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第50話 引き裂かれた肖像

翌朝。

王宮大広間には、朝日が差し込んでいた。


アドリアンと近衛隊長バルザックが見守る中、大広間の壁に巨大なセレスティーヌの肖像画の設置作業が行われていた。


鎧を脱ぎ、袖をまくりあげた若手の近衛兵たちが、慎重に肖像画を支えている。

描かれているのは、群衆の歓声を受けながら白馬に乗り、王都(ローゼリア)を凱旋するセレスの姿だった。


「見よ、バルザック。素晴らしい肖像画ではないか」


「はっ。まことに。この隣のスペースに、殿下の肖像画が飾られるのですな」


「そうだ。そして今日まさに、私が描かれるに相応しい行事が、戦女神(エイリーン)広場で行われるのだ」


「我々近衛隊一同、皆楽しみにしております」


「お前たちには、幼き頃より世話になった。それ相応の恩賞を約束しよう」


「はっ、ありがたき幸せに存じます」


そこへ、別の近衛兵が駆け込んでくる。

「殿下! 隊長! 一大事にございます!」


バルザックが咎めた。

「おい、いま大事な作業をしている最中だぞ! 大声を出すな」


アドリアンは片手を上げてバルザックを制すると、兵に問うた。

「どうした? まさか、撤退したはずの帝国軍が反転してきたのか」


「それが……セレスティーヌ卿および所属兵が聖騎士団駐屯地から、もぬけの殻になっております」


バルザックは大声をあげた。

「な、なんだと!? それはまことか!」


「は、はい」


アドリアンは(うつむ )いたまま、何も言わない。

声を荒らげるどころか、指一本動かさないその静けさに、バルザックの背筋が凍った。


何か言わなければ。だが、言葉が出てこない。


結局、震える声で問いを部下に重ねるしかなかった。

「いったい、どこへ行ったのだ?」


「わかりません。王都内には、おらぬようです」


「くっ……門の警備兵はいったい何をやっていたのだ。……いや、待て。門の警備は、聖騎士団に任せたのだったな」


バルザックの声が、次第に小さくなっていく。

その配置を進言した張本人がアドリアンであることに、今さらながら思い至ったのだろう。


アドリアンがやっと声をあげた。

「バルザック。この状況で王都から脱出する理由は、旅館の件を知られたとしか考えられないが……」


その冷たい声にバルザックは恐怖を覚えた。

「しかし、あの旅館の王家の関係者は全員亡き者にしたはずです。それに、正面も裏口も近衛兵が見張っており、旅館を退去させた客の全員の身元を確認しましたが、皆一般の民でありました。情報がセレスティーヌ卿の耳に入るとは考えられません」


設置作業の近くにいた近衛兵が、震えながら手を挙げた。

「お、恐れながら、あのとき旅館の路地裏で火事場泥棒と遭遇しました」


バルザックが怒鳴る。

「そんな報告、受けてないぞ!」


「申し訳ございません! 実は不意を突かれ、気絶させられてしまいました。不名誉なことでございましたゆえ、報告をためらい……」


「今はそんな言い訳はいい! そいつは、どんな奴だったのだ!」


「商人のような、旅人のような……どこかで見たような気もしますが、どこにでもいるような顔でもありまして」


「一人だったのか?」


「いえ、男が三、四人、女が二人でそのうち一人は倒れており、『窓から逃げて、家族が足を挫いた』とか言っていました。どうせ出鱈目をいっているのだろうと……」


その言葉を聞いた瞬間、アドリアンの顔から表情が消えた。

「窓から……女二人だと……?」


声が、これまでとは違う低さを帯びる。

その変化に、周囲の空気が一段と張り詰めた。


「アドリアン殿下。も、もしかして、王女殿下とルチア嬢では……?」


アドリアンは何も答えなかった。

ただ、視線だけがゆっくりと肖像画の方へ向けられていく。


「で……殿下?」


やがて、アドリアンの唇が、ゆっくりと弧を描いた。

「……ふふ。そういうことか」


腰の剣を抜くと同時に、セレスの肖像画へと近づいていく。

肖像画を支えていた近衛兵は恐怖のあまり、思わず手を放してしまった。


ガタンッ!


肖像画の金属製の額縁が床に激突し、そのまま壁にもたれかかるような格好で静止した。


「これは、いらないな」


アドリアンはそう呟くと、肖像画を剣でズタズタに切り裂き始めた。

布地が裂ける乾いた音が、静まり返った大広間に幾度となく響いた。


白馬の脚が、微笑む顔が、翻る旗が。一筆一筆に込められていたはずの栄光の絵が、無残な布切れへと変わっていく。


その様子を、バルザックと近衛兵たちはただ見守るしかなかった。


アドリアンは刻みながら叫んだ。

「これで何度目だ。また正さなければならんのか」


見る影もなくなった肖像画の前で、はぁはぁと肩で息をするアドリアンは、バルザックに命令を下した。

「バルザック! 国王アドリアン・ローゼンベルクの名のもとに、諸侯へ伝信竜レグートを送れ!」


「は! 内容はなんと?」


「元聖騎士団団長セレスティーヌ・フォン・ランカスターとその一味が、王都から逃亡した。王家に対する反逆者であるがゆえ、見つけ次第、王都への報告、あるいは討伐せよ」


「反逆者でありますか?」


「そうだ。そもそも今回の王国(ローゼンベルク)の危機はランカスター家が帝国を招き入れ、王家を排除しようと画策したからであろう? それに『国王命令』は絶対だ」


バルザックは思った。

(かなり無理筋だが、気にすることはない。殿下、いや『陛下』がおっしゃることが正義そのものなのだ)


「は、そうであります」


「ルミナリアにいるモンモランシーにも送れ。――『鳥かごのふくろうは、殺してよい』と」


「……承知いたしました」


「それとライネルを王の間に呼べ!」


「はっ!」



ライネル・フォン・ベルガー将軍は、急遽与えられた王宮内の執務室で考え事をしていた。


扉を叩く音と共に女性士官が入ってきた。

「閣下、失礼します。王太子殿下が王の間にお呼びでございます」


副官補佐のカレン・ビクターがライネルに敬礼をした。利発そうな瞳と、きびきびとした所作が印象的な士官だった。


「そうか、丁度良い。俺も殿下に話があったのだ。前々からお前を正式な副官にしたいと思ってな」


「閣下……閣下ほどの武勲がおありならばともかく、閣下が率いるロシュフォール侯爵麾下の士官たちが、ベルガー子爵領出身の私を副官に据えることを快く思うとは思えません」


「しかし、いつまでたっても『お抱え将軍』や『お抱え士官』と揶揄されるのはな……同郷の部下たちの功を労いたいのだ」


「その話は後にしましょう。今はとにかく急いでください」


「ああ」


ライネルはカレンの横を通り、執務室を出て行った。



王の間に足を踏み入れたライネルは、思わず足を止めた。


()()に腰掛けるアドリアンの姿が、そこにあった。

普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべているはずなのに、部屋の空気だけが、いつもと違う重さを帯びていた。


(国王陛下は、まだ行方知れずのはずだが……)


「ライネルよ。国王となった余から初めての命令だ」


「……?!」


「本当は午後に、戦女神(エイリーン)広場で戴冠式を行う予定であったが、緊急事態が発生してな」


ライネルは思い出した。

(昨晩言っていた『重大発表』とはやはりそのことであったか。しかし王都に入城したときもそうだが、とにかくお気が早い。手順を踏むということができないのであろうか)


「『緊急事態』と言いますと?」


其方そなたに逆賊セレスティーヌの討伐を命ずる」


ライネルは思わず息を止めた。

あのアルテール平原で、帝国の猛将を退けた将を「討伐せよ」という。あまりに唐突な話に、頭がついていかない。


「セレスティーヌは王都から逃亡してな。おそらく西のアルクリーズ城に向かっているはずだ。お前には追撃してもらいたい」


「……『逃亡』でございますか? セレスティーヌ卿は何の罪を犯したのでしょうか?」


「ランカスター家による王家に対する反逆だ。それ以上の理由はあるまい?」


「恐れながら、答えになっていないと思います」


「ベルガー子爵……余を失望させるな。父親同様、また家名に傷をつけるのか?」


古い傷を、正確に突かれた。


「……承知しました。降伏するように必ず説き伏せます」


アドリアンはゆっくり首を横へ振った。


「その必要はない」

「殺せ」


ライネルは、一瞬、喉の奥で言葉を止めた。


得心のいく命令ではない。だが、目の前にいるのは、もはや王太子ではなく国王その人だ。

拳を握り、その違和感ごと呑み込む。


「――御意」

ライネルは深く頭を垂れた。


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