第41話 凱旋の代償
ロシュフォール侯爵領の領都、ルミナリア。
そこは今、王国軍の凱旋を祝う熱気に包まれていた。
ベスティア領の完全奪還には至らず、戦略的には大した成果を上げていない。しかし、勝利は勝利である。
何より、帝国の猛将ドルクハルトを一騎打ちで退けたという劇的な戦果は、市民たちにとって極上の英雄譚そのものであった。
「セレスティーヌ様だわ!」
「王都では遅れをとったようだが、やはり戦女神の生まれ変わり、聖女将軍の再来というのは本当だったんだ!」
「あの時はまだ初陣だったもの、仕方がなかったのよ!」
「セレスティーヌ様だけじゃないぞ。彼女の率いる軍は、あの宿将ベルクマンやザイデンらをも震え上がらせたらしい!」
「もう『セレスティーヌ軍』って呼ばれているらしいぞ!」
大歓声が響き渡る中、馬を駆るミリアはどこか腑に落ちない様子で眉をひそめていた。
「……なんか、都合が良すぎるわね。そもそも、アルテール平原での戦況が市民に伝わるのが早すぎるわ。カイル、貴方また何か仕組んだわね?」
隣を行くカイルは、飄々とした態度でニヤリと笑う。
「まあ、悪い話じゃない。いいんじゃないか?」
カイルは事前に、新たに仲間にしたバスール・ドゥルガへ手を回し、セレスティーヌ軍の活躍を「噂」として領都中に流させていたのだ。
「見ろ、セレスティーヌ様の右腕、ミリア様よ!」
「エレフィンの弓隊の正確さは大陸一らしいぞ!」
「あっちの男は、アルクリーズ兵を率いるルーク大隊長だ!」
「フェリックス紅蓮騎士隊長を窮地から救ったらしいぞ」
周囲からの声に、フェリックスが不満げに口を尖らせる。
「おいおい。初日の戦じゃ、俺だって大活躍だったんだぜ? なんで俺だけ救われた話なんだ?」
「本当のことだろう?」
カイルが淡々と返す。
セレスティーヌは、浴びせられる大歓声を全身に受けながら、どこか落ち着かない様子で呟いた。
「……なんだか、不思議な気分です。ほんの少し前まで、私たちは敗将だったのに」
「悪い気分ではないだろう?」
カイルの問いかけに、セレスは一瞬だけはにかむように微笑んだ。
「ええ。そうですね。皆が笑ってくれているのは、嬉しいです」
しかし、その凱旋の余韻はあまりにも短かった。
民衆の波を割るようにして、重苦しい鉄の気配をまとった兵士たちが、セレスたちの前に毅然と立ち塞がったのだ。
その鎧の紋章は、前線の兵のものではない。臨時政府の中枢を守る近衛兵のものだった。
周囲の民衆の歓声が止み、子供たちも親の後ろに隠れる。
誰も近衛兵へ声を掛けようとはしない。
「セレスティーヌ・フォン・ランカスター卿、ならびにカイル・フォン・ヴァルデン卿」
冷徹な声が、華やかな空気を一瞬で凍りつかせる。
「お二人には、統括軍議のため至急、臨時政庁へお越しいただきたい」
「『統括軍議』? そんなものは聞いたことがない。戦後軍議なら、このあと出席する予定だったが……」
「……我々には詳細はわかりません」
「カイル……」
セレスたちは一様に心配そうな表情で、カイルを見つめる。
「大丈夫だ。我らがセレスティーヌ軍の活躍たるは市民も認めるところだ。軍令違反の件も、他の将軍たちも納得している。無下にはできんさ」
◇
臨時政庁となったロシュフォール侯爵邸へ足を踏み入れた二人。
アルテール平原への出兵前に軍議を行った部屋に向かっている途中で、近衛兵がカイルの前へ立ちはだかった。
「ヴァルデン卿はこちらになります」
「カイル?!」
「ヴァルデン卿には『軍令違反』のみならず『利敵行為』の疑いがありとのことで、特別査問を別室にて行います」
「『利敵行為』だと?」
「そんな!? しかも上官である私が出席できないとはどういうことですか!」
「私に言われましても……」
「セレス。やましいことは何もしていない。前線への兵の派遣に関しては、きちんと説明すれば納得して下さるだろうよ」
カイルは笑顔でセレスと別れた。
近衛兵に促されるまま、人気のない廊下をしばらく進む。
やがて重厚な扉が開かれ、カイルは無言のまま中へ通された。
部屋には窓がなく、余計な調度品もない。中央に椅子が一脚。査問のためだけに用意されたような部屋だった。
中央に置かれた椅子の正面には、一段高く据えられた机があり、その向こうにアドリアン王太子が腰掛けていた。
隣に血色の悪い初老の男が立っていた。ロシュフォール侯爵ではない。
アドリアン王太子は顎に指の甲を当てながら言う
「ヴァルデン卿、遠征ご苦労であった。まあ、かけたまえ」
「……失礼します」
「ああ、紹介しよう。彼はローゼンベルク王立学院学長のグザヴィエ・フォン・モンモランシー子爵だ」
男は黙って頭を下げる。
カイルたちが卒業した王立士官学校が軍人を育てる機関だとすると、王立学院は官僚を育てる機関であり、そこのトップがモンモランシーという男だ。
「ロシュフォール侯爵はいないのですね?」
「シャルルには戦後軍議に出てもらっている。安心したまえ。セレスの軍令違反に関しては私も骨を折ってな。訓告処分で済ませるよう説得してある」
「……それは、ご配慮痛み入りまする。ところで私は『利敵行為』の疑いがあると聞き、連れてこられたわけですが。軍法会議ではなく、このような密室で、しかもこの人数による査問など、聞いたことがありませんが」
モンモランシー子爵が粘りつくような声で語り始めた。
「これは殿下の恩情でもあるのだよ、ヴァルデン卿。正式な裁きの場になれば、多くの人間の耳に入る。殿下はそれを避けようとなさっている。ありがたいことではないかね」
「……」
「君に何ら後ろめたいことがなければ、むしろ君の立場は良くなるはずだ。そうではないかね、ヴァルデン卿?」
(モンモランシーか……よりにもよって嫌な相手が出てきたな)
カイルの警戒心が一気に高まる。
モンモランシー子爵家とヴァルデン男爵家は、代々何かと対立してきた家柄である。
軍略家を数多く輩出し、男爵家ながら名門と称されるヴァルデン家。それに対し、同じく学問を家業としながらも、モンモランシー家は目立った実績を残せずにきた。
官僚の不祥事が起これば、その矛先がモンモランシー家へ向けられることも少なくない。
両家の確執は、先祖の代から続いていた。
「ヴァルデン卿。君には一つ、大きな疑惑がある」
「軍令を無視して前線へ出た件なら、他の将軍にも事情をお聞きになれば……」
「いや、そうではない」
「帝国軍に内通し、王国軍の兵糧を意図的に焼かせた疑惑だ」
「……!?」
「もちろん。我々もヴァルデン卿の国に対する忠義を疑ってはいない。しかし、いらぬ誤解を抱く者が少なからずいるのも事実だ」
カイルは「その『誤解をしている者』とやらは誰だ」と問い返したい衝動を押し殺した。
「このまま誤解を解消しないままでいれば、軍全体の規律にも関わる問題となりかねない」
(解決する気など、なさそうだがな……)
「そのような疑惑については、私の預かり知るところではございません」
「では、話を変えよう。」
「そなたはエルム・クロウという帝国士官を知っているな?」
カイルはその名前に少し動揺した。
「……似ている人物を知っているだけです」
「それは元聖騎士団副団長エレノア・クロムウェル。違うか?」
「……あっています」
「しかも、長らく懇意にしていたという話もある」
「長らくという程ではありません。士官学校時代に交流があっただけです。それ以降、一度も会っておりません」
「むきにならんでいい」
「むきになどなっておりません。仮に夜襲を仕掛けてきた帝国の士官が旧知の仲というだけお疑いになるのはいささか性急かと」
「そうかな?」
「実際、セレスティーヌ軍団長は命を狙われ、敵も重臣が負傷して撤退しました。内通していたのであれば、これほど双方に損害の出る作戦を立てる意味がありません」
「しかし、卿は撤退する敵を追撃もしなかった。そして兵糧を失ったからこそ、全軍にて前線に投入し、聖騎士団や団員たちは名を上げることができたのではないか?」
「つまり、名を上げるために敵を利用した、とおっしゃるのですか?」
「さあ、私は軍人ではないから、名を上げることの重要さは諸君らのほうが詳しいだろう」
「……では、どうすれば私が無実であると納得して頂けるのですか?」
それまで黙って聞いていたアドリアン王太子が、ゆっくりと口を開いた。
「本来であればこのような反逆行為は疑われた時点で軍籍を剥奪され、投獄されてもおかしくない話だが…… 」
王太子は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「私は卿のこれまでの働きを高く評価している。だからそんなことするつもりはない」
「しばらく聖騎士団を離れ、この臨時政庁にて待機してもらう」
(軟禁か……)
モンモランシーは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「王太子殿下のご慈悲に感謝なされるがよい」
カイルは何も答えなかった。
答えたところで、結論はすでに決まっている――そう悟っていたからだ。




