【第28話】魔女ちゃんと炎の眷属 後編
数週間振りに訪れた映画研究部の部室は、黒いカーテンが日光を阻んでおり、相も変わらず薄暗かった。
「久し振りね真琴ちゃん。最初に来て以来音沙汰なかったから、私ちょっぴり寂しかったわ」
ソファーに体を預けながら、少女に連れられてやってきた真琴に桃が声を掛ける。大層気に召しているのか、今日も右手にはイチゴオレの紙パックが握られていた。
「私になにか用ですか」
千晶の話では、今やももえんの会員は百人を超えているという。口ではこう言っているが、会員の一人一人を桃が気に掛けているとは到底思えない。自分を呼んだのにはなにか裏があると、真琴は推察していた。
「単刀直入に訊くわ」
真琴の様子に、桃も前置きを捨てて本題に入る。
「貴女、天宮日和ちゃんとはお知り合い?」
突如上がった日和の名前に、真琴は目を見開いた。
「……なんで日和の事を?」
「ちょっと色々あってね。今彼女の事を調べてるの。貴女のクラスにもう一人うちの会員が居るんだけど、まずは同姓の貴女から訊いておこうと思って」
桃と日和に面識があるとは、二人のタイプからして考え難い。一体桃はなにを理由に日和の事を調べているのだろうか。どれだけ考えてみても、それらしい理由は見つからなかった。
「……友達ですけど」
過去のわだかまりは見なかった事にして、真琴は桃にそう伝える。こうして真琴に尋ねるという事は、初対面の際に相談した彼女と日和が同一人物であると、桃は気付いていないのだろう。
「それはよかった! それじゃあ彼女について色々教えてくれないかしら? 家族の話とか、入学前の話とか」
桃はイチゴオレをローテーブルに置いて、パンッと手を合わせる。どれだけ話が進んでも、桃の意図が全く読めなかった。
「……あの、なんで日和の事」
「今は私が訊いてるの。黙って話を聞きなさい」
瞬間真琴の喉に突然ブレーキが掛かる。
――!
どれだけ声を上げようとしても、喉から音が出る事はない。先程まであれだけ流暢に話せていたのに、突然声を出す機能を失ってしまったようだ。
――なにこれ? 声が出ない……!?
喉に両手を当てて、真琴は酷く取り乱す。そんな真琴の様子に、桃は唇を不敵に緩ませた。
「まぁでもいきなり訊かれても不審に思うわよね。いいわ。少し教えてあげる」
狼狽する真琴に、桃は日和を調べる理由について口を開く。
「彼女はね、私と同類なの。他の人とは違う、特殊な力を持って生まれた人間」
言葉を裏付けるように、桃は制服の胸ポケットからお気に入りの口紅を取り出す。すると口紅の先端に、小さな炎を灯してみせた。
――!? 火!? なんで!?
手品かなにかと疑ったが、それらしき種や仕掛けはどこにも見当たらない。真琴の中の謎は、更に深まるばかりだ。
「今貴女が置かれている状況は、彼女にも起こす事が出来る。それが私と彼女の共通点って訳」
――日和とこいつが同類? それじゃあ日和にも同じような事が出来るっていうの? というかそもそも今の私の状況は、こいつの仕業なのか……!?
どれだけ頭を悩ませたところで、真琴の声が戻る事はなかった。
「一年生って、もうすぐ林間学校よね? それなら林間学校の間、彼女の事を観察してご覧なさい。ついでに一緒に居る黒島大我の事もね。そしたら私の言ってる事が、少しは分かると思うわよ」
間もなく開かれる林間学校。先日LHRにて、林間学校のグループが決定したところだ。その林間学校で、日和と桃の共通点が分かるとでもいうのだろうか。
「一日中じゃなくていいわよ。ただ夜になった時、彼女達は必ず貴女達の前から姿を消す。それだけは覚えておきなさい」
桃は右手の人差し指を立てて予言する。しかし真琴はなにがなんだか分からない。知らない間に桃からの命令事項が増えていくばかりだった。
「素敵な林間学校になるといいわね」
最初は美しく見えていた桃の微笑みが、今では恐ろしくて仕方なかった。
♡
一週間後、真琴を含めた服巻高校一年による林間学校が開かれた。最初は疑心暗鬼で日和を観察していた真琴だが、徐々に桃の言葉の意味が分かるようになる。日和の言葉一つ一つに、大我が従順なのだ。口では文句を垂れているが、体は日和の指示通りに動いている。桂馬はおかしな大我だと笑っていたが、真琴はその真意に辿り着く。大我もまた、日和の言葉に強制的に従えられているのだ。
そして夜、真琴の疑惑は確信になる。桃の言った通り、日和は日が落ちてきた途端「体調が悪くなった」と姿を晦ませたのだ。何故か大我と共に。早朝眠そうに欠伸を垂らしながら部屋に戻ってきた日和に、狸寝入りをしながら様子を窺っていた真琴は、桃の言葉に嘘偽りがない事を確信した。日和も桃と同じ、特殊な力を持つ人間であると。
林間学校での顛末を桃に伝えた真琴は、それから日和との出来事を逐一桃に報告し続けた。登校の時間や弁当の中身、先生との会話など、内容は些細なものだ。日和と大我を含めて友人と遊びに行く事になった際は、更に事細かに報告するようにと命令が下った。そして解散後二人きりになったら、必ず報告するようにと。真琴が報告してから数人のももえん会員が日和を襲いに向かったと知ったのは、それから数日が経った頃だった。
「どういうつもりだ!」
酷い剣幕で映画研究部部室に殴り込んできた真琴に対して、桃は先日変えたばかりのネイルを眺めるばかり。
「どうしたの真琴ちゃん。折角の可愛いお顔が台無しだよ?」
桃のどこか人を小馬鹿にしたような調子に、真琴の憤りは更に湧き上がる。
「惚けるな! 私が日和の事を報告した後、アンタの会員の過激派共が日和を襲いに行ったみたいだな! それも全部アンタの仕業だろ!」
どこから真琴に情報が知れたのだろうか。桃は面倒な事になったと、頬を膨らませて息を吐いた。
「襲っただなんて人聞きが悪いなー。ただちょっとお話をしようと思っただけじゃない」
「こいつ!」
我慢の限界を迎えた真琴は、拳を握り締めて桃の座るソファーへと早足で距離を詰める。即座に眼鏡の男子生徒が桃の前に立ちはだかろうとしたが、心配は無用だと桃が男を制止した。
「動くな」
瞬間真琴の足がぴたりと止まる。どれだけ動かそうとしても、足の裏が床にくっついて離れてようとしない。真琴の体が、真琴の指示よりも桃の指示を優先させていた。
「真琴ちゃん。少し落ち着きなよ」
硬直する真琴に、桃はミニスカートを靡かせながら立ち上がる。
「真琴ちゃんはなにも考えなくていいの。ただ私の命令に、黙って従っていればいい」
スタスタと桃が真琴の側に歩み寄る。緋色の髪から漂うシャンプーの香りも、今はうざったくて仕方なかった。
「あっ、でも念押しして言っておくけど、真琴ちゃんが私のファンクラブの会員って事は言っちゃダメだからね。私と真琴ちゃんの関係を匂わせる言動は、なんであっても禁止」
その命令については、既に林間学校の前に桃から言い渡されている。それでも再度命令を言い渡したのは、真琴を心まで服従させようとしているからだろうか。
「それじゃあ真琴ちゃんに次の命令をあげるね。日和ちゃんを黒島大我から引き離して」
耳元で告げられた命令に、真琴は首を傾げる。
「黒島から……?」
「そう。彼とずっと一緒に居られると、私にとってなにかと不都合なの。だからどんな手段を取ってもいいから、日和ちゃんを彼から引き離して欲しいの」
詳細を聞いても、桃の都合は理解できない。否、最初から理解などできていなかった。桃の考えている事など、最初から、なに一つとして。
「期待してるよ。真琴ちゃん」
桃がこてんと首を傾げて、真琴に微笑み掛ける。ももえんの会員であれば、天使と見紛える様なその仕草一つで、全身骨抜きにされていただろう。しかし今の真琴にしてみれば、悪魔以外のなににも見えなかった。
行き場のない憤りを、真琴はひたすらに握り締める。その憤りの矛先は、ただ桃の言う通りに動く事しかできない自分に向けられていた。
そして翌朝、真琴は日和を呼び出す。
「真琴ちゃんどうしたの? というか、そのネックレスやっぱり似合ってるね!」
なんの用件かさっぱり分かっていない様子の日和に、真琴の心は蝕んでいく。首に飾った四角柱のネックレスが、妙に重たく感じた。
「……日和に話しておこうと思って」
「?」
真琴は振り向いて、日和にそう告げる。
「黒島が起こした、入学式の事件について」
こうして真琴は、桃の従順なる眷属として命令に忠実に動き出した。
♡
桃の命令によって、真琴は桃との関係性を伝える事が禁じられている。よってこれまでの回想を誰かに伝える手段はない。屋上にて真琴の前に立つ二人が、真琴の回想を知り得る事はなかった。
「私から話せる事はなにもない。アンタ達にはこの意味、ちゃんと伝わるんだろ」
主人の命令は、例え天地がひっくり返っても絶対だ。それは大我も痛い程理解している。決して割る事のできない口こそが、真琴が桃の眷属である事をなによりも証明していた。
「それじゃあ私行くから」
これで話は終わりだと、真琴が踵を返す。
「安心して。もう私からアンタ達に関わる事はないから」
「え?」
「もし私がアンタに関わったら、そこに私以外の意思が介入してるって考えて」
確かに事前にそう伝えておけば、今後真琴の行動が桃の命令によるものかどうかは一目瞭然だ。真琴の考えは理に適っている。それでも日和は、そこまで冷静で居られなかった。
「真琴ちゃん!」
屋上から去ろうとする真琴を、日和が呼び止めようとする。しかし真琴の足は止まらない。
「待て」
「なんで!?」
走って追い掛けようとする日和を、大我が制止する。振り返った日和の瞳には、涙が薄らと滲んでいた。
「あいつの気持ちも考えろ。どれだけ抵抗したって、あいつはお前の事を傷つけちまうかもしんねぇんだぞ」
同じ眷属だから分かる。眷属に自我は許されない。どれだけ相手を大切に思っていたとしても、命令が下ればその相手を傷つけなければならない。それで傷つくのは相手だけではない。自分の心すら傷つける事になるのだ。
「でも……!」
日和が視線を戻した時には、もう彼女の姿はどこにもない。真琴が一体今までどんな気持ちで過ごしてきたのか、今どんな表情をしているのか、日和はなにも分からなかった。
♡
翌朝。昨日夜になる前に帰った日和と大我は、今日もいつも通り一年二組の教室に揃って到着した。
「天宮さーん、黒島ー、おはよー」
「おはよう」
二人の到着に気付いた桂馬が、朝から元気に右手を振る。日和も手を振り返したが、その笑顔はどこかぎこちなく感じた。
後ろの扉から教室に入った日和は、そのまま窓際の自分の席へと歩いていく。前の席には、既に彼女が腰を下ろしていた。
「……おはよ」
日和が挨拶を口にする。いつもならこれから始まる授業に気怠げな態度を見せつつも、同じように挨拶を返してくれる筈だ。しかし真琴はこちらにちらっと目を向けただけで、顔を前に戻してしまった。
分かっていた事だ。もう自分に関わる事はないと、真琴は昨日宣言している。それでもいざ現実を見せつけられると、日和は胸が締め付けられた。
「あれ? なんかおかしくない?」
窓際の二人の様子を、桂馬が目撃する。
「もしかして喧嘩中? 黒島なんか知ってる?」
何故か大我の席の側で疑問を吐き出し続ける桂馬に、大我は苛立ちを募らせる。しかしその苛立ちさえ霞む程に、大我も窓際の二人に目を向けていた。
「……さぁな」
それだけ言って大我は答えようとしない。どこか事情を知っている様子の大我に、桂馬はそれ以上追及をしなかった。
♡
時は同じく、映画研究部部室。間もなく朝のHRが始まる時間なのにも関わらず、そこには二人の生徒が時間を持て余していた。
ソファーに体を預ける桃は、派手にデコレートされたスマホの画面を眺める。
『日和に私達の事がバレた』
昨日真琴から、端的なメッセージだけが送られてきた。いくら真琴に箝口令を出していても、秘密とはそのうちバレるものだ。桃もいつかは日和に知られると思っており、昨日のメッセージにも然程驚く事はなかった。
「どうするんだよ」
能天気にイチゴオレを啜る桃を、立ったままの翔平が見下ろす。例え幼稚園からの幼馴染といっても、桃の頭の中の全てまで分かる訳ではなかった。
「まぁいつかは分かる事だし、大した問題じゃないわ」
桃は傾けていた体の向きを変えて、ソファーの上で完全に横になった。うっかりスカートの中が見えてしまいそうになり、翔平は眼鏡の奥の瞳をそっと逸らす。
「それに……寧ろいい機会だったかもしれない」
木漏れ日に揺れる天井を眺めながら、桃は小悪魔的な笑みを浮かべる。状況に応じながら、彼女は淡々と目的に向けて行動を移していた。
♡
結局その日、真琴が日和の声掛けに反応する事はなかった。授業終わり、昼休みと果敢に声を掛け続けた日和だったが、真琴からの応答は皆無。放課後に至っては日和の声を聞く前に、そそくさと教室を後にしてしまった。
日和はただ真琴の背中を見つめるだけ。その背中に目には見えない色々な物が背負われているように見えて、日和は耐え切れずに目を逸らした。
下校の準備を整えて、日和も大我と並んで教室を後にする。
「……ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」
廊下を歩いている最中、不意に日和がそう足を止めた。
「長くなるかもだから、黒島くんは先に校門まで行っといて」
「だったら先に帰らせろってうわぁ!」
文句をぼやく大我だったが、日和の命令によって突然足が校門を目指して歩き出す。不自然に歩く大我に背中を向けて、日和は反対方向の女子トイレに足を伸ばした。
女子トイレに着いた日和だが、その足は個室には向かなかった。日和の足が止まったのは洗面台の前。日和は強く蛇口を回し、勢いよく流れる水を両手で掬うと、その水を躊躇なく自分の顔に掛けた。
夏の季節感と相まって、蛇口から流れる水は冷たい。冷や水を浴びた顔は、繊維がぎゅっと引き締まったように思えた。
特にこの行動が影響してなにかが変わる訳ではない。しかし今のままではきっとしょうもない顔になっているだろうと思い、日和は無性に顔を洗いたくなったのだ。鏡に映った水浸しの顔を見て、日和はなにをしているのだろうと我に返った。
鞄からハンカチを取り出して、日和は顔の水を拭く。いつまでも校門に大我を待たせていると、またいつかのようにトラブルになりかねないと、日和は早足で校門まで向かう事にした。
「日和ちゃん」
そんな日和を誰かが呼び止める。
一体誰が名前を呼んだのかと、日和がくるりと振り返る。放課後になったばかりの廊下にも関わらず、そこには彼女一人しか居なかった。
緋色のショートカット。桃色のリップ。軽く傾げたその笑顔は、まるで美術館に飾られた絵画の様に美しかった。
「……桃先輩」
驚きで目を見開く日和に、桃は不敵に目を細めるばかりだった。
三人の中の誰かが桃の眷属だった時、誰が眷属だったら一番面白いのかを考えました。そしてその結果眷属役に選ばれたのが真琴でした。つまり今回も真琴というキャラが先に居て、そのキャラに桃の眷属という設定を後付けしたという流れです。
日和の一番の友人である筈の真琴が、どうして桃の眷属になってしまったのか。その理由に僕も気になって、気付けば二話構成の過去編となっていました。最初この内容を一話でまとめようとしていた僕の計画の甘さが恐ろしいです。




