【第15話】魔女ちゃんの林間学校②
簡素な屋根が備え付けられた屋外の調理スペース。屋根の下にはグループ毎に分かれた生徒達が、野菜をカットしたり洗い物をしたりと大忙しに動いていた。林間学校現在の行程は、グループでカレーを作る野外炊事である。
「痛っ」
ジャガイモの皮剥きの最中、隣からそんな声が聞こえて桂馬が振り向く。日和の左手の人差し指からは、赤色の血がじわりと滲んでいた。
「大丈夫?」
「うん、全然大丈夫」
「大丈夫な訳ないでしょ。ちょっと絆創膏貰ってくる」
「あっ、ありがと」
放っておけば治ると言いたげな日和に、真琴は早足で教師のもとに急ぐ。血が食材に触れないよう、日和はジャガイモや包丁から手を放していた。
「いやー天宮さんって料理苦手なんだな」
そう言う桂馬は、慣れた手付きでジャガイモを丸裸にしていく。
「お母さんの手伝いとかたまにしてるんだけどね」
日和の手先が不器用なのは生まれつきである。不器用を直そうと典子の手伝いも率先して行い、少しずつ料理ができるようにはなってきたのだが、一人で一品を完成させるにはまだ手伝いが足りなそうだ。
「逆に黒島は料理得意なのな」
桂馬は日和から、反対側の隣に立つ大我に視線を移す。大我は華麗な包丁捌きで、玉葱、人参の下処理を黙々と終わらせていた。桂馬としては日和の料理下手よりも、大我の料理上手の方が遥かに予想外だった。
「別に、これくらい普通だろ」
「普段から料理してんの?」
「してねぇよ」
「じゃあ手先を上手く使う趣味があるとか」
「ねぇよ!」
「なんだよびっくりした」
突然大声が聞こえてきて、危うく桂馬も指を切りそうになる。丁度絆創膏を手に真琴が戻ってきて、日和の人差し指の傷は優しく塞がれた。
「よし、それじゃあ私先にお肉焼いてるね」
名誉を挽回しようと、日和は火入れの準備に取り掛かる。この調理スペースではガスコンロではなく、薪や炭を用いてかまどで火入れをする。着火剤の準備は既に出来ているので、後はチャッカマンで火を付けるだけ。なかなか火の付かないチャッカマンに手こずる日和だったが、何度も挑戦してようやくその先端に小さな火種を点火させる。瞬間かまどからは途轍もない勢いの炎が、竜の如く燃え上がった。
「キャッ!」
「天宮さん?」
天井にまで届きそうだった炎に、周囲のグループも思わず調理の手を止める。火力が強かったのは一瞬で、次第に中火程の火力に弱まっていた。
「大丈夫?」
「もうアンタ、コレットの手伝いしてきな」
「はい……」
真琴からの戦力外通告に、日和は言い返す手札を残していなかった。やむなく調理は三人に任せる事にして、日和は調理スペースから離れる。
日和が向かったのは調理スペースからすぐ側の広場。小石や砂利で敷き詰められた広場には、飯盒で炊飯を試みる生徒達が見えた。その中から率先して炊飯担当に名乗り出た同じグループのメンバーを見つけて、日和は歩み寄る。
「どう? いい感じ?」
じっと飯盒を見つめるコレットに、日和も膝を屈めて目線を合わせる。といってもコレットの目線は前髪に隠れて上手く見えないのだが。
「……うん。多分あと二十分くらいかな」
飯盒の蓋を開ける訳にもいかず、中の様子は分からない。ただ飯盒の下で燃える焚火の煙が空に昇っていくのを、ひたすら眺める事しか出来なかった。
「天宮さんはどうしたの?」
「えへへ、邪魔だからコレットくんの手伝いしてきてって言われちゃった」
コレットの問い掛けに、日和は照れ笑いを浮かべる。こういう時に言うべき気の利いた台詞を、コレットは持ち合わせていなかった。
その時、どどっと音を立てた強風が二人の隙間に吹き荒む。
「風が出てきたね……なにか風除けになるもの持ってこないと」
このまま風で火が弱くなってしまえば、炊飯の出来に支障が及ぶ。コレットは立ち上がって、風を遮る障害物を探しに歩き出した。
日和がぐるりと周囲を見回したところ、風除けになりそうな物は一見見当たらない。とにかくコレットが離れた今飯盒を守るのは自分だと、日和はじっと飯盒を見守り続けた。故に迫ってくる巨大な岩に、日和は気付く事が出来なかった。
「キャッ!」
地面に落とされた巨岩に、日和は思わず声を上げる。大柄な犬一匹分程の大きさの岩を持ってきたのは、小柄なコレット一人だった。
「どうしたのこれ?」
「向こうから持ってきた」
コレットは平気な表情で、日和の隣に戻る。確かに岩のおかげで火を風から守る事は叶ったが、この岩をここまで持ち運んでよかったのかは些か疑問だった。
「……コレットくんって、意外と力持ちなんだね」
日和とコレットは男女の違いはあれど、体格にあまり差がない。コレットにこの巨岩を悠々と持てる力があるとは、とてもじゃないが想像できなかった。
「……まぁいつか異世界転生した時の為に毎日鍛えてるからね」
「え?」
コレットの回答の意味を、日和が理解できる事はなかった。
「馬鹿! お前なにしやがる!」
突然調理スペースから、そんな罵詈雑言が響いてくる。何事かと目を向けると、渦中に居たのは同じグループのメンバーだった。
「大丈夫だって。俺の家ではこれがカレーの隠し味なんだよ」
「隠し味って量じゃなかったけど」
「つーかお前どっからそれ持ってきた!」
「普通に家からだけど」
どうやら桂馬がカレーに投入したとある隠し味に、大我が声を荒げているようだ。桂馬はそんな大我を余所にくるくると鍋の中身を回し、真琴は呆れて溜息を吐く。製作途中のカレーの香りは、広場にまで漂ってきていた。
「全く、うちのグループはどこに居ても目立つね」
大我達の様子を見守りながら、日和は呟く。口ではそう言いつつも、その表情はどこかにこやかだった。
「……天宮さんは、どうして黒島と一緒に居るの?」
「え?」
不意にコレットから尋ねられ、日和は首を傾げる。コレットの表情は依然前髪に隠れて不明瞭のままだ。
「もし黒島に脅されて無理矢理一緒に居るんだったら、先生に相談して」
「違うよ」
コレットの声を遮って、日和は即答する。
「寧ろ無理矢理一緒に居てくれてるのは黒島くんの方というか……私、黒島くんにはいつも助けられてばかりなんだ」
調理スペースでカレー作りに挑む大我に目を向ける。桂馬や真琴に声を荒げるその姿は、あまり楽しんでいるようには見えない。それでもクラスメイトと言葉を交わしている事自体、一ヶ月前では想像し難い光景だった。
「だから黒島くんにも、ちゃんと高校生活を楽しんで欲しいの」
しばらく一緒に行動している日和だが、大我の笑顔を未だ見た事がない。いつか大我の笑顔が見られたらと、日和は常日頃考えていた。
「……そっか」
日和の回答に、コレットはそう言葉を返す。時間の経過を報せるように、飯盒の蓋の隙間からは吹き溢れが垂れてきていた。
♡
それから桂馬主体で作ったカレーとコレット主体で炊いたライスは完成し、一同の前には一つのカレーライスとして皿に盛り付けられた。
「美味しー!」
木製のスプーンで掬った熱々のそれを吐息で冷まして、日和は大きな口で頬張る。思わず上がったその声は、屋外の食堂から森の奥にまで響いていた。口の中で広がるまろやかなコクに頬が落ちてしまいそうな気がして、日和は左手で頬を抑える。
「だろ? だから大丈夫って言ったんだよ」
「確かに美味しいな……」
「コレットの炊き加減もバッチリだぜ」
「……どうも」
一同も自分達で作ったカレーの出来に、それぞれ感想を語る。日和の隣に座る大我が感想を口にする事はなかったが、スプーンを握る右手を止める事もなかった。
「佐藤くんが入れた隠し味ってなんだったの?」
このカレーの美味は、単なる林間学校マジックではない。桂馬が混入させた隠し味を、調理スペースに居なかった日和とコレットは依然知らないでいた。
「あーやっぱ気になっちゃう?」
日和からの問い掛けに、桂馬は嬉しそうに口元をにやけさせる。すると鞄の中に片付けていたそれを取り出して、日和に種明かしをした。
「そいつはねー……これ」
桂馬が手にしていたのは、日和もコロッケなどによく使う調味料。
「……中濃ソース?」
「そ。これを入れるとカレーのコクに深みが出てくるんだよなー。佐藤家のカレーには、いつもこれが入ってんぜ」
カレーに中濃ソースを入れるとは、日和の知らない世界だ。この隠し味は一般的なのだろうか。家庭によってカレーの味が違うという理由が痛い程分かる。
「にしても入れ過ぎだったから心配だったけど」
「なに言ってんだ。カレーのコクと落とし穴は深けりゃ深い程いいんだよ」
「落とし穴は危ないだろ」
桂馬の極論に真琴が言葉を返す。真琴の痒いところに手が届く様なツッコミが気持ちよかったのか、桂馬のスプーンを口に運ぶスピードが少し早くなった。
「へぇ……私も今度家でやってみよっかな」
典子にこの隠し味を共有して、キッチンで一緒に調理するのが今から楽しみだ。
「お前はその前にまずジャガイモの皮剥きから練習しろ」
「うるさい!」
ようやく口を開いた大我の発言に、日和は声を荒げる。大我は反省していない様子で口をもぐもぐと動かしており、二人の会話がおかしくて桂馬は腹を抱えて笑い出した。真琴もぷっと思わず吹き出しており、グループの空気につられて顰めっ面だった日和の表情も柔らかくなる。それはさぞ林間学校を楽しんでいる笑顔だった。
楽しい時間も束の間。視界の奥に映る太陽は、徐々に西へと傾いていた。
♡
今日の林間学校の行程が全て終了し、生徒達は施設の中へと戻っていた。あとは各自の部屋で就寝するだけ。それまでの些細な自由時間で、生徒達は共有スペースに集まってしばし歓談に興じていた。
溌剌とした生徒達の声は、施設の外にまで聞こえてくる。
「お前、ちゃんと言ってきたのか?」
薄暗くなってきた空の下、雑草を踏み締める二人の足音が鳴る。周囲には二人以外の気配はない。外には昼のジャージ姿のままの大我と日和の二人きりしか見えなかった。
「言ってきたよ。ちょっと具合悪くなってきたから先生のとこに行くって真琴ちゃんに。変に勘繰られてないといいんだけど……」
大我の背中についていくようにして、日和も夜の屋外を歩く。耳には昼よりも勢力を増した虫の大合唱が入ってきた。
「そういう黒島くんは?」
日和の問い掛けに大我は答えない。無言こそが大我の答えだった。
「もしかして、誰にも言ってないの!?」
「いいんだよ。俺が居なくなったとこで誰も気になんてしねぇんだから」
大我の考えは案外正しいのかもしれない。正確に言うならば、気になったとしても大我相手なら余程の世話好きでなければ深入りしないだろう。そう考えると、側の余程の世話好きは表情を曇らせた。
「……ここならいいんじゃねぇか?」
周囲に目を回して、大我は足を止める。施設を出てしばらく歩いた先の森の入り口。大我達と同い年程の雑木林が周囲を囲んでいる。生徒達の居る施設の声や光はもう届かない。ここなら今朝御影に忠告された条件に当てはまる筈だ。
しかし大我の声に答えたのは日和ではなかった。
「うん、いいと思うよ」
「「!」」
突然聞こえてきた三人目の声に、二人は振り返る。日和の後方からは、気配もなく忍び寄ってきていた噂の彼が姿を現した。
「おかげで探すのに大分手間取っちゃったけど、それは他の皆にも見つかりにくいって事だからね」
「月山くん……」
二人と同じジャージ姿で登場した御影。大我との違いは前のチャックを閉じているかどうかしかなかったが、どうしてこうもスタイリッシュに見えるのだろうか。
「なんでここに居んだよ」
大我は鋭利な眼光で御影を睨みつける。日和も咄嗟に大我の背中に隠れて、背後から御影に視線を向けていた。
「なんでって、言ったでしょ。君達の実力を見極めるって。ちゃんと直で見ないと分かんないからさ」
御影の発言は至極真っ当だ。特に言い返す言葉も見つからず、大我は押し黙る。
日和は大我の背中で、修行の際に言われたニエの言葉を思い出していた。エクソシストには気を付けろ。御影が銃口を向けてきたあの日の感覚が蘇って、日和がぎゅっと大我の裾を掴む。
「あれ? もしかして僕警戒されてる?」
日和の視線に気付いて、御影が反応する。あの日を経験しておいて、警戒するなと言う方が無理な話だ。
「まぁそれもそうか。でもいいのかな? もっと他の事を警戒した方がいいと思うけど」
その言葉にようやく大我も気が付いた。雑木林の合間から、こちらの様子をゆらゆらと窺う得体の知れない黒い影。日の落ちた空の色は、すっかり夜に染まっていた。
「僕は今日天宮さんには手を出さない。さっきも言った通り、君達の実力を見極めさせてもらうよ」
数え切れない程の悪魔の気配。しかし大我の胸中は妙に落ち着いていた。
深く息を吐いて、大我は拳を握る。思い出されるのは先日の修行。全身を流れる魔力をイメージすると、次第に大我の両の拳は仄白い空気に包み込まれていった。
「さぁ、君達の林間学校の本番はここからだ」
御影の言葉を合図にして、悪魔達は一斉に大我の背後の日和に襲い掛かる。遠くで鳴いたカラスの声が、夜の空にこだましていた。
林間学校編の前半は、クラスメイトとの交流を書いていきました。
コレットの名前はお気付きの通り、ニックネームから決まりました。メカクレの読書家キャラは以前にも書いたような覚えがあるのですが、僕はこういうキャラが好きなのでしょうか。
ちなみに我が家のカレーに中濃ソースは入っていません。入れてる方居ましたら、どんな味か教えてください。




