第14話 紅蓮騎士団長フェリックス
――紅蓮騎士団。
その名を聞いた公国軍の士官は酷く狼狽した。
その様子を見て、フェリックスが不敵に嗤う。
「さて……選択肢をやろう」
彼の声音が、冷たく響いた。
「武器を捨てて降伏か――」
「ここで、俺たちに全滅させられるかだ」
背後からは聖騎士団の白銀が押し寄せ、前方には紅蓮の壁が立ち塞がっている。
「くっ……正面の敵は千騎ほどだ、強行突破しろ! 公国方面へ逃げるぞ!」
絶望の中、公国軍士官の絶叫が響き渡った。
彼は馬を駆り、必死に突破口を抉じ開けようとする。
それを耳にしたフェリックスが、呆れたように天を仰いだ。
「はぁ……。お前ら馬鹿か? 状況判断能力が致命的に欠けてんな」
彼は手にした槍を軽く掲げた。
「紅蓮騎士団――踏み潰せ!」
刹那、赤い壁が轟音とともに動き出した。
それはすべてを飲み込む、紅い津波であった。
中央を強引に突破しようとしていた士官は、その圧力に戦慄し、指令を塗り替える。
「まずい! 全員、防御陣形――ッ!」
だが、彼らには構える暇さえ与えられなかった。
ドゴォォォンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、公国兵の前列が文字通り吹き飛んだ。
巨大な槍に貫かれ、人馬が空を舞う。
紅蓮の軍勢は、血塗られた大地を蹴散らし、次々と公国兵を粉砕して突き進む。
指揮官の悲痛な叫びを受け、公国兵たちは蜘蛛の子を散らすように、紅蓮の騎士団を避けて左右へと逃れようとした。
だが、その判断こそが彼らに自らの浅はかさを悔いさせることになる。
死に物狂いで逃げ出したその先に、待っていたのは絶望だった。
「なっ……あ、あぁぁぁ!」
そこには、到着した白銀の輝きが包囲するように立ち塞がっていた。
背後の紅蓮から逃れようと必死に駆け込んできた兵たちは、成す術もなく次々と斬り伏せられていく。
前からはすべてを粉砕する紅蓮の津波。
散った先に待ち構えていたのは、一分の隙もない白銀の壁。
「挟まれた……!」
「もう終わりだ……!」
公国軍の悲鳴が、夕闇に溶けていく。
勝利を確信して酒盛りの準備をしていた彼らに、反撃の術など残されてはいなかった。
策に嵌まり、完全に機を逸した二千の公国軍は、文字通り蹂躙された。
セレスが馬上から、静かに戦場を見渡した。
「終わったかしら……」
エミールが隣で冷静に報告する。
「公国軍の指揮官クラスは拘束しました。降伏した兵は武装解除中です」
ミリアが近づき、厳しい目付きでフェリックスの方角を睨んだ。
「……また派手にやったわね、猪男」
フェリックスは槍の血を振り払いながら、高らかに声を上げた。
「おぉっと! これはこれは我が友人たちよ! 遅かったじゃねえか?」
カイルが歩み寄り、よく来てくれたとフェリックスと固い握手を交わす。
セレスは馬を寄せ、フェリックスに語りかけた。
「貴方がカイルの友人のダミアン卿ね。援軍、誠に感謝いたします」
フェリックスは、芝居がかった仕草で応えた。
「初にお目にかかります。ローゼンベルク王国の戦女神と称される貴女様を、こうして直接拝謁できましたこと……このフェリックス・フォン・ダミアン、一生の誇りといたします」
彼は恭しく、セレスの前で片膝をついた。
「貴女様の白銀の鎧は清廉な湖水のごとく透き通り、その御尊顔は昇る朝日に比すべき美しさ。戦場に咲く一輪の聖花とは、まさにこのこと……」
「そして『ダミアン卿』ではなく『フェリックス』とお呼び頂ければ幸いです。このフェリックス、貴女の危機を心配して夜も眠れず――」
「セレスティーヌ様、こちらに来てください!」
公国軍の残された野営を確認していたエミールが、割り込むように叫んだ。
「あら。……ええ、よろしくね。フェリックス」
セレスは微笑んで短く挨拶を返すと、すぐにエミールの元へ向かった。
後に残されたフェリックスが、差し出した手を虚空に浮かせて呆然とする。
その無様な様子を、ミリアが冷ややかな目で見下ろした。
「……相変わらずね。あなたのその芸風」
「芸風とは心外だな。俺はいつだって真剣……」
ミリアはフェリックスを軽くあしらうと、セレスの後を追った。
そこには、一人の少女が囚われていた。
長い耳、そしてしなやかな手足。
間違いなく、森の民エレフィン族であった。
「酷い怪我だわ。ミリア、すぐに来て!」
セレスの叫び声に応じ、ミリアが駆けつけた。
公国軍の野営テントの隅。そこには、うずくまる小さな影があった。
「これは……」
ミリアが唇を噛む。
その四肢には、乱暴に扱われたことを物語る痛々しい打ち身や、縄で縛られた跡が赤く残っている。恐怖と空腹のせいか、少女は自力で立ち上がる力も残っていないようだった。
「外傷は多いけれど、幸い命に関わるような深い傷はなさそうだわ。数日、温かい食事と休息を与えれば、自分の足で歩けるようになるはずよ」
ミリアは少女の体を素早く確認し、セレスに向かって頷いた。
「何があったのかしら。公国軍がエレフィン族と小競り合いをしたのは、間違いなさそうだけれど……」
セレスが懸命に問いかけるが、少女は恐怖に震え、まともに目を開けることすらできない。
「公国軍が彼女を捕らえていた可能性が高いな」
カイルが静かに近づき、少女の姿を冷静に観察した。
「着ている衣は粗末に見えるが、布地そのものは上質だ。特に胸元と袖口に施された刺繍は非常に精巧……。これは、エレフィン族の中でも高位の者の証だろう」
「もしかして、人質なのかしら?」
ミリアの問いに、カイルは頷いた。
「おそらく鉱石の利権絡みだ。軍議で話した通り、森の地下には希少金属が埋蔵されている。人質にして部族を脅迫するのが、連中には一番手っ取り早かったんだろう」
ミリアはすぐさま応急処置を始め、少女を包布(毛布)で優しく包み込んだ。
「まずは安全な場所へ連れて行きましょう。ここでは落ち着いて治療もできません」
「そうですね……アルクリーズ城へ戻り、正式な医療を受けさせましょう」
セレスは膝をつき、優しく少女に語りかけた。
「怖がらなくても大丈夫よ。私たちは、貴女を助けるために来たの」
少女の警戒心はなかなか解けなかったが、セレスがそっと手を伸ばすと、恐る恐るその指先に触れてきた。
「私の名前はセレスティーヌ。貴女のことは、私たちが必ず守るから」
一行がアルクリーズ城へ向けて移動を開始する中、カイルは伝令役を呼んだ。
「輸送隊は再度ラウルズへ戻れ。本来の物資を確保してから追って来るように指示しろ」
「了解しました!」
公国軍を無力化した今、街道の安全は確保された。もはや、偽装する必要はない。
紅い鎧の騎兵団を率いるフェリックスが、セレスの隣に馬を並べた。
「意外ですね。確かに王国とエレフィン族は友好関係にありますが、上位の貴族ほど、彼らを蔑んでいると思っていましたよ」
「私から見れば、普通の人間の少女と同じです。……貴方はどうなのです? フェリックス『卿』」
「いえ、俺も同じ気持ちですよ。……ただ、安心しました。カイルがミリア以外で、これほど肩入れするわけだ。納得ですよ。ミリアよりずっと可憐ですしね」
「フェリックス。死にたいの?」
後ろからミリアが、抜き身のような鋭い視線を送る。
「おっと、これは失敬」
フェリックスは肩をすくめるだけで、反省の色はない。
「……あの、最初のフェリックス卿の、歯の浮くような台詞は何だったんですか?」
エミールがカイルに小声で尋ねた。
「いつものことさ。脈がないとわかると、すぐ終わる」
カイルが淡々と答える。背後ではミリアとフェリックスが、まだ何か言い合いを続けていた。
そしてセレスは、保護した少女へ優しい視線を向けた。その脳裏には、王都で帝国兵に切り捨てられていた人々の姿が浮かんでいた。
「助けを求める者がいれば、手を差し伸べる。……それは、当然のことです」
カイルが無言で頷き、進軍の速度を調整させた。
***
公国軍壊滅の報を受けた帝国軍一万は、ゆっくりと退却の動きを見せ始めていた。
アルクリーズ城の城壁の上。
迫り来る軍勢の引き際を、メイルドック辺境伯は冷徹に見つめていた。
「……賢明な判断だな」
「ほぼ無傷の聖騎士団が、公国軍を撃退して戻ってくるのです。挟撃の危険を察知したのかもしれません」
傍らに立つ幕僚が言葉を添える。
「聖騎士団、帰還いたしました!」
見張りの兵からの高らかな報告が、城壁に響き渡った。
「城門を開けよ。戦女神を迎えねばな」
辺境伯は、わずかに目を細めて微笑んだ。
「本人は、再びそう呼ばれるのをまだ嫌がるかもしれんがな」
開かれた城門から、白銀と碧、そして紅蓮の騎士たちが悠然と入城してくる。
凱旋する彼らを、城壁を埋め尽くした兵士たちの熱狂的な歓声が迎えた。




