【第14話】魔女ちゃんの林間学校①
タイヤが小石を踏み越えて、車体がガタンと揺れる。窓を覗けば、遠くに映る街の景色が左から右へと流れていた。
「そこでマイケルが言ったんだよ。『おいアマンダ、その話は後にしてくれないか。折角のコーヒーが冷めちまう』って。それを聞いたアマンダが、『いいややめない。貴方はいつもそればっかり。悪いけどコーヒーは後で温め直して』ってマイケルに言い返したんだ」
大我の隣の席からは、聞いた事のない外国人の名前と台詞が延々と聞こえてくる。出どころは隣に座った桂馬の口だ。桂馬は今日も瞳の下に深いクマを携えて、他のクラスメイトの誰でもない大我に語り掛けていた。
今日から遂に一泊二日の林間学校だ。今は林間学校を行う施設への道中。バスに乗った一年二組の生徒の表情は、皆楽しそうに笑みを浮かべていた。
「真琴ちゃんなに食べる?」
「アンタどんだけお菓子持ってきたの?」
「だって折角だから目一杯楽しみたいでしょ。ほら、真琴ちゃんが好きそうなのも持ってきたよ」
前の席には日和と真琴が並んで座っている。持ってきた大量の菓子袋を見せつける日和に、真琴は呆れた顔をしながらもイチゴ味のチョコレートを手に取った。更にその前の席に座るのは大森だ。大森は隣のクラスメイトと談笑するでもなく、ただ持参していたライトノベルに読み耽っていた。
大我は後方から日和の横顔を盗み見る。念願の林間学校に参加した日和は、道中から既に幸せに満ち足りていた。
「そしたらまたマイケルがさー」
「うるせぇよお前! さっきからベラベラベラベラと! お前が昨日観た海外ドラマの話とかどうでもいいんだよ!」
ひたすら耳元で語り続ける桂馬に、痺れを切らした大我は大声を上げた。バスの中で響いたその声に、前席の日和と真琴は勿論クラスメイトの視線が大我に注目する。大森に至っては驚きのあまり本を落とし、どこまで読み進めていたか分からなくなってしまっていた。
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バスで一時間程山道に揺られて、今日から世話になる林間学校の施設に到着した。見渡す限りの大自然に囲まれた市営の宿泊施設。街の喧騒も届かない場所で息を吸えば、今まで感じた事のない酸素の量が肺いっぱいに膨らんだ。
施設の管理人からの挨拶を聞き終えた一同は、レクリエーションの前に荷物を施設へと運んでいく。管理人の挨拶中ウトウトしていた大我も、目を覚まして二日分の荷物を詰めたスポーツバッグを肩に歩き出した。
「本当に来たんだね」
「どわぁ!」
不意に背後から声が聞こえて、大我は思わず飛び跳ねる。振り返った先に居たのは、今日も端正な顔立ちでこちらを見つめる御影だった。
「月山……」
他の生徒が施設に向かって通り過ぎていく中、大我は立ち止まって御影を睨み返す。
「てっきり二人で仲良く休むと思ってたのに」
荷物を右手に携えた御影は、大我にそう笑い掛けた。
大我は知っている。女子を虜にする御影の甘い笑顔の裏に、男子も怯えるような狂気が隠されている事を。気配を消して大我に忍び寄れたのも、エクソシストの力なのだろうか。
「当たり前だろ。あいつは今日の事を死ぬ程楽しみにしてたんだよ」
御影の問い掛けに大我が答える。レクリエーションに心を逸らせる日和の姿は、離れていてもすぐに見つける事が出来た。
「それに」
そう言って大我は日和から御影に視線を戻す。
「休んだらテメェに俺の実力見せれねぇだろ」
数日前、御影行きつけの喫茶店で交わした会話を思い出す。日和を殺害しようとしていた御影は、林間学校で二人の実力を見極めると話していた。他人に見極められるのは癪だが、舐められたままでいるのはもっと癪だ。大我が文句の一つも言わずに林間学校に来たのは、これが理由と言っても過言でなかった。
「……それは楽しみだね」
大我のガンつけに、御影は笑みを溢す。
「まぁとにかく、夜までは林間学校を楽しもうよ。それまでに体力が切れちゃったら元も子もないけど」
先に施設へと歩き出した御影は、荷物を持っていない左手で大我に手を振った。
「あっ、悪魔は天宮さんにしか襲ってこないけど、念の為夜になったら人の居る場所から離れるように天宮さんに言っておいてね」
大我と離れた途端、多くの女子生徒が御影に押し寄せる。今までは大我を恐れて、離れた場所から見ていたのだろうか。女子と甘い笑顔でやり取りをする御影に、殺意の影など微塵も見当たらなかった。
御影を見ているとどうにも虫の居所が悪くなり、大我もスポーツバッグを肩に提げたまま施設へと歩いていった。
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レクリエーションの内容は森の散策だ。施設が管理している森をグループで出発し、それぞれの中継地点を経由しながらゴールの見晴らし台を目指す。まさかこの短期間で二度も大自然に足を踏み入れるとは思わなかったが、市の管理下という事もあってこちらの森の方が断然歩きやすかった。
「見て真琴ちゃん! リスだよ!」
汚れてもいいように制服からジャージに着替えた日和が、真琴にそう言って木の上を指差す。
「どこ?」
「ほらあそこ!」
「え? ……あー本当だ」
日和の指差す方向には、確かに枝の上で大事そうに木の実を抱えるリスが見えた。こちらの視線に勘付いたのか、リスは木から降りるとどこか森の奥に姿を晦ましてしまう。
「行っちゃった。可愛かったなー」
「この森、リスなんて居るんだな」
こうして野生動物と触れ合えるのも、林間学校の醍醐味だ。
「そのうち熊とかも出てきたりしてな」
「え!?」
「出る訳ないでしょこんなとこで」
先を歩いていた桂馬が、後ろの二人に冗談で声を掛ける。修行で登った山ならまだしも、この森で熊と遭遇するのは万が一にも有り得ないだろう。
「もし熊が出たとしても、黒島が居るから大丈夫っしょ」
「お前俺をなんだと思ってんだ」
桂馬の言葉に、先頭を突き進んでいた大我が振り返る。流石の大我でも熊には勝てないと思いながらも、逃げる事なく正面から挑んでいきそうだと日和は密かに想像していた。
「まぁ熊は出ないだろうけど、ここの噂は知ってるか?」
「噂?」
舗装された山道を進みながら、桂馬が口を開く。
「夜のチェーンソー男」
怪談めいた噂に、日和は一瞬硬直した。
「いや数年前に俺らと同じように林間学校に来てた生徒がさ、夜にこっそり施設から抜け出して森に行ったんだと。そしたら夜中の森にも関わらず、ブオーンってチェーンソーの音が聞こえてきて、バッとそっちを見たらチェーンソーを持った巨漢の男がこっちをじーっと見てたんだとよ」
「ひっ!」
噂の一部始終を聞いて、日和は全身の筋肉を強張らせる。指先からすーっと体温が消えていくのを感じ、途端に寒気すら覚えた。
「アホくさ」
「そんなの作り話に決まってるじゃん」
「そうだろうけどさ。学校の中じゃ結構有名な噂みたいだぜ」
大我も真琴も話を始めた本人ですら、噂を信じていないように山道を進む。どうやら噂を真に受けてしまったのは日和だけのようだ。
「そっか、噂か……」
誰かの創作と考えれば気は紛れてきて、日和は安堵の息を吐く。
「怖かったね大森くん」
「え?」
日和の隣にまで追いついた最後尾の大森は、唐突に声を掛けてきた日和に思わずそんな声を漏らした。
「……うん、そうだね」
「大森くん大丈夫? 疲れてない?」
「大丈夫」
隣で声を掛け続ける日和に、同じ程の背丈の大森が適当に相槌を打つ。その光景はお節介な母親と思春期の息子のやり取りの様な既視感があった。
「……ずっと考えてたんだけどさ」
二人の会話を目にして、真琴が口を開く。
「大森の下の名前ってなんて読むんだっけ?」
真琴が手にしていたのは林間学校の案内が記されたしおり。そこに各グループのメンバーの名前も記されていたのだが、何度読み返しても大森の名前だけが一向に読めないでいた。
「本田さんそりゃないぜ。最初の自己紹介の時に話してたじゃねぇかよ」
「そうなんだけど……ごめん」
「いいよ別に。よく言われるから」
桂馬の言う通り一年二組の最初のLHRで簡単な自己紹介の機会があり、その際に真琴も大森の名前を本人から聞いている筈だった。その時には既に教室から離れていた大我は、同じグループになるまで大森の顔すら知らなかったのだが。
「是仁、だよね?」
不意に呼ばれた名前に、大森は顔を上げる。
「……うん」
「あー是仁か」
「ちょっと天宮さーん。ここは俺がバシッと大森の名前言ってやりたかったのによー」
「ごめんね」
名前を呼ばれる事に慣れていないのか、大森はどこか照れたように顔を背ける。先を越された桂馬は、不貞腐れて頬を風船の様に膨らませていた。
「でも確かに、ちょーっと読み難い名前ではあるよなー」
是仁という文字面を見て、初見で読み方を言い当てられる人は数少ないだろう。桂馬はしばらく首を傾げていると、急に思い立ったように頭上の電球を光らせた。
「そうだ。コレットってのはどうだ?」
桂馬の言葉に一同が振り向く。
「コレット?」
「なんだそれ。また昨日の海外ドラマの話か?」
「違ぇよ。あだ名だよあだ名。是仁だからコレット。どうだ? これなら覚え易いだろ?」
是仁でニックネームがコレット。安直過ぎる気もするが、確かにこれなら覚え易い。
「うん。いいんじゃない?」
「私も! とっても可愛いと思う!」
「どうでもいい……」
呆れた様子で大我は歩き出してしまったが、女子二人には随分好印象だ。張本人の大森の表情は、前髪に隠れて上手く読めない。
「……別に。なんでもいいよ」
しかし決して嫌がっているようには見えなかった。
「よし。そんじゃあ今日からコレットな」
「よろしくね。コレットくん」
コレットとニックネームが決まったところで、一同は改めて山道を登っていく。ゴールの見晴らし台まで、もうしばらくといったところまで迫っていた。
♡
他愛のない会話を続けながら、否大半は桂馬が一人で語っていたのだが、舗装された森の中を歩いていると不意に視界が開けてきた。
「着いたー」
歩き終えた桂馬は足を止めて、両手を天に掲げる。視界を覆っていた木々は目の前から居なくなり、平らな地面と澄み切った青空が広がっていた。ここがレクリエーションの目的地である見晴らし台で間違いないだろう。
「二組Eグループ、到着しました」
「はい、お疲れさん」
今までの疲労を感じさせない軽い足取りで、見晴らし台を取り囲む柵へと走っていく桂馬を余所に、グループリーダーを務める日和は待機していた教師に到着を報告する。他のメンバーも桂馬に続いて柵の方へと向かっていた。
「すげー。天宮さんも早くおいでよー」
「はーい」
桂馬に呼ばれて、日和も一同の待つ場所に合流する。そこから眺める景色に、日和は思わず目を奪われた。
「綺麗……」
青空の下に映っているのは、ミニチュアサイズとなった自分達の暮らす街。目を凝らせば服巻高校や自宅ですら見つけられる。まるで神様にでもなったかの様な視点は、普段自分の住んでいる街がこうも素敵な場所なんだと改めて思い知らせてくれた。
あまりの絶景に、日和は柵に手を掛けて前傾になる。大我は一同とは少し離れた位置で、一同と同じ景色をその瞳に焼き付けていた。
「ヤッホー!」
突然桂馬は今まで聞いた事ない程の大声を出した。この青空の下で大声を上げるのは、さぞ気持ちが良いだろう。
「いやそれ山に向かって言うヤツだろ」
「別に言いたくなったんだからなんでもいいじゃん。もしかしたら街の人が『ヤッホー』って言い返してくれるかもしんないぞ?」
「聞こえる訳ないし。そもそも山びこってそういうんじゃないから」
桂馬の適当な発言に、真琴が的確にツッコミを入れる。そんな二人のやり取りがおかしくて、日和は笑みを溢した。
「おいお前らー、写真撮るぞー」
「写真だって」
「先生あとで俺のスマホでも撮ってー」
後ろでは待機していた教師が、こちらにカメラを構えていた。到着したグループ毎に、こうして記念写真を撮影しているのだろう。
「黒島ー、お前もこっち来ーい」
「いいよ俺は」
「なんでだよ。お前も入んなきゃ意味ねぇだろ」
絶景を背景に横並びになる一同だが、大我はその列に並ぼうとしない。ジャージのポケットに両手を突っ込んで、離れた位置から一同を見るだけだった。
一向にその場を動こうとしない大我に、日和が顔を顰める。
「いいからこっちに来い」
「ぐっ!」
日和の魔法の言葉により、一歩も動かなかった大我の足が日和の隣にまで歩み寄ってきた。
「……お前天宮さんの言う事は聞くんだな」
「うるせぇ!」
なにはともあれ、これでカメラには右から大我、日和、桂馬、真琴、コレットと、一年二組Eグループの全員が映っていた。
「それじゃ撮るぞー。はい、チーズ」
教師の合図に合わせて、カメラはシャッターを切る。写真に映ったその表情は満面の笑顔だったり、不機嫌顔だったり、そもそも表情が見えなかったりしたが、一同の思い出には等しく焼き付く事となった。
今回から林間学校編のスタートです。林間学校編は全4話構成となります。
そしてこの林間学校編をもって、第1章は完結となります。
物語はここで一区切りとなりますので、最後までお付き合いいただけますと幸いです。




