第59話 十二鉄血会議
十二鉄血会議当日。
帝都ライヒェンバッハ、皇宮――皇族控えの間。
エルム・クロウがジークフリードに尋ねた。
「殿下。お渡しした演説の台本は、覚えていただけましたでしょうか?」
ジークフリードは面倒くさそうに返事をした。
「目は通した」
「それでは困ります」
マクシミリアンがカシュタイン子爵に尋ねた。
「親父、会議は投票だけで終わるんじゃないのか?」
カシュタイン子爵が考えながら言った。
「特例でジークフリード殿下とマリウス殿下が出席なされることになったからな。向こうとしては、いかに殿下にボロを……こほん」
「なるほど、両殿下に今後の国家方針を演説させて、どちらが帝国の未来の皇帝にふさわしいか判断させるわけか」
「その通りよ。マクシミリアン。いくら外見を整えて印象をよくしても、結局はこれから帝国をどう導いていくか、皇帝としての言葉が最後の決め手になるはずだわ」
マクシミリアンは頷いた。
「それで、お前が台本を用意したわけか。確かに殿下は演説が得意ではなさそうだな」
ジークフリードはため息をついた。
「そもそも、俺がこんな長文を覚えられると思っているのか?」
「殿下の記憶力については存じません。要点を覚えて、臨機応変にお願いします」
「マクシミリアン、お前とんでもない女を連れてきたな」
「申し訳ございません。おい、エルム・クロウ、あまり無礼なことを言うな」
「お前もだ」
カシュタイン子爵が言った。
「殿下。そろそろお時間では……」
「そうだな。さっさと終わらせるとしよう」
マクシミリアンは立ち上がって言った。
「殿下、不慣れでしょうが、きっと大丈夫です。いきましょう」
エルム・クロウはそれを制した。
「いけません、殿下。ぎりぎりまで時間を使って覚えてください。それに『さえずる連中』など待たせておけば良いのです。皇帝たるもの、最後に入室するくらいでちょうどいいのです」
ジークフリードは怒鳴った。
「黙れ! 全員ここから出ていけ!」
ここ数日見なかった鋭い目に威圧され、三人は「失礼いたしました」と部屋を出ていった。
「元王国人」
ジークフリードはエルム・クロウだけ呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「お前は、なぜ帝国にきた?」
「……変えたかったのかもしれません」
「居場所をか?」
「それもありますが、王国そのもの、価値観や、過去の自分自身を」
「……わかった。もういけ」
エルム・クロウが出ていき、ジークフリードだけ残された。
ジークフリードはエルム・クロウが用意した演説の内容が書かれた紙をテーブルから拾った。
「『まず、この場に集まってくれた諸侯、将軍らに感謝しよう。そして、この私、ジークフリード・グランゼイドは……』」
小声で読み上げたあと、「ふう」とため息をついて、紙を丸めて捨ててしまった。
ジークフリードは軽く頭を抱えたあと、ポケットに手を入れた。
そして中から取り出した翡翠の耳飾りを見つめた。
◇
皇宮の大評議室。
大貴族と将軍、合わせて十二人。そして皇后ベアトリクスとマリウスが、ジークフリードの入室を待っていた。
ザイデンが口を開いた。
「それにしても遅いですな。我々臣下はともかく、皇后陛下をお待たせするとは……」
ベアトリクスはたしなめるように言った。
「そういうな。ザイデン。私は構わぬ」
マリウス派の諸侯の一人が、ぽつりと漏らした。
「もしかして、来ないんじゃないのか。我が道を行く方だからな……」
誰かがそれに続いた。
「その場合は、マリウス殿下に決まりか?」
宰相ベルトルトが場を制するように告げた。
「皆さん、お静かに。ジークフリード殿下はご不在ですが、これ以上待つ必要もないでしょう。投票を始めたいと思います」
ベアトリクスは人には見えぬように安堵の息をついた。
(奴と奴の兵を必要以上に警戒していたが、所詮は蛮族の大将だったということか。王国から将軍らを帝都に帰還させたことで気を揉んでいたが、おかげで十二鉄血会議も開けたし、よしとするか……)
ジークフリード派の将軍がため息をついた。
「皇帝の器ではなく、将の器どまりであったか……」
バンッと扉が開いて一人の男が入ってきた。
「待たせたな」
一瞬、その場にいる者は誰が入ってきたのかわからなかった。
「ジ、ジークフリード殿下……か?」
かつての彼を知る者たちは、目の前の変貌に言葉を失った。無精ひげと荒んだ目つきは、跡形もなかった。
一方、成人した彼を初めて見る者たちの間には、別の驚きが広がっていた。
――これが、あの「蛮族の血を引く戦狂い」と噂される男なのか、と。
漆黒の正装に身を包み、左耳には翡翠の耳飾り。緑がかった瞳の色を映すように輝くその石が、彼の異国の血を、欠点ではなく、ただ一つの美しさへと塗り替えていた。
だが、その佇まいから戦場の荒々しさが消えたわけではない。むしろ、隠しきれない狼のような気配と、生まれながらの威厳とが、危ういほど同居していた。
ジークフリードは長卓の上座側にある空いた席に座った。
「投票直前だったようだな。さっそくはじめてくれ」
正面にいるマリウスは心配そうに横にいるベアトリクスを見上げた。
ベアトリクスは目でベルトルトに合図を送った。
ベルトルトはジークフリードに言った。
「お待ちください。ジークフリード殿下」
「なんだ?」
「両殿下が参られたことで、投票の前に、皇帝となられたあかつきの帝国の国家方針をお聞かせいただきたく存じます」
エルム・クロウたちの予想通りではあったが、ジークフリードはマリウスに尋ねた。
「そんな話は聞いてないぞ。マリウス、お前は聞いていたのか?」
「え、あ、それは……」
ベアトリクスは、割り込むように返した。
「事前には聞いていません。ですが、皇子たるもの常に心に抱いているものではありませんか? ジークフリード殿下」
「どうだか……」
ジークフリードは聞こえぬように呟いた。
ベアトリクスはマリウスに暗記させた文章を忘れないうちにと、順番を決めた。
「では、マリウスから話させていただきます」
「好きにしろ」
マリウスの演説が始まった。
無論、皇后と宰相二人が作った台本を暗記して話しているだけだった。
偉大な民による偉大な帝国のこと。
数々の国を滅ぼし、あるいは吸収してきた歴史。
そして帝国の未来と安寧のために励むという美辞麗句が並んでいた。
「……以上。マリウス・グランゼイド」
「おお」と感嘆の声があがった。
「十一歳という若さで、ここまで堂々とお話なさるとは……」
「決まりですかな」
「では、ジークフリード殿下、お願いいたします」
「……」
「殿下?」
ベアトリクスは内心で嘲笑った。
(何も語れず、恥をかいて終わるがいい)
ジークフリードはゆっくりと口を開いた。
「俺は、一度も帝国を偉大と思ったことはない」
評議室がざわめいた。
「偉大なら、もっと国は豊かなはずだ」
誰も口を挟めぬまま、彼は続けた。
「帝国は大陸の北に位置し、元々土地が痩せている。さらに北の小国を次々と滅ぼし、併呑して大きくなってきたが、結局は痩せた土地を、痩せた土地に積み重ねているだけだ」
ベルトルトが声を上げた。
「殿下。ご発言中に申し訳ございませんが、それは今までの帝国のやり方を批判しているのですか? それに北だけはございません。先日、王国への侵攻も……」
「王国侵攻か……誰かのせいで逃げ帰ってきたと言うではないか」
「ぶ、無礼でございますぞ。国の重大な局面、十二鉄血会議を開くためにも必要なことだと思いませぬか?」
「このような茶番がか? たかが一人の男のために兵まで戻しやがって……」
「権威ある十二鉄血会議を茶番ですと?」
同様に室内の諸侯たちも、次々と批判的な声を上げた。
ジークフリードには、それが次第にさえずりに聞こえてきた。
帝都に単身で帰還したあと、育ての親で、師でもあるカシュタイン子爵、弟弟子マクシミリアン、掴みどころのない元王国人に会った。
彼らと数日共に過ごしたことで、知らぬ間にほだされていたのかもしれない。
(俺はここで何をやっているのだ)
小動物のさえずりは、いっそ食い殺してしまいたくなる。
(装飾用の剣でも、ここにいる連中を黙らせるには十分だろう)
ディートハルトとベルクマンは何かを感じ取り、少しだけ身構えた。
ジークフリードは立ち上がった。反動で椅子が後ろに倒れる。
剣の耐久度を確かめるように、彼は柄に手をかけた。
誰から斬るか、その順番を頭の中で組み立てる。
将軍たちも、弾かれたように立ち上がった。
着け慣れていないせいか、翡翠の耳飾りの片方が耳からはずれた。
床に落ちた硬い音を聞き、ふと、エルム・クロウの言葉を思い出した。
『変えたかった……王国そのもの、価値観や、過去の自分自身を……』
ジークフリードは剣を鞘ごと腰から外し、長卓の上にバンと置いた。
一同は一瞬、虚を突かれた。
「……皇帝の座は、マリウスにくれてやる」
「は?」
「その代わり条件がある。北の戦線などもうどうでもいい。王国攻略の総大将をやらせろ」
室内の緊張は少しだけ和らぎ、将軍たちは座った。
ベルトルトは汗を拭きながら言った。
「ご英断でございます。殿下にはマリウス陛下のもと、帝国元帥になって頂き……」
「黙れ」
「殿下……?」
「好きにやらせてもらう」
ディートハルトは、場を収めるように口を開いた。
「殿下。王国は肥沃な土地と南は海に接しており、南下政策は帝国の悲願でもあります。我々は武人でありますから、王国侵攻となれば喜んでまいりましょう。しかし陛下のもと一丸となって物事を進めなければなりません」
「……」
「殿下のことを帝国人として認めない者がいるのも知っています。実力のある殿下が、そのように思われていることを、私は悲しく思っております。ですが、失礼ながらそのようなふるまいが、無用な噂をたたせる原因ではありませぬか?」
「ずいぶんと『良い子』な発言するではないか、グスタフ」
この場を収めようと、精一杯の譲歩をしたつもりだった。それを鼻で笑われ、ディートハルトの顔が赤く染まった。
ジークフリードは続けた。
「帝国は弱肉強食の国だ。ディートハルト家だって何世代前かに帝国に併呑された小国の貴族ではないか。ベルクマン、お前もだ。伯爵家は黎明期から帝国を支えてきた? よく言う。一番最初に滅ぼされた国の王族の末裔だろ。帝国人面が板についたということか」
ベアトリクスが怒鳴った。
「ジークフリード! 国を支える忠臣に無礼がすぎますぞ!」
「忠犬の間違いだろう」
「……これ以上彼らを貶めるなら反逆罪として告発しますよ」
「わかった。わかった。お前たちの言うことを聞けばいいんだろう」
「……それだけですか? 非礼を詫びるべきでは」
「そうだな。だがお前たちが俺にしてきた非礼を考えれば、これでチャラだな」
「ジークフリード!」
「あとはまかせた。出陣のときになったら呼んでくれ」
ジークフリードは床に落ちた耳飾りを拾い、扉に向かって歩き出した。
カシュタイン子爵と懇意にしているビューロー伯爵が、後ろから話しかけた。
「ジークフリード殿下? 本当にそれでよろしいのですか?」
「ふん。いざとなったら『俺の国』を作る」
ベルトルトが驚く。
「な!」
「そう、いちいち驚くな。ただの冗談だ」
そう言ってジークフリードは大評議室を出ていった。
残された諸侯は「やれやれ」としばらく話をしたあと、マリウスとベアトリクスの前に行き頭を下げ退出した。
「マリウスや。其方は先に自室へ戻っていなさい」
大評議室にはベアトリクスとベルトルトが残された。
「ベルトルト。結果だけ見ると我々の思惑通りになったが、どう思う?」
「いえ、私の読みは外れました」
「ジークフリードのことだな」
「はい。犬は飼えども、狼は飼えませぬ。早いうちに手を打った方が良いかと」
「……単身で帝都にいる。今か?」
「はい。兵の元に帰しては機会はなくなるかと」
「今、奴はカシュタイン子爵の邸宅で寝泊りしてるようだな」
「皇后陛下。帝国を支えた忠臣ごと排除することになりますが、よろしいでしょうか?」
「致し方あるまい。帝国の未来のためだ」
「では、暗殺に特化した精鋭十名を集め、寝込みを襲います」
「まて、ジークフリードだけならいざ知らず、戦場に出なくなったとはいえ『皇帝の剣』カシュタイン子爵がおるのだぞ。それに息子のマクシミリアンも剣の達人と聞く。三十人集めよ」
「三十人?! それでは隠密裏にはできません。騒ぎになりますぞ」
「背に腹はかえられん。あとでなんとでもなる。最後は邸宅ごと燃やせ」
「御意。では、今夜決行したく存じます」
「うむ。頼んだ」
こうして、帝都の夜に新たな血の幕が上がろうとしていた。




