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思い出の定着  作者: 椎名未来
二章
4/7

日常と異常一

 昔の話だ。

 そう――そんな近くなくて、遠くもない、昔の話だ。

 俺の記憶は曖昧で、一体どこからどこまでが俺の記憶なのかが未だに判別に困る。

 でもあの日は、とても寒い、雪が降り積もった後の朝のことだということを覚えている。

 俺は中庭を囲んだ廊下ただなんとなく歩いていた時だ。気慣れない真っ黒な学生服をずるずるとひきづりながら雪が結晶の塊のように降り積もった中庭を横目に歩いていた。

 家は広く、古き善きの日本の家というのがぴったりだったけれど、人の生気というか、その生活らしさがまったく感じられない空間だった。新しく隣に建てた新築の家に家族が移り住んだということもあるんだろうけれど、それはそれでなんだか悲しい気がした。

 だから俺は周囲に漂っている悲しい雰囲気から逃れるように長い長い廊下で囲まれた中庭沿いを飽きもせずに回っていた。

 本当に雪は綺麗だった。

 美しい。とっても美しかった。

 はらはらと舞うその一つ一つはすでに降り積もった雪と同化して、鈍い光を反射する。埋もれた池や木に積もるその一片達は俺と同じように飽きる事無く降り続いていた。

 きっと。人の命もこんなに儚いものかもしれない。

 俺はそんな無意味なことをしていた時だった。

 廊下沿いの部屋、ある和室から声が聞こえた。そこは自分が記憶している限りでは客間で何もない部屋だったはずだ。

 俺は何も考えずにふすまに手をかけ、半分ほどあけると――

 そこには俺の通っている高校の女子制服を来た、髪の長い女の子がいた。

 ――栞。

 そう、確か俺はそんなふうに呟いた筈だ。

 栞はまだこの頃は背中ぐらいまで髪が長く、いつもポニーテイルにしているのに「今日の日」はそれを解いていた。

 薄い光を照り返す髪が彼女の服に散らばっていた。客間は大きなテーブルに奥に床の間、たんすが一つで、栞はただ薄暗い室内の中央で壁に背中を預け、体育座りで膝に顔を埋めていた。

 躊躇った。なんて声を掛ければいいのか。俺みたいな奴が栞に声をかけていいのか。

 彼女はいまにも崩れ落ちそうで、少しの反応で砕け散りそうなガラス細工のようにさえ思える。

 俺はそれなりに空気とかそういうものを読めるものだと思っていた。でもこんな状況になればそんなもの、なんの役にも立たない、ただの表面の「イイヒト」面するための道具でしかないということ深く深く思い知った。栞を本当に思うなら、こんな躊躇はしない。でもそれは偽善じゃないか?

 不幸を知らない人間が、少なからず幸福である人間が、不幸である栞に声を掛ける資格は――あるのか?

『僕が栞に声を掛けたからって何が解決するっていうんだ?』

 そんなことをふすまを開いたまま、栞の蹲る姿を廊下の冷気で足の感覚がなくなり始めるまで考え、口を何度も開いては閉じる仕草をしてからようやく音を喉から出せた。

 ――栞。……だから、そろそろ……う。い…………皆、その、

 なんだろう自分の記憶が曖昧だった。でもきっと心配しているようなことは言ったはずだった。

 頭の中にずんぐりとした靄が立ちこめて、俺が「何を言ったのか」正直わからなかった。

 するとまた右手廊下の母屋から男女一組が歩いてきた。

 ――飛鳥、早川さん。

 そこにはやはり同じ高校の制服を来た同級生が立っていた。

 向野飛鳥(こうのあすか)と早川菜々(はやかわななこ) 。どちらも中学からの付き合いで顔見知った間柄だけど、今日の二人はきっと俺のように辛辣な表情をしているのだろう。特に早川さんはずっと悲しそうな表情をしている。

 飛鳥はバスケ部で根っからの体育会系で単髪に高い身長、筋肉質な体だがその外見とは裏腹に繊細な性格をしてると思う。よく気配りができるというか。

 対して早川さんは綺麗な腰まで届く黒髪を髪ゴムで一つにして、その整った顔を厳しくしている。普段は鈴鳴さんよりはおとなしいが「こういう時は」なぜか必死になろうとする。その理由はきっと友達思い、だからだろうと俺は勝手に決め付けていた。

 飛鳥はふすまのなかの栞と俺を見比べ、そして明らかに眉を顰めた。

 ――お前、何してるんだよ。

 明らかに嫌悪が混じったその言葉。

 言葉は曖昧だったけれど意味は明らかだ。

 一番近い存在なのになんでこんなところに突っ立っているんだ、と。

 なぜ助けてやらないんだと。

 そう、非難めいた言葉。

 だから俺はまた口ごもる。そして、

 ――俺が、話しかけていいのか?

 ――あ?

 飛鳥は剣呑な言葉とは裏腹に冷静な表情で俺を見て、言う。

 ――まさか、お前がそこまで自己中で鈍感の極みだとは思わなかったぜ。

 言っていることが分からなかった。話かけない優しさがなぜ自己中なのだろうか。なにが鈍感? 俺はなにを間違えたのだろう。いや間違ってはいないのだろうか。

 そんな俺の様子を見てか、早川さんが俺を一旦睨みつけると、長い髪をなびかせて何の躊躇いもなく和室にはいっていき、栞の前で膝を折った。

 ――栞、お母さんもお父さんも心配してるよ。私だって心配してる。あっちに一緒に戻ろ?

 早川さんが優しく声を掛けて栞の肩に手をかけるが、栞は顔上げもしなかった。

 ――いやだ。

 鋭く、それでいて静寂をもらたらすだけの迫力のある言葉。栞がそう口にした。でも早川さんはそれでもめげないのも凄い。

 ――いやだって……いつまでもそうしていても、

 ――いやだっていってるでしょ。

 また端的に栞が言う。そして、

 ――わからないかなあ……、わからないよね、私の気持ちなんか。どうせいつも元気だから今日のお通夜で落ち込んでいるんじゃないかとかそんな程度しか、知らないよね。でもね、そんなの私じゃないの。私はもっと醜いんだよ。ななっちにも見せられないほど醜いんだよ。きっと私は一生このままなのかもしれない。きっともっとずっと前からこのままだったはずなんだよ。

 そこで栞は蹲りながら少し嗚咽を混じらせ始めた。

 いつも知っている栞じゃない栞が――そこにいた。いや、「知ろうとしなかった」だろうか。

 だから俺達三人は、動けなかった。

 ――例えばそんなことを思っちゃう人って、それって決定的に人間としてかけてるよね。私は私のことはもう人として駄目だと思う。人はそんなこと思っちゃ駄目なんだよ。本気で思っちゃ駄目なの。

 俺は何か言おうとした。早川さんも何か言おうとした。でも言えなかった。

 ――お兄ちゃんを殺した人が憎い、なにより、

 そこで、涙でぐしゃぐしゃになった栞は顔を上げた。その顔は少しだけ笑っていた。

 ――希未さんが――殺したいほど憎いんだよ。


 ――俺は、




 そこで曖昧になった。

 映像が刷れる様に遠くなる。

 俺はなんて声をかけたのだろうか。


 それにあいつは……ねーちゃんを殺したいほど憎いんでいた?


  なんで?


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