第62話 十二人目の席
帝都――同時刻。
第一騎士団の将軍であるグスタフ・フォン・ディートハルト伯爵の邸宅。
その執務室には、まだ夜の匂いを残す冷たい空気が漂っていた。
そこに、宰相ベルトルトは逃げ込んでいた。
燭台の炎が揺れるたび、壁に映る二人の影も落ち着きなく揺らめく。
ディートハルトはベルトルトを容赦なく叱責していた。
「馬鹿な! 勝手な真似をしおって!」
本来なら、爵位も官職も上であるベルトルトに対し、ディートハルトがここまで強い口調を使うことはあり得ない。
だが、相談もなく勝手に暗殺を企て、失敗した途端に助けを求めて逃げ込んできた――
その事実だけで、力関係は一瞬で逆転した。
ベルトルトもそれを理解していた。後ろめたさと恐怖が混じり、自然と敬語になっていた。
「しかし、皇后陛下もご賛同してくださいました」
「そうだとしても、それを御諫めするのが貴殿の仕事であろう」
「ですが、帝国とマリウス殿下の未来のために必要なことだと……」
「……成功していればな」
ディートハルトは深くため息をついた。
「この暗殺計画を知っているのは、姉上と貴殿だけか?」
「勿論です」
「刺客たちはどうだ?」
「……」
「答えよ。どうなんだ?」
「皇后陛下が関係していることは決してわからないようにしています」
「当たり前だ!」
「……しかし、私が仕組んだことは、ジークフリード殿下には伝わった可能性が高いです」
「失敗したことを、姉上にお伝えしたのか?」
「いいえ、これからです」
「……なるほど。それは良かった」
「は?」
ディートハルトは素早く剣を抜き、ベルトルトの首を一瞬で刎ねた。
崩れ落ちた身体から流れた血が、絨毯の織り模様を静かに侵していく。
「姉上には俺から伝えておく。貴様の勝手な行動のことをな」
ディートハルトはベルトルトの首を一瞥したあと、声を上げた。
「誰ぞ、いるか?」
「はっ」
ディートハルト伯爵家の執事が入ってきた。
「朝になったら帝都守備隊へ連絡しろ。ジークフリード殿下暗殺未遂の犯人は、こちらで処罰したとな。保護を求めてきたが、自首を勧めたところ、自暴自棄になって襲い掛かってきた、と」
執事はベルトルトの首を一瞥して、心配そうに言った。
「殿下はご納得されますでしょうか?」
「納得はしては下さらぬだろう。それより、昼頃に十二鉄血会議を招集したい。諸侯に連絡を頼む。今回は皇族のご出席は不要だ」
「では、本来の十二名から宰相閣下を除いて十一名ですな」
「そうだな……いや待て、カシュタイン子爵をお呼びしろ。大貴族ではないが、異を唱える諸侯もおるまい」
「議題はいかがなさいますか?」
「ジークフリード殿下を総大将としてローゼンベルク王国への出兵計画だ」
執事は急な出兵計画に一瞬驚いたが、その意図を理解した。
「なるほど、それでカシュタイン子爵を……しかし、それで、殿下の矛はおさまりますか?」
「本人のご希望だ。手はいくら打っても損はない。カシュタイン子爵が説得できなければ、誰にも無理であろうよ」
「なるほど……それで閣下は?」
「姉上のところにいってくる……それと」
「はい」
「第一騎士団を動けるようにしておいてくれ」
「わかりました」
◇
騒動から一夜明けた朝。
帝都中心部から少し離れたカシュタイン子爵兵の駐屯地には、まだ朝靄が薄く残っていた。整然と並んだ天幕の間を、兵たちの立てる物音と、馬の嘶きが行き交う。
マクシミリアンの部下が報告にきた。
「マクシミリアン様。ジークフリード殿下の部隊が合流しました」
「承知した。それで殿下は?」
「少し仮眠したいと……それで副官のラバン・フォン・リンツ子爵がお見えです」
四十代くらいの男が、数人の部下を引き連れてマクシミリアンに近寄ってきた。
男は鋭い視線でマクシミリアンを見て言った。
「貴殿がカシュタイン子爵の倅のマクシミリアンか?」
リンツは北方出身らしく色白で、口元には整えられた口ひげを蓄えていた。
マクシミリアンは年長の副官に敬意を示し、頭を下げた。
「お初にお目にかかります。マクシミリアン・フォン・カシュタインです」
リンツはマクシミリアンの敬礼を無視し、駐屯地を見渡した。
「貴殿の兵は四千五百か、併せて約一万五千だな。ふむ、いまなら帝都を焼くことも容易いかもしれん」
マクシミリアンはリンツの発言に驚いたが、努めて平静を装った。
「ご冗談を」
「冗談ではない。殿下を認めない連中がいるこんな腐った都市はさっさと焼いて、ヤーデブルクにでも遷都すればよいのだ」
ヤーデブルクは帝国北方にある都市で、かつては小国の首都だった。
「リンツ卿。その言葉は帝国に対する謀反と取られても仕方ありません。くれぐれもお気をつけください」
「帝国? 俺の中で国とはジークフリード殿下その人だ」
リンツをはじめ、ジークフリードの直属軍の士官には、帝国に滅ぼされ、あるいは併呑された北方諸国の貴族の子弟が多い。
彼らの故国は帝国の中枢から遠く離れた寒冷な土地にあり、獣の毛皮を纏うのも生きるための知恵に過ぎない。それでも、帝国南部の出身者が中枢を占める帝国では、そうした違いだけで「帝国人らしくない」「前時代のなごりだ」と見なされ、いつまでも輪の外に置かれてきた。
出自を理由に見下されてきた彼らにとって、ジークフリードは数少ない、対等に接してくれる主君だった。
マクシミリアンもリンツも、ジークフリードを敬愛している。だが、その方向性はあまりにも違う。マクシミリアンは、そんなリンツを苦手に感じていた。
「リンツ卿。どうか、殿下の立場を考えてください」
マクシミリアンはジークフリード本人の大胆不敵な行動に困惑しているのは確かだが、周りの人間のせいで悪く思われるのは許せなかった。
リンツの過激な発言に内心では今すぐ怒鳴り返したい衝動もあったが、部下たちの手前、それを飲み込んだ。
リンツはマクシミリアンのそんな心情など理解することもなく言った。
「ふん。貴殿は所詮、南部出身の貴族だ。王国の歴史や伝統に嫉妬している連中と一緒だな。宮廷ごっこで解決したがる。まさか戦もごっこではあるまいな?」
上官を侮辱され、マクシミリアンの部下たちが一歩前に出た。
「リンツ殿、言葉が過ぎますぞ」
それを見たリンツの部下も反応し、前に出た。両陣営の間に、剣呑な空気が張り詰める。
マクシミリアンは手を挙げ、部下を制した。
「お互い殿下に忠誠を誓う身。つまらないことで揉めれば、殿下も悲しまれるでしょう」
リンツはしばらく黙っていたが、やがて自らも部下に下がるよう命じた。
「ふん。南部出身貴族らしい優等生な発言だな。まあよい、殿下の先生でもある御父上の顔を立てやろう」
そう言うと、自軍のほうへ戻っていった。緊張が緩み、周囲の兵たちも肩の力を抜いたのが分かった。
部下がマクシミリアンに言った。
「エルム・クロウ殿がいたら、大変なことになっていましたな。実はこの部隊の指揮官が元王国人だと知ったら、リンツ卿が何を言うやら」
「俺は、それよりも、エレノアがリンツに理不尽なことを言われたときのほうが心配だった」
マクシミリアンは苦笑いをした。
◇
昼。
皇宮内にある、十二鉄血会議が行われる大評議場。
いつもなら議長を務める宰相ベルトルトの姿は、そこにはなかった。
十一人の諸侯は、宰相ベルトルトがジークフリードの暗殺を企て、ディートハルトに処断されたことについて、憶測を交えながら言葉を交わしていた。
時折、今回の会議の主催者であるディートハルトに視線を向ける者もいた。
額面通りに受け取っていない者も当然いた。
ディートハルトが場を鎮めるように口を開いた。
「召集時に伝えた通り、本日は十二人揃えるため、カシュタイン子爵を呼んでいる。子爵が到着し次第、会議を開始する。諸侯らにはしばし待ってもらいたい」
そこへ、ディートハルトの部下が入ってきた。
「失礼致します。カシュタイン子爵は襲撃の負傷により名代を立てるとのことです」
室内がざわついた。
「それは遺憾だ。怪我の具合は?」
「命に別状はないとのことです」
「それは何よりだ。……で、名代とはマクシミリアンということだな?」
「……そ、それが」
優雅で、どこか芝居がかった女性の声がした。
「お久しぶりです。ディートハルト将軍」
「お、お前は、エルム・クロウ?!」
過去の軍議で何度もやり合ったザイデン将軍が怒鳴った。
「エルム・クロウ! 十二鉄血会議は、お前ごとき爵位を持たぬ亡命者が来るところではない。早々に立ち去れい!」
「あら、『名代』とはカシュタイン子爵に代わって、この場で発言する者のことです」
「そ、それくらい言われなくとも……」
エルム・クロウは微笑んだ。
「つまり、今の『立ち去れ』という発言はカシュタイン子爵に向けたもの――そう理解してよろしいかしら?」
「な!? いや……ディートハルト将軍、こんなことを許してよいのか?」
ザイデンは立ち上がり、ディートハルトに向かって言った。
ディートハルトは静かに言った。
「エルム・クロウ。子爵からの委任状はあるのか?」
「はい。こちらに」
「……」
ディートハルトは委任状を受け取り、内容とサインを確認する。
評議場にいる者は皆、固唾をのんで見守っていた。
ディートハルトは口を開いた。
「カシュタイン子爵が認めている以上、出席は認められる」
エルム・クロウは言った。
「ディートハルト将軍。物事は正確にお願いします。私は『出席を認められている』だけではありません。『名代』とは、子爵本人に代わって発言する者です。つまり、ここでの私の言葉は、子爵本人の言葉と同じです」
ザイデンは落胆した。
「そんな。馬鹿な」
十二鉄血会議は、第一から第六までの騎士団長と伯爵家以上の大貴族によって構成される、帝国でも権威ある会議である。
ザイデンにとって、ここに参加できること自体が、帝国における自らの権威の証だった。
もっとも、カシュタイン子爵本人は大貴族ではない。だが、『皇帝の剣』と呼ばれた忠臣であり、今回呼ばれたのも、その実績と立場ゆえだった。
そんな会議に、よりによってあのエルム・クロウが参加したのである。
ディートハルトも、ジークフリードを懐柔するにはカシュタイン子爵を呼んだほうが事がうまく運ぶと考えていた。
だが、まさかその名代としてエルム・クロウが現れるとは――完全な誤算だった。
エルム・クロウはカツン、カツンと軍靴の音を響かせ、空いている座席に向かい、優雅に腰をかけた。
「お待たせしました。では会議をはじめてください」
澄んだ声が評議場に響き渡った。
こうして、十二鉄血会議は、王国からの亡命者という前代未聞の十二人目を迎え、幕を開けた。




