第63話 帝国の分裂
「では、議題に移ろう」
ディートハルトの声が、石造りの評議場に硬く反響した。
末席に座っているエルム・クロウが手を挙げた。
「お待ちください」
「なんだ?」
「まず、宰相ベルトルト閣下の件を差し置いて、先に話すことなどあるでしょうか?」
ディートハルトは小さくため息をつき、エルム・クロウを睨んだ。
「今回の議題は、ローゼンベルク王国への出兵計画だ。そのために十二鉄血会議を開催したのだ」
第二騎士団の宿将ベルクマンが、静かに片手を挙げて声を上げた。
「いや、エルム・クロウの言う通りだ。ジークフリード殿下とカシュタイン子爵が、一国の宰相に命を狙われたのだ」
エルム・クロウやベルクマンの割り込みに、他の諸侯も黙って耳を傾けていた。
ディートハルト以外の者にとっては降って沸いたような出兵計画より、そちらの真相のほうが重要なのだ。
ベルクマンは続けた。
「それだけでなく、ディートハルト卿。貴殿がベルトルト宰相を直接処断したというではないか? 何よりも優先すべき国の一大事だと思われるが、どうかな?」
「それはそうだが、報告した通り、ベルトルト宰相は暗殺部隊を雇いカシュタイン子爵を襲撃し、私の邸宅に逃げ込んできたのだ。自首するように勧めたが、自暴自棄になって切りかかってきたのだ。残念ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない」
エルム・クロウはディートハルトを静かに見据えた。
「動機はお聞きにならなかったのですか?」
「動機だと?」
「ええ、殿下を狙った動機です。『なぜそんなことをしたのだ?』と普通は考えませんか?」
「動機か……確か『帝国の未来のため』と、抽象的なことを言ってたな」
「それだけですか?」
「あと、陛下が亡くなって、宰相としての激務で心身ともに疲れ果てていたのかもしれん」
「会議は昨日でしたわね。そうなのですか、皆様?」
ベルクマンが首を傾げた。
「ベルトルト宰相か? 体調が悪そうには見えなかったがな」
ディートハルトは内心で舌打ちした。
「大事な会議だったからな。無理を押したのであろう」
「では、なぜディートハルト将軍の邸宅なのですか?」
「どういうことだ?」
「罪状は第一皇子暗殺未遂です。帝国中を探したって、匿ってくれる人間などいません。なのになぜベルトルト宰相は、よりによって将軍のところへ逃げ込んだのでしょう?」
「まるで尋問のようだな。先ほど言った通り、宰相は精神的に追い詰められて混乱していたのだろう」
「宰相は軍人ではありません。ディートハルト将軍なら、取り押さえたりできなかったのですか?」
「突然のことでな。真相を聞き出せなかったことが悔やまれる。これは私の不徳の致すところだ。皆に詫びねばならんな」
「本当にそうですね」
ディートハルトは無礼な物言いに言い返そうとした。だが、諸侯の表情はエルム・クロウと同じ疑念を浮かべていた。
ディートハルトは、それを見て言葉を飲み込んだ。
エルム・クロウは首を振りながら言った。
「それにしても、ジークフリード殿下とカシュタイン子爵、それにマクシミリアン卿まで狙ったとなると、ベルトルト侯爵家は確実に取り潰しですわね」
「そうなるが、それは貴殿が気にすることではない」
「ちなみに、狙われた三人と首謀者を合わせた四人以外にも、この暗殺計画の存在を知っていた人物がいることをご存じかしら?」
ディートハルトの眼光がエルム・クロウを見据えた。
「なんだと?」
その一言で室内はざわつき始めた。
その中でベルクマンがエルム・クロウに問いかけた。
「エルム・クロウ。お前はその人物を知っているのか?」
「ええ、一人の女性が関係しています」
ディートハルトが立ち上がり、怒鳴った。
「貴様……姉上、いや、皇后陛下が関わっていると言いたいのか!! 証拠を見せてみろ。いや、その必要もない。この不敬な女を即刻つまみ出せ!」
エルム・クロウは両手を広げてなだめた。
「将軍……落ち着いてください。関わっている女性とは私のことです。あの晩、現場にいましたの」
「な!?」
諸侯の視線がディートハルトに集まった。
「いや……そうなのか」
「はい。一歩間違えば、私も刺客に殺されていたでしょう」
「……」
「ところで、ディートハルト将軍はなぜ私が皇后陛下を疑っていると思ったのですか?」
「そ、それは」
諸侯がディートハルトの反応を待っていると、評議室の扉が開いた。
「もう、いいでしょう、ディートハルト」
全員が一斉に振り返った。
「こ、皇后陛下……」
「本来、私は参加できる立場ではないのですが、元王国の小娘が参加していると聞いて、黙って見過ごすわけにはいかないでしょう。いつから十二鉄血会議はこのような捨て猫が参加できるようになったのかしら?」
エルム・クロウは一礼した。
「皇后陛下。私はカシュタイン子爵の『名代』として参加しております。私の言葉は――」
「黙りなさい!」
評議室が静まり返った。
「カシュタイン子爵が何だと言うのです。このような亡命者に委任状を渡す男など、信用するに値しません」
ベアトリクスは続けた。
「ええ、ベルトルトから計画を聞きました。しかし、私は反対しました。血は繋がっていないとはいえ、ジークフリード殿下は私の大切な息子の一人です。暗殺するなど、許し難い蛮行です!」
ベアトリクスは、見上げる弟を庇うように言った。
「ディートハルトは私にいらぬ疑いがかからぬよう、皆に私の存在を伏せたのでしょう。私は構わぬと言ったのですが、逆効果だったみたいですね」
ディートハルトは頭を下げた。
「申し訳ございません」
エルム・クロウは黙って二人を見つめた。
「エルム・クロウとやら、これで満足したかしら? 会議を無駄に混乱させた貴女と、委任状を出したカシュタイン子爵には、あとでたっぷりと礼を差し上げることにします。とくに貴方……貴方には私が直接お礼がしたいわ」
「……」
「ふふ、先ほどまでの威勢はどうしたの? 『名代』など所詮は虎の威を借りる狐、いえ猫というところかしら」
「……知っていらしたのですね?」
「なあに?」
「ベルトルト宰相から計画を聞いていたのですね」
「そう言ったでしょう。けれど、そんな恐ろしいこと、私は反対しました」
「わかりました。それで十分です」
「わかったならいいわ。ところで、もう委任状があるなしに関わらず、場を乱した貴女にはこの会議に出席する資格はないわ。立ち去りなさい」
エルム・クロウは立ち上がった。
「そういたします。殿下には『皇后陛下が暗殺計画を事前に知っていた』ことをお伝えします」
ベアトリクスの背筋が凍るように冷たくなった。
「だから、私は反対したといっておる!」
「許しがたい蛮行なのに『反対した』だけなのですね。兵を呼んで宰相を拘束するでもなく、カシュタイン子爵家に警告を出すこともせず」
「……っ! 王国の捨て猫が何を偉そうに!」
「では、失礼いたします。あと、猫は嫌いではありません」
エルム・クロウはそう告げると扉のほうに歩き出した。
「ま、待ちなさい! ジークフリードを煽るつもりではないでしょうね? そんなことをしたら――」
「ご安心ください。皇后陛下がおっしゃった通りの真実を正確にお伝えしますわ」
諸侯が見守る中、エルム・クロウは評議室を退出した。
「聞いたか、皆。これは脅し以外の何ものでもないではないか! そうだ。ジークフリードとその一味は脅しをかけてきたのだ。はっ。ベルトルトの懸念も理解できるであろう? あやつらがいては帝国の未来が危うい」
諸侯の一人が声をかけた。
「皇后陛下。どうか落ち着いてください」
「落ち着けですって? 昨日の会議でのジークフリードの態度も見たであろう。あやつは自分さえよければ帝国などどうなってもいいのだ。そして自分が気に入らなければ、誰であろうと容赦なく排除する男なのだ!」
ベアトリクスは長卓の将軍たちが座っているほうを向いて命じた。
「六将軍がた。相手の出方を待っていては足元をすくわれかねません。グランゼイド帝国皇后として命じます。ジークフリード一味と直属軍を討伐しなさい。帝国の憂いを断つのです」
「はっ!」
椅子を引く音が響いた。
しかし、ベアトリクスの予想と違い、立ち上がったのはディートハルトとザイデンだけだった。
ベアトリクスは二人の間に座る第二騎士団の宿将を睨みつけた。
「ベルクマン将軍。貴殿はなぜ立たない」
「……皇后陛下。私は今回、中立の立場を取らせていただきます。おそらく、立ち上がらなかった将軍たちも同様かと」
「貴様ら……帝国への忠誠はどうした?」
「揺るいでおりません。ジークフリード殿下にもマリウス殿下にも。もちろん皇后陛下にもです」
「……」
「ただ、小官のような愚鈍な男には帝国の憂いがどこにあるのか、いまの状況では判断しかねます」
「ジークフリードではなく私が憂いだと言うのか?」
「それが判断できないから、どちらにもお味方しないということです」
ディートハルトは、堪えきれない悔しさを滲ませた。
「勝ったほうにつくというのか? 帝国の宿将ともあろう者が随分と日和見なのだな。ベルクマン卿」
「この難局を生き残れたほうにつく――ということだ、ディートハルト卿」
「残念だ。我々が勝利したあかつきには、第二騎士団の団長の任を解くことになりそうだ。立ち上がらなかった将軍たちも同様だ!」
「好きにするが良い。武運を祈っているぞ。これは本心だ」
十二鉄血会議は、もはや帝国の行く末を決める会議ではない。帝国の分裂そのものを映す鏡と化していた。




