【第29話】魔女ちゃんの決断
窓の外から生徒達の賑やかな声が聞こえる。徐々に傾いていく太陽に急かされて、今からカラオケに行こうと策を練っているようだ。やけに明るい生徒の声に、日和は今日が金曜日である事を思い出した。
「……どうして桃先輩がここに?」
目の前に立つのは、日和と同じ魔女の血を引く桃。こうして対面するのは随分と久し振りな気がした。ただここは一年の教室が並ぶ廊下の真ん中。二年である桃をこの場所で見るのは少し違和感があった。
「どうしてって、久し振りに日和ちゃんに会いたいなーと思って、日和ちゃんに会いに来たの」
動揺する日和に、桃はいつもの調子でおどける。今は周囲に他の生徒も居ないが、もし居たらきっと桃は一躍注目の的になっていた事だろう。それだけ桃には、人を集める魅力があった。
「それに……日和ちゃんも私に話したい事があるかなと思って」
日和の心を覗き込むような桃に、日和は息を呑む。やはり桃は全て把握しているようだ。
「……真琴ちゃんも、先輩の眷属だったんですね」
「うん。そうだよ」
なんでもないように桃が答える。きっと桃にとって真琴は、百人以上居る眷属の内の一人に過ぎないのだろう。
しかし日和にとって真琴は、高校に入って初めて出来た友達だ。
「……お願いです」
日和の右手に、ぎゅっと力が入る。
「真琴ちゃんの契約を解除してください……!」
そう言うと、日和は桃に深く頭を下げた。
「勝手な願いだってのは分かってます! それでも私は! 真琴ちゃんとずっと友達で居たい! だから」
「いいよ」
桃の夢は学校中の生徒を眷属にし、穂村桃王国を築き上げる事だ。そんな夢を持つ桃が、日和のちんけな願いなど聞き入れる筈がない。そう思っていたからこそ、桃の返事に最初日和は気付けなかった。
「……え?」
不意に聞こえてきた返事が承諾と気付いて、日和はきょとんとした顔を上げる。
「だから、真琴ちゃんの眷属の契約を解除してあげる。言っとくけど、日和ちゃんの頼みだからやってあげるんだからね? 本当は全生徒を眷属にするつもりなんだから」
他でもない日和からの頼み事だからと、桃が承諾の理由を語る。二人にいつからそこまでの信頼関係が出来ていたのかは分からなかったが、桃の言葉に日和の表情は徐々に晴れやかになっていった。
「ありがとうござ」
「その代わり」
再度頭を下げようとした日和を、桃がそう遮る。
「え?」
「日和ちゃんの頼みを聞いてあげるんだもん。日和ちゃんも私の頼みを聞いてくれないとフェアじゃないでしょ?」
確かに社会は持ちつ持たれつ。一方的に頼みを聞いてもらうのは不公平かもしれない。真面目な顔をして納得する日和に、桃は唇を緩ませた。
「私の頼みわね」
桃はそう前置くと、日和に頼んだ。
「黒島大我くんの契約を解除して」
それは日和の理解に及ばない頼みだった。どうしてここで大我の名前が出るのか。どうして桃が、日和と大我の契約の解除を望んでいるのか。
「……なんで」
「私ね。ずっとあの子の事が気になってたの。あの子を眷属に出来たなら、きっと便利で、私の夢にぐっと近付くんだろうなって。あの一件があってからは手に負えなそうだし私も諦めてたんだけど、あの子を上手く手懐けた貴女を見て、やっぱり私もあの子が欲しいって思うようになったの。あーあ、あの子が二人居たらよかったのにねー」
その口振りは、まるで店先に並んでいる玩具を物欲しそうに見る子供のようだ。桃は決して、大我を人として見ていなかった。
「もしかして、桃先輩はずっと黒島くんの事を狙ってたんですか?」
日和が思い出すのは、週末ショッピングモールの帰りに襲われたあの日。なんとなく襲われたのは主人である自分だと思っていたが、本当の標的は眷属である大我だったようだ。
「そうよ。私は最初から、彼を手に入れる為に動いてたの」
真琴への命令も、大我を眷属にする為のものだろう。大我が日和の眷属である以上、桃の眷属になる事は万が一にもないのだ。
「……最初から」
ふと日和は、桃の言葉に引っ掛かる。大して不思議でもなんでもない言葉だ。しかし日和は、妙にその言葉に引っ掛かっていた。
「そう、最初から。貴女達が入学してくるずっと前から」
そしてその引っ掛かりは物語の核を突く。
「私達が入学する前から?」
「あれ? 真琴ちゃんから聞いてないの? ……あっそっか、真琴ちゃんもこの事は知らないのか?」
なにも知らない様子の日和に、桃も首を傾げる。その後一人で納得する桃だったが、日和は依然疑問の残ったままだ。そんな日和の疑問を解消するべく、桃は不敵に口を開いた。
「あの子が起こした入学式の暴行事件ね。あれ、私が仕組んだの」
桃の告白に、日和の脳は活動を止める。なにを言っているのか、日和には全く理解できなかった。
「……え?」
大我が起こした暴行事件については知っている。真琴から話は聞いたし、当事者である大我からも話を聞いていた。しかしどちらの話にも、桃という登場人物は出てこなかった筈だ。
「あの事件を……桃先輩が?」
眩暈すら起こす日和に、桃は唇を緩ませる。
「まぁ仕組んだっていうのは人聞きが悪いかな。あの日私は、面白そうな新入生が来るから私のもとまで連れてきて欲しいって眷属にお願いしてたの。結局あの子にボコボコにされちゃったから、私のもとまで来てくれなかったんだけどね」
確かに大我から聞いた話に出てきた男子生徒は、誰かの命によって大我に接触してきていた。大方不良ドラマに出てくる様な大柄な男だろうと想像していたのだが、まさかこんな可憐な美少女だったとは夢にも思わなかった。
「……そのせいで」
ようやく理解の追いついた日和の頭に、同時に怒りが込み上げる。
「そのせいで黒島くんは! 学校に来れなくなっちゃったんですよ!?」
おさげ髪が逆立つかの如く、日和は怒りを露わにした。
「まさか。私がなにもしなくても、あの子は勝手に学校に来なくなってたわよ。一度道を外した不良が普通の高校生みたいになろうなんて、そんなの無理に決まってるもの」
馬鹿にしたような笑みを浮かべる桃に反省の色は見えない。自分がなにか悪い事をしたなど、桃は本気で思っていないのだろう。
「そんな事ない! あの事件がなければ、黒島くんはずっと学校に来てた!」
事件がなかった世界線を想像して、日和は叫ぶ。
「貴女が魔法の力を自分の為だけに使ったせいで! 黒島くんの人生は狂わされたの! もうこれ以上、黒島くんの人生を狂わそうとしないで!」
あの事件をきっかけに、大我は教室に来なくなってしまった。口には出さなかったが、当時を語る大我の横顔は実に寂しそうだった。もしあの事件が桃の手によって仕組まれたものだとしたら、日和は絶対に桃を許せなかった。
「……なによ」
そんな日和に桃も言い返す。
「貴女だって、魔法の力で彼を好き勝手にしてるじゃない」
桃の言葉は、日和の心の臓を貫いた。
「散々魔法でいいように使ってるくせに、私だけ悪者扱い? そんなの都合がよすぎるんじゃない?」
「違っ」
「いいや違くない。結局私達魔女は、皆同じような事をやってるのよ」
言い返したいのに、上手く言葉が出てこない。言葉が出ないその理由は、心のどこかで桃の言葉に納得してしまったからだ。
「……話が逸れちゃったわね」
なにも言い返せなくなった日和に、桃はふと窓の外の景色を眺める。
「貴女が黒島くんの契約を解除したら、私も真琴ちゃんの契約を解除してあげる。数少ない魔女友達なんだもの。お互い仲良くしましょ」
今の言葉に本心が籠っていない事は、日和も察している。桃もまた、日和が察している事を察していた。
「それじゃ、久し振りに話せて楽しかったわ」
桃は日和に手を振ると、くるりとミニスカートを靡かせて歩いていく。取り残された日和は、一人廊下の真ん中に立ち尽くす事しか出来なかった。
♡
西の太陽が世界をオレンジに染める。今日は出勤終わりの社会人も遠くに寄り道をしているのか、下校の道中はやけに静かだった。風に揺らされるブランコの音が、ここまで聞こえてくる程に。
桃と別れた後の日和の表情は、最近の空模様の様に曇っていた。別れ際に告げられた桃の言葉が、日和の胸に引っ掛かる。その引っ掛かりが外れないまま、気付けば残り数分で家といったところまで辿り着いていた。
そんな憂鬱な日和の横顔を、大我が眺める。ここ最近日和の淀んだ表情しか見ていないような気がして、大我は気怠げに溜息を吐いた。
「いつまでそんな愚図ってんだよ」
沈黙に居たたまれず、大我は日和に声を掛ける。
「今俺達が意識を向けるべきは穂村だ。本田の正体が分かった以上、また別の方法でお前を襲ってくるかもしれねぇ。今のうちに対抗手段を練っておかねぇと」
日和の表情の理由を、大我は真琴の一件が全てだと考えていた。無論それも理由の一つには違いない。様々な感情が渦巻いて口を噤む日和に、誰とも話したくない気分もあるだろうと、大我はそれ以上の追及を控える事にした。
その時、日和は覚悟を決めたように足を止めた。
「黒島くん」
名前を呼ばれて、大我も足を止める。振り返った先の日和の表情は、俯いていてあまりよく見えなかった。
「屈んで」
「はぁ?」
突然言い渡された日和の言葉に、頭が理解する前に体が反応する。
「うおっ!」
日和の命令によって、大我の膝が迅速に折り畳まれる。まるで和式便所で用を足そうとしている様なポーズだ。
「しゃがみ過ぎ。もっと高く」
「おっと!」
「もうちょっと低く」
淡々と告げられる日和の命令に、大我の体は上下に屈伸運動する。日和の微調整によって、大我の頭は日和の頭と同じ高さの位置にまでやってきた。
「テメェ……一体なにしやが」
額に血管を浮き上がらせた大我が、日和に暴言を吐こうと口を開く。しかしそんな大我の頬に、日和の両手が差し伸べられた。
不意に日和は、大我の唇にキスをしていた。
一体なにが起こったのか、大我は理解できずに目を見開く。暴言を吐こうとした口も塞がれてしまった。数分の様にも感じられた数秒の後、日和はゆっくりと大我の唇から自分の唇を離す。
「……もう姿勢戻していいよ」
髪を耳に掛ける仕草をする日和に、初めてキスをした時のような動揺は見られない。ただ夕焼けに顔を染めるだけだ。
対する大我は膝を屈めたまま、なにも動けずに硬直している。日和の言った言葉も、全く理解できない。
「……天宮?」
そこで大我は、普段なら先程のように頭よりも先に体が反応する筈なのに、今は体が反応しない事に気付いた。
「戻さないって事は、上手く解除できたみたいだね」
以前桃から聞いた、眷属の契約の解除方法。それは契約した際と同じ箇所に、魔力をコントロールしながら再び口付けをするという方法。当然日和にとっては初の試みだったが、結果は成功に終わったようだ。
「なんで」
なにがどういった経緯で契約の解除に至ったのか、大我はなにひとつとして理解ができない。困惑する大我に、日和はゆっくりと口を開き出した。
「……さっきね。黒島くんを待たせてる間に、桃先輩に会ったの」
「はぁ?」
随分長く待たされているとは思っていたが、まさか桃と密会しているとは思わなかった。
「その時に言われたの。前に黒島くんが話してくれた入学式の事件、あれに桃先輩が関わってるって」
「穂村が?」
「黒島くんを無理矢理連れてこうとした先輩達は、皆桃先輩の眷属だったみたい。あれは全部、桃先輩の命令によって引き起こされた事件だったの」
衝撃の事実に大我は声を忘れる。しかしそれよりも衝撃的な展開が、今自分の身に起こされていた。
「最初から……魔女の力が貴方の人生を振り回してた」
日和の声が脆く掠れる。
「魔法なんてなければ、黒島くんは事件なんて起こさず、皆から恐れられる事もなかったかもしれない」
「それは」
「今日までだって! 私の魔法がずっと黒島くんを縛りつけてた!」
顔を上げた日和の瞳からは、涙が溢れては流れていく。夕焼けに照らされた涙は、理不尽なまでに輝いていた。
「もうこれ以上……黒島くんの人生を私達のせいで壊したくない」
両手で瞳を強く拭って、日和は涙を止める。強引に涙腺を堰き止められた瞳は、真っ赤になっていた。そんな日和の表情を、大我はただ眺める事しかできなかった。
「ごめんね。今まで私の我儘に付き合ってもらっちゃって。これからは自由に過ごしていいから。出来ればまた学校で会いたいけど……私にそんな事を言う資格はない。黒島くんの好きなように過ごして」
日和の言う通り、大我は眷属の契約が解除され、晴れて自由の身になったのだ。それなのにも関わらず、歓喜の感情が湧き上がってこないのは何故だろうか。
「……それじゃあ、暗くなる前に帰るね」
そう言って、日和は大我の横を通り過ぎる。
「バイバイ」
「天宮!」
家に向かって走り出した日和に、大我が名前を呼ぶ。すぐに日和を追い掛けようと足を動かそうとした大我だが、そこで自分に日和を追い掛ける理由がない事に気付いた。
眷属の契約解除。それは大我がずっと望んでいた事だ。その望みが叶った今、最早日和の相手をする理由はない。日和と大我の関係は、事故によって結ばれてしまった単なる主人と眷属でしかなかったのだから。
取り残された大我は、西日を浴びて影を伸ばす。突然交わった日和の唇の感触が、まだ大我の唇に残っていた。
真琴との関係は悪化し、大我との契約を解除してしまった日和。次々と関係の壊れてしまう日和ですが、これからどうなってしまうのでしょうか。




