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act.50 吹き飛ばされた誓い

 背中に伝わる堅い木の感触。頭は完全に混乱している。一体何が起きたんだと自問自答を繰り返す。答えは簡単、吹き飛ばされたんだ。だから何が起きて吹き飛ばされたんだ。背中のダメージが鈍痛となって思考を邪魔する。


 クルトは追撃に来ない。しかし、その場で回し蹴りのモーションに入る。


 不可解だ。天地がひっくり返ってもそんな攻撃が届くはずがない。届くはずがないのに、紫電を纏うことで鋭敏となった感覚が告げている。危険だと。


 イグナールは咄嗟に左方向へと回避する。そしてまた木に激突した。


「クッ‼」


 紫電の身体能力強化で速さを手に入れたものの、制御が難しい。それに、いくら速くても直線の動きしかできないのだ。誤れば自滅の危険すらある。


 だが、回避の選択そのものは間違っていなかったようだ。先程まで背中を預けていた木が両断されている。それだけではない。まるで森を切り開くがごとく、後方にあった木々が扇状に切断されていた。


「風か……!」

「ご名答。しかし、遅すぎますね。いろいろと」


 先程イグナールを吹き飛ばした力の正体。木々を両断せしめた力の正体。それはクルトの魔法。風属性魔法によるものだ。


 クルトの戦闘スタイルは風属性の魔力を纏い、体術メインで戦うもののようだ。短剣はあくまで近接戦闘において、相手の武器をいなし崩す、防御に重きを置いたものなのだろう。


 近寄れば風の力で吹き飛ばされ、離れると風の刃が襲い来る。


 後方から特大威力の暴風を振りまくデボラなどの魔法使いとは対極をなす、属性の身体強化と剣術や拳術で戦うディルクのような魔法剣士タイプ。イグナールの前に立ちはだかるのは風の魔法剣士クルト。


 未だ自分の力すらも理解できず、魔法使いにも、魔法剣士にもなれない半端者のイグナールが敵うような相手ではないのは明白である。


 当初クルトに対して殺すと宣言した強気な自分はどこへ行ったのだろうか。いや、ただ単に殺されたのだ。怒りで奮い立ち、猛然と得体の知れない敵に向かった自分は、圧倒的な力量の差を見せつけられ殺されたのだ。


 身体よりも先に、立ち向かう心を……


 イグナールの心情を知ってか知らずか、ゆっくりと一歩一歩近付くクルト。それはイグナールにとっての死神そのもの。


 ああ、モニカとマキナは無事に逃げ切ることができただろうか? 十分に時間は稼げただろうか? なら十分じゃないか?


 まだ、体力に余力はある。しかし力は入らない。まだ、体は動く。しかし力は入らない。


「少しは楽しめると思いましたが、時間の無駄でしたね。残念です」


 いつの間にか目の前まで迫ったクルト。逆手に握られた短刀が振り上げられ、左手が添えられる。心臓の辺りの感覚がバチバチと警鐘を鳴らしている。


 ああ、こんな事を思うなんて自分でも驚きだ……


「最後にモニカの声が聞きたかったな……」


「アクアボール!」


 最後にモニカの声が聞きたかった……そんな要望に応えて、脳が記憶から彼女の声を再現したのかもしれない。だからこれは幻聴だ。決して浅くはない怪我をしたモニカをマキナに頼んだのだ。モニカの戦線復帰などあり得ない。


 そんな考えを打ち砕くかのように、クルトが後退る。彼がいた場所を大きな水弾が通過していく。


 水弾が放たれたであろう方向に視線をやると、モニカと、彼女を背負ったマキナの姿があった。すでに彼女達の周りには多くの水弾が展開されている。木々の後ろ側にもあると考えるなら無数とも言えよう。


「イグナール大丈夫!?」


 大丈夫かと聞きたいのはこちらのほうだ。しかしモニカの意識が戻ったのならば、回復魔法で応急処置は済ませたのだろう。そしてすぐさまこの場に戻ってきたに違いない。マキナが彼女を背負っているのは万全ではないモニカの脚となるためなのだろう。


「ああ……大丈夫だ!」


 モニカに向かって力強く返事をする。先程までの弱気な自分をぶん殴ってやりたい気分だ。自分はたった一人だと、生きることも諦めてしまうほどに弱いのかと。だが、今はそんな弱い心は見せられない。


 その根源がどこにあるかはわからない。何がそうさせるのかわからない。しかし、心の奥底でそう思うのだ。彼女に、モニカにこれ以上情けないイグナール・フォン・バッハシュタインを見せるわけにはいかないと。


 イグナールは立ち上がり、剣を構える。鋭い眼光でクルトを睨みつける。


 一方クルトは思わぬ増援に困惑しているようだ。無数とも言える水弾が漂う、モニカの領域。研究所の守護者ガーディアンほどの硬さがなければ、彼女の作り出した水弾は凶器となりうる。イグナール同様、人間との命の取り合いはモニカも初めてだ。きっと内心で大きな葛藤もあるだろう。


 だから、奴を倒すのは自分でなければならない。剣を突き立て、息の根を止めるのは自分でなくてはならない。ボロボロになって散った決意をかき集め、無理矢理にまとめあげる。


「援護は頼んだぞモニカ! 奴の逃げ場を無くしてくれ!」

「任せて!」


 この場の誰よりも速いが直線的な動きしかできないイグナール。速く柔軟な動きもできるクルトには意味を成さない速さだが、モニカが奴の動きを制限してくれるならば……


 水弾が舞ってクルトを包むように移動する。そこに一本の道ができる。イグナールは剣を刺突に構え直し、地面を踏みしめる。


「もっと、もっと力を! 速さを!」


 彼を包む紫電の光が強くなり――雷の如くイグナールは撃ち出された。

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