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天花降る  作者: たき@現在多忙につき執筆停滞中
第2章 乱れ花
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(7)

 御殿の大門を次々ときらびやかな御輿が過ぎていく。御輿の内と外を隔てる幕が揺れ、幾多の王の横顔が拝顔できるたびに、花精たちは立ち騒いだ。いずれの王もその容姿の美しさを称揚される存在である。

 とある御輿を目にした牡丹の花精たちが、そろって感嘆の息を漏らした。淡く光彩を放つ紫色の長い髪を、青紫の衣とともに御輿よりのぞかせているのは、幽王(ゆうおう)――蘭の女王である。髪と同じ色の瞳を伏せたその横面は、あでやかさを極めていると評されるのもうなずけるものがあった。

 次に続くは嬌艶な沈丁花の女王、佳王。佳王は己の顔を存分に熟視させる心づもりか、はじめから幕を御輿の柱に束ねていた。つややかな赤紫の髪と瞳をもつ佳王が過ぎざまに花精たちを一瞥するしぐさは、たとえようのない色香を感じさせた。

 それからしばし間をおき訪れたのは、梅の王、清王であった。髪と瞳を青白色で彩る清雅な面差しの清王は、見る者の心を清々しくさせる。しかし水鏡のごとき清らかな清王を前に、心に陰りなき者は変わらぬが、よこしまな思いをいだく者は己のゆがんだ姿を映し出される心地がするという。緊張と安堵の両方を与える、清王はそのような王として知られていた。

 後を飾るのは寿王(じゅおう)、菊の王である。十二王の中でも貴王と並びほめそやされるほどに華やかな容貌を誇る寿王は、黄色の髪と瞳を己が色としていた。艶なる噂が絶えぬのは花源郷一と言われている。かたくなな心すらとろけさすという美声をぜひとも耳にしたいと女たちは熱いまなざしをそそぎ、その健気な姿をさも愛しいとばかりに、寿王は流し目に微笑してみせた。

 彼らを迎える牡丹の郷もまた綺羅を張り、花精は皆美しく着飾っていた。もとより色彩豊かな郷であるが、奉納祭をおこなうにあたり粗野なところは一所とて見られない。妖花におびやかされているとはとても思えぬ華やかさである。麟鳳が貴王となって初めての奉納祭ゆえに、すみずみまで気を配った結果であった。

 今日、深みのある赤紫の髪を巻き上げた貴王は髻に冠をいただいている。真紅の大袖には、本来の姿であるリンポウが模様として描かれてあった。指の股のない足袋に沓をはき、貴王は今猩々と長楽の両大臣並びに今では唯一の妃となった花陽妃をともない、正殿前にて他王を待った。

 大門より正面に見える正殿へは白い砂利の敷かれた前庭を渡ることになる。あまたの女官や官吏たちが左右に別れてひざまずく中、御輿から下りた王たちは貴王と軽い挨拶をかわし、高位の女官が用意した部屋へ案内されていった。

 花王と讃えられる貴王の妃に会うことを王たちが心待ちにしていたことは、すでに周知の事実である。いずれの王も貴王と話しながら、その目は少し後ろに立つ花陽妃へと向けられていた。

 花陽妃は玉芙蓉が選んだ赤紫の衣をまとっていた。はかなげだが佳麗な花陽妃にその衣は非常によく映えた。それは男王たちの色づいた視線からも、女王たちの嫉妬めいた表情からも明らかであった。貴王の傍らにいても何ら遜色はない女であると、花陽妃は認められたのである。

 しかし王たちは、貴王がわずか一言とて花陽妃に語りかけることがなかったと気づきはしなかった。

 こうして牡丹の郷は、すべての王を迎え入れた。



 奉納祭は七日七晩、各郷で途絶えることなく続けられる。祭礼のとりおこなわれる郷に十二王が集結するのは一日のみ。そこで花神へ感謝と祈りを捧げた後は宴が催されるのである。

 入郷したときは平服であった王たちが、正装に着替えて儀式の場へ現れた。日も暮れ闇に染まる御殿を、篝火が赤々と照らしている。十二王は寿咲殿に設けられた祭壇の前へ整列した。

 祭主である貴王がまず祭壇に進み、花神の御神体に供物を献じる。昨年一年の平安を拝謝し今年の安泰を願って貴王は退いた。次に老齢の桂の王、仙王(せんおう)、淡紅色の髪と瞳をもつ年高の海棠の女王、蜀王(しよくおう)、痩身の木芙蓉の王、酔王(すいおう)、壮年の蓮の王、渓王、豊満な杏の女王、艶王(えんおう)、凛然とした雰囲気の丁香の女王、素王(そおう)、さらに清王、幽王、寿王、佳王と続き、最後に最年少の茉莉の王、遠王(えんおう)が進み出る。すべての王が供え終わり各々の席に着くと、華美な衣装をまとった女官たちが参上し、十一王の盃に酒をそそいだ。用意された料理を口に運び談ずることひとしきり、そこへ素衣を着用した貴王が登場した。いよいよ舞を献上するのである。

 奉納祭は初日を飾る花――ことに祭地においては何よりも重要なものであった。奉納舞はその郷の行く末を決める儀であるのだ。

 花神は美麗な者を好むという。美しい者が美しく舞い、それが花神の心に触れたとき、花神は褒美として真白な天花を降らせる。しかしながらかつて花神より天花をいただいた者は数えるほどしかいない。また天花の降った年、花源郷は神の恩恵を受け、とりわけその郷の花精は十二年後の奉納祭までつつがなく過ごすことができると言われている。ために誰に舞わせるかは、どの郷にとっても重大な問題であった。

 今年は祭主たる貴王自らが舞を披露する。前評判を鑑みても、こたびほど皆の感興をそそる奉納舞は過去になかった。

 寿咲殿前に設けられた舞台の四隅で火が焚かれる。さほど風は強くないが、灯火は時折身をよじるように揺れていた。

 舞台の下ではさまざまな楽器を手に楽師たちが端座している。琵琶を持つ玉芙蓉の姿もそこにあった。いずれも手練れの楽師たちであるが、失敗の許されない今宵ばかりは、常と異なった厳しい容相である。玉芙蓉は、優雅な物腰で舞台に上がる貴王の動きを目で追った。

 舞台中央に立った貴王が一呼吸おいたところで、舞がはじまった。

 ゆるやかで厳かな音色が静寂の中を流れる。あわせて貴王は袖をなびかせながら扇をひるがえし、頭上にかざした。舞台上を歩む姿ははじめどことなく緩慢であったが、しだいに精彩を放つようになり、崇高な美を漂わすまでにいたる。

 足取り、一つ一つの所作、そのすべてが抑えられていながら力強く、躍動感が内からにじみ出ている。それでいてしなやかな印象を与える、不思議な舞であった。男性的でもなく女性的でもない、またその両性をあわせもつともいえる貴王の舞容は、あらゆる者を魅了した。

 酌をする女官を口説いていた寿王ですら、手にした盃をそのままに貴王を注視する。やがて管弦の楽調が激しいものへと変化した。それにともない貴王の動きも鋭くなる。

 四方の炎が白い衣に照映し、薄紅に染め上げる。額や顎をつたう貴王の汗は清水のごとく澄んだ光を放った。

 琵琶の弦を弾きながら、玉芙蓉は貴王の一挙手一投足を見守っていた。少しずつほぐれていく鬢が揺れるさまや、何も映してはいないであろう赤紫の双眸、時折浄衣からのぞくたくましい腕など、貴王を形づくるすべてのものに玉芙蓉は見とれた。

 ふと玉芙蓉の頬に冷たい感触が伝わった。

 頭上を見上げ、玉芙蓉は目を見開いた。

「天花だ……!」

 それまで静粛であった舞台周辺がとみに騒然となった。皆が口々に声を上げる。

「天花だ」

「天花が降ってきた」

「花神の御心にかなったのだ」

 天より降りてくる白く冷たいものが散る花のごとくひらひらと舞い、空を仰ぎ見る王たちの肌に、衣に触れ、溶けていく。風に飛ぶ天花は、舞踏を続ける貴王を祝福するように包み込んだ。

 それまでうつろであった赤紫の瞳が玉芙蓉をとらえた。かたく引き結ばれていた口元がほころび、玉芙蓉に笑いかける。

“こたびの奉納舞、そなたのために舞う”

“花神はまことの愛を何よりも尊ばれるお方。わたしの気持ちに偽りなくばお許しくださる”

 周囲がさざめく中、玉芙蓉は一人うつむいた。脂粉のはたかれた頬を滑る一筋の涙は天花と溶けあい、琵琶に落ちていった。



 星が淡い光を放ち月が薄白くかすむ夜空の下、宴もたけなわとなり早い者は酔いつぶれてきていた。すでに天花はやみ、刺すような冷風が郷に吹いたが、言祝ぎ笑いあう花精たちにはこたえなかった。いまだ奉納舞にて覚えた熱い感動が冷めやらぬまま、皆酒を酌みかわし話に興じている。そして見事に舞いきり再び鮮やかな色の礼服に戻った貴王もまた、他王たちの酌にまわりながら談笑に励んでいた。

 いずれの王も貴王に酒を勧め、少しでもとどめて語りあおうとしている。他王たちの誘いに乗ってはほどよくすり抜けていく貴王をぼんやりと眺めていた玉芙蓉は、演奏に切りがついたところで他の楽師と交代することになった。はじめから弾き続けていたのは玉芙蓉のみであり、楽師たちに気づかわれて玉芙蓉が腰を上げると、寿王と話していた貴王が見向いた。

 己が心を見透かされるようで、玉芙蓉は目をそらした。

「美しい楽師ですな」

 貴王のまなざしの先を見た寿王が微笑する。黄色の眸子は微酔に湿り、遠ざかる淡紅色の髪の楽師を追っていた。

「惜しむらくはあの額の傷ですか。されどそれも醜いというよりは哀れを誘う。わたしにそう思わせるとは、あの花精の美しさは侮りがたい」

 なめらかな寿王の声が貴王の耳に染み入る。女が知らず身をゆだねてしまうのもうなずける美声である。心に直接浸透してくるつやのある声に、しかし貴王は口角を下げた。それを見た寿王が楽しげに目を細める。

「これは失礼。あなたが相手ではわたしも退かざるを得ない。まことに残念だが」

 寿王は肩をすくめて失笑した。貴王は会釈をして立ち上がると、楽の音にまぎれながら玉芙蓉の消えたほうへ爪先を向けた。



 牡丹の花々がうつむく庭を玉芙蓉は一人、そぞろ歩いた。今宵は風がやや強く、空気もよく冷えている。着ていた衣の前をかきあわせた玉芙蓉は両手に息を吐きかけながら、薄雲に見え隠れする月を見上げた。

 白さが闇ににじんで溶けていくようである。それは白妙の衣をまとった貴王の麗姿と重なり、玉芙蓉は淡紅色の双眸を潤ませた。

 夜露にしっとりと濡れる己の本体へ視線を移す。玉芙蓉は今朝方鏡を見たときのことを思い出した。

 恐る恐る目にした鏡にはかつての――金鵄と出会った頃の玉芙蓉がいた。正しくは当時よりも幾分年のいった顔が。

 今が盛りと言うならばそうであろう。もっともそれは太后のごときまことに熟した花盛りではなく、ほんの少し着飾るだけでそこそこ見栄えがするという程度のものであったが。

 そして玉芙蓉は久しぶりに公の場に出て花精たち、特に男どもの己を見る目が異なっていることに気づいた。以前のような嘲弄や軽侮のまなざしではなく、驚きと同情をまぜた視線であったのだ。

 皆が一様に額の傷痕を見ては眉をひそめるのを、玉芙蓉は不快に思った。淫心あふれた面容をゆがませ、「傷は痛むか?」「気の毒に」とそろって同じ言葉をくり返すなど、うとましい以外のなにものでもない。そのような男に口説かれたところで受け入れる気など起こりはしなかった。何も言わず、ただいたわるように爪痕に口づけた貴王に比べれば――。

「自身に見とれているのか?」

 背後より問われ、玉芙蓉は驚いた。声の主をふり返る。深みのある赤紫の瞳に笑みをたたえながら、貴王はおもむろに玉芙蓉に近づいた。

「あまり一人で出歩くな。今そなたの身に何かあれば、わたしは気を狂わせてしまう」

「妖花をご懸念にございますか?」

 玉芙蓉は己の声がうわずるのを恥じた。鼓動が速くなる。

「それもあるが……」

 貴王は玉芙蓉の隣に並んだ。淡紅色のタマフヨウを見やる。

「そなたを我が手よりむしりとる者がおるやもしれぬ」

「お考えが過ぎましょう」

 玉芙蓉は笑ったが、貴王は真摯な瞳で見返した。

「わたしが知らぬとでも思うているのか? 今日そなたに声をかけた男は幾人いる?」

 風が吹く。玉芙蓉は乱れる髪を押さえて目を伏せた。

「寿王をすらひきつけたのだ、そなたは」

「それは恐悦至極にございますが、寿王様はお口がお上手とうかがっております。それを真に受けぬほどには、わたくしも己が身をわきまえておりますゆえ」

 答える玉芙蓉をしばし見つめてから、貴王は再び風にそよぐタマフヨウに視線を向けた。

「前に触れたときは実に不可解な反応を見せた。今はどうであろう?」

 貴王がタマフヨウに指をのばす。玉芙蓉は思わず貴王の袖を引いて妨げた。しかし花は触れられるよりも先に己のほうから近づかんとするがごとく、いっせいに首を上げてざわめいた。

 頬を赤らめる玉芙蓉を貴王は抱きすくめた。

本体(はな)に触れるより化身で確かめるほうがよいか」

「王、苦しゅうございます」

 強い抱擁に玉芙蓉が訴える。貴王は聞かぬふりをしたのか、さらに力を込めた。

「息ができませぬ、王」

「天花は降った。わたしの言葉、信じられるな?」

 貴王はようやく腕をゆるめた。玉芙蓉の背に手を回したまま見下ろす。

「約したとおり、我が妃となれ」

「王……」

「一生涯、わたしのそばより離れるな」

 吐息が混ざり、唇が触れる。貴王から与えられる刺激は心地よく、玉芙蓉は求められるまま流された。

 弱い月光が地面に二人の影を薄く落とす。影はその夜長い間寄り添い、離れることはなかった。



 いまだ妖花を警戒していたるところに衛士がとどまりながら、淑生舎の前はひどく寂然としていた。篝火のみが焚かれる庭に目をやり、金鵄は眉根を寄せた。貴妃殿とは思えぬ閑散としたありさまである。

 貴王が玉芙蓉への寵を前面に押し出したがために、花陽妃に向けられた皆の関心は再び薄れた。残された妃が返り咲くのではないかという予想は、淑生舎に厳重な警護が敷かれなかったことで崩れ去ったのである。花陽妃は貴王に見放された――花陽妃に仕える女官たちは、そう悲嘆していた。

 今宵金鵄は一つの決意とともに、淑生舎を訪れた。忘れ去られた貴妃をこの手でさらうために。

 いるのかいないのかわからぬ存在ではなく、花陽という女として生きてもらうために。

(今宵を逃してはならぬ)

 先日来、己が手を離れ行方知れずとなった妖花――あれを失った今、己と花陽妃を守る道は二つとない。

 花精たちが騒ぎ浮かれ、貴王が完全に目を離した今ならば……。

 金鵄は自嘲の笑みを浮かべた。このまま知らぬふりをしていればよいものを。

 たとえ妖花の正体が露見したとしても咎を受けるのは貴王と花陽妃であり、己ではない。そのためにかの妖花を利用したのである。また万が一責められても一人ならば逃げきれる。花陽妃など足手まといにしかならぬではないか。

 そう突き放す思いの一方で、花陽妃への恋慕が断ち切れぬことも金鵄は認めていた。忘れられるはずがなかった。花陽妃が姫と呼ばれていた頃から金鵄は思い続けてきたのである。いかに魅力ある女に触れようと、その面影が頭から離れることはなかった。傷つけてでも得たい――そう願うほどに。

(やはり連れていこう……)

 未練がましい男と蔑まれようと、手を取っていきたい。

 花陽妃が己以外の者になじられるなど許せない。

 そして金鵄は、人けのない廊下の板を踏みしめた。


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