第49話 三つの道
――なぜ、こんなことになったのだろう。
(お父様が……? そして、陛下まで……)
言葉にならない衝撃が、まだ胸の奥で渦を巻いている。
だが、目の前で泣き崩れる妹の姿が、セレスを現実に引き戻した。
服は汚れ、足や手にも擦り傷があった。
気持ちを立て直し、セレスはルチアの両肩に手をあてた。
「ルチア……詳しく教えてちょうだい」
ルチアは涙を拭い、途切れ途切れに語り始めた。
「王都が襲撃されたあの日から、私たち、侍女長ステラのお姉さまが経営してる旅館に今日まで潜んでいたの」
「ベラさんのところね」
ルチアは黙って頷いた。
「そして今日の夕方、アドリアン王太子殿下が、近衛兵を連れて訪ねていらして」
そこで一度、声が詰まる。
「最初は……皆、殿下がご無事だったことを喜んでいたわ。でも、殿下は急に態度を変えて……近衛兵に、お父様たちを討てと」
「……っ」
セレスは息を呑んだが、口を挟まず、ルチアの言葉を待った。
「お父様は、私たちを守るために……最後まで、剣を握って」
ルチアの声が震え、嗚咽に呑まれる。
「陛下は……アドリアン殿下ご自身の手で。お父様も、同じように……」
「私と王女殿下は、隣の物置部屋に隠れていて……見つからないよう、必死に息を潜めていました。旅館に火をかけられて……三階の窓から、外壁を伝って逃げたの。王女殿下は、その時に足を……」
ルチアはそこまで言うと、力尽きたように俯いた。
すべてを聞き終えたセレスは、しばらく言葉を発せなかった。
やがて、静かに拳を握りしめる。
そこへ、扉が控えめにノックされた。
「セレス様。……そろそろ王宮に向かわないと」
ミリアの声だった。
セレスは即座に立ち上がり、涙の跡が残るルチアの頭を優しく撫でた。
「ルチア、王女殿下のそばにいてあげて。すぐ戻るわ」
「姉さま。一緒にいてくれないのですか?」
「ごめんなさい。今は少しだけ、時間をちょうだい」
セレスは部屋を出ると、扉の外で待つミリアに向き直った。
「ミリア。王女殿下とルチアの傍を離れないで」
「かしこまりました。……ですがセレス様、王女殿下はこんな兵舎の医務室でなく、王宮の部屋か然るべき場所に運んだほうがよろしいのではないでしょうか?」
「いいえ」
セレスは声を落とし、鋭く言い切った。
「今は誰を信じていいか分からないの。……あと、医務室には誰も入れないようにして」
ミリアはセレスの尋常でない切羽詰まった表情を見て、それ以上は問い詰めず、静かに頷いた。
「……わかりました」
セレスはそのまま兵舎を出て、王宮へと馬を走らせた。
「ルチア様、まいりましょう」
ミリアはルチアに肩を貸し、医務室へと足を向けながら、廊下の窓からセレスの馬上の後ろ姿を見送った。
◇
セレスが王宮の入口へ到着する頃には、すっかり夜になっていた。
建物の前でフェリックスとルークが待っていた。
「団長。ずいぶん遅かったな」
セレスは二人に確認する。
「王太子殿下は?」
「さっき中に入っていったぜ。あとライネル閣下もお戻りになったようだ」
「フェリックス。私たちも行きましょう。ルーク、聖騎士団駐屯地に戻ってください。皆、街に繰り出したいでしょうが、行かせないでください。あと今夜は飲酒を禁止にしてください」
ルークはセレスのただならぬ雰囲気を感じ、理由は聞かずに返事をした。
「……わかりました」
いつになく張り詰めたセレスの声に、フェリックスもさすがに軽口を控え、黙ってその後についていった。
◇
王の間には、重厚な緊張が満ちていた。
上座に腰を下ろすアドリアンの傍らには、ライネル将軍と数名の近衛隊が控えている。
セレスとフェリックスが入室すると、アドリアンは穏やかな笑みを浮かべた。
「セレス。よく来てくれた」
「殿下。ご機嫌麗しゅう」
セレスは深く頭を垂れながら、内心で自分自身に言い聞かせた。
(――何も知らない。私は、まだ何も知らない)
拳を握る手のひらに、爪が食い込む。目の前にいるこの男が、父を、そして国王陛下を手にかけた張本人だと知っていながら、その顔を見て平静を装う。今までのどんな戦場よりも、この数秒が長く感じられた。
「ライネル、状況を報告せよ」
アドリアンの言葉に、ライネルが一歩前へ出た。
「はっ。帝国軍への追撃を終え、王都近郊からの完全な撤退を確認いたしました。現在、街道周辺に敵影は見られません。なお、我が軍一万二千は、東門の外に駐屯させております」
「うむ、大儀であった。続いて、バルザック」
近衛隊長が答える。
「はっ。王宮内の各施設、部屋はいくばくかの装飾品は奪われているものの、高級士官が使用していたらしく破壊された様子はありません」
アドリアンが、思い出したように口を開いた。
「セレスよ、聖騎士団の駐屯地を見に行ったそうだな? 久しぶりの古巣はどうであった?」
「はい。帝国軍の駐屯地として使われていたようですが、施設に大きな破損はなく、そのまま使用できる状態です」
「それは重畳」
アドリアンは軽く頷くと、そのまま続けた。
「ならば、王都の東西南北、四つの門の警備は聖騎士団に任せよう。本来の役目に戻っただけのことだ」
セレスに視線を移す。
「そなたの部下たちには、慣れた仕事だろう?」
「……はい。かしこまりました」
淡々としたやり取りが続く。セレスはその間、ひたすら平静を保つことだけに神経を集中させていた。
やがてアドリアンが視線を巡らせ、一同を見渡した。
「さて、皆に伝えておきたいことがある」
その声音が、わずかに熱を帯びた。
「明日、王宮前の戦女神広場に、可能な限り多くの者を集めよ。――重大な発表をする」
「……重大な、発表とは?」
ライネルの問いに、アドリアンはただ薄く笑みを深めるだけで、答えなかった。
アドリアンはセレスのほうを向き言った。
「ところで。セレスよ。聖騎士団団長から身をひかないか? 王都を奪還した今、良い機会ではないか」
「し、しかし。まだベスティア領を完全に奪還したわけではありません。私自身が出兵しないにしろ、王都の防衛は必要かと存じます」
「そうだな。ではこういうのはどうであろう。聖騎士団団長の座を、君のお気に入りのヴァルデン卿に任せれば、王都の防衛は完璧ではないか。そろそろ彼の軟禁も――いや、休養も終わりにしてよい頃だと思っている」
セレスは怒りの顔が見えぬよう、深く頭を下げる。
わずかに強張ったセレスの肩に気づいたフェリックスは、一歩前へ出た。
「恐れながら陛下。発言をお許し願えますか?」
アドリアンはフェリックスに視線を移す。
「ダミアン卿か。申せ」
「ヴァルデン卿のことは士官学校時代から知っております。彼は軍団長や将軍という役職をあまり好みません。領主となった今も、自ら畑仕事をするような出世欲のない変わった男なのです」
「ふむ。そなたも男爵家の人間であったな。ふふ、もしかして同期に先をこされたくないのか?」
「いえ、めっそうな」
「まあ、今日明日の話ではないゆえ、考えておいてくれたまえ」
セレスは下を向いたまま返事をした。
「……はい」
「まだまだ話したいことは山ほどあるが、ルミナリアからの行軍で皆も疲れていよう。今宵はここまでにしたいと思う」
「はっ」
「あー。バルザックよ。明朝、部下に命じて例の肖像画を宮廷美術館から王宮大広間に移動させてくれ。傷ひとつつけるなよ」
「承知致しました」
◇
王宮を出ると、外にはルークとエミールが待っていた。
「セレスティーヌ様。王女殿下は、まだお目覚めになりません」
エミールの言葉に頷き、セレスは三人を人気のない回廊の隅へと促した。
「フェリックス、ルーク、エミール。……よく聞いてください」
三人の顔つきが変わる。
「陛下と、私の父は、アドリアン殿下の手によって命を落としました。証言したのは、ルチアです」
沈黙が落ちた。
先に口を開いたのはルークだった。
「……確かな話、なのですか」
「ルチアは、その目で見たと言っています」
フェリックスが小さく舌打ちをする。
「……そんなことがあったあとに、あの飄々とした雰囲気。流石に恐ろしいな」
「ええ。……あのときは、気を逸らしてくれて、ありがとう」
エミールが、真っ直ぐにセレスを見た。
「……僕たちは、何をすれば」
「まだ動かないで。……このまま、皆で医務室へ」
三人は、それぞれに頷いた。
◇
兵舎の医務室は、ランプの灯りだけが小さく灯っていた。
セレスが戻ると、ベッドに横たわるリーゼロッテの瞼が、かすかに動いた。
「……セレス、様?」
掠れた声。ミリアが慌てて水差しに手を伸ばす。
「王女殿下、お加減は……」
リーゼロッテは半身を起こそうとして、顔を歪めた。
「大丈夫よ。足以外は……」
セレスは、ミリアに向き直った。
「ミリア。……まだ話していなかったわね」
「セレス様……?」
「陛下と、私の父は、アドリアン殿下の手によって命を落としました。ルチアと王女殿下が、この目で見ています」
ミリアの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……っ、まさか、そんな……」
言葉を失うミリアの隣で、リーゼロッテが静かに目を伏せた。
ルチアもまた、俯いたまま何も言わなかった。
しばらくの沈黙のあと、セレスは静かに口を開いた。
「王女殿下。……これから先のことを、お話しさせてください」
「これから、先……?」
「はい。三つの道があります」
セレスは指を一本立てた。
「一つ目は、王女殿下が何も見なかったことにして、王宮へ戻る道です」
リーゼロッテの表情が、瞬時に凍りついた。
「……無理よ」
「あのとき、確かに助命を乞えば……そう思ったりしたわ。でも、兄の……返り血を浴びた顔が、今も瞼の裏に焼き付いているの。あんな顔をした人の傍で、何も知らない振りをして笑うなんて……できるはずがない」
セレスは頷き、二本目の指を立てた。
「二つ目は、王女という身分を捨て、どこかの領地に身を潜める道です。……ヴァルデン領、あるいはダミアン領でしたら、匿ってもらえるはずです」
「……それなら、生きてはいけるのよね」
リーゼロッテは俯いた。
王女の身分を捨てる。
それは、王女という重荷から解放されることでもある。
だが――。
「でも……それじゃあ、あの人が国王になるのを、黙って見ているだけじゃない。お父様を手にかけて、ランカスター公爵まで手にかけた人が……この国の頂点に立つのを」
その声に滲んでいたのは、涙ではなく怒りだった。
「私は、それは嫌」
セレスは、最後の指を立てた。
「三つ目は……アドリアン殿下を、簒奪者として糾弾する道です」
医務室の空気が、一段と張り詰めた。
リーゼロッテは、しばらくセレスの顔を見つめていたが、やがて力なく笑った。
「……だけど、どうやって? 王都はもう、あの人のものよ。糾弾したところで、誰が信じてくれるの? 逃げて、どうなるっていうの……!?」
「アルクリーズ城に向かいます」
セレスは即座に答えた。
「メイルドック辺境伯は、私たちの味方になってくれるはずです。あそこまで辿り着ければ……王女殿下のお名前で、王国中に檄を飛ばすことができます」
「私の……名前で?」
「はい。『アドリアンは王位簒奪者である』と。事件を目撃された王女殿下ご自身の告発であれば……信じる者は必ず現れます」
リーゼロッテは、しばらく呆然とセレスを見つめていた。
やがて、震える手で目元を拭う。
「……分かったわ」
一度、深く息を吸う。
「私、逃げるだけの女ではいたくない。……セレス、力を貸して」
セレスは深く頭を下げた。
「もちろんです」
顔を上げ、リーゼロッテを真っ直ぐに見つめる。
「王女殿下のお覚悟、確かにお受けしました」
そして、ミリア、ルチア、フェリックス、ルーク、エミールへと視線を移した。
「――ここから先は、私が決めます。相談ではありません。皆には、協力してほしいのです」
フェリックスが真っ先に頷いた。
「上等だ。団長の行くところに付き合わない理由がねえよ」
ミリアも口元を引き締めて頷く。
「……かしこまりました。それで、いつ発たれるおつもりですか?」
「夜明け前。日が昇る前に、王都を出ます」
セレスは一同を見渡した。
「支度を。誰にも気取られないように」
全員が、それぞれに頷いた。
ふと、フェリックスが口を開いた。
「団長。兵士たちにはどう説明する?」
「時間がないわ。『王太子殿下からの極秘任務』ということにしてください。頃合いを見て、必ず説明します。……そして、私たちについて来るか来ないかは、兵士たち自身の判断に任せます」
フェリックスは小さく笑った。
「相変わらず、甘いな」
だが、その声に非難の色はなかった。
窓の外では、月が雲間に隠れようとしていた。
残された時間は、もう多くない。




