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思い出の定着  作者: 椎名未来
一章
3/7

メロンパンが好きだった話三

          



「あー………ねーちゃん」

 俺は研究室中の窓を柏尾さんの抗議を聞き流しながら開け放ち、なぜかどっかり食料を買い込んで俺の前で黙々と食いながらパソコンのキーを叩いているねーちゃんに言った。

「それっていわゆるー……やけぐい?」

 ねーちゃんは見かけによらずかなり食う。もうお前の胃はブラックホールか超新星爆発でもした恒星が入ってんのかと思わされるぐらい食う。

 俺は呆れながらも向かい側に座ってその様子を冷静に観察していた。アップにした長い髪がひょこひょこ動く。

左手のおにぎりをちびちびとだが確実に食い、食い終わったらスーパーの袋をごそごそとさぐり次の目標をロックオンする。

「違うわよー。ただの栄養補給」

 んなわけあるか、と大声で言いたい。言えないが。

「その栄養はどこにいってんだが……」

「んー……。脳みそ。頭使えばいくら食べても太らないんだけどねー、と現代のエライ人がいってましたー」

 ふーん……。それにはまぁ納得できなくもなくなくなくなくなくない。

現にねーちゃんは身内の俺が言うのもなんだけどかなりの秀才で、この鴫原研究室だってそのへんの馬の骨じゃちゃっとやそっとじゃないれないハイスッペク集団だし、その長である鴫原健三教授は名刺に全ての肩書きをかいたら自分のの名前を載せるところがなくなるという俺から見れば神様のような人だ。

 まぁんで、そのMITと喧嘩をやらかしても勝つぞとかいっちゃう変人、いや、天才集団からのスカウトがあったのはねーちゃんが初めて。教授が是非ということだった。まぁ、医学部にそのまま在籍してれば確実に主席で卒業して国内だけじゃなく国外からも誘いがたくさん来ただろうってのが噂。転部する時に学部長直々に止めに来たぐらいだし。

「まぁそんなことどうでもよくてー、なんのようできたわけー」

 メロンパンをもぐもぐと食いながら相変わらずの速度でキーをたたく。

「なんのようって…。毎年きてるからわかるだろ……。ねーちゃん的にはもうどうなわけ?」

 すこし沈黙。ちなみに柏尾さんは横の研究室で酔いつぶれてお眠り中。

「まぁ、昔よりは落ち着いたわよ」

「嘘つけ」

「嘘じゃない」

「嘘つけ」

「嘘だけど」

 ふふふと、食べるのを止めてねーちゃんは笑い、はっと俺ははにかんだ。

「嘘だけどさー」

 んーっと背伸びをすると俺と少ししか背が違わないその高い身長をみせるように席を立ち、ぜんぜん涼しい風なんかはいってきやしない窓際に腰を降ろして大学の外に目をやる。

「それでも落ち着いて来たっていうのは本当。うん、本当なんだけどね」

 ゆらゆらと風がないはずないのにねーちゃんの綺麗な長い黒髪が揺れている。

俺は相変わらず表面上ははにかみながらねーちゃんの独白のような言葉をほおずえしながら聞く。

「でもそれって悲しいことじゃない? そう思わないくにぴー」

「……栞経由かな?」

「うん」

 にっこりと笑う。

あとで延髄蹴りで沈めてやるあのごく潰しが。せっかくのシリアス場面が台無しだ。

「あー…えっと栞が置いといて。悲しいって? 落ち着いてきたってことは単純悲しいのがなくなるわけだろ? どうしてまた」

 そう俺が言うと、また長い髪を揺らしながらふーんっと左右に頭をゆらす。別にふざけてるわけじゃなくて本気で考えてるので、この辺が天才とバカは紙一重っていうのかなぁと思ったり。

「それは……最初は物凄く悲しかったわよ。それは否定しない。毎年この時期がくると悲しくなるし、先輩の亡くなった日がくるともっと悲しくなるのも事実だしね。でもねぇ、それもその時だけ。所詮は他人で、その場にいなかったわけだし、固執しようにも固執できないのよ」

 そこで一息止めてふーっと息をはき、座っていた窓枠から腰を上げるとまた俺の向かいの席に戻ってきた。

「例えば。先輩はメロンパンが好きだった」

「うん」

「例えば。先輩は食後に六十円アイスを食べていた」

「うんうん」

「例えば。先輩は夕食に一回はカレーを食べる」

「……」

「例えば、」

「なんで食べ物ばっかなんだよ」

 ふふっと笑い、

「邦彦がとめてくれるかなーって思って」

 げんなりする。心底げんなりする。

げんなりするのは栞だけでおなかいっぱいです。姉さん。

「まぁ、こうやっていろいろ覚えてるけど、そのうちわからなくなるの。どうやってたべていたかとか、どんな表情してたかとか」

「…………」

 ねーちゃんが言いたいことが段々なんだか見えてきた。この四年、こうやってねーちゃんが結論めいたものを言うのは初めてだと言うのに。ようやくわかる気がする。

「……そうね。『忘れちゃうの』よ。人間てね。いくら悲しんでも衝撃的でトラウマになったとしても、事実は薄れて、後に残るのは悲しみだけ。たぶん今年のこのお盆の沈んだ気分もそのうち薄れちゃうわ。つまりそういうことなの。いくら…大切な人だったことでもね」

 ふぅ、っと息をはいてスーパーの袋からコーラを出してあけると一気に半分までからにしてそのまま口を閉じてげっぷする。一応このへんの慎みはある。

「そして一番の悲しみは……『忘れていく自分というものに気づいてしまう』ことよ」

 俺は目を見張った。まるで居眠りしてるとこに後頭部に一発パンチをくらったかのような、推理小説の探偵の謎解きに多いに納得して得した気分のような、目が覚めた気持ちになった。

なるほど。なるほどね。そういう考え方ね。

 『ねーちゃんはとっくに気づいていたんだ』。

「当事者しかわからないこと、っていうやつかな?」

 俺は勝手にねーちゃんのコーラを取り、そのまま飲む。

「当事者でないけどね」

 そう言って笑顔を見せ、そしてまたどこか気持ちを漂わせるような表情になる。

「彼のお墓参りにいく悲しみも、去年の一回忌の悲しみも亡くなったという報告を聞いた悲しみも、全部薄れちゃって、思い出せなくなる。そしてやっと気づくの。しばらくして気づくのよ。『ああ、私は彼のことをだんだん忘れていってる』ってね」

 ねーちゃんは普通だった。いたって普通だった。でも俺には悲しんでるようにはみえなかった、だけかもしれない。

 人の感情を表に見れるようになったらどれだけ楽だろうか。きっとそれは適わないだろうけれど。

「時間て残酷よね。人間て残酷よね。でもその残酷さが人間だもんね。それがなくちゃ人間じゃないもんね。だから私はこの悲しいっていうのを大切にしたいの」

「……それって引き摺るってことにならない?」

 ううんっと髪を揺らし、左のほうの髪を耳にかける。

「そうじゃないわ、あくまで記憶を留めるだけ。といってもさっきも言ったけど忘れちゃうから。んー、ちょっとこんがらがってきちゃったわね。んー……」

 んー…とだんだん頭を傾け、ついにはごん、っとデスクに頭を着地させながら考え、あ、と結論がでたようだった。頭を起して髪を手串で整えながら、

「悲しみを忘れるのは当然。だからつまりはよくい言う、彼の思い出を大切に、ってことね」

 にっこりと笑い、俺もふーんと唸りながら顔を横にそむけにやりと笑う。スーパーの袋からおにぎりを取り出してあけながら言う。

「忘れないと悲しい。でも忘れていくことも悲しい、か。ねーちゃんらしい考えだな」

 そういって俺はたらこおにぎりを食い、食ってる途中でいったい何日ぶりにご飯をくったのだろうとくだらない考えが浮かんだ。

 俺の独白を聞いたねーちゃんはなぜか複雑そうな表情を一瞬だけ浮かべ、

「そうかしらね。案外みんなそうなのかもしれないわ。失礼だけど葉山のおばさんだっていつまでも悲しんでるけど、それはただ近すぎて見えないだけ。遠くなったら、私見たく遠くなったらいつか気づいてくれるわよ」

 気づいてくれる。希望的な言い方なのはそうなるだろうという予測なんだろうな。

 人は立ち止まっていられない。きっとみんなずっと歩いている。だから自分が泊まっていることにいつか気づくだろう。

「だから」

 こんこんとデスクトップのパソコンの液晶画面をこつこつとその長い人差し指で叩く。

「それを考えるためにここに来たの。あんまりみんなはよくは思ってくれてないけど、今度の論文を学会で発表したら私もなんだか終わるような気がするわ」

 ふーん……。あ、そうだ。

「柏尾さんがなんか言いよどんでたけど、ねーちゃんのことで。それってそのせい? 俺はてっきり人間蘇らせる研究でもしてんのかと思ったぜ?」

「正樹はお兄さん肌だからねぇ。心配を人一倍してくれるのよ。まぁ今度ので終わると正樹も安心するでしょ。それに人間が蘇るのはSFとアニメの世界だけよーん?」

 ぴんっと俺のでこにでこぴん一発をかますねーちゃん。

俺は思わずにやにやして、ケータイを取り出した。あいつは寝てるかなぁ。ああ、いや絶対寝てるな。バカだし。

「まぁ、ねーちゃんがそうなら俺は何も言わねぇわ。自分がしっかりしてるみたいだし。暇だから栞でも呼ぶわな」

 弟に心配されるなんてー、と何気にかなり不満げな表情を浮かべたけど、またもぐもぐと食い散らかしながらパソコンのキーを叩き始めた。

 さてさて、栞のヤツは何回のコールで起きるのだろうか。

「二十回。留守電含め」

 そう自分に呟いて着信履歴から電話した。

 食べながらにこにこ笑ってるねーちゃんをみていると本当は早く食料食いたくてあんなこと言ったんじゃないかと疑問がでてきてにやにやしてしまい、意外にも七回のコールで怒声で電話にでた栞に対応しそこなった。



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