第64話 忠誠の値段
評議場を出たあと、エルム・クロウは馬を借り、皇宮からカシュタイン子爵邸へと急いだ。
昼を過ぎたばかりの帝都の大通りは、いつも通りの喧騒に満ちていたが、彼女の耳には、蹄の音以外何も入ってこなかった。
邸宅に駆け込んだエルム・クロウは、玄関口で息を切らしたまま声を上げた。
「子爵様! カシュタイン子爵様はおられますか?」
物音を聞きつけたのか、カシュタイン子爵が奥からゆっくりとホールに姿を見せた。
「おお、エレノア殿、戻ったか。十二鉄血会議はどうであったか?」
エルム・クロウは呼吸を整える間も惜しむように、単刀直入に告げた。
「子爵様。一時的に侍女と共に邸宅から避難してください」
カシュタイン子爵の表情から、穏やかさが消えた。
「ということは、やはりベルトルトだけが黒幕ではないのだな……」
「はい。皇后陛下も限りなく黒かと」
「で、どうなる?」
「おそらく、ジークフリード殿下を含め我々を討伐しにくるかと」
カシュタイン子爵は目を閉じ、しばし黙り込んだ。
「貴殿……追い詰めたな」
「ここで素知らぬ顔で握手したところで、またいつ刺されるかわかりません。いっそ殿下に敵対する者を炙り出して、憂いをなくしてしまいましょう」
「なるほど、それがエレノアではなく、知恵の黒烏の顔か」
カシュタイン子爵の声には、覚悟を固めるような重さがあった。
「……そうだな。貴殿はどうする?」
「私は郊外の駐屯地で殿下とマクシミリアンに合流します」
「相手の兵数は大丈夫なのか?」
「そうですね。会議の様子からして、ディートハルト将軍を含めても、賛同するのは多くて二人くらいでしょう。あと、万が一相手になる将軍が三人以上になったなら、いったん北方方面に撤退して、方針を調略に変えたほうがいいかもしれません」
「撤退など、殿下がお認めになるとも思えんが、そのときはエレノア殿、説得を頼む」
「おまかせください」
エルム・クロウは玄関を出て再び馬に乗った。
◇
皇宮内、ディートハルトの執務室。
ディートハルトは、王都より帰還した第一騎士団副官シュナイダー、第三騎士団団長ザイデン将軍、その副官とともに、ジークフリード討伐について話し合っていた。
「シュナイダー。王都から撤退したのは残念だが、お前が間に合ってよかった」
「はっ。しかし若干、この状況についていけていません。ですが、相手が何者であろうと第一騎士団のために全身全霊で挑むつもりです」
「助かる」
ディートハルトはザイデンへ向き直った。
「ところでザイデン卿、アルテール平原で失った第三騎士団の兵の補充はどうなってる?」
「時間がなく……いまは六千のままです」
「第一、第三合わせて一万六千か」
シュナイダーは尋ねた。
「ジークフリード殿下はいかほどになるでしょうか?」
「直属軍が一万一千。カシュタイン子爵の兵が四千から五千、合わせて約一万六千だな」
「帝国の命運を分ける戦いで、兵数が同じとは運命のいたずらでしょうか」
アルテール平原で五千の兵を失ったザイデンは、鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい。偶然だ」
シュナイダーは恐縮した。
「申し訳ございません」
ザイデンがここぞとばかり身を乗り出して言った。
「それよりもディートハルト卿、そのバランスを崩す案があるのですが」
「なんだ?」
「ジークフリード殿下の兵は確かに忠誠心が高いです。しかし、それは北方の士官や兵の話で、三千の傭兵の忠誠心は、殿下ではなく金です」
シュナイダーが首をかしげた。
「傭兵も忠誠心が高いと聞きましたが」
「それはジークフリード殿下を北方戦線に送るため、帝都が惜しみなく金を出したからだ。ジークフリード殿下の私財で雇っていたわけではない」
ディートハルトの表情に、初めて明るいものが差した。
「よく気が付いた、ザイデン」
「はっ。サボタージュをさせることはできるかもしれません。そして、もっとうまくいけば……」
「わかった。すぐ手配を頼む」
「おまかせを」
ザイデンは返事をすると、副官に手配を命じた。
副官は頷くと執務室を出て行った。
ザイデンはディートハルトへ向き直った。
「きっと、うまくいくでしょう」
「そうだと良いがな」
すると、執務室の扉を叩く音がした。
「ディートハルト将軍。ベルクマン将軍から使者が来ております」
ディートハルトは言った。
「通してやれ」
扉が開くと同時に太い声がした。
「失礼する」
入ってきた男は『鉄砕』の異名を持つ帝国屈指の猛将、ドルクハルト・イェーガーであった。
「ディートハルト閣下。お久しぶりです」
三人は一斉に驚いた。ディートハルトが声をかける。
「ドルクハルトか? 傷はもういいのか?」
ドルクハルトは手のひらを見せた。
「ええ、見ての通り傷跡は恰好悪いですが、握力は完全に戻っております」
「それはなによりだ。で、ベルクマン卿の使者ということだが、何用だ」
「はい。心苦しいですが、第二騎士団は中立を保ちます」
「知っている。さきほどお前の上官に直接言われた」
「第二騎士団は動きませんが、ベルクマン閣下の命で、私は第一騎士団と共に戦います」
「なんだと?!」
「ディートハルト閣下へのせめてもの義理だとのことです」
「ふん、中途半端な真似を。で、お前はいいのか? 相手はジークフリード殿下だぞ」
「閣下も私の性格をご存じでしょう。大陸一の剣士と言われる方と手合わせしたいと思いましてな」
「無理をするな。顔に出てるぞ」
「おわかりですか……でも嘘ではありません」
「わかった。世話になる」
ドルクハルトは「支度をする」と言って部屋を出て行った。
扉が閉まると、ザイデンが口を開いた。
「ドルクハルト卿が味方になるとは……風向きが変わったかもしれませんな」
「ザイデン卿。風向きは変わっていない。追い風が吹いたのだ」
◇
帝都郊外の駐屯地。
出陣を控えた兵たちの熱気か、乾いた土の匂いが濃く漂っていた。
エルム・クロウは本営の天幕の外に立っていたマクシミリアンを見つけた。
馬を近くに寄せた。
「どうどう……」
「エレノア!」
「マクシミリアン。殿下は?」
「お前を待っていたところだ。昼前まで仮眠なされてたが、今は中にいるぞ」
エルム・クロウは馬から降りると、マクシミリアンを促すように本営の天幕へ向かった。
「一緒にきて」
ただならぬ様子に、マクシミリアンも慌てて後を追った。
「お、おう」
天幕の入り口に、直轄軍の副官であるリンツ子爵が立っていた。
エルム・クロウが近づくと、彼はその前に立ちふさがった。
「待て、貴殿は何者だ? 怪しいな」
リンツはエルム・クロウの正体を知っていた。それでも、殿下に軽々しく近づく亡命者への反感から、あえて素性を知らぬふりをしていた。
「そう言う貴方こそ、何者かしら?」
「なんだと?」
「月並みな表現だけど、『人の名を尋ねるときは、自分から名乗れ』って言うじゃない」
「俺は直轄軍副官のリンツだ。貴殿は?」
「……エルム・クロウ」
「馬鹿にしてるのか? 神話の使い魔の名前など出しおって」
マクシミリアンが慌てて言った。
「リンツ卿。彼女の本名はエレノア・クロムウェルだ。故あって名前を変えて――」
エルム・クロウは手を挙げてマクシミリアンを制した。
「お亡くなりになったヴィルヘルム三世陛下も、ジークフリード殿下もお認めになった名前だわ。軍の中でもこの名で通ってるし、何か問題でも?」
「なるほど、お前が噂の元王国人か?」
リンツはあえて亡命の弁明をさせたうえで、「信用できんな」と言うつもりであった。だが、エルム・クロウの反応はまったく違った。
「はぁ……この問答も、さすがに飽きたわ。時間が惜しいの。マクシミリアン、中に入るわよ」
エルム・クロウはリンツを無視して天幕の中に入っていった。
マクシミリアンは困ったようにリンツに一礼して後に続いた。
リンツはむっとした表情を崩さぬまま、マクシミリアンに続いて天幕をくぐった。
天幕の中に入ると、ジークフリードが剣を抜いて切っ先を見つめていた。
「エレノアか? 十二鉄血会議に参加したらしいな」
「殿下。詳細は移動しながら説明いたします。まずはこの駐屯地から出てアイゼンフェルト平原へ部隊を移動させましょう」
「……そこで、義母上、いや皇后派と決戦か?」
「……わかっていらしたのですね」
後ろからリンツが言った。
「敵の準備が整う前に帝都に攻め入ったほうがいいのではないか?」
「そんなことをしたら、六騎士団全軍を相手にすることになるわ」
「火を放ち、混乱に乗じながら各個撃破する作戦案はすでに立ててある」
エルム・クロウは反論する気にもなれなかった。
ジークフリードがリンツをなだめた。
「リンツ、帝都を焼くのは今回はなしだ。気が乗らん。いったんアイゼンフェルト平原へいくぞ」
「承知しました……」
リンツはそう言うと、エルム・クロウを睨みつけた。
◇
ジークフリードは全軍に、アイゼンフェルト平原に移動し、布陣するよう命を下した。
兵たちは手際よく天幕を片付け、移動の準備に取り掛かった。
本営の天幕があった場所から離れた所。
直属軍の傭兵部隊も片付けをしていた。
一騎の騎兵が、傭兵部隊の陣に到着した。
「傭兵隊長はおられるか?」
いびつな形の斧や剣、統一感のない武器を持った傭兵たちが騎兵を囲んだ。
獅子のたてがみを思わせる分厚い赤髭の男が返事をした。
「俺だ。お前は何者だ?」
「なるほど、貴方が『赤獅子』のマルテッリですか? 私は新しい雇い主の使いと言ったところです」
マルテッリは赤髭を撫でながら、値踏みするような目で使者を見た。
「なんか難しそうな話だな。雇い主はジークフリード殿下じゃないのか?」
「ええ、違います。今も昔も、貴方の雇い主は帝国なのですから」




