だ。覚悟しておくように」
大規模練兵場には、新編成された約三千名の兵士たちが整列していた。
その先頭に立つセレスの姿は、昨日とは明らかに違う。
彼女の声には、確かな張りがあった。
「今日から本格的な訓練を始めます」
隣に立つカイルは腕組みをし、その表情には一切の甘さがない。
「王都でやっていた『お遊びの演習』のことは忘れろ。できなければ、容赦なく居残りだ」
兵士たちの間に緊張が走る。
そんな中、カイルが声を張り上げた。
「まずは基本的な『密集防陣』からだ。聖騎士団は陣形を無視した突出癖が染み付いているからな。……その前に一人紹介しよう。エミール! エミールはいるか?」
セレスと同じ年格好の少年が、ひょいと前に出た。
「何ですか? 叔父さん」
「ぷっ……おじさん」
ミリアが思わず吹き出した。
カイルは不機嫌そうに顔をしかめ、話を続ける。
「エミールは俺の甥だ。新たにセレスの副官になってもらう。ミリアには別動隊を任せることが増えるだろうからな」
「僕がですか?」
「そうだ。セレスの護衛も兼ねてもらう。こいつの剣の腕は、セレスほどではないが良いものを持っている」
「二刀流か……」
ミリアが呟く。
エミールの左右の腰には、二振りの剣が携えられていた。
「エミール。ヴァルデン流の『いつもの訓練』を始めてくれ」
「わかりました。エミール・リンドバーグです。皆さん、よろしくお願いします!」
テキパキと動くエミールが、兵士たちに指示を出す。
「五人一組で行動してください。各グループに番号札を配ります。今回は初回なので試験形式です。合格基準は高めに設定していますから、手を抜かないように」
「伯父さん。小隊長クラスの者たちは、どう割り振りますか?」
問いかけられたカイルは、視線で隣の副官を指す。
「ミリア。彼らの指導は、お前に頼みたい」
「わかったわ。任せて」
ミリアは短く応じると、小隊長らが固まる一角へと歩き出した。
セレスは、同世代の少年に親しみを込めて笑顔で挨拶した。
「セレスティーヌよ。よろしくね、エミール」
「……よろしくお願いします。セレスティーヌ様」
エミールはそっけなく頭を下げると、ぷいっと兵士たちの輪の中へ戻っていった。
その様子を見て、カイルとミリアが顔を見合わせて小さく笑う。
セレスはエミールの態度に少し首を傾げたが、次々とグループ分けが進む様子を見守り、胸を高鳴らせた。
(本当に、ここから始まるんだ……)
彼女の中に芽生えた決意は、もう揺るがない。
午後の訓練では、実戦形式の模擬戦が行われた。
セレスとエミールの隊に対し、カイルとミリアの隊が対峙する。
「セレスティーヌ様、正面突破が全てではありません」
「わかっているわ、エミール。正面突破は、敵を圧倒する兵力を揃えてこそよ」
カイルが鋭い指示を飛ばした。
「ほう……ならばこれはどうする? 時計回り、側面を狙え!」
「エミール、右が危ないわ。行かせないで!」
仕掛けてきたのはミリアだ。同じ兵数では太刀打ちできない。
セレス隊が右翼の敵に対応しようと展開し始めた、その時――突如としてカイル側の陣形が変化した。
「罠です!」
エミールが叫ぶ。
「落ち着いて!」
セレスは即座に命じた。
「エミール、所定位置へ退避しなさい!」
その冷静な判断に、カイルは満足げに頷いた。
想定以上に早く適応している。良いコンビになるかもしれん。
訓練終了後、カイルは珍しく彼女を褒めた。
「エミールの対応が早かったおかげです」
隣のエミールに微笑むセレスに対し、カイルは釘を刺す。
「エミールもよくやった。だが二人とも、油断は禁物だぞ」
「「はい!」」
二人は声を揃えて、元気よく返事をした。
***
グランゼイド帝国。
帝都ライヒェンバッハの宮殿では、皇帝ヴィルヘルム三世が玉座で思索に耽っていた。
重い扉を開けて入室したのは、宰相ベルトルト。
その片手には、伝信竜が運んできた小さな巻物が握られていた。
――伝信竜。
一般には小型のワイバーン種と称されるが、その実態は翼を持った小柄な爬虫類に近い。
帰巣本能に頼るため一方通行だった伝書鳩に対し、知能の高い彼らは二地点間の「相互往復」をこなす。
さらによく訓練された個体ともなれば、移動し続ける部隊の巣箱さえも正確に追跡し、帰還することができた。
空を駆ける最新の情報伝達手段として、軍や大商店のような限られた組織で重用されている。
ヴィルヘルム三世は、届けられた報告を冷淡な一瞥で切り捨てた。
「王都の制圧は順調だが、獲物は逃がしたようだな」
「は。聖騎士団団長と一部兵力は、ヴァルデン領方面へ逃れたとのことです」
ベルトルトの言葉に、皇帝は地図の上の一点を指した。
「なるほど、山岳地方のヴァルデンか。天然の要塞、公爵令嬢の命を守るには丁度よいか場所だな」
皇帝はそう呟くと、ふと思い出したように、宰相へ視線を向ける。
「そういえばヴァルデンの領主は、ベスティア領の王国軍の主力部隊に参加しているのか?」
「いえ、軍を辞めさせられて、自領で領民と畑仕事をしていると聞きました。王都のディートハルト将軍に、追撃命令を出しますか?」
ヴィルヘルムは手を挙げ、制した。
「僻地のヴァルデン領など、今は戦略的に何の価値もない。名門ヴァルデン家も堕ちたものよ」
窓の外には、紅葉が始まった庭園が広がっている。
皇帝の双眸には、底なしの闇が宿っていた。
「それに……」
彼は低い声で呟く。
「聖騎士団長が怯えてヴァルデンに籠もるならそれでよし。出てくるようなら――その時に叩き潰せばよい」
皇帝は知る由もなかった。その僻地の土の下で、王国の運命を覆す「牙」が研ぎ澄まされていることを。




