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第9話 疾風のマクシミリアン

数日前――。


グランゼイド帝国の帝都にあるライヒェンバッハ宮殿。

その玉座の間で、皇帝ヴィルヘルム三世は大陸地図を眺めながら思索に耽っていた。


「陛下、報告がございます」


入室した宰相ベルトルトの細い声には、隠しきれない緊張が混じっている。

「リザニア砦が……落ちました」


ヴィルヘルムの眉が、僅かに動いた。

彼は玉座から動かぬまま、鋭い眼差しを宰相に注ぐ。


「ほう……詳細は?」


「守備隊長ゲルハルト・シュタイナーは籠城策を放棄。セレスティーヌ率いる三千の軍勢に対し、野戦を挑みました。結果は……惨憺たるもので……」


宰相は言葉を濁した。


「愚かな……」


皇帝の低い声が、石造りの室内に反響する。

それは怒りというよりも、深い失望に近い響きだった。


「で……その後は?」


「リザニア砦を焼き払った後、街道を南西に向かって移動したと報告が入っております」


「南西だと?」


「はい。その先には城塞都市ベルモスがありますが――進路を変え、西のメイルドック辺境伯領、アルクリーズ城へ移動する可能性もございます」


ヴィルヘルムは顎に手を当てた。


「ベルトルト。お前はどう思う?」


「は。ベルモスは大都市であり、物資の補給には最適。対してアルクリーズ城には、一万を超える兵士が駐屯しております」


「なるほど。『物資』か『兵士』か。どちらにせよ、無事に行かせると鬱陶しいな。対抗策は?」


宰相が恭しく礼をする。

「一人の俊才を推薦いたします。マクシミリアン・フォン・カシュタイン卿、ここへ」


重厚な扉が開く。

颯爽とした足取りで、一人の青年士官が現れた。

鮮やかな青の軍服に、金の刺繍。


見る者を魅了する端正な容貌だが、その瞳には冷徹な光が宿っている。


――マクシミリアン・フォン・カシュタイン。


帝国陸軍士官学校を首席で卒業した、次代の将軍候補筆頭。

その神速の用兵術から、人々は彼をこう呼ぶ。


『疾風のマクシミリアン』


剣技においても達人級であり、帝国市民からは未来の英雄として熱狂的な支持を受けていた。


青年は皇帝の前で、優雅に膝を折る。


「皇帝陛下のご尊顔を拝し、至上の光栄に存じます。聖騎士団長セレスティーヌ討伐の任、ぜひ私に拝命いただきたく」


「ヴァルデン公国との国境紛争では、大活躍だったそうだな」


「は。ですが、先の王国出兵に参加できず雌伏しておりましたところ、例の『戦女神セレスティーヌ』が健在と聞き及びまして。……討伐の機を、何卒」


あえて「王国軍」ではなく、敵将の名を口にするマクシミリアン。

その言葉の裏には、隠しきれない執着が滲んでいた。


「お前の自信は買おう」


ヴィルヘルムは冷ややかな一瞥をくれた。

「ただし、余の期待を裏切れば、それ相応の対価を支払ってもらうぞ」


「承知しております」


マクシミリアンは、不敵に微笑んだ。

「気ままに飛びまわる羽虫退治など、造作もございません」


ヴィルヘルムは短く手を挙げた。

「ならば五千の兵を預ける。速やかに追撃せよ」


「御意」


青年士官は一礼すると、鮮やかに踵を返した。


***


聖騎士団セレス一行は、運命の分岐路――城塞都市ベルモスとメイルドック領へ続く林道を進んでいた。


「セレスティーヌ様!」


斥候が、砂塵を巻き上げながら猛烈な勢いで馬を駆けてくる。

「北東より異常な砂埃を確認! 騎兵隊、約四千から五千! これより数分で視界に入ります!」


カイルが即座に馬首を巡らせた。

「セレス、陣形を整えろ!」


「了解しました!」


セレスが凛とした声を上げた瞬間、遠くの地平線に「青い軍旗」の群れが翻った。

それを見たミリアが息を呑む。


「……帝国軍の、あの青い旗印に一角獣の紋章……。間違いない、マクシミリアンの連隊だわ」


「マクシミリアン・フォン・カシュタインか」

カイルが忌々しげに舌打ちをする。

「帝都に戻っていたはずだが、もう追いついてきやがったか」


ミリアは遠方に揺れる軍旗の動きを見つめ、驚愕した。

「……おかしいわ。進軍速度が速すぎる。本来なら歩兵や補給部隊が随伴しているはずなのに、砂埃の上がり方が騎兵一色だもの」


カイルはその異常な速度の分析をした。

「おそらくだが……足の遅い歩兵と補給隊を後方に置き去りにしたんだろうな。そうでなければ、この速さの説明がつかん」

カイルの分析通り、このときマクシミリアンの部隊は四千強といったところだった。


カイルは素早く林の奥を指差した。


「奴らがこの林道に踏み込むまで、あと数分だ。セレス! 俺の言う通りにしろ。時間がない、急ぐぞ!」


カイルの鋭い号令が飛ぶ。


「部隊を二手に分ける。セレスとエミールは騎兵隊を率いて速度を上げろ。敵と反対方向へ走るんだ。俺とミリアは歩兵を中心に部隊を組む」


「こちらが寡兵なのに分散するのですか!?」

セレスが食い下がった。

「各個撃破される恐れがあります!」


「セレスから『各個撃破』の懸念を指摘されるとは……うーむ。感慨深いものがあるな」


「伯父さん! 感心している場合じゃないですよ!」

エミールの叫びに、ミリアも追い打ちをかける。

「そうよ、おじさん! 早く説明して!」


二人の叱咤を受け、カイルは鋭い視線を林に向けた。


「歩兵隊は林の中に潜伏させる。馬は目立つし、この地形では機動力を活かせないからな」


三人は、カイルの意図を汲み取ろうと耳を澄ます。


「当然、敵は『聖騎士団長』であるセレスを追ってくる。だが、ここは狭い林道だ。四千もの騎兵が速度を上げれば、戦列は必ず縦に長く伸びる。……そこを狙う」


カイルはセレスの肩に手を置いた。


「セレス、お前と腕利きの数名を最後尾に配置しろ。道の幅を利用して、敵と当たる面を最小限に抑えるんだ。そして伸びきった敵の脇腹を、俺とミリアが横から挟撃する!」


「うまくいくかしら……」

ミリアの不安に、カイルは不敵に笑った。


「敵の数は、おそらくこちらの1.5倍くらい。どちらにせよ全滅させるのは無理だ。だが、予想を超える打撃を与えて士気を挫けば、撤退してくれるだろうさ……運が良ければの話だが」


「運が悪かったら?」


「その時は諦めるさ。もともと1.5倍の敵に勝つ方が難しいんだ。俺の策が失敗しても恨むなよ?」


カイルは一同を見回し、力強く告げた。


「では、皆の武運を祈る!」


「「はい!」」


カイルとミリアは、気配を殺して林の深奥へと消えていく。


セレスの瞳に、鋭い決意の光が宿る。

「皆さん……」


彼女の声はわずかに震えながらも、確かな力強さを帯びて響き渡った。


「数では劣ります。ですが、日々の厳しい訓練の成果を今ここで見せましょう。……決して、無茶はしないように!」


「おおおおーーーっ!!!」


兵士たちのときときの声が、林道に轟く。


セレス率いる騎兵部隊は一気に速度を上げ、林道を駆け抜けた。

敵が追いつく前に狙い通りの地点で足を止め、鮮やかな手際で反転。

街道を塞ぐように、堅実な防御陣形を敷く。


一方、カイルとミリアの歩兵部隊は、息を潜めて林の中へと散開した。

木々の隙間から、奇襲の牙を研ぐ。


セレスは林道の中央で、迫りくる土煙を静かに見据えていた。

やがて、帝国軍の先頭の部隊が眼前に迫る。


鮮やかな青の軍装に銀の胸当てを重ねた騎兵たち。


(……なるほど。重装を廃し、徹底して機動性に特化させたのね)


目の前の軽装ながら隙のない軍装を見て、セレスはその異常な進軍速度の正体を悟った。


「どう、どう……」

悠然と馬を止めた若い指揮官が、その端正な顔に冷ややかな嘲笑を浮かべた。


「貴女が噂の戦女神エイリーン様ですか。評判通り突撃してくるかと思いきや、逃げ回った挙げ句に防御陣形とは。……少々、意外ですね」


マクシミリアンは、品定めするように相手セレスの陣を見渡した。


「ですが残念。このカシュタイン家の嫡男に、そのような付け焼き刃は通じませんよ」


マクシミリアンの声は、よく通り、透き通るような響きを帯びていた。


「あなたが、マクシミリアン・フォン・カシュタインね」


「貴女の口から我が名を呼んでいただけるとは、光栄の極み」


恭しく礼をしてみせるマクシミリアン。


セレスは何も答えず、静かに白銀の剣を抜き放った。


部隊と共に、慎重な足取りで帝国軍の先頭へと歩み出た。

狭隘な林道の中央で、二人の騎士が睨み合う。


片や、優雅さを纏う帝国の貴公子マクシミリアン

片や、凛として佇む麗しき王国聖騎士セレスティーヌ


張り詰めた空気が、林道を包んだ。

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