第15話 エレフィンの少女
アルクリーズ城の巨大な跳ね橋が、重い音を立ててゆっくりと下りていく。
白銀の鎧を纏った一群が姿を現した。整然とした足取りで、彼らは城門へと向かってくる。
「戦女神様のお帰りだ!」
「セレスティーヌ様だ!」
城壁を埋め尽くした兵士たちから、安堵と歓呼の声が沸き起こった。
馬に乗ったセレスを中心に、聖騎士団が城内へ入城していく。
広場にはすでに、メイルドック辺境伯をはじめとする幕僚たちが列を作り、彼女たちを出迎えていた。
「よくぞ無事で戻られた、セレスティーヌ卿」
辺境伯アルベルトが、深々と頭を下げる。
彼は自慢の髭を撫でながら、感慨深げに語りかけた。
「公国軍四千をほぼ損害なしで打ち破るとは……。まさしく戦女神の降臨であったな」
「お褒めに預かり光栄です、閣下。……ですが、その名で呼ぶのはまだ控えていただけますか?」
セレスは少し困ったように微笑み、言葉を続けた。
「王都を取り戻すまでは、私はまだ、そう呼ばれる器ではありません。それに……今回の作戦が成功したのはカイルのおかげだと、閣下も分かっていらっしゃるのでしょう?」
「ははは。まあ、それは違いない。だがな、貴女への感謝の気持ちは本物ですよ、セレス様」
辺境伯はかつての戦友の孫を慈しむような、親しみのある言葉遣いに戻っていた。
「ありがとうございます。……それよりも辺境伯様、助けていただきたい子がいるのです!」
セレスは、後方の馬車で眠る少女を指差した。
「これは……! エレフィン族の娘ですな」
辺境伯は一目で事態を察し、表情を引き締めた。
「分かりました。急ぎ手配いたしましょう」
彼は即座に部下たちへ命を下した。
「このエレフィン族の少女を客間へ運んでやれ。怪我をしている、慎重にな!」
数日後。
アルクリーズ城の客間に設えられた簡素な寝台で、エレフィン族の少女は目を覚ました。
この数日間の治療と安静の結果、傷も幾分和らいでいる。
窓から差し込む柔らかな朝日が、彼女の長く緑の髪と尖った耳を照らしていた。
「……おはよう」
扉を開けたのはセレスだった。手には果実が盛られた籠を持っている。
「具合はどう?」
少女は警戒しながらも、セレスから差し出されたリンゴを受け取った。
公国軍の野営地で出会った時のような怯えは、既に薄れていた。
「あ、あなたのお陰で……良くなりました」
小さな声だったが、確かな意思が感じられる。
その言葉に、セレスは満面の笑みを浮かべた。
「良かった! お医者様によると、回復も順調みたいよ。何か食べられそう?」
少女はゆっくりと頷き、リンゴに齧りついた。
シャリシャリとした音が、静かな室内に響く。
城に来た当初なら考えられなかった光景だ。
初日はセレスが話しかけても無言を通し、ミリアが近づくだけで身体を硬直させていた。
だが日が経つにつれ、彼らの献身的な看護や見舞いによって、徐々に心の壁が溶け始めていた。
特にセレスの訪問は効果的だった。
無理に話しかけることなく、ただ隣に座り、静かに読書をする彼女の佇まいが、ルナの凍りついた心を開いたのだ。
「貴女の名前を、教えてもらえる?」
ルナはしばらく目を伏せていたが、やがて顔を上げ、澄んだ瞳でセレスを見つめた。
「ルナ。……シルヴァ族の族長、イルーシアの娘です」
その声は小さくても、芯が通っていた。
「ルナ……素敵な名前ね」
セレスは優しく微笑んだ。
「国境の公国側……西の森にいたのか?」
カイルが部屋の入り口から、低い声で問いかけた。
「いえ……森を少し出た街道にいました」
ルナが小さく答える。
「森の外とは珍しいな。エレフィン族は滅多に境界を越えないはずだが」。
「商業都市バザル・アムの商隊を、迎えに行っていたのです」
壁に背を預けていたフェリックスが、興味深そうに身を乗り出した。
「へぇ。シルヴァ族は独立都市のバザル・アムと交易をしてるのか」
「はい。鉱石や木材と引き換えに、塩や衣類の素材を交換しています」
ルナの丁寧な説明に、カイルが腕を組んで頷いた。
「エレフィン族とて、完全に外の世界と遮断して生活しているわけではないからな。自ら他の都市へ行ったりはしないまでも、外部との接点は持っているということだ」
カイルの補足に、ルナは小さく首を縦に振った。
「商隊を待っていたら、ヴァリシアの兵たちに見つかりました。森へ逃げる途中で、捕まって……」
セレスはルナの手をそっと握り、力広く言った。
「安心して。公国軍は私たちが倒したわ。当分の間、彼らが森を攻めることはないはずよ」
「ありがとうございます。ローゼンベルクの姫様」
「姫!? 私は王女殿下ではないわ。ただの公爵家の娘よ」
控えていたフェリックスが、小声で突っ込む。
「公爵家が『ただの』ってことはねえだろう……」
カイルが肩をすくめて補足した。
「エレフィン族に爵位という概念はない。軍を率いる高貴な立場の者は、族長かその親族に限られる。要するにセレス、お前は彼らにとっての『姫』に等しい存在なんだよ」
「セレスでいいわ、ルナ」
「わかりました。セレス姫」
「……諦めろ、セレス」
カイルは呆れたように首を振った。
「呼び名はともかく、さて、どうしたものか」
カイルは腕組みをしたまま目を閉じた
セレスは決意を込めて言い放った。
「ルナを、シルヴァ族の元へ連れていきます!」
「セレス様!?」
ミリアが驚きの声を上げる。
カイルは閉じ合せていた片目だけを薄く開け、淡々と言った。
「セレス。お前のそういうところは嫌いじゃない。だが、軍団長自らが行くのは反対だ。落ち着いたらアルクリーズ城の兵にでも送らせるのが常道だろう」
「……でも」
「いいか、人には人の役割がある。少女を森に送るのは、聖騎士団団長の仕事じゃない。例えば『伝令』だ。伝令自体は重要な仕事だが、俺が次の戦で『今回は軍師をやめて伝令をやります』と言い出したら、お前は止めるだろう?」
「それはそうだけど……」
「ふう。……と言っても、今のお前に理屈で納得してもらえる自信はないな。なので『条件』を付ける」
「条件?」
セレスが問い返すと、カイルは真っ直ぐに彼女を見据えた。
「俺はルナを送り届けたついでに、シルヴァ族へ何かしらの『聖騎士団への協力』を交渉するつもりだ。そうなれば、今回の事はただの『善意』ではなくなる。わかるな?」
「ええ」
「ある意味、ルナを交渉の材料として利用することになる。……それでもいいなら、連れていくことを許可しよう」
カイルの冷徹とも取れる言葉に、セレスは真っ直ぐに答えた。
「わかったわ。それでも構わない。私は、ルナを無事に送り届けたいだけよ」
***
事情を辺境伯に説明すると、彼は即座に難色を示した。
「危険です! 西の森は公国領ですぞ。こちらから軍を送り込めば、公国側は本格的な報復だと受け取り、中央から大部隊を呼び寄せる可能性があります」
「いえ、辺境伯様。軍は出しません。私たち五人が護衛を務めます」
「……五人、ですと?」
辺境伯は絶句し、信じられないものを見るかのようにセレスを見つめた。
「セレス様、正気ですか。万が一、公国軍の哨戒網に引っかかれば多勢に無勢、逃げ場などありません。五人きりで包囲を突破できるとでも?」
セレスの隣で、カイルは不敵な笑みを浮かべた。
ミリア、フェリックス、エミールの三人は、慣れっこだと言いたげに肩をすくめる。
カイルが言葉を継いだ。
「メイルドック卿、物は考えようです。軍が動けば敵も動く。ですが、少人数で隠密に動けば、公国に察知されることはまずありません」
「しかし……!」
「ご安心を。セレス様を筆頭に、五人全員が剣の腕は達人級です。……ああ、一人は槍でしたね」
「もちろん、王国軍と悟られないよう旅人を装います。自衛のために武器を携帯している旅人など、珍しくありませんから」
「許可をお願いします、辺境伯様」
セレスの真っ直ぐな瞳を受け、辺境伯は深く、重い溜息をついた。
「セレス様、貴女は聖騎士団団長です。アルクリーズ城主の許可など、本来は必要ありません。……個人的にはお止めしたいですが、『どうか無事でお戻りください』と言うしかありませぬな」
「ありがとうございます、辺境伯様!」
喜ぶ五人を前に、辺境伯は「やれやれ」と言いたげに、再び溜息を吐き出すのだった。




