第52話 鳥かごの梟
「では、皆、準備に取り掛かってくれ」
ロシュフォール侯爵は会議を締め括った。
マーロンド伯爵は立ち上がりながらエーベルバッハ子爵に聞いた。
「エーベルバッハ卿、セレスティーヌ卿謀反の件、どう思う?」
「陛下の命令は絶対ではありますが、真実を知ることは重要かと……」
「その通りだな」
マーロンド伯爵が話しながら会議室を出ようと扉を開けると、扉のすぐ外に佇んでいた侍女にぶつかりそうになった。
「おっと、すまない」
侍女は恐れ多そうに頭を下げる。
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。お屋敷が広くて迷ってしまいまして」
「ふむ。新米か」
「はい。では失礼致します」
マーロンド伯爵は侍女の後ろ姿を見送ったあと呟いた。
「あの侍女、足音が随分と静かだな」
エーベルバッハは答える。
「侍女としての教育が行き届いているのでしょう。うちの侍女たちにも見習って欲しいです」
「はは、俺のところも似たようなものだ」
◇
カイルが軟禁されている部屋に三人の男が入ってきた。
王立学院学長モンモランシー子爵と、鎧を纏い帯剣した近衛兵二人だ。
カイルは殺気を察した。
(なるほど……何が起きたか知らんが、まさかここまで強硬手段に訴えるとはな。さてどうしたものか)
モンモランシーは勝ち誇った笑みを浮かべながらカイルに話しかける。
「ヴァルデン卿、ご機嫌はいかがかな?」
(ここは、時間稼ぎをさせてもらうとするか)
カイルは困った顔をしながら言った。
「ものすごく退屈ですね。おかげで、この部屋に置いてあった書物はすべて読んでしまいました」
「ほう。さすがはヴァルデン卿、ここに置いてある本は学術書が多いですからな」
「なるほど、ロシュフォール侯爵のコレクションなのですかね? とにかく古めかしいカビの生えたような理論の経済学や政治学の本ばかりで、あまり役に立ちませんでしたが」
「……ここに置いてある本は、私が侯爵に推薦した本だ」
「おっと、失礼。古典も重要ですからね」
「ふん……まあよい」
モンモランシーは口元に薄い笑みを浮かべ直した。
「ヴァルデン卿、安心したまえ。その『退屈』も今日で終わりだ。無論、軟禁が解かれるわけではない。察しが良いヴァルデン卿のことだ。わかるであろう? ふふふ」
「なるほど、そういうことですか……」
「そうだ」
「新しい本を持ってきてくださるのですね」
「そうではない」
「では、古い本?」
「本ではない。これだ」
モンモランシーは近衛兵に合図を送った。
近衛兵はテーブルにグラスを置き、持っていたワインをグラスへ注いだ。
グラス内で赤ワインが揺れている。
「ふーむ。酒ですか?」
「ヴァリシア公国産の二十五年物だ。ヴァルデン卿は白が好みだったかな? だが、今日は色の変化が目立たぬ赤にしておいた」
モンモランシーの口元には、まだ笑みが張り付いていた。だが、その目はまるで笑っていない。
「待ってください。私は愛国者です」
「命乞いかね?」
「いえ、ローゼンベルク産の麦酒派です」
モンモランシーの笑みが、わずかに強張った。
「……減らず口を叩ける立場だと、まだ思っているようだな」
「違います。実際に減らず口を叩いております」
モンモランシーの顔から、ついに笑みが消えた。
「黙れ! ヴァルデン卿を押さえつけろ!」
カイルは椅子を持ち上げ、近衛兵の一人に叩きつけた。
近衛兵は少しひるんだが、鎧によって椅子が砕け、カイルは一番長い木片を拾い剣のように構えた。
「ヴァルデン卿は剣の腕も立つという話だったな。苦しまず死ねる毒であったが、もうよい。やってしまえ」
二人の近衛兵が、左右からじわりと間合いを詰めてくる。
(木の破片一本で、全身鎧の二人を相手にしろというのか……分の悪い賭けだな)
カイルは内心で毒づきながらも、表情には出さなかった。
右の近衛兵が剣を突き出す。カイルは半歩下がってかわし、木片で受け流した。だが、鈍い衝撃が手のひらに走る。木片対鎧では、まともに打ち合うだけ無駄だった。
避ける。かわす。凌ぐ。
攻める隙はどこにもない。じりじりと後退しながら、カイルは部屋の隅へと追い詰められていく。
(さすがに、この体勢は不味いな……)
額に浮かんだ汗が、頬に伝って落ちた。
その時だった。
左の近衛兵が不意に膝から崩れ落ちた。
兜と胸当ての、わずかな隙間――首筋に、細い刃が深々と突き立っている。
「な……!?」
もう一人の近衛兵が振り返るより早く、影が音もなく背後に回り込んだ。
侍女の装いをした、その人影。
モンモランシーは目を見開いた。
「貴様、いつの間に――」
侍女は無言のまま、短剣を逆手に持ち替える。
その瞳に、感情の色は一切なかった。
右の近衛兵が仲間の異変に気づき、侍女へ向き直り、剣を袈裟懸けに斬りつけた。
――甲高い金属音が響いた。
侍女の袖の下に仕込まれていた鉄甲が、剣を弾く。
がら空きになった喉元に、返す刀で短剣が突き立った。
崩れ落ちる二人の近衛兵。
静寂が、部屋に戻ってきた。
カイルは木片を投げ捨てながら口を開いた。
「ずいぶんとお早いお着きだ、ラーダ・ナーヤル」
ラーダは短剣についた血を拭いながら、ふっと表情を緩めた。
「間に合ったようで、何よりです」
「ひ、ひい」
逃げ出そうとしたモンモランシーを、ラーダが取り押さえた。
「大声を出せば殺す」
モンモランシーは必死に声をあげた。
「こ、こんなことをして許されると思っているのか?」
「人を毒殺しようとしておいて、よく言う」
カイルはあえて冷たく言い放った。
「ラーダ、構わん。やってしまえ」
「はっ」
「ま、まて、私はアドリアン陛下に命令されただけなんだ! 本当はこんなことしたくなかったんだ!」
「アドリアンが『陛下』だと?」
「そ、そうだ。王都入城した翌日にアドリアン様は即位を宣言された。少なくとも書状にはアドリアン様の署名と国印が押されていた」
「くそ。詳しく聞いてみたいが、これ以上ここにいるのは危険だな」
カイルは兵士の死体を見て言った。
「こいつは、ここに残していこう。縛って猿ぐつわを噛ませておけば、当面は騒げまい」
「はい。では人目に気を付けて裏口から脱出しましょう」
二人はモンモランシーを縛り猿ぐつわをはめ、その場に転がしたまま部屋を出た。
ラーダは扉の取っ手を部屋の外側から鉄甲で破壊する。
「さあ。こちらです」
裏口から出ると見覚えのある貴族が立っていた。
ラーダは短剣を抜こうとするが、カイルは止めた。
「マーロンド先生……」
「そこの侍女さんが、どうしても気になってな。そして何かをした後ならば、正面からは出ないだろうと……ま、偶然みたいなもんだ。しかしカイルの連れだったとは」
「マーロンド先生。貴方にも色々聞きたいことがありますが、ここは臨時政庁であるロシュフォール侯爵邸。一刻も早く脱出したいのです。見逃してください」
「いや、見逃すことはできん」
「くっ」
言葉とは裏腹にマーロンド伯爵は軽い口調で言った。
「なぜなら、俺はここで二人を『見てない』のだからな」
そして、片目をつぶって「行け」と合図をする。
意図を理解したカイルは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、先生」
横を通ろうとするカイルにマーロンド伯爵は正面を向いたまま言った。
「……カイル。セレスティーヌ卿に謀反の疑いがかけられている。いや、もはや『疑い』の段階ではない。早くしたほうがいいぞ」
「どういうことですか?」
「……お前に味方したいが、俺にも立場がある。それにランカスター家に味方する義理もない。俺が言えるのはここまでだ。自分でなんとかしろ」
「わかりました。十分感謝しております」
「では、その代わりというわけでもないが、何かわかったら密偵でも伝信竜でもいいから連絡しろ。いいな」
「はい」
二人は侯爵邸の敷地から壁を登って脱出した。
「ラーダ、俺としたことが、君に礼を言ってなかったな。ありがとう。危機一髪だったよ」
「いえ。お気になさらずに。では我々のアジトにまいりましょう」
「アジトには伝信竜はいるかい?」
「はい。ですが、バスール様とこちらとの往復のみとなります」
「十分だ。ついたら、アジトへ脱出したことを伝えてくれ。あとできる限り向こうの情報をくれるように頼んでおいてくれ」
「承知しました」
二人は水都ルミナリアの街の中に消えていった。




